戦憶の中の殺意

ブラックウォーター

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第二章 鮮血のロッジ

06

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 どんよりとして、今にも降り出しそうな空。鼻を突く硝煙のにおい。
 これは夢だ。倉木にはすぐにわかる。ここは日本ではない。六年前の戦場だ。キーロア共和国東部の町、エバンゲルブルグ。モスカレル軍の占領地に設置された、敵参謀本部。
『シャドウ1よりシャドウ2。敵の将軍は見つかったか?』
 無線で呼びかけてくる指揮官、当時少佐のラバンスキーは苛立っていた。
「まだです。やつら、階級章や勲章を外している。誰が誰だかわかりません」
 倉木は、胸元のプレストークスイッチを押して応答する。
 戦争が始まった当初とは違う。敵も学習した。階級章をつけていれば、位の高い将校から優先的に狙撃される。実際、自分も多数の敵高級将校を葬ってきた。カスタムされた愛用の7・62ミリ小銃、FNSCARHで。
 だが今回、敵参謀本部の将兵たちは階級章や勲章をつけていない。ヘルメットをかぶりボディアーマーをつけた姿を遠くから見ると、誰が将軍なのかまるでわからない。
『広場の真ん中にいるやつ、演説を始めたようです。マウスリーダーを使います』
 ラバンスキーとバディを組んでいる相馬が言う。彼女は最新鋭のスコープを、愛用のライフル、AK―74に装備している。特殊機能を満載したイスラエル製だ。
『「私はイワン・ホフチェンコ上級大将である。兵士たちにおいては、勇敢な働きを誇りに思う……」』
 相馬が演説する男の言葉を翻訳する。彼女のスコープは、人の唇の動きを呼んで言語に変換する機能を搭載している。しかも、三十カ国語以上に対応する優れものだ。
「どうやら当たりだ。やつが上級大将のようですね」
 倉木の横で周辺警戒を務める山瀬が、ニヤリとする。階級章や勲章を外して目標を絞り込ませない敵の作戦は、見事失敗だ。
「よし、こちらシャドウ2。ターゲットを狙撃する」
 倉木は、ホフチェンコと呼ばれた男をスコープの照準に捕らえる。
 ドローンでの空爆の前に、彼だけは狙撃で確実に仕留めておけという命令だ。この戦争で行われた残虐行為の復讐はもちろん。優れた作戦立案で知られる将軍が戦死すれば、敵への精神的打撃は大きい。
 ただ、爆撃だけでは確実性を欠く。狙撃によって正確に仕留め、しかも可能ならそれを録画して持ち帰れ。そう命じられた。将軍の死亡を確定的なものとする。それだけでなく、敵に映像を送りつけて士気を挫くことももくろんでいた。
 深呼吸して、ゆっくりとトリガーに指をかける。が……。
『あれ? 二時方向を見てください。民間人のようですが……』
 相馬の言葉にトリガーから指を離し、双眼鏡で右側を見やる。民間のバスが近づいて来る。乗っているのは女や子どもばかりだ。
『まさかこんな時に……? まずいな……非戦闘員がなんでここに……』
 相馬の声が困惑したものになっていく。事態はますます悪くなっていく。バスの中から、民間人が出てくる。あまつさえ、ホフチェンコの方へと向かっていく。
(子どもが見ている前でやつを射殺するのか……? いくらなんでもそれは……)
 倉木も動揺していた。子どもに人が戦死するところを見せる。しかも、すぐ目の前で。それはいくらなんでも残酷すぎる。
『落ち着け。慰問団かなにかだろうが、作戦に変更はない。シャドウ2、予定通り狙撃だ』
 一方のラバンスキーは冷静だった。彼はいつも、敵に対して容赦もためらいもないことで知られる。
(やむを得んか……)
 倉木は心を鬼にする。休戦協議は進んでいるが、まだコードブルーは発令されていない。停戦が行われない以上、ここは戦場だ。任務を果たさなければ成らない。
「シャドウ2了解……。距離八百。風は左から……。調整よし」
 つい先ほどから風が出始めた。これだけの距離では、ライフルの弾道に大きく影響してしまう。ワンクリックずらして、ターゲットを照準。引き金に指をかける
 素早く二回引き金を絞る。ガチャッガチャッ。高性能のサプレッサーのおかげで、発射音より作動音の方が大きいくらいだ。一発目は胸。二発目は顔だ。ホフチェンコの顔に血の花が咲き、地面に崩れ落ちる。
『ターゲットキル』
 相馬が狙撃成功を告げる。
『オーケー。シャドウ2、シャドウ3は移動せよ。すぐにドローンが来る』
(なんだって……?)
 倉木は戦慄する。ラバンスキーは、ドローンによる爆撃をこのまま実行する気だ。そんなことをすれば、民間人の女子どもが巻き添えになってしまう。
「シャドウ1、待ってくれ! 今ドローンで爆撃したら民間人を巻き込んでしまう!」
『言ったはずだ。作戦に変更はない。これは戦争なんだ』
 ラバンスキーは取り付く島もない。
「そうとも、責任を問われるとしたら、こんな危ない場所に慰問団を呼んだやつらの方でしょう」
 すぐ横の山瀬までが、そんなことを言う。
「しかし……!」
『シャドウ2。敵は殲滅しなければならない。あの日、高い授業料を払って学んだことじゃないか!』
 その言葉に、倉木は言い返せなくなる。
『高い授業料』を払うことになったのは事実だ。しかも自分のせいで。
『ドローンが来ます』
 相馬が言う。本気でこのまま爆撃する気か、と言外に問いながら。
『誘導レーザー照準。ターゲットは参謀要員と通信施設だ』
 強い口調でラバンスキーが命じる。
『シャドウ1! よせっ! 待ってくれ!』
 倉木の言葉に答える者はいなかった。
 川崎重工製のエンジンの音が聞こえる。高度に自動化された攻撃用ドローンだ。横に広く無骨なシルエットは、飛行する昆虫を思わせる。主翼のハードポイントに取り付けられた誘導爆弾が、無慈悲に投下される。
 キヤノン製のカメラは優秀で、ターゲットを遠くからも正確に識別する。相馬の照射したレーザーの誘導に従い、正確に滑空していく。爆弾に、戦闘員と非戦闘員を区別する機能はない。派手な爆発が起こり、全てが燃えていく。
(なんということを……)
 動揺しながら、双眼鏡で状況を確認する。血みどろの死体、ちぎれた手足、生々しい殺戮の光景が、もろに目に入る。
 その中に、泣き叫ぶ幼い子どもの姿があった。運命のいたずらか、周りにいた者たちの中で一人だけ助かってしまったらしい。
……………………………………………
「…………!?」
 倉木は目を覚ます。まだ午前四時だ。そこは戦場ではなく、自室のベッドの上だった。
(また……あの夢を見るようになってしまった……)
 ベッドから立ち上がり、ペットボトルからラッパ飲みでミネラルウォーターをあおる。寝間着が汗でまとわりついて気持ち悪い。
 身勝手なものだ。倉木は思う。六年の間に忘れかけていた。あれだけの大罪を。軍機密情報が漏出し、動画として拡散されて思い出した。自分たちがなにをしたのかを。償わなければならない。なにをしても。もう眠れそうになかった。
 机に向かい、パソコンを起動する。『証拠』をもう一度確認しておくことにする
「これは……?」
 倉木は凍り付く。ファイルを自分以外の誰かが開けた痕跡がある。これはいったいどうしたことか。
「まさか……?」
 夕べあった事を思い出し、背筋を冷たいものが流れる。慌てて腰を上げ、ロッジを出て目的地へと向かった。
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