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If...~ I wish ~

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 08 
 “新世界の羅針盤”によるロランセア大陸へのミサイル攻撃は阻止された。
 だが、五芒星環礁周辺での艦隊戦はまだ継続していた。
 「空母が突出して来るだと!?」
 “ほうしょう”艦長伊藤は、“遼寧”が戦列を離れてまっすぐこちらに向かってくることに驚いた。
 空母は字義通り航空機の運用に特化した艦だ。こちらの戦列に突っ込んでくるなど正気の沙汰ではない。
 「“遼寧”より高エネルギー反応!」
 レーダー員の報告から1秒と置かないうちに、“遼寧”から2筋のまばゆい光が閃く。“遼寧”に対処しようとしていた護衛艦“てるづき”と、駆逐艦“ウィンストン・チャーチル”が直撃を受け、大破航行不能のダメージを負った。
 「エクスカリバーの水平射撃です!」
 「ちっ!“遼寧”に攻撃を集中!こちらに近づかせるな!
 それと砲雷長!お嬢さんたちに防御を依頼してください!」
 伊藤は迷わずそう指示する。静乃たちの魔法障壁が、現状光速で飛来するレーザーに対する唯一の策だ。職業軍人としてはそんなイレギュラーなものに頼って生き延びるのは忸怩たるものがあるが。
 「全艦および全航空機!遼寧に攻撃を集中せよ!どうせ最後の悪あがきだ!
 蹴散らしてしまえ!」
 伊藤は無線に向かって怒鳴りながら、果たして本当にそうか?と疑問に感じていた。空母が単独で突出し、“エクスカリバー”の水平射撃という無謀とも言える挙に出てきたのは、なにか理由があるように思えたのだ。
 少なくとも、伊藤は敵がやけを起こしているだけであることを期待はしなかった。
 実際、本来対空兵装であるはずの“エクスカリバー”で砲撃をかけながら突撃してくるのは、防御を諦め、攻撃に全てを集中する苦肉の策と見えた。
 もしこの“ほうしょう”が沈むことがあれば、出撃している航空隊は降りる場所がなくなってしまう。それでは反乱部隊を全滅させたとしても、討伐隊は勝利を主張することはできないかもしれない。
 少なくとも、世論が討伐隊がわの勝利を認めない可能性は充分にあった。
 それは、反乱部隊にとって充分に意義がある。平和維持軍が反乱の鎮圧に失敗したという論調に世論が流れれば、少なくとも平和維持軍の無能と無力をアピールすることは可能なのだ。
その事実に伊藤は今さら気づいた。
 「この期に及んでも勝ちに来るか…!」
 伊藤は敵の諦めの悪さにいらだつと同時に、そのタフさに敬意さえ抱いていた。

 飛行甲板では、飛来するレーザーを静乃たち5人が魔法障壁で必死に防いでいた。
 「ねえ、シズノ!クウボって突撃してくるものじゃないでしょ!?」
 「あたしに聞かないで!窮鼠猫を噛むってこともあるでしょ!」
 背中にコウモリのような翼を持ち、全身を銀の毛に覆われた、“モンスター形態”と呼ばれる姿に変身したパムが困惑しながら聞いてくる。が、魔法少女に変身した静乃はパムを納得させられる答えを持たなかった。
 「よし!交替するよ!アヤコ!」
 「了解だなし!」
 フィアッセとアヤコが、静乃とパムに変わって前に出る。
 “遼寧”から放たれてくるレーザーは強力で、魔法障壁を張るだけで魔法力は急激に削られていく。
 5人は、交替して休憩を取りながら、だましだまし魔法障壁を張る以外になかった。
 “遼寧”はまだはるか向こうだが、ここからでも艦対艦ミサイルと航空機による攻撃でダメージを受け始めているのがわかる。
 だが、黒煙を上げながらもこちらに突進してくるのをやめようとしないその姿はまるで死兵だった。窮鼠が猫を噛むにしても、めちゃくちゃだ。
 静乃たちは被弾しながらも向かってくる“遼寧”に恐怖した。

 一方、こちらは“遼寧”CIC。
 「前部機関室冠水!機関停止します!」
 「第2ミサイルランチャー応答なし!全損したものと思われます!」
 「格納庫火災発生!消火作業追いつきません!」
 続々と入る被害報告が、“遼寧”が既に限界に来ていることを物語っている。
 守りを捨て、攻めに徹した戦いのツケが廻ってきた形だった。が、艦長であるクートは悔いる気はなかった。
 討伐隊に少しでも痛い目を見せてやること。1人でも多くの敵を葬り、1つでも多くの家庭から親や配偶者、子供を奪うこと。それが今自分たちがなすべきことと思っていた。
 冷酷で下劣な考えであり、方法論なのは重々承知している。だが、人は血が流れなければ何も学習しないし、変わろうともしない存在だ。
 自分たちはこちらの世界に来て、いや、それ以前からその事実を骨身に染みて思い知らされてきた。
 多くの人間にとって戦争は対岸の火事であり、平和は当然であり無償の権利。水も安全もあって当然、という考え方が歪みをつくるのだ。
 シビリアンコントロールという名のポピュリズムによって、多くの将兵が手足を縛られたも同然の状態で前線に放り出された。その挙げ句、ハギ諸島のようなことが起きたのだ。
 自分の親や子、兄弟、連れ合いが戦死して、初めて人は戦争を自分自身の問題として考えることをする。ならば、その不愉快なレッスンの講師は自分たちこそふさわしい。
 クートは心の底からそう思っていた。
 「艦長!“S”より入電です!
 “ピザノタクハイハカンリョウシタ”です!」
 「なに!?そうか!」
 あまりにタイミングの良い入電に、クートは自然と笑顔になった。これで自分たちの戦略的目標はほぼ確実に達せられることになる。
 となれば、もはや“遼寧”のクルーたちを死兵とする必要もない。
 「諸君、これまでよく戦ってくれた!
 諸君らと共に戦えたことを誇りに思う!
 だが、潮時のようだ!
 総員退艦!」
 「は…。了解!達する!総員退艦命令が出た!全ての作業を中断し、退艦の準備をせよ!」
 通信長は一瞬ためらったが、すぐに復唱し、マニュアル通り退艦命令を全艦放送で伝える。海軍の将兵として、退艦命令を伝えるのは屈辱であるようだが、一方で彼はクートとは違い妻帯者だ。
 この地獄から早く抜け出したいというのが本音らしい。生きていれば妻と子供にまた会うチャンスもある。
 「艦長!お早く!」
 「No thank you!」
 通信長の言葉にクートは即答し、首を横に振る。
 通信長はクートの意図を察し、敬礼して立ち去る。
 そして、退艦する者たちとは逆の方向に歩いて行く。息を切らせながらブリッジにたどり着く。被弾してあちこちで火事が起き、クルーの死体が転がっているが、まだ原型を留めている。
 破損した窓から、魔道士のローブを着た少年兵たちが退艦していくのが見える。自分の言いつけを守ってくれたらしい。
 クートはほっとした。
 まだ討伐隊の“遼寧”に対する攻撃は続いていた。さすがに退艦する者たちまで撃つ気はないらしいが、白旗を揚げていない以上“遼寧”はまだ敵であることには変わりはない。
 「討伐隊諸君!
 この世界はこれから確実に変わるだろう!だがどう変わるかは君たち次第だ!
 われわれの犠牲、無駄にしてくれるな!」
 クートは飛行甲板の上のクルーの姿がはっきりと見えるまで近づいた“ほうしょう”に向けて大声で叫ぶ。
 声を上げることをやめてはならない。それが詭弁でも負け惜しみでも、あるいは理屈になっていない感情論でもいい。
 みなが諦念や空しさから声を上げることをやめてしまえば、世界は、人は停滞したまま死んでいくだけだろう。それが嫌だから、自分たちは蜂起したのだ。
 討伐隊のFA-18Eから放たれた対艦ミサイルが急速に迫ってくる中、クートはそんなことを思っていた。
 ブリッジが白い光に包まれる。
 次の瞬間、クートは懐かしい場所にいた。ブローンルック半島にある、教導団の本拠地の食堂。みんなでよく乱痴気騒ぎをしたものだ。ついこの間後にしたばかりの場所なのに、もう何年も経っているような気さえする。
 ヘイブスキーや水中田、柳、そして、たくさんの仲間たちが自分を迎え、酒やつまみを勧めてくれる。
 クートはふと、真っ先に自分を迎えてくれると思っていた人物がいないことに気づく。
 「そうか」
 まだお前にはやることがあるのだな。先に行っているぞ。
 それがエルダー・ヒュージ・クートの最後の思考だった。

 「“遼寧”大破炎上!横転します!」
 「力尽きたか…」
 “ほうしょう”CIC。ブリッジの観測員からの報告に、伊藤は安堵しながらも悲しみも感じていた。巨大な艦が燃えさかりながら沈んでいくのを見るのは、戦闘艦乗りとしては悲しいのだ。
 たとえそれが敵の艦であったとしても。
 「引き続き対空、対潜、対水上監視を厳となせ!
 航空隊は一度帰還させなさい!」
 まだ終わりではない。“遼寧”と別れて行動する敵艦は何隻かがまだ健在だし、帰る場所がなくなったとは言え、敵航空隊もまだ全滅したわけではない。
 「しかし…艦長。問題発生のようです…。これは一体…」
 「なんです?報告は明瞭になさい!」
 怒鳴ってしまってから伊藤は後悔する。戦闘で殺気立っているとは言え、苛立ちを味方にぶつけるものではない。
 「は!その…バルドル1、木ノ原一尉の機体から高エネルギー反応です!」
 「なんですと!?」
 伊藤は背中に嫌な汗が流れるのを感じる。
 艦内で噂になっているのだ。重傷を負った木ノ原が奇跡的に持ち直したこと。そして、それと前後して猛烈な寒波が到来したこと。そして…。
 「すぐにお嬢さんたちをブリッジに呼びなさい!状況を確認してもらうんです!
 航空隊応答せよ!バルドル1はどうなっている!?」
 伊藤はマイクに向けて怒鳴る。
 木ノ原、彼女たちはお前を本気で思っているんだぞ。まさか悲恋に終わらせるつもりじゃないだろうな?
 私だって、お前に言ってやりたいことはまだまだあるんだ。お前に酒を飲まされて強引に犯されて、妊娠までさせられて、挙げ句生まれた子供を旦那との子として育てて…。
 どれだけ惨めで苦労することになったか…。逃げることは許さないぞ。
 伊藤は切実にそう思った。

 『こちらバルドル2。
 何が起きているか、自分たちにもわかりません!バルドル1が…というより隊長の身体が光っているんです!』
 バルドル隊の2番機の言葉を待つまでもなく、飛行隊全員が状況をなんとなく察していた。木ノ原自身でさえも。
 時間切れ。12時の鐘が鳴り、魔法が解けるときがきたのだと。
 『おい、木ノ原!今だから言うが、俺はお前が嫌いだ!』
 西郷がF-35CJを寄せてきて、無線に割り込む。
 『お前は何様だよ!
 俺が今の立場に来るまでどんなに苦労したと思ってる!?
 ヘリのコ・パイから始まって、輸送機も操縦した。市ヶ谷で書類の山に埋もれることもした。分からず屋の背広組や政治家たちともうまくやってきたんだ!
 何度も心が折れそうになりながら、やっと飛行教導群に入隊して、隊長を任されたんだ!
 それをお前は何だ!
 訓練成績がよくて、才能があるからってだけで、初任幹部の分際で教導群に配属だと!?
 ふざけるな!
 しかも今度は臨時任官で隊長だと!?
 冗談じゃねえ!』
 今までの鬱憤を全てはき出すように、西郷は叫び続ける。木ノ原は、自分とて才能だけで今の立場を手にしたわけではない、と思う。が、西郷の気持ちも理解できたのだ。
 自分だって、必死に努力して成し遂げたことが、誰か他の人間にとっては別に努力など必要無いことだった、という残酷な経験はある。
 『帰還したら模擬戦付き合え!
 勝ち逃げなんぞさせねえ。
 嫌とはいわさん!先任の士官としての命令だ!』
 「了解です!
 ただ、報告とデータの提出は先にさせて下さいよ」
 木ノ原は西郷にそう応じる。軍隊組織では、階級が同じなら指揮系統では先任、つまり昇進が先の人間のほうが上と言うことになる。
 『慎坊、聞こえる?大丈夫なの?』
 『シンジ、大丈夫だよね?帰ってこられるよね?』 
 『シンジ…。私、まだ助けてもらったお礼をしてないよ?』
 『お願いだから、私に桜を枯らしたことを後悔させないで…!』
 『私は、シンジをまだ籠絡できてねえ!』
 無線から不安そうな声が口々に聞こえる。静乃、フィアッセ、パム、シノブ、アヤコ。
 俺は、みんなに思われているな。木ノ原は心からそう思う。
 「みんな、俺は大丈夫だよ!
 なあ、静乃、歌を歌ってくれないか?」
 『え…?』
 見えなくても、静乃が意外そうな顔をするのがわかる。
 「美郷あきの、“If... ~I wish~”を歌ってくれ」
 『ええ…?でもそれは…』
 静乃は困惑しているらしい。
 悲恋をテーマにした歌で、日本では国民的な人気を誇る恋愛アドベンチャーゲームのエンディングテーマだ。
 主人公がちょうど今の自分と同じように、その存在を維持できなくなり消えてしまう。正にその場面で流れ出す歌。多くのファンの涙腺を崩壊させた神曲と名高い。
 「頼むよ、静乃」
 『わかった…』
 そう応じた静乃に会わせるかのように、イントロが流れ出す。魔法少女に変身した静乃が、ステッキを奏でているのだろうか?
 切なくも美しい歌声がオープン回線で流れ始める。皆が聞き惚れながらも、この後起こることを予想して涙を流していた。
 木ノ原は、操縦桿を握る自分の手が透けて、ほとんど完全に向こう側が見えていることに気づく。
 もう少しだ。もう少し待て。F-15JSを落とすわけにはいかない。
 「バルドル1、これより着艦シークエンスに入る!」
 木ノ原は機首をあげて“ほうしょう”にアプローチしていく。
 機体に着艦の衝撃が走り、次いで猛烈な加速度がかかる。うまくアレスティングワイヤーをつかめたらしい。
 ちょうど“If... ~I wish~”のアウトロが終わったところだった。
 帰ってきたよ、みんな。

 飛行甲板にかけ出た静乃は、着艦したF-15JSのコックピットを見て絶望的な気分になる。コックピットからはまばゆい光が溢れ出て、その中心にいる木ノ原はいよいよ半透明になって、ほとんど見えない状態になっていたからだ。
 「だめ!」
 静乃たちは、着艦作業の邪魔になるのを承知でF-15JSに駆け寄る。キャノピーが開かれ、木ノ原がこちらに手を伸ばしてくる。
 だが、もう少しで手が触れるという所で、木ノ原の姿はかき消すように消えた。
 そんなはずはない!なにかの間違いだ!あの子が消えてしまうなんてこと、あるはずがない!
 静乃は甲板作業員が止めるのも聞かず、コックピットをのぞき込む。金具が止まったままのシートベルトが、木ノ原が一瞬前までここにいたことを示していた。
 座席には、一つの写真がぽつんと落ちていた。
 アイドゥ侯国で、捕虜の一人からもらった写真だと木ノ原が言っていた。軍隊と言うよりは修学旅行の集合写真といったほうがしっくりくる、子供ばかりで構成された部隊の写真。
 「こんなものが片身だなんて…」
 力なく飛行甲板に降りた静乃は、写真を胸に抱いて、人目もかまわず声を上げて泣き始める。
 フィアッセ、パム、シノブ、アヤコも、ただ目を伏せて涙を流すことしかできない。
 「いやだ!いやだああああっ!
 帰ってくるっていったじゃないかあ…!
 俺を信じてくれっていったじゃないかあああああああああああっ!」
 静乃の慟哭は、再び雪雲が立ちこめ始めた空に、ただ吸い込まれて行った。

 09
 “バードフェザー・ブローンルックの反乱”に端を発した戦いは、約3ヶ月の時を経て、“五芒星環礁沖海戦”をもって収束することとなる。
 これらの戦いは、こちらの世界の神話で悲劇的な最後を遂げる神、ボルフェスホスにちなみ、“ボ神戦争”と後に呼ばれることとなる。
 自分に助けを求める人間たちの訴えを無視できず、家族である神々に背いて反逆を起こした軍神ボルフェスホス。その姿は仲間が犬死にしていく状況を容認できず、反乱を起こした反乱部隊将兵たちに重なるものがあったのだ。
 なぜそれほど反乱部隊に同情的な声が大きかったのか。
 それは、“ボ神戦争”に勝利者がいなかったからに他ならない。
 戦闘には一応勝利し、反乱を鎮圧したと言える平和維持軍だったが、勝ったと喜んだものつかの間。突如として窮地に追いやられることになる。
 ドゥベ公国北部、ブローンルック半島。全てが始まったこの場所から、突然正体不明の病原体のパンデミックが発生した。
 “ボ神戦争”直後の混乱で対応が遅れた環大陸連合行政府と平和維持軍は、パンデミックの封じ込めに失敗。
 病原体の危険性を甘く見積もった行政府と軍は、非常事態宣言を発令するタイミングを逸してしまったのだった。
 なぜなら、症状の程度に個人差がありすぎた。ある者には風邪程度の症状しか出ないのに、別の者は高熱と呼吸困難で苦しみながら事切れた。
 病気が重篤化するのは主に地球出身の者たちであり、こちらの世界の人間は免疫があるので感染しても深刻なことにはならない。それが個人差が大きい原因であることは程なく突き止められたが、既に後の祭りだった。
 感染した人間が船舶や航空機で移動していたため、病原体はロランセア、ナゴワンド両大陸にたちまち山火事のように拡がってしまう。
 それだけでなく、“死神風邪”と呼ばれるそのパンデミックが、かつて両大陸の人口の実に4割を死に追いやったという情報が拡散すると、両大陸に恐慌が巻き起こることになる。
 血清は直ちに生産が開始されたが、両大陸の全てに行き渡る量を作るのには時間がかかった。
 感染の恐怖に狂った者たちが暴徒化し、病院や医薬品メーカーを焼き討ちにする事態も発生した。
 偽物の血清を高く売りつける詐欺も各地で横行した。
 金持ちや権力者が、不正な手段で自分と家族の分だけでも確保しようとした醜悪なスキャンダルも枚挙に暇がない。
 極めつけに、軍や行政府の高官たちが、感染した場所に閉じ込められることを恐れて封鎖命令を出さなかった。あるいは、後援会や票田となる団体から突き上げられた政治家が、軍や行政府に横やりを入れ、パンデミックへの対処を遅らせた。などの醜聞がマスコミにすっぱ抜かれる。
 行政府や軍は、このパンデミックを反乱部隊のバイオテロと発表し、大衆の不満と怒りを反乱部隊に向けようとしたが、これが完全に裏目に出る。
 人は信じたいように信じるもの。義によって起った悲劇のヒーローという反乱部隊のイメージは大衆の中に強固に形成されていた。
 だいたい証拠はない。反乱部隊はパンデミックが起きた当時、1500キロ離れた五芒星環礁にいたのだ。どうやったらバイオテロが起こせる。
 自分たちの無為無策、無能不明を反乱部隊のせいにして責任逃れするのか。そんなことで大衆を欺けると思っているのか。
 大衆の怒りの矛先を逸らすことはできなかった。
 加えて、“ボ神戦争”で反乱部隊、討伐隊問わず多数の戦死者が出たことが、パンデミック拡大の一因になったという意見も根強かった。それもまた、軍や行政府への非難へと跳ね返っていったのだった。
 結局、行政府と軍の地球出身者は多数が“死神風邪”に感染して死亡。
 生き残った者も、スキャンダルや世論の反発で失脚。
 環大陸連合と平和維持軍は組織の体裁を維持できなくなり、否応なく抜本的な改革を強いられていくこととなるのだった。
 また、それやこれやのことは、こちらの世界の住人の意識を変革していくことにもなった。
 地球におんぶにだっこではやはりいけない。ここはわれわれの世界、われわれの国だ。治安や安全、そして生活の安定その他諸々は、最終的には自分たちでなんとかしなければならない。
 今までなんとなく地球出身の行政官や軍人たちに重要事をまかせ、責任を取らずにいたことが“ボ神戦争”やパンデミックの原因となった。それではいけない。
 そんな考えが多くの者たちの間に拡がっていったのだ。
 クートが予言したとおり、世界は確実に変わっていく。そして、どう変わるかはそこに生きる者たち次第なのだった。
 1つのものが終わり、1つのものが新しく始まろうとしていた。

 10
 1ヶ月後。アイドゥ侯国北部。ファイトサウス半島。
 『“死神風邪”によるパンデミックは沈静化に向かっているものの、一部の地域ではいまだ死者が出ている状態です。
 行政府は、予備費を支出して緊急医療措置を実施すると共に、血清の増産を急ぐものとすると発表しています。
 では、次のニュースです。
 国家反逆罪により死刑を言い渡されていた、イーサン・博斗・港崎死刑囚の死刑が、本日執行されました。
 港崎死刑囚は4ヶ月前、多数の共犯者たちと共に軍を離隊して反乱行動をおこし、平和維持軍に多数の死傷者を出した通称“新世界の羅針盤”の指導者であったとされ…』
 そこまで聞いてラジオを切った、サニエル・ワンサイト・港崎・ハーマンは、目の前のベッドに横たわる愛しい男の手を、すっかり大きくなった自分の腹に導く。
 「あ、今蹴った。イーサン、わかる?私たちの赤ちゃんは、元気だよ」
 港崎は答えない。でもかまわない。どんな形でも生きてさえいてくれれば。
 港崎はオゥエーツ海で撃墜されて辛うじてペイルアウトしたものの、怪我がひどく意識不明の状態が続いていた。
 処刑された港崎とされる人物は、整形手術と擬装魔法でそっくりに変装した“新世界の羅針盤”の生き残りの一人だ。
 ガンで余命幾ばくもないからと、身代わりを買って出てくれたのだ。軍病院に入院していた本物の港崎は、ハーマンとテュキが潜入して荷物に見せかけて回収する。
 そして、現在ハーマンとテュキが居を構えるファイトサウス半島に苦労して船で運び、こうして面倒を見ているというわけだ。
 そして、身代わりの“港崎”は病院に留まり、意識が戻ったように見せかけて、そのまま裁判を受けることとなった。
 判事と検事しかいない裁判にかけられて、控訴も許されないまま即日銃殺刑が執行されたのは、裁判中に“港崎”が病死して悲劇のヒーローになってしまうことを恐れた行政府の思惑が絡んでいた。
 「サニー、またこっちにいたの?
 そろそろ生まれるんだから、寝てた方がいいんじゃ?」
 ドアを開けたテュキが声をかけてくる。彼女もまた、ハーマンの愛しい伴侶だ。気遣いは嬉しいが、病人のように扱われるのは心外だ。
 「大丈夫だよ。産気づいても、テュキがいてくれるでしょ?」
 そう言ってハーマンは笑う。
 テュキは笑顔の美しさにどきりとすると共に、安心する。もうハーマンの表情に狂気の色はない。港崎が生きていたと知って以来、すっかり優しさと人間らしさを取り戻した。
 瞳に浮かぶ、ゾンビ化菌と共存した、いわゆる“ゾンビッチ”の証である♡とも相まって、以前より優しく愛嬌のある笑い方をするようになったとも思える。
 ここでは、瞳の♡をカラーコンタクトで隠す必要もない。ハーマンはそれを快適に感じているようだった。
 あの後、スーパーキャット21をなんとか敵の射程外まで飛ばした2人はペイルアウトして、周辺で待機していてくれた潜水艦“あらしお”に回収してもらうことができた。
 そして、密かにアイドゥ侯国に戻り、潜伏することにしたのだ。
 「でも、やっぱり不思議だよね。
 妊娠して1、2ヶ月かそこらで生まれるっていうのも」
 「まあ、ゾンビッチはそういうものらしいからね」
 ハーマンはそう言って腹をさする。本当に不思議だが、医者に診てもらった限りでももうすぐ生まれる状態であることは間違いないらしい。
 「で、その…あなたのほうは?やっぱりイーサンじゃなくて私の子供なわけ…?」
 「そうみたい。排卵の周期とか育ち方からして、どう計算しても妊娠した時期のつじつまが合わないの。まあ、私は嬉しいけどね。サニーとの赤ちゃんだもの」
 もうひとつ驚きの事実は、テュキがハーマンとの子供を“百合妊娠”してしまったことだった。こちらの世界では度々確認されている現象で、どういう原理なのか全く不明。
 ただ、こちらの慣習では百合妊娠はとてもおめでたいこととされている。
 自分たちは敗北し、大義は破れた。ハーマンとテュキはそう思う。
 行政府と軍がスキャンダルで傾いたのは、自分たちが散布した“死神風邪”が原因だが、それを勝利だとは思わない。
 それを勝利と思うことは、ウィルスの巻き添えとなって苦しみながら死んだ人びとへの侮辱だ。
 自決した柳の血液を培養して増やした“死神風邪”ウィルス。それを、艦隊とは別行動を取って密かにブローンルック半島に接近した原子力潜水艦“ブスコフ”から上陸した、元ネイビーシールズのダイバーが、町や港に散布していく。
 反乱部隊を鎮圧したと浮かれていた行政府と軍の対応は完全に遅れた。よもや、両大陸を巻き込んだ大規模なパンデミックに発展するとは、ハーマンも予想していなかったが。
 また、主に感染が重篤化するのは地球出身者ばかりという状況は、地球出身者によって政治や軍事が主導されるこれまでの環大陸連合の体制を完全に破綻させた。
 これから先は、地球出身者かこちらの出身かを問わず、全ての人間が政治や軍事、経済に関わっていくことになるだろう。それがいいことなのかどうかは、当事者たちの努力と見識次第に思えた。
 とにもかくにも、自分たちは敗北しながらもこうして生き延びた。これからはこの小さな幸せを守っていくことだけを考えよう。
 ハーマンは、テュキと唇を重ねながらそう思った。
 そう思っていた。その時はまだ。
 
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