詩《うた》をきかせて

生永祥

文字の大きさ
上 下
19 / 54

☆第19話 芽生え

しおりを挟む
 小夜子がドキドキしながら返事を待っていると、しばらく黙り込んで、その場で思案していた若菜が、突然低い声をより一層低くしてこう言った。

「……女性が軽々しく、『何でもします』なんていうものじゃない」
「え、え?」
「……そんな言葉を軽々しく使っていると、いつか大変な目に遭う」

「これは忠告だ」と若菜が厳しい顔で続ける。

 そして左手に巻いた銀色の腕時計にチラッと目をやると、「ではこれにて失礼する」と言って、若菜は颯爽と小夜子の前から姿を消した。

 若菜が立ち去った後、小夜子は呆然とその場に立ち尽くした。

 完全に日が暮れて真っ暗になった河川敷の真ん中で、小夜子は思わず唇を右手で覆った。

 そして次の瞬間、左手に持っていた重たい学校鞄を、地面にどさっと落とした。

 落とした鞄を拾う事もせず、小夜子はぼーっと若菜が足早に去っていった方向を見つめる。

 すると次の瞬間、小夜子は自分の全身の力が抜けていくのを感じた。立ち続けていることが出来ずに、ゆっくりとその場に座り込む。

 草花に覆われた地面はひんやりとしていて、じんわりと冷気が足下から伝わる。

 だがどんなに身体に冷気が伝わっても、小夜子は何故だか寒いとは感じなかった。

――『女性』って言われた。

 言われた、という事は、若菜は自分のことを女性として見てくれているということだ。

――『女性』として扱ってくれた。

 人間としてだけではなく、一人の女性として若菜が自分を扱ってくれた、という現実。

 その現実に小夜子は強い衝撃を受けた。そして何度も何度も、若菜との先程のやり取りを、頭の中でリフレインさせる。

 その若菜の言葉に、身体の体温が勢い良く上がっていくのが分かる。

 その若菜の態度に、心臓が飛び出しそうなほど、高鳴っていくのが分かる。

 そんな二人の事実に、身体全体を甘い痺れが支配して、身体が小刻みに震えていくのが小夜子には分かった。

――あぁ、どうしよう。

――この感覚って、この気持ちって、もしかして……。

 冷たい夜風が吹いて、そっと小夜子の身体をなぞった。

 だが涼しい風が何度吹いても、小夜子の火照った身体と、ときめく胸は、一向に落ち着く気配が無かった。
しおりを挟む

処理中です...