戦憶の中の殺意

ブラックウォーター

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第二章 鮮血のロッジ

03

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「どうするんです……? 証拠があるって話、はったりじゃないかも……?」
 宴会がお開きになった後のロッジ。山瀬が情けない顔になる。
「馬鹿言え。記録には残してないし、報告書にも書いてない。証拠なんか残りようがないんだ!」
 ラバンスキーが、鬼の形相で釘を刺す。
 話し合いは決裂して、ついに銃を向け合うまでに状況は悪化した。そのせいで、山瀬はすっかり弱気になっている。まずい兆候と言えた。
「やっぱり間違いだったんですよ……。無線傍受で慰問団が現われることを、俺たちは知ってた……なのに報告しなかったのは……」
 山瀬はその台詞を最後まで言うことができなかった。ラバンスキーに思い切り殴られたからだ。
「今度言ってみろ。殺すぞ……?」
 すっかり怯えている部下の胸ぐらを掴み、ドスの利いた声で脅す。
 受信機を使ってクリーニングした。部屋に盗聴器がないのは確認済みだ。だが、万一にも誰かに聞かれるわけにはいかない。現在動画が拡散され問題になっている、エバンゲルブルグの一件。
 非戦闘員を巻き込んだドローン爆撃。それが、自分たちが担当した作戦であることを。そして、計画的な虐殺であったなどとは。
「あの時も言ったろう。やむを得なかったんだ。事実を知って、倉木が変な感傷で狙撃を中止したりしたら。コードブルーが発令される前に、敵の将軍には死んでもらわなければならなかったんだからな」
 山瀬の目を覗き込み、子どもに言い聞かせるようにゆっくりと話す。
 ラバンスキーと山瀬はあの日、モスカレル軍の無線を傍受していた。たまたま他の人間が出ていて、二人しかいない状況だった。愚かにも敵は、戦闘が続いている場所に慰問団を呼んでいた。現地で戦っている軍人たちの家族を。
「俺たちは任務を遂行しただけだ。あんな危ない場所に非戦闘員を呼ぶなんて馬鹿なことしたのはやつらだ。責任を問われるとしたら、モスカレル政府と軍だろう?」
 噛んで含めるように、ラバンスキーは部下を諭す。
「それはそうですが……」
 山瀬はためらいながらも、上官で戦友である男の言葉を受け入れていく。外れかけた仮面をつけ直しつつあった。
 そう、仮面だ。キーロア軍で英雄として敬意を払われ、高い給料をもらっている。過去の虐殺、戦争犯罪にほっかむりして。一度つけた仮面は、一生外すことはかなわない。
(あれは戦争だったんだ)
 ラバンスキーは内心につぶやく。魔法の言葉で、山瀬と同じように動揺している自分を落ち着かせる。
 戦争では常識は通用しない。死ぬことも殺すことも、うんざりするほど普通になる。平時の倫理観や道徳心を持ち込めば、死ぬだけだ。実戦を経験して骨身に染みた。
「だいたい、民間人が死んだことがなんだ? やつらこそ。キーロアのなんの罪もない民を何万人も殺したんだぞ。同じことをされて文句が言える立場か? あれではむしろ少ないくらいだ。それだけのことを、やつらはあの戦争でしてきた。お前だって同意しただろう? アントニオの仇を討つんだと」
 ラバンスキーは、戦死した戦友を引き合いに出す。
 論理的にはめちゃくちゃな話だ。戦闘員だった者の復讐に、非戦闘員を殺していいはずがない。それこそ、虐殺や略奪で悪名高いモスカレル軍と同じになってしまう。だが、山瀬を説得するには有効だったらしい。
「そうですよね……。アントニオ……いいやつだった」
 山瀬は表情を引き締める。一見して風采の上がらない、どこにでもいる三十男。それが、鍛えられた兵士の顔になる。
(そうだ……。アントニオが死んで、一番悲しんだのは山瀬だった……)
 この六年間、ラバンスキーは一日たりとも忘れたことはなかった。
 無事に任務を終えて帰還したと思っていた。だが、アントニオ・フェルナンデス軍曹が再び目を開けることはなかった。いつの間にか被弾し、事切れていたのだ。まるで眠るように安らかな顔で。
 まだ二十六の若者だった。特に、自衛隊のレンジャー課程で鍛えられた山瀬を尊敬していた。山瀬もまた、彼をかわいがっていた。忘れられるものではない。いつも気丈で冷静な山瀬が、アントニオの葬儀で慟哭したのから。
(そのケジメは……)
 そのままで終わらせる気は、ラバンスキーにはなかった。
 モスカレルとキーロアの間で、休戦協議が進む。いよいよコードブルー、つまり全面停戦命令が出るときが近づいていた。その前に、なんでもいいから復讐を遂げる必要があったのだ。
 そして、天は彼に味方した。あるいは、悪魔が運命を操作したのかも知れない。偶然にも、モスカレル軍の通信を傍受した。慰問団が、エバンゲルブルグに設けられた敵参謀本部に向かっているという。敵参謀本部がその日の作戦のターゲットであることもまた、まったくの偶然だった。
 本来なら、司令部に報告して判断を仰ぐべき状況だった。場合によっては、作戦中止もあり得たからだ。危険な場所に慰問団を呼んだのは、モスカレル軍の落ち度。それを勘定に入れても、非戦闘員、特に子どもを爆撃で殺したという事実はまずすぎる。
 だが、ラバンスキーと山瀬はその情報を握りつぶした。
(そうとも……なにが悪い……。同じ事をやつらは平気でやってたじゃないか……)
 毎日のように、キーロアの民間人の死体を見続けていた。中には、生きながら切り裂かれたとしか思えないものもあった。レイプされて殺され、裸で放置された女の亡骸も。
 敵の将官一人と兵隊数百人殺した程度で、計算が合うと思われてはたまらない。やつらにも、民間人の虐殺がどういうものか教えてやらなければ。反対する倉木の言葉を無視し、ドローンの爆弾の照準を敵参謀本部に合わせた。慰問団も巻き添えになることを承知の上で。
 コードブルーが発令されたのは、そのわずか一時間後だった。
(あの機会を逸するわけにはいかなかったのだ……)
 ラバンスキーは、自分に言い聞かせた。戦闘が続いている内に、一人でも多くのモスカレル人を殺す。やつらがしたことをそっくりやり返してやる。それが可能だったのは、あの時を置いてなかった。民間人が巻き込まれたことなど、些末なことではないか。
「もう遅い。寝よう。お前さんも自分のロッジに戻りなさい」
「わかりました。お休みなさい」
 とにかく今夜は寝て、考えるのは明日だ。そう断じて、ラバンスキーは山瀬を送り出した。
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