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04
崩壊する秩序
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04
台風や地震などの災害の発生に伴い避難が実施されるに当たっては、当然のように様々な問題が起きることが想定される。
災害の規模や発生場所によってはそもそも水や食料が行き渡らない可能性も考えられるし、雨風をしのげる場所が確保できない可能性もある。
それらがうまくいったとしても、入れ物と食い扶持さえなんとかなれば万々歳ということは決してない。
家を出て体育館などで集団生活をするのはストレスが溜まるものだし、避難が長引けば心身の健康にも悪影響が出て来る。また、先が見えない状況、さらなる災害への不安や恐怖は、人の心のバランスを簡単に失わせてしまう。最悪、避難生活そのものを崩壊させる可能性だってある。
突然出現した謎の島、仮称“イスラ・ヌブラル”から渡ってきた恐竜たちの驚異から逃れるため、の避難所とされた石城島の小学校。今正に、避難のストレスと更なる災害に対する恐怖から、避難生活の崩壊が始まろうとしていたのだった。
「どうした?なにを騒いでいる?」
陸自混成部隊の司令である池田は、避難所が置かれる体育館で非常事態が起きたという連絡を受けて、まっすぐに向かった。
そこで見たものは、一部の避難民がどういうわけか荷造りを始めている光景だった。
「あ、司令。実は、島民の一部が自力で島から避難すると言い出してるんです」
「なんだって?」
「ここにこれ以上いたくないと…。島の北東の波止場に停泊しているフェリーで沖縄本島に向かうそうです」
体育館で待っていた諏訪部の報告に池田は予想外の状況だと思う一方で、ついにこうなったかという感想も抱いていた。
元々島民たちは恐竜に畑や家畜を食い荒らされていらだっていた。それだけでもストレスだったのに、1人の女子学生のつまらないミスから恐竜が校舎の中に入り込んでしまい、体育教師が殺害されるに及んだ。それをきっかけに避難所の空気が悪くなり、島民同士の人間関係が一気に険悪になっていったのは察していた。が、よもやこの低気圧の中で島から出ようとするほどに険悪になっていったとは。
「船長さん、この天気の中で船を出すなんてどれだけ危険か、我々よりあなたの方がおわかりでしょう?」
池田は島民と一緒に避難してきたフェリーの船長を捕まえて問いただす。
「それはわかってる。でも、ここにいても死ぬ可能性はある。違うかな?」
そう言った船長は憮然として何の表情も浮かべていなかった。危険な兆候だ。池田は思う。災害で先が見えず切迫した状況で、考えることをやめてしまった人間を池田は仕事柄何人も見てきた。思考停止したものの行動パターンはいろいろだが、取りあえずなんでもいいから何かをしなければという考えに捕らわれるのが一番危険と言えた。
実際、この船長はほとんど嵐と行っていい海に漕ぎ出そうとしている。それがどれだけ危険なことか、仕事柄わからないわけはないにも関わらずだ。
ここに残っても恐竜に殺される危険はあるというのは一理あるから始末が悪い。
「危険なのは恐竜だけではありません。海の中にも脅威になるものがいる可能性があります。諏訪部、説明してくれるか」
「はい、説明します。
これは我々が向こうの島に偵察に出たときに撮った写真です」
池田の言葉に応じた諏訪部がタブレット端末に偵察行動時の写真を呼び出す。
「こいつらはアーケロン。白亜紀に生息した全長4メートルのウミガメです。
で、やつら少なくない数の個体がひどい怪我をしていた。ヒレを食いちぎられたものもいれば、脇腹の肉をごっそりえぐり取られていたものもいました。
つまり、このデカブツにこれだけの傷を負わせる力を持ったやつがいることになります」
端末に映る生々しい写真に、船長は一瞬表情に恐怖とためらいをにじませる。だが、すぐに無表情に戻っていた。
「私はもう20年船に乗ってる。シャチがサメを喰うのを見たことがある。イタチザメがクジラの死体を喰ってるところも見たことがある。
だが映画みたいにサメやクジラが船を襲ってきたって経験は一度もない。
海にどんなやつがいるにせよ、えさかどうかわからないものにちょっかいを出すとは思えないね」
そう言った船長の言葉はどこか虚ろだった。今自分で言ったことを自分でも信じていない。とにかく船でこの島から出ることありきで、後付けした理屈に過ぎない自覚はあるらしい。
「どう思う?」
船長と、荷造りを続ける者たちを説得するのは困難と判断した池田は、諏訪部に意見を求める。
「海は荒れてるし、白亜紀の生物と現代の生物の習性が同じとは限りません。危険すぎます。
ですが、それを理解した上でなお行くのであれば、我々に止める権限はありません」
諏訪部はため息交じりに言葉を発する。この状況ではそれが現実だった。
今回の事態では、陸自混成部隊は災害派遣などの形で正式に出動が命じられたわけではない。島に恐竜が上陸してきてなし崩し的に避難を支援する形になったが、政府からも沖縄県からも正式にはなんの権限も与えられていないのだ。
また、もし与えられていたとしても、危険は承知だから無理にでも避難したいという者たちを止める法的な根拠はなかっただろう。
「ただし、波止場までは安全を期して我々が送り届ける。
それでいかがでしょう?」
「そうだな。道中危険だろうしな。船長、それでよろしいか?」
「わかりました。よろしくお願いします」
諏訪部の言葉に、池田も船長も同意する。
自衛隊としてできることは、波止場まで向かう途中で恐竜に襲われないように警護するくらいこことだ。フェリーが出港したら、後は自己責任でなんとかしてもらうしかない。何が起きようとも。
諏訪部は諦念に近い感情を抱いていた。自衛隊員としてそれではいけないとは思いながらも、状況に抗ってなんとかしようとすることに疲れ始めている自分を自覚せずにはいられないのだった。
05
フェリーで島から離れることを希望する避難民は船長や船員を含めて55人。
小学校から波止場までは歩けば20分もかからない。加えて、例によって波止場に向かう道は狭く不便となれば、車両を出すのはあまりうまい方法ではなかった。
結局、唐辛子を混ぜた煙幕を大量に焚いて恐竜たちを近づけないようにしながら、徒歩で波止場に向かう方法が選択された。諏訪部は偵察隊11人を部隊から借り受け、道中の警護に当たることにした。
不幸にして雨風は強まっていて、ただでさえ疲れている避難民から容赦なく体力を奪っていく。
「障害物や遮蔽物のある所は避けてください。恐竜に待ち伏せされる危険があります」
笹沼が避難民の列を誘導しながら拡声器で声をかける。
雨脚が強まる中ではきついが、海岸沿いを歩いて行くのが一番安全と言えた。もし障害物の陰からドロマエオサウルスの奇襲を受けたら、避難民たちを守りながら戦うのはほとんど不可能だろうと諏訪部は予測していた。
「あ、隊長あれを見てください!」
斥候として先行していた子安が砂浜を指さす。諏訪部はそれを見て一瞬なにか理解できなかった。なにか巨大でとてつもなく長いものが浜辺に横たわっているのだ。
「見て来よう。子安、笹沼、一緒に来てくれ」
小銃を構えながら慎重に近づいて、諏訪部はようやくその巨大な物体の正体に気づいた。
「エラスモサウルスだな」
「首長竜ですか...。こりゃでかい...」
横たわっているのを横から見るとわかりにくいが、それは首長竜の中でも大型の部類に入るエラスモサウルスのようだった。とにかく目を引くのがその長い首で、8メートルはありそうだ。全長にして14メートルと言うところか。
「確か連中卵胎生でしたよね?一生水の中で過ごすはずじゃ?」
「そのはずだが、見ろ。捕食者に襲われて致命傷を負い打ち上げられたんだろう」
諏訪部はエラスモサウルスの廻りを慎重に迂回しながら移動し、指さす。左の前肢が肩口からごっそりえぐり取られ、わき腹にも大きな噛み跡がある。これでは即死はしなくとも、いずれ出血で死に至る運命だったことだろう。
「すごいな...」「ネッシーってか?」「食い殺されたのか...」
いつの間にか、エラスモサウルスの廻りに避難民たちが集まっていた。
「船長、議論を蒸し返すわけじゃなく、これを見て頂いた上でもう一度伺いたい。
このでかいのをここまで痛めつける奴らがいる海に、まだ出て行きたいですか?」
諏訪部は避難民たちとともに近寄って来た船長を捕まえて問いただす。もしかしたら船長や避難民たちの気が変わるかもしれないと期待したのだ。
船長はさすがに考える顔になる。首長竜の巨体が食いちぎられた生々しい亡骸に、さすがに心が動いたのだ。
『トンビより偵察隊。やばいぞ、西側からお客さんだ。ユタラプトルが接近してる』
その時、上空を警戒中のOH-6から通信が入る。諏訪部が西側、偵察隊から見て6時方向に目を向けると、鮮やかな羽毛に彩られた影がいくつも目に入る。ユタラプトルの群れが小走りにこちらに向かってくるのが見えた。全部で9頭もいる。
偵察隊の間に緊張が走る。だが、諏訪部が射撃命令を出そうとしたその瞬間、ユタラプトルの群れは急ブレーキをかけるように停止し、避難民と偵察隊から10メートルほどの場所で一列横隊になる。そして、威嚇するように大きな鳴き声を発し始める。鳥と大型の哺乳類の声を合成したような鳴き声で、とにかく大きい。波や雨風の音がかき消されるほどだった。
「隊長、攻撃しますか?」
「いや待て」
89式のセレクターをフルオートに合わせた子安を諏訪部は制する。
前にも同じような状況に遭遇したことがある。ということは。
「全員、背中を見せずにゆっくり移動するぞ。用があるのは首長竜の死体で、俺たちじゃないらしい」
そう言った言葉に100%の自信があるわけではなかった。“イスラ・ヌブラル”でユタラプトルと遭遇した時はやつらは子供を守っている状況だった。下手に戦闘になるのを避けたいのはユタラプトルの方だった。だが、今はどうだ?
全長7メートル、体重800キロ以上の体に、20センチ以上あるカギ爪と強靭な顎をもつ禽獣が9頭。まともに戦闘になればこちらも無傷では済まない。一方、ユタラプトルのがわも目の前にエラスモサウルスというご馳走があるのにわざわざ戦闘を行う意味はない。鳴き声を上げるだけで襲い掛かってこないのがその証左。
諏訪部はその可能性に賭けることにして、部下を下がらせ、避難民を慎重にエラスモサウルスから遠ざける。
幸いにしてコチラの意図はユタラプトルがわにも伝わったらしい。諏訪部たちが下がるのに合わせてユタラプトルたちはゆっくりとエラスモサウルスに近づいていく。
偵察隊と避難民が十分離れ獲物に手を出すことはないと判断した時点で、ユタラプトルたちは警戒を解き、一斉にエラスモサウルスに食らいついてものすごい勢いで食い始めた。
「取りあえず助かったみたいだな」
「ええ、でも妙じゃありませんか?一応親戚筋のはずのドロマエオサウルスは捕食する気がなくても人間を襲うのに、やつらは人間との戦いを避けている。まるっきり性質が違うらしい」
子安の指摘に、諏訪部はそう言えばと思う。
「チンパンジーは同族同士でさえ殺し合うほど残忍で獰猛だ。一方でゴリラは穏やかで戦いを好まない。
イタチザメは好奇心が強く怖いもの知らずだが、ホオジロザメは臆病で慎重だ。
親戚でも習性が全く違うってことはあり得る話だ」
恐竜に関する情報があまりに少ない状態では、諏訪部にはそれだけ言うのが精一杯だった。
ドロマエオサウルスもユタラプトルも、知能が高く集団性があり、高度な判断が可能なことは間違いがないようだ。だが、その知能と判断力を活用する方向が真逆と言うのが気にかかる。
ドロマエオサウルスは積極的に人間を狩るために知能とチームワークを活用している。一方のユタラプトルは、逆に人間との戦いを避ける方向に戦略を練っているように見える。この違いはどこから来るのか。
「諏訪部隊長、やはり我々は島を出るよ。今回は助かったが、次はあのカギ爪で串刺しにされるかも知れない。やはり島にはいられない」
船長が決意を新たにしたように、諏訪部に声をかけて来る。
「そうですか」
諏訪部にもわからない話じゃないと思えた。エラスモサウルスを食い殺す捕食者のいる海も危険だが、ユタラプトルの群れがいる島も危険。要はどちらの危険を甘受するかの問題だった。
偵察隊と避難民は、再び波止場に向けて整然と移動を開始したのだった。出ていくも地獄、残るも地獄。そんな不吉な予感を全員が抱いていた。
06
「エンジン出力問題なし。現在速力10ノット。本船はこれより沖縄本島へ進路を取る」
船長はマニュアル通り速力と進路を確認しながらフェリー“さんご丸”を沖縄本島に向けて航行させる。雨風はひどいし、海は荒れてよく揺れるが航行できないほどではない。
通信障害のせいでGPSや電波灯台からの誘導はあてにできないが、ジャイロコンパスと海図だけで航行は可能だった。そもそも、全部を機械に頼っていたら船乗りは務まらない。機械や通信が使えない状況だろうと、船乗りは舵を握り目的地に向かい続けなければならないのだ。
それに、この辺りでフェリーを航行させてかれこれ10年以上になる。海底の地形や潮の流れはだいたいわかっている、言わば船長にとって庭のようなものだった。
しかし、自分たちはいいとして、島に残った島民や自衛隊員たちはどうなるだろう?船長は不意に気がかりになった。恐竜にやたら詳しい自衛隊員によれば、草食恐竜たちが島の西側にある果樹園や畑を食い尽くせば、島の東に向けて移動する可能性があるという。当然草食恐竜をえさにする肉食恐竜もついて来てしまうことになる。そうなったら、いかに頑丈な作りの小学校に避難しているとは言っても安全と言い切れるだろうか?
そこまで考えて、今は他人のことより自分のことを心配するときだと思いなおし、操舵に集中する。
その時だった。
波の揺れとは明らかに違う、何かが叩き付けるような衝撃が船を襲った。船長は危うく床に投げ出されそうになるのをかろうじて支える。
「なんだ?座礁か?」
「あり得ん!この辺りに岩礁はない!」
航海士の言葉を船長はぴしゃりと遮る。この辺りの水深は20メートル以上あり、下は砂地のはずだ。座礁することなどありえない。
だが、そう考える間にも衝撃は2度3度と船に走る。
船長は出航前、偵察隊の隊長である諏訪部に言い含められたことを思い出していた。
「もし危険だと判断したら、迷わず引き返してください。恐らく海の真ん中で立ち往生するようなことがあれば、確実に死にます」
引き返すべきか?
『こちら機関室!やばいです!船底が歪んで水が浸入して来ます』
船体電話に入る機関士の声に、船長は自分の判断が遅きに失しつつあるのを悟った。
「進路変更!本船は石城島に引き返す!」
船長はもう遅いかも知れないという予感を抱きながら指示を下す。断続的に船に走る衝撃からして、この船は巨大で獰猛な怪物に囲まれていると考えるのが自然だろう。しかし、最低限の強度しか持たない商船とはいえ、体当たりで浸水させるほどの破壊力を持っているとは。それに、敵がどんなやつなのかは知らないが、6500万年前には当然船などなかったわけだ。初見の相手をためらいもなく攻撃するとは、ずいぶん凶暴な生き物であるらしい。
そんなことを船長が考えた時、船体が左に突然傾く。
『こちら機関室!船長、やばいです!船底に穴が!』
「排水ポンプ廻せ!」
『やっています!』
いよいよ事態は最悪と言えるものになり始めた。機関室の浸水が止まらなければ、船が傾いて速度が落ちることはもちろん、機関と電気系統が水を被れば、そのまま機関停止で立ち往生と言うこともあり得るのだ。
「ここを頼む!」操舵を航海士にまかせ、船長は階段を下りて機関室に向かう。
機関室に立ち入った瞬間、船長は確かに見た。のこぎりのような歯が並んだ楔形の巨大な顎が船底に開いた破孔に食らいつき、力任せに引き裂くのを。船底はリベットが撃たれた部分からミシン目のように引きはがされ、海水がどっと流れ込んできた。
「うわああああああああーーーっ!」
船尾が重くなった分船は後方に向けて傾斜を始め、機関士が坂道と化した通路を滑って行き、破孔に吸い込まれた。
ここにいては危険だ。そう判断した船長は、傾いた階段を必死でよじ登り、操舵室に戻る。
「通信士!石城島に救難要請を出せ!」
「だめです!応答ありません!」
畳みかけるように最悪の事態が襲ってくる。現在起きている通信障害が、どの程度離れれば無線が不通になるものなのかははきとはしないが、どうやら現在地は石城島の交信圏外らしい。
「くそ!貸せ!」
船長は通信士からマイクをひったくる。
「メーデーメーデー!こちら“さんご丸”石城島の自衛隊司令部応答願います!
メーデー!石城島自衛隊司令部応答願います!」
うんともすんとも言わない無線に対して船長は呼びかけ続ける。その間も、船には衝撃が走り、船底がひしゃげる音がここまで伝わってくる。怪物たちが船底を揺さぶり、食いちぎろうとしているのだとはっきりわかる。
もうだめか。自分は自業自得であるとしても、せめて船員と乗客だけでも。
そんな船長の切実な願いは天に届くことになった。
『こちら......石城島...司令部...。“さんご丸”現在地と状況を...たし。どうぞ』
ノイズ交じりでかろうじて聞き取れる声が無線から聞こえる。
「こちら“さんご丸”!現在地、石城島東北東3キロの地点!巨大な海洋生物に襲われて船底に穴が開いてる!
すぐに航行不能になるだろう...。
こんなことを頼める立場じゃないが...ヘリによる救助を願う!」
『了解。救難信号は出し続けて下さい。すぐに迎えに行きます』
自衛隊の通信員の言葉と、船体がさらに大きく後ろに傾斜したのはほぼ同時だった。この分では、船底はもちろん、客室もすぐに浸水してしまう。
「乗客の皆さん。落ち着いて船の上側に。展望室と甲板に移動してください」
船長は船内アナウンスで呼びかける。居住区のいくつかを封鎖して浮袋にすれば、船はしばらくは浮いていられるはずだった。
だが、船長の希望的観測はたやすく打ち砕かれた。居住区の水密を閉鎖して、乗客の誘導のために甲板に上がって船長は愕然とするとともに、全身の血が逆流するかのような感覚に襲われる。
フェリーの周りに無数の巨大な影が群がり、周囲を回っていたからだ。時折巨大な背中を水面に見せる姿は鯨そのものに見えたが、クジラとは比べ物にならない剣呑な気配を発している。
「ティロサウルス...!」
船長の口を突いてそんな言葉が出ていた。古生物には詳しくないが、以前ネットで見た記憶がある。
モササウルス科の中でも大型の種だ。全長15メートル以上にもなり、頭蓋骨だけで1.8メートルもある。大きく開く口と巨大な歯を持つ獰猛な捕食者だ。
それだけではなく、上あごの先端、つまり鼻先が頑丈な突起になっている。まるで船の衝角のように。それを活用して船に穴を開けたというのか。
あまりの恐怖に、船長は完全に思考停止していた。そのとき、ティロサウルスが新たなアクションを起こす。
「きゃあああああああっ!」
女性の乗客の悲鳴が響く。ティロサウルスの1頭が海面から身を乗り出して、船の右舷甲板の手すりに食らいつき揺さぶりだしたのだ。
「わあああああああーーーっ!」「いやああああああっ!」
3人の乗客が悲鳴を上げながら海に投げ出される。そして、1人も浮いてくることはなかった。
「皆さん!何かにつかまってください!できれば柱に体を縛り付けて!」
船長は乗客たちにそう呼びかけるが、50人以上の人間で芋洗い状態の甲板には、全員がつかまれるところなどありはしなかった。
今度は船の左から別のティロサウルスが乗り上げて来る。その巨体の重さで船が左に傾き、数人の乗客がなすすべもなく甲板の上を滑り落ちて行く。その中の一人の中年の女は、大きく開いたティロサウルスの口に捕らえられ、そのまま海に引きずり込まれた。他にも何人かが海に投げ出される。
「助けて!」「食われちまう!」
水面で恐怖に悲鳴を上げて助けを求める数人の乗客の姿は、次の瞬間には見えなくなっていた。
「こんなことが...」
なぜこんな怪物が泳ぐ海に繰り出してしまったのか。自衛隊の指揮官の言う通りにしているべきだった。船長は目の前で繰り広げられる惨劇を見ながら、自分の選択を全力で後悔していた。
台風や地震などの災害の発生に伴い避難が実施されるに当たっては、当然のように様々な問題が起きることが想定される。
災害の規模や発生場所によってはそもそも水や食料が行き渡らない可能性も考えられるし、雨風をしのげる場所が確保できない可能性もある。
それらがうまくいったとしても、入れ物と食い扶持さえなんとかなれば万々歳ということは決してない。
家を出て体育館などで集団生活をするのはストレスが溜まるものだし、避難が長引けば心身の健康にも悪影響が出て来る。また、先が見えない状況、さらなる災害への不安や恐怖は、人の心のバランスを簡単に失わせてしまう。最悪、避難生活そのものを崩壊させる可能性だってある。
突然出現した謎の島、仮称“イスラ・ヌブラル”から渡ってきた恐竜たちの驚異から逃れるため、の避難所とされた石城島の小学校。今正に、避難のストレスと更なる災害に対する恐怖から、避難生活の崩壊が始まろうとしていたのだった。
「どうした?なにを騒いでいる?」
陸自混成部隊の司令である池田は、避難所が置かれる体育館で非常事態が起きたという連絡を受けて、まっすぐに向かった。
そこで見たものは、一部の避難民がどういうわけか荷造りを始めている光景だった。
「あ、司令。実は、島民の一部が自力で島から避難すると言い出してるんです」
「なんだって?」
「ここにこれ以上いたくないと…。島の北東の波止場に停泊しているフェリーで沖縄本島に向かうそうです」
体育館で待っていた諏訪部の報告に池田は予想外の状況だと思う一方で、ついにこうなったかという感想も抱いていた。
元々島民たちは恐竜に畑や家畜を食い荒らされていらだっていた。それだけでもストレスだったのに、1人の女子学生のつまらないミスから恐竜が校舎の中に入り込んでしまい、体育教師が殺害されるに及んだ。それをきっかけに避難所の空気が悪くなり、島民同士の人間関係が一気に険悪になっていったのは察していた。が、よもやこの低気圧の中で島から出ようとするほどに険悪になっていったとは。
「船長さん、この天気の中で船を出すなんてどれだけ危険か、我々よりあなたの方がおわかりでしょう?」
池田は島民と一緒に避難してきたフェリーの船長を捕まえて問いただす。
「それはわかってる。でも、ここにいても死ぬ可能性はある。違うかな?」
そう言った船長は憮然として何の表情も浮かべていなかった。危険な兆候だ。池田は思う。災害で先が見えず切迫した状況で、考えることをやめてしまった人間を池田は仕事柄何人も見てきた。思考停止したものの行動パターンはいろいろだが、取りあえずなんでもいいから何かをしなければという考えに捕らわれるのが一番危険と言えた。
実際、この船長はほとんど嵐と行っていい海に漕ぎ出そうとしている。それがどれだけ危険なことか、仕事柄わからないわけはないにも関わらずだ。
ここに残っても恐竜に殺される危険はあるというのは一理あるから始末が悪い。
「危険なのは恐竜だけではありません。海の中にも脅威になるものがいる可能性があります。諏訪部、説明してくれるか」
「はい、説明します。
これは我々が向こうの島に偵察に出たときに撮った写真です」
池田の言葉に応じた諏訪部がタブレット端末に偵察行動時の写真を呼び出す。
「こいつらはアーケロン。白亜紀に生息した全長4メートルのウミガメです。
で、やつら少なくない数の個体がひどい怪我をしていた。ヒレを食いちぎられたものもいれば、脇腹の肉をごっそりえぐり取られていたものもいました。
つまり、このデカブツにこれだけの傷を負わせる力を持ったやつがいることになります」
端末に映る生々しい写真に、船長は一瞬表情に恐怖とためらいをにじませる。だが、すぐに無表情に戻っていた。
「私はもう20年船に乗ってる。シャチがサメを喰うのを見たことがある。イタチザメがクジラの死体を喰ってるところも見たことがある。
だが映画みたいにサメやクジラが船を襲ってきたって経験は一度もない。
海にどんなやつがいるにせよ、えさかどうかわからないものにちょっかいを出すとは思えないね」
そう言った船長の言葉はどこか虚ろだった。今自分で言ったことを自分でも信じていない。とにかく船でこの島から出ることありきで、後付けした理屈に過ぎない自覚はあるらしい。
「どう思う?」
船長と、荷造りを続ける者たちを説得するのは困難と判断した池田は、諏訪部に意見を求める。
「海は荒れてるし、白亜紀の生物と現代の生物の習性が同じとは限りません。危険すぎます。
ですが、それを理解した上でなお行くのであれば、我々に止める権限はありません」
諏訪部はため息交じりに言葉を発する。この状況ではそれが現実だった。
今回の事態では、陸自混成部隊は災害派遣などの形で正式に出動が命じられたわけではない。島に恐竜が上陸してきてなし崩し的に避難を支援する形になったが、政府からも沖縄県からも正式にはなんの権限も与えられていないのだ。
また、もし与えられていたとしても、危険は承知だから無理にでも避難したいという者たちを止める法的な根拠はなかっただろう。
「ただし、波止場までは安全を期して我々が送り届ける。
それでいかがでしょう?」
「そうだな。道中危険だろうしな。船長、それでよろしいか?」
「わかりました。よろしくお願いします」
諏訪部の言葉に、池田も船長も同意する。
自衛隊としてできることは、波止場まで向かう途中で恐竜に襲われないように警護するくらいこことだ。フェリーが出港したら、後は自己責任でなんとかしてもらうしかない。何が起きようとも。
諏訪部は諦念に近い感情を抱いていた。自衛隊員としてそれではいけないとは思いながらも、状況に抗ってなんとかしようとすることに疲れ始めている自分を自覚せずにはいられないのだった。
05
フェリーで島から離れることを希望する避難民は船長や船員を含めて55人。
小学校から波止場までは歩けば20分もかからない。加えて、例によって波止場に向かう道は狭く不便となれば、車両を出すのはあまりうまい方法ではなかった。
結局、唐辛子を混ぜた煙幕を大量に焚いて恐竜たちを近づけないようにしながら、徒歩で波止場に向かう方法が選択された。諏訪部は偵察隊11人を部隊から借り受け、道中の警護に当たることにした。
不幸にして雨風は強まっていて、ただでさえ疲れている避難民から容赦なく体力を奪っていく。
「障害物や遮蔽物のある所は避けてください。恐竜に待ち伏せされる危険があります」
笹沼が避難民の列を誘導しながら拡声器で声をかける。
雨脚が強まる中ではきついが、海岸沿いを歩いて行くのが一番安全と言えた。もし障害物の陰からドロマエオサウルスの奇襲を受けたら、避難民たちを守りながら戦うのはほとんど不可能だろうと諏訪部は予測していた。
「あ、隊長あれを見てください!」
斥候として先行していた子安が砂浜を指さす。諏訪部はそれを見て一瞬なにか理解できなかった。なにか巨大でとてつもなく長いものが浜辺に横たわっているのだ。
「見て来よう。子安、笹沼、一緒に来てくれ」
小銃を構えながら慎重に近づいて、諏訪部はようやくその巨大な物体の正体に気づいた。
「エラスモサウルスだな」
「首長竜ですか...。こりゃでかい...」
横たわっているのを横から見るとわかりにくいが、それは首長竜の中でも大型の部類に入るエラスモサウルスのようだった。とにかく目を引くのがその長い首で、8メートルはありそうだ。全長にして14メートルと言うところか。
「確か連中卵胎生でしたよね?一生水の中で過ごすはずじゃ?」
「そのはずだが、見ろ。捕食者に襲われて致命傷を負い打ち上げられたんだろう」
諏訪部はエラスモサウルスの廻りを慎重に迂回しながら移動し、指さす。左の前肢が肩口からごっそりえぐり取られ、わき腹にも大きな噛み跡がある。これでは即死はしなくとも、いずれ出血で死に至る運命だったことだろう。
「すごいな...」「ネッシーってか?」「食い殺されたのか...」
いつの間にか、エラスモサウルスの廻りに避難民たちが集まっていた。
「船長、議論を蒸し返すわけじゃなく、これを見て頂いた上でもう一度伺いたい。
このでかいのをここまで痛めつける奴らがいる海に、まだ出て行きたいですか?」
諏訪部は避難民たちとともに近寄って来た船長を捕まえて問いただす。もしかしたら船長や避難民たちの気が変わるかもしれないと期待したのだ。
船長はさすがに考える顔になる。首長竜の巨体が食いちぎられた生々しい亡骸に、さすがに心が動いたのだ。
『トンビより偵察隊。やばいぞ、西側からお客さんだ。ユタラプトルが接近してる』
その時、上空を警戒中のOH-6から通信が入る。諏訪部が西側、偵察隊から見て6時方向に目を向けると、鮮やかな羽毛に彩られた影がいくつも目に入る。ユタラプトルの群れが小走りにこちらに向かってくるのが見えた。全部で9頭もいる。
偵察隊の間に緊張が走る。だが、諏訪部が射撃命令を出そうとしたその瞬間、ユタラプトルの群れは急ブレーキをかけるように停止し、避難民と偵察隊から10メートルほどの場所で一列横隊になる。そして、威嚇するように大きな鳴き声を発し始める。鳥と大型の哺乳類の声を合成したような鳴き声で、とにかく大きい。波や雨風の音がかき消されるほどだった。
「隊長、攻撃しますか?」
「いや待て」
89式のセレクターをフルオートに合わせた子安を諏訪部は制する。
前にも同じような状況に遭遇したことがある。ということは。
「全員、背中を見せずにゆっくり移動するぞ。用があるのは首長竜の死体で、俺たちじゃないらしい」
そう言った言葉に100%の自信があるわけではなかった。“イスラ・ヌブラル”でユタラプトルと遭遇した時はやつらは子供を守っている状況だった。下手に戦闘になるのを避けたいのはユタラプトルの方だった。だが、今はどうだ?
全長7メートル、体重800キロ以上の体に、20センチ以上あるカギ爪と強靭な顎をもつ禽獣が9頭。まともに戦闘になればこちらも無傷では済まない。一方、ユタラプトルのがわも目の前にエラスモサウルスというご馳走があるのにわざわざ戦闘を行う意味はない。鳴き声を上げるだけで襲い掛かってこないのがその証左。
諏訪部はその可能性に賭けることにして、部下を下がらせ、避難民を慎重にエラスモサウルスから遠ざける。
幸いにしてコチラの意図はユタラプトルがわにも伝わったらしい。諏訪部たちが下がるのに合わせてユタラプトルたちはゆっくりとエラスモサウルスに近づいていく。
偵察隊と避難民が十分離れ獲物に手を出すことはないと判断した時点で、ユタラプトルたちは警戒を解き、一斉にエラスモサウルスに食らいついてものすごい勢いで食い始めた。
「取りあえず助かったみたいだな」
「ええ、でも妙じゃありませんか?一応親戚筋のはずのドロマエオサウルスは捕食する気がなくても人間を襲うのに、やつらは人間との戦いを避けている。まるっきり性質が違うらしい」
子安の指摘に、諏訪部はそう言えばと思う。
「チンパンジーは同族同士でさえ殺し合うほど残忍で獰猛だ。一方でゴリラは穏やかで戦いを好まない。
イタチザメは好奇心が強く怖いもの知らずだが、ホオジロザメは臆病で慎重だ。
親戚でも習性が全く違うってことはあり得る話だ」
恐竜に関する情報があまりに少ない状態では、諏訪部にはそれだけ言うのが精一杯だった。
ドロマエオサウルスもユタラプトルも、知能が高く集団性があり、高度な判断が可能なことは間違いがないようだ。だが、その知能と判断力を活用する方向が真逆と言うのが気にかかる。
ドロマエオサウルスは積極的に人間を狩るために知能とチームワークを活用している。一方のユタラプトルは、逆に人間との戦いを避ける方向に戦略を練っているように見える。この違いはどこから来るのか。
「諏訪部隊長、やはり我々は島を出るよ。今回は助かったが、次はあのカギ爪で串刺しにされるかも知れない。やはり島にはいられない」
船長が決意を新たにしたように、諏訪部に声をかけて来る。
「そうですか」
諏訪部にもわからない話じゃないと思えた。エラスモサウルスを食い殺す捕食者のいる海も危険だが、ユタラプトルの群れがいる島も危険。要はどちらの危険を甘受するかの問題だった。
偵察隊と避難民は、再び波止場に向けて整然と移動を開始したのだった。出ていくも地獄、残るも地獄。そんな不吉な予感を全員が抱いていた。
06
「エンジン出力問題なし。現在速力10ノット。本船はこれより沖縄本島へ進路を取る」
船長はマニュアル通り速力と進路を確認しながらフェリー“さんご丸”を沖縄本島に向けて航行させる。雨風はひどいし、海は荒れてよく揺れるが航行できないほどではない。
通信障害のせいでGPSや電波灯台からの誘導はあてにできないが、ジャイロコンパスと海図だけで航行は可能だった。そもそも、全部を機械に頼っていたら船乗りは務まらない。機械や通信が使えない状況だろうと、船乗りは舵を握り目的地に向かい続けなければならないのだ。
それに、この辺りでフェリーを航行させてかれこれ10年以上になる。海底の地形や潮の流れはだいたいわかっている、言わば船長にとって庭のようなものだった。
しかし、自分たちはいいとして、島に残った島民や自衛隊員たちはどうなるだろう?船長は不意に気がかりになった。恐竜にやたら詳しい自衛隊員によれば、草食恐竜たちが島の西側にある果樹園や畑を食い尽くせば、島の東に向けて移動する可能性があるという。当然草食恐竜をえさにする肉食恐竜もついて来てしまうことになる。そうなったら、いかに頑丈な作りの小学校に避難しているとは言っても安全と言い切れるだろうか?
そこまで考えて、今は他人のことより自分のことを心配するときだと思いなおし、操舵に集中する。
その時だった。
波の揺れとは明らかに違う、何かが叩き付けるような衝撃が船を襲った。船長は危うく床に投げ出されそうになるのをかろうじて支える。
「なんだ?座礁か?」
「あり得ん!この辺りに岩礁はない!」
航海士の言葉を船長はぴしゃりと遮る。この辺りの水深は20メートル以上あり、下は砂地のはずだ。座礁することなどありえない。
だが、そう考える間にも衝撃は2度3度と船に走る。
船長は出航前、偵察隊の隊長である諏訪部に言い含められたことを思い出していた。
「もし危険だと判断したら、迷わず引き返してください。恐らく海の真ん中で立ち往生するようなことがあれば、確実に死にます」
引き返すべきか?
『こちら機関室!やばいです!船底が歪んで水が浸入して来ます』
船体電話に入る機関士の声に、船長は自分の判断が遅きに失しつつあるのを悟った。
「進路変更!本船は石城島に引き返す!」
船長はもう遅いかも知れないという予感を抱きながら指示を下す。断続的に船に走る衝撃からして、この船は巨大で獰猛な怪物に囲まれていると考えるのが自然だろう。しかし、最低限の強度しか持たない商船とはいえ、体当たりで浸水させるほどの破壊力を持っているとは。それに、敵がどんなやつなのかは知らないが、6500万年前には当然船などなかったわけだ。初見の相手をためらいもなく攻撃するとは、ずいぶん凶暴な生き物であるらしい。
そんなことを船長が考えた時、船体が左に突然傾く。
『こちら機関室!船長、やばいです!船底に穴が!』
「排水ポンプ廻せ!」
『やっています!』
いよいよ事態は最悪と言えるものになり始めた。機関室の浸水が止まらなければ、船が傾いて速度が落ちることはもちろん、機関と電気系統が水を被れば、そのまま機関停止で立ち往生と言うこともあり得るのだ。
「ここを頼む!」操舵を航海士にまかせ、船長は階段を下りて機関室に向かう。
機関室に立ち入った瞬間、船長は確かに見た。のこぎりのような歯が並んだ楔形の巨大な顎が船底に開いた破孔に食らいつき、力任せに引き裂くのを。船底はリベットが撃たれた部分からミシン目のように引きはがされ、海水がどっと流れ込んできた。
「うわああああああああーーーっ!」
船尾が重くなった分船は後方に向けて傾斜を始め、機関士が坂道と化した通路を滑って行き、破孔に吸い込まれた。
ここにいては危険だ。そう判断した船長は、傾いた階段を必死でよじ登り、操舵室に戻る。
「通信士!石城島に救難要請を出せ!」
「だめです!応答ありません!」
畳みかけるように最悪の事態が襲ってくる。現在起きている通信障害が、どの程度離れれば無線が不通になるものなのかははきとはしないが、どうやら現在地は石城島の交信圏外らしい。
「くそ!貸せ!」
船長は通信士からマイクをひったくる。
「メーデーメーデー!こちら“さんご丸”石城島の自衛隊司令部応答願います!
メーデー!石城島自衛隊司令部応答願います!」
うんともすんとも言わない無線に対して船長は呼びかけ続ける。その間も、船には衝撃が走り、船底がひしゃげる音がここまで伝わってくる。怪物たちが船底を揺さぶり、食いちぎろうとしているのだとはっきりわかる。
もうだめか。自分は自業自得であるとしても、せめて船員と乗客だけでも。
そんな船長の切実な願いは天に届くことになった。
『こちら......石城島...司令部...。“さんご丸”現在地と状況を...たし。どうぞ』
ノイズ交じりでかろうじて聞き取れる声が無線から聞こえる。
「こちら“さんご丸”!現在地、石城島東北東3キロの地点!巨大な海洋生物に襲われて船底に穴が開いてる!
すぐに航行不能になるだろう...。
こんなことを頼める立場じゃないが...ヘリによる救助を願う!」
『了解。救難信号は出し続けて下さい。すぐに迎えに行きます』
自衛隊の通信員の言葉と、船体がさらに大きく後ろに傾斜したのはほぼ同時だった。この分では、船底はもちろん、客室もすぐに浸水してしまう。
「乗客の皆さん。落ち着いて船の上側に。展望室と甲板に移動してください」
船長は船内アナウンスで呼びかける。居住区のいくつかを封鎖して浮袋にすれば、船はしばらくは浮いていられるはずだった。
だが、船長の希望的観測はたやすく打ち砕かれた。居住区の水密を閉鎖して、乗客の誘導のために甲板に上がって船長は愕然とするとともに、全身の血が逆流するかのような感覚に襲われる。
フェリーの周りに無数の巨大な影が群がり、周囲を回っていたからだ。時折巨大な背中を水面に見せる姿は鯨そのものに見えたが、クジラとは比べ物にならない剣呑な気配を発している。
「ティロサウルス...!」
船長の口を突いてそんな言葉が出ていた。古生物には詳しくないが、以前ネットで見た記憶がある。
モササウルス科の中でも大型の種だ。全長15メートル以上にもなり、頭蓋骨だけで1.8メートルもある。大きく開く口と巨大な歯を持つ獰猛な捕食者だ。
それだけではなく、上あごの先端、つまり鼻先が頑丈な突起になっている。まるで船の衝角のように。それを活用して船に穴を開けたというのか。
あまりの恐怖に、船長は完全に思考停止していた。そのとき、ティロサウルスが新たなアクションを起こす。
「きゃあああああああっ!」
女性の乗客の悲鳴が響く。ティロサウルスの1頭が海面から身を乗り出して、船の右舷甲板の手すりに食らいつき揺さぶりだしたのだ。
「わあああああああーーーっ!」「いやああああああっ!」
3人の乗客が悲鳴を上げながら海に投げ出される。そして、1人も浮いてくることはなかった。
「皆さん!何かにつかまってください!できれば柱に体を縛り付けて!」
船長は乗客たちにそう呼びかけるが、50人以上の人間で芋洗い状態の甲板には、全員がつかまれるところなどありはしなかった。
今度は船の左から別のティロサウルスが乗り上げて来る。その巨体の重さで船が左に傾き、数人の乗客がなすすべもなく甲板の上を滑り落ちて行く。その中の一人の中年の女は、大きく開いたティロサウルスの口に捕らえられ、そのまま海に引きずり込まれた。他にも何人かが海に投げ出される。
「助けて!」「食われちまう!」
水面で恐怖に悲鳴を上げて助けを求める数人の乗客の姿は、次の瞬間には見えなくなっていた。
「こんなことが...」
なぜこんな怪物が泳ぐ海に繰り出してしまったのか。自衛隊の指揮官の言う通りにしているべきだった。船長は目の前で繰り広げられる惨劇を見ながら、自分の選択を全力で後悔していた。
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