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02 勢力伸長編
ある英雄の散華 悲哀の勝利
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09
ジガバチことAH-64D攻撃ヘリ1番機は、成り行きで“ながと”のエアカバーを勤めることとなっていた。
陶勢の御座船が“邪気”に取り込まれて異形の姿と化し、異形の飛行物体を発進させ始めた。
空から一方的に陶勢の船団に攻撃をかけていた攻撃ヘリは、一転して異形の飛行隊に追い回されるはめになったのだ。
敵の追撃を避けるうちに、2番機とは距離が離れてしまった。
やがて、敵の目標が“ながと”であることに気づき、合流して迎撃を行うことにしたのだ。
「柳瀬、狙われた時以外は敵機にかまうな。俺たちは爆弾の迎撃に集中する」
「了解です。しかし、こういうのは専門外です。
F-35はどうなってるんです?」
「対空戦闘を想定してなかったんで、換装に時間を食ってるとさ」
機長の芦名一尉の言葉にガンナーの柳瀬三尉は口をつぐむ。
(当然と言えば当然)
芦名は思う。
戦力こそ第二次大戦レベルとはいえ、敵が航空戦力を繰り出してくるなど想定外もいいところだ。
なんと言っても、この時代には航空機の心臓である内燃機関さえまだないのだから。
攻撃ヘリには敵航空機や爆弾の迎撃は難しいが、今“ながと”を守れるのは自分たちだけだ。
「機長、敵です。下から来ます!」
「回避!」
鳥とも航空機ともつかない異形な流線型のものが、急上昇してくる。
どういう原理なのか、またどこから撃っているのか、鉛玉らしいものを連射してくる。
攻撃ヘリの装甲には通用しないが、機体にかかる衝撃は地味に辛い。
「舐めるな!」
芦名はスタブウイングに装備されたFIM-92スティンガー対空ミサイルの照準を定め、今し方左舷をパスしていった敵を撃ち落とす。
だが、それは小さな勝利に過ぎなかった。敵は依然として“ながと”に飽和攻撃をかけ続けている。
「機長、やばいです!機銃残弾50を切りました!」
「くそ!あと一息というところで」
芦名は歯がみする。敵は数を減らしているだけではない。疲労し始めているのか、先ほどまでと違って動きが精彩を欠いているように見えるのだ。
このままエアカバーを続ければしのげると言うのに、機銃弾が底を突きつつある。
その時、最悪の光景が芦名の目に入る。
“ながと”の後部CIWSが弾切れで、第一分隊が補給作業を行っている。
よりによってそんな時に、後部CIWSが受け持つべき方向から1機の敵機の攻撃がくる。
ESSMによる迎撃は間一髪で間に合わなかった。敵機は落ちたものの、2発の爆弾の投下を許してしまったのだ。
柳瀬がチェーンガンの引き金を引く。1発は迎撃できたが、そこでついに機銃弾のカウンターがゼロを示す。
「くそ、弾切れです」
撃ち漏らした1発がまっしぐらに“ながと”へ向かって行く。
(こいつは、後部右舷VLSに命中するぞ)
考える前に体が動いていた。
芦名は愛機を爆弾の方向に向けていた。
「柳瀬、衝撃に備えろ!」
「無茶言わないで下さい!」
『おいジガバチ!何をする気だ!?』
“ながと”の霧島からの呼びかけに応える者はなかった。
「うおおっ!」
次の瞬間、機体にすさまじい衝撃が走り、AH-64Dはスピン状態に陥っていた。
爆弾が不発だったのは不幸中の幸いだった。が、爆弾と接触した衝撃によってテイルローターが破損し、姿勢制御が不可能になったのだ。
「墜落します!」
「姿勢を保て!横転させるな!」
コマのように回転する中でも、芦名は機体を水平に保つことに全力を挙げる。つんのめる形で海に落ちれば、機体がばらばらになる危険があったのだ。
「うおおおおおおおおおっ!」
芦名の努力は功を奏することになる。
ヘリは、水平を保ったままうまく海面に不時着することができたのだ。
だが、不時着時の衝撃には耐えるしかなかった。
「ぐうっ…!」
シートベルトでも衝撃を受け止めきれず、芦名は体をコックピットに打ち付けた。
ごきりとなにかが折れる嫌な感触が走り、次いで激痛が芦名を襲う。
テレビの電源が切れるように、芦名は意識を失った。
「敵残存部隊、全て墜落しました。
周囲に敵影なし」
“ながと”CICでは、まだ30機以上残っていた敵の反応が全て消失したのが確認されていた。
「ジガバチの救出、急がせろ!」
霧島はそう指示を出す。
残存部隊がなぜ墜落してしまったのかは後で考えればいい。
今はやるべきことをやるだけだ。
この戦いを勝って終わらせるために。
「艦長、ジガバチの2名を救助したら、艦を南に向けてましょう。
敵の母艦である陶勢の御座船の様子を見たい。
横付けしたら自分が乗り込みます」
「よかろう、武装はして行けよ。艦の指揮は船務長、貴官が執れ」
「は、船務長頂きました。艦の進路を南へ、目標、陶勢の御座船」
霧島の言葉に、梅沢は即答して命令を下していた。
副長兼砲雷長である霧島の手腕が必要なのは主に戦闘の時だ。
戦闘が終結すれば、通信と操艦に優れる松島の方が適任と言える。
「第一分隊から10名ほど武装して連れて行きます」
「わかった。気をつけてな」
CICを出て行く霧島を、梅沢はそれだけ言って送り出す。
戦闘そのものには勝利したが、陶晴賢を捕らえるという戦略目的は今だ達成されていない。
正念場はむしろこれからなのだ。
梅沢は、霧島の武運と安全を祈らずにはいられなかったのだった。
目標に近づいた“ながと”は、意外なことに手を振って迎えられた。
陶勢の御座船に、“降伏する 抵抗する気はない”と書かれた幕が掲げられていたのだ。
念のために艦舷に武装した警衛が配置され、主砲とCIWSが狙いを定める。おかしな真似をしたら、一瞬にして御座船は海の藻屑だ。
だが、御座船に乗る者たちは抵抗しようとはしなかった。
ボディーアーマーと89式小銃で武装した霧島たちを積極的に迎え入れ、すがりついた。
すでに戦意喪失していることに加え、戦うどころではない状況が発生してるのだ。
「噂は聞いております。
どうか、晴賢様をお助け下さい」
長くボリュームのある茶髪が特徴の女性武将、弘中隆兼が涙目でそう言って頭を下げる。
案内された部屋の寝台には、変わり果てた姿の晴賢が横たわっていた。
“邪気”に呑まれたもの特有の外見をしている。肌は石灰のように白くなり、全身に蛇のような黒い模様が走っている。
「はあ…はあ…」
晴賢は苦しそうに息をしていた。“邪気”は取り憑いた人間を消耗させる。人ならざる力を与える代わりに、命そのものを消費させるのだ。
そのまま放置すれば死に至ることになる。
先だって出雲で保護された尼子がたの女性武将、山中鹿介も、“邪気”から解放するのがもう少し遅ければ死んでいたところだった。
霧島は何となく察する。異形の航空隊の残存兵力が墜落してしまったのは、おそらく晴賢が消耗してエネルギーと指示を遅れなくなったからだ。
“ながと”を後一歩で撃沈というところまで追い込んだ攻撃は見事と言えたが、その代価は高かったらしい。
「貴公には、まだ死なれちゃ困るんだ」
そう言って霧島はグラブを外すと、晴賢の胸の膨らみをつかむ。
つかんだ指の間から、どす黒いものがものすごい勢いで抜けていく。
“邪気”が排出されていくのだ。
(いつものことだが、どういう原理なんだろうな)
ふと、霧島は自分が胸を揉むことで女性を“邪気”から解放できることに疑問をいだいだ。
まあ、気にしたら負けなのだろうが。
すっかり“邪気”が出てしまうころには、物の怪はそこにはいなかった。
黒髪がきれいな美女、元の姿に戻った陶晴賢がいるだけだった。
呼吸も落ち着いている。命の危機は脱したらしい。
「ありがとうございます!ありがとうございます…!」
隆兼は、涙を流して感謝の言葉を繰り返す。
毛利にとっては妥当すべき敵、大内にとっては許しがたい謀反人であったとしても、晴賢はやはり武将たる器を持つ者だった。
側近や大内武断派の者たちは、晴賢が元に戻ったことを心から喜んでいる。それだけ慕われていたということだろう。
「まだ安心はできない。
“ながと”の医務室に搬送して治療を行う必要がある。
かまわないね?」
霧島は隆兼に訪ねる。晴賢が動けない今、指揮官代行は彼女という解釈でいいはずだ。
「はい、お任せします。よしなに」
ただちにたんかが運び込まれ、晴賢を“ながと”の医務室へと搬送していく。
意識を失い横たわる晴賢を、二人の女が見下ろしていた。
大内義隆と毛利隆元だった。
二人の表情は複雑だった。愛憎入り交じった感情を、目の前に横たわる者に抱いているのだろう。
(さて、この後が大変だ)
霧島は思う。
決定的な敗北を喫した晴賢は、意識を取り戻したら自ら命を絶とうとするだろう。
自決はなんとか思いとどまらせられても、そのあとは?
当然のように無罪放免というわけにはいかない。
だが、長防と博多を引き渡したら用済み、とばかりに切腹か斬首というのも理不尽な気がした。
霧島は隆元に、晴賢に対する愛情が残っていることを察していた。だからこそ隆元は、生け捕りを強硬に主張したのだ。だが、隆元が実際にどんな処遇をするかまでは予測がつかなかった。
備中沖。輸送艦“おおすみ”艦内。
数日後、臨時の霊安室とされたおおすみの一室で、霧島は物言わぬ存在となった芦名と再会していた。
「だめだったのか…」
「ええ…肋骨が肺に刺さったことに加えて、心臓に血栓ができてしまったんです」
部屋の椅子には、芦名の副操縦士を務めていた柳瀬が力なく座っていた。
不時着の際に重傷を負った芦名はただちに医療設備の整った“おおすみ”にヘリで搬送された。が、手術室に運び込まれたときには手の施しようがない状態だったのだという。
霧島の脳裏に、芦名との思い出が蘇ってくる。
霧島がこの“おおすみ”の砲雷担当だったころから、交流があったのだ。
ヘリのパイロットと護衛艦乗り。防大卒と一般大卒。小柄と長身。
あまり共通点のない二人だったが、麻雀好きという点で意気投合した。非番で時間が合う度に、卓を囲んだものだった。
(もう一緒に卓を囲むことはできないか)
それが無性に寂しかった。
「責めるなら俺を責めろ。
陶晴賢を生け捕りにすることにこだわったのは俺だ」
打ちひしがれている様子の柳瀬に霧島が言えることはそれぐらいだった。
梅沢の言った、SSMによる御座船撃沈を実行していれば、晴賢の身柄は確保できなかった可能性が高い。が、芦名は死なずに済んだかも知れなかった。
「滅相もないことです。
ただ、一つだけ約束して下さい」
そう言って柳瀬は立ち上がり、霧島を見る。
「この先なにがあっても、陶晴賢の生け捕りにこだわったことを後悔することだけはしないで下さい。
簡単に後悔するようなことのために死んだんじゃ、機長が浮かばれませんから」
「わかった。約束する」
霧島はそれだけ言うと、芦名に線香を挙げる。
柳瀬は、まだ26歳の若造幹部なりに自分を律しようとしている。心の底では辛くて仕方ないだろうに。
なら、芦名の死についてこれ以上問答することは、彼に対する侮辱になりかねない。
霧島は、柳瀬の強さと好意に甘えることにしたのだった。
「お友達、だったんだよね?」
「ああ」
隆元は“おおすみ”まで同行していたが、男同士でしかできない話もあるだろうと、霧島と柳瀬が話している間は外していた。
霧島が部屋から出て来ると、入れ替わりに隆元が線香を挙げたのだ。
そのあとは、乗って来たヘリの燃料補給が済むまで士官食堂で時間をつぶしていた。
「私、後悔はしてないよ。
晴賢には生きてもらわなければならなかった。
義隆様のためにも、毛利のためにも」
隆元は言葉を選びながら話す。
「ああ」
霧島はそう言うことしかできなかった。
「でも、芦名一尉のことは、勇馬一人が背負わなければならないことじゃない。
私はあなたの妻なんだよ。
私にも背負わせて?」
「いいのか…?」
霧島の問いに、隆元は立ち上がって彼の頭を抱きしめることで応える。まるで母のように。霧島も抱き返していた。
かすかに、嗚咽が聞こえ始める。
士官食堂にいる他の幹部たちは、事情を知っているため見て見ぬふりだ。時と場合によるが、規律より大事なものもある。
隆元は安心した。
戦いにけしかけておいてなんだが、最愛の夫には優しさを失って欲しくないのだ。
友人の死を前にして、涙を流さない人間には、できればなって欲しくないのだ。
霧島が落ち着くまで、隆元は彼の頭を胸に抱き続けていた。
かくして、後に厳島沖海戦と呼ばれた戦いは、毛利と自衛隊に軍配が上がる。
だが、一人の英雄の死は、多くの者たちの胸を深く貫いていたのだった。
彼らにとって勝利の美酒は、悲しみの味しかしなかったのだ。
ジガバチことAH-64D攻撃ヘリ1番機は、成り行きで“ながと”のエアカバーを勤めることとなっていた。
陶勢の御座船が“邪気”に取り込まれて異形の姿と化し、異形の飛行物体を発進させ始めた。
空から一方的に陶勢の船団に攻撃をかけていた攻撃ヘリは、一転して異形の飛行隊に追い回されるはめになったのだ。
敵の追撃を避けるうちに、2番機とは距離が離れてしまった。
やがて、敵の目標が“ながと”であることに気づき、合流して迎撃を行うことにしたのだ。
「柳瀬、狙われた時以外は敵機にかまうな。俺たちは爆弾の迎撃に集中する」
「了解です。しかし、こういうのは専門外です。
F-35はどうなってるんです?」
「対空戦闘を想定してなかったんで、換装に時間を食ってるとさ」
機長の芦名一尉の言葉にガンナーの柳瀬三尉は口をつぐむ。
(当然と言えば当然)
芦名は思う。
戦力こそ第二次大戦レベルとはいえ、敵が航空戦力を繰り出してくるなど想定外もいいところだ。
なんと言っても、この時代には航空機の心臓である内燃機関さえまだないのだから。
攻撃ヘリには敵航空機や爆弾の迎撃は難しいが、今“ながと”を守れるのは自分たちだけだ。
「機長、敵です。下から来ます!」
「回避!」
鳥とも航空機ともつかない異形な流線型のものが、急上昇してくる。
どういう原理なのか、またどこから撃っているのか、鉛玉らしいものを連射してくる。
攻撃ヘリの装甲には通用しないが、機体にかかる衝撃は地味に辛い。
「舐めるな!」
芦名はスタブウイングに装備されたFIM-92スティンガー対空ミサイルの照準を定め、今し方左舷をパスしていった敵を撃ち落とす。
だが、それは小さな勝利に過ぎなかった。敵は依然として“ながと”に飽和攻撃をかけ続けている。
「機長、やばいです!機銃残弾50を切りました!」
「くそ!あと一息というところで」
芦名は歯がみする。敵は数を減らしているだけではない。疲労し始めているのか、先ほどまでと違って動きが精彩を欠いているように見えるのだ。
このままエアカバーを続ければしのげると言うのに、機銃弾が底を突きつつある。
その時、最悪の光景が芦名の目に入る。
“ながと”の後部CIWSが弾切れで、第一分隊が補給作業を行っている。
よりによってそんな時に、後部CIWSが受け持つべき方向から1機の敵機の攻撃がくる。
ESSMによる迎撃は間一髪で間に合わなかった。敵機は落ちたものの、2発の爆弾の投下を許してしまったのだ。
柳瀬がチェーンガンの引き金を引く。1発は迎撃できたが、そこでついに機銃弾のカウンターがゼロを示す。
「くそ、弾切れです」
撃ち漏らした1発がまっしぐらに“ながと”へ向かって行く。
(こいつは、後部右舷VLSに命中するぞ)
考える前に体が動いていた。
芦名は愛機を爆弾の方向に向けていた。
「柳瀬、衝撃に備えろ!」
「無茶言わないで下さい!」
『おいジガバチ!何をする気だ!?』
“ながと”の霧島からの呼びかけに応える者はなかった。
「うおおっ!」
次の瞬間、機体にすさまじい衝撃が走り、AH-64Dはスピン状態に陥っていた。
爆弾が不発だったのは不幸中の幸いだった。が、爆弾と接触した衝撃によってテイルローターが破損し、姿勢制御が不可能になったのだ。
「墜落します!」
「姿勢を保て!横転させるな!」
コマのように回転する中でも、芦名は機体を水平に保つことに全力を挙げる。つんのめる形で海に落ちれば、機体がばらばらになる危険があったのだ。
「うおおおおおおおおおっ!」
芦名の努力は功を奏することになる。
ヘリは、水平を保ったままうまく海面に不時着することができたのだ。
だが、不時着時の衝撃には耐えるしかなかった。
「ぐうっ…!」
シートベルトでも衝撃を受け止めきれず、芦名は体をコックピットに打ち付けた。
ごきりとなにかが折れる嫌な感触が走り、次いで激痛が芦名を襲う。
テレビの電源が切れるように、芦名は意識を失った。
「敵残存部隊、全て墜落しました。
周囲に敵影なし」
“ながと”CICでは、まだ30機以上残っていた敵の反応が全て消失したのが確認されていた。
「ジガバチの救出、急がせろ!」
霧島はそう指示を出す。
残存部隊がなぜ墜落してしまったのかは後で考えればいい。
今はやるべきことをやるだけだ。
この戦いを勝って終わらせるために。
「艦長、ジガバチの2名を救助したら、艦を南に向けてましょう。
敵の母艦である陶勢の御座船の様子を見たい。
横付けしたら自分が乗り込みます」
「よかろう、武装はして行けよ。艦の指揮は船務長、貴官が執れ」
「は、船務長頂きました。艦の進路を南へ、目標、陶勢の御座船」
霧島の言葉に、梅沢は即答して命令を下していた。
副長兼砲雷長である霧島の手腕が必要なのは主に戦闘の時だ。
戦闘が終結すれば、通信と操艦に優れる松島の方が適任と言える。
「第一分隊から10名ほど武装して連れて行きます」
「わかった。気をつけてな」
CICを出て行く霧島を、梅沢はそれだけ言って送り出す。
戦闘そのものには勝利したが、陶晴賢を捕らえるという戦略目的は今だ達成されていない。
正念場はむしろこれからなのだ。
梅沢は、霧島の武運と安全を祈らずにはいられなかったのだった。
目標に近づいた“ながと”は、意外なことに手を振って迎えられた。
陶勢の御座船に、“降伏する 抵抗する気はない”と書かれた幕が掲げられていたのだ。
念のために艦舷に武装した警衛が配置され、主砲とCIWSが狙いを定める。おかしな真似をしたら、一瞬にして御座船は海の藻屑だ。
だが、御座船に乗る者たちは抵抗しようとはしなかった。
ボディーアーマーと89式小銃で武装した霧島たちを積極的に迎え入れ、すがりついた。
すでに戦意喪失していることに加え、戦うどころではない状況が発生してるのだ。
「噂は聞いております。
どうか、晴賢様をお助け下さい」
長くボリュームのある茶髪が特徴の女性武将、弘中隆兼が涙目でそう言って頭を下げる。
案内された部屋の寝台には、変わり果てた姿の晴賢が横たわっていた。
“邪気”に呑まれたもの特有の外見をしている。肌は石灰のように白くなり、全身に蛇のような黒い模様が走っている。
「はあ…はあ…」
晴賢は苦しそうに息をしていた。“邪気”は取り憑いた人間を消耗させる。人ならざる力を与える代わりに、命そのものを消費させるのだ。
そのまま放置すれば死に至ることになる。
先だって出雲で保護された尼子がたの女性武将、山中鹿介も、“邪気”から解放するのがもう少し遅ければ死んでいたところだった。
霧島は何となく察する。異形の航空隊の残存兵力が墜落してしまったのは、おそらく晴賢が消耗してエネルギーと指示を遅れなくなったからだ。
“ながと”を後一歩で撃沈というところまで追い込んだ攻撃は見事と言えたが、その代価は高かったらしい。
「貴公には、まだ死なれちゃ困るんだ」
そう言って霧島はグラブを外すと、晴賢の胸の膨らみをつかむ。
つかんだ指の間から、どす黒いものがものすごい勢いで抜けていく。
“邪気”が排出されていくのだ。
(いつものことだが、どういう原理なんだろうな)
ふと、霧島は自分が胸を揉むことで女性を“邪気”から解放できることに疑問をいだいだ。
まあ、気にしたら負けなのだろうが。
すっかり“邪気”が出てしまうころには、物の怪はそこにはいなかった。
黒髪がきれいな美女、元の姿に戻った陶晴賢がいるだけだった。
呼吸も落ち着いている。命の危機は脱したらしい。
「ありがとうございます!ありがとうございます…!」
隆兼は、涙を流して感謝の言葉を繰り返す。
毛利にとっては妥当すべき敵、大内にとっては許しがたい謀反人であったとしても、晴賢はやはり武将たる器を持つ者だった。
側近や大内武断派の者たちは、晴賢が元に戻ったことを心から喜んでいる。それだけ慕われていたということだろう。
「まだ安心はできない。
“ながと”の医務室に搬送して治療を行う必要がある。
かまわないね?」
霧島は隆兼に訪ねる。晴賢が動けない今、指揮官代行は彼女という解釈でいいはずだ。
「はい、お任せします。よしなに」
ただちにたんかが運び込まれ、晴賢を“ながと”の医務室へと搬送していく。
意識を失い横たわる晴賢を、二人の女が見下ろしていた。
大内義隆と毛利隆元だった。
二人の表情は複雑だった。愛憎入り交じった感情を、目の前に横たわる者に抱いているのだろう。
(さて、この後が大変だ)
霧島は思う。
決定的な敗北を喫した晴賢は、意識を取り戻したら自ら命を絶とうとするだろう。
自決はなんとか思いとどまらせられても、そのあとは?
当然のように無罪放免というわけにはいかない。
だが、長防と博多を引き渡したら用済み、とばかりに切腹か斬首というのも理不尽な気がした。
霧島は隆元に、晴賢に対する愛情が残っていることを察していた。だからこそ隆元は、生け捕りを強硬に主張したのだ。だが、隆元が実際にどんな処遇をするかまでは予測がつかなかった。
備中沖。輸送艦“おおすみ”艦内。
数日後、臨時の霊安室とされたおおすみの一室で、霧島は物言わぬ存在となった芦名と再会していた。
「だめだったのか…」
「ええ…肋骨が肺に刺さったことに加えて、心臓に血栓ができてしまったんです」
部屋の椅子には、芦名の副操縦士を務めていた柳瀬が力なく座っていた。
不時着の際に重傷を負った芦名はただちに医療設備の整った“おおすみ”にヘリで搬送された。が、手術室に運び込まれたときには手の施しようがない状態だったのだという。
霧島の脳裏に、芦名との思い出が蘇ってくる。
霧島がこの“おおすみ”の砲雷担当だったころから、交流があったのだ。
ヘリのパイロットと護衛艦乗り。防大卒と一般大卒。小柄と長身。
あまり共通点のない二人だったが、麻雀好きという点で意気投合した。非番で時間が合う度に、卓を囲んだものだった。
(もう一緒に卓を囲むことはできないか)
それが無性に寂しかった。
「責めるなら俺を責めろ。
陶晴賢を生け捕りにすることにこだわったのは俺だ」
打ちひしがれている様子の柳瀬に霧島が言えることはそれぐらいだった。
梅沢の言った、SSMによる御座船撃沈を実行していれば、晴賢の身柄は確保できなかった可能性が高い。が、芦名は死なずに済んだかも知れなかった。
「滅相もないことです。
ただ、一つだけ約束して下さい」
そう言って柳瀬は立ち上がり、霧島を見る。
「この先なにがあっても、陶晴賢の生け捕りにこだわったことを後悔することだけはしないで下さい。
簡単に後悔するようなことのために死んだんじゃ、機長が浮かばれませんから」
「わかった。約束する」
霧島はそれだけ言うと、芦名に線香を挙げる。
柳瀬は、まだ26歳の若造幹部なりに自分を律しようとしている。心の底では辛くて仕方ないだろうに。
なら、芦名の死についてこれ以上問答することは、彼に対する侮辱になりかねない。
霧島は、柳瀬の強さと好意に甘えることにしたのだった。
「お友達、だったんだよね?」
「ああ」
隆元は“おおすみ”まで同行していたが、男同士でしかできない話もあるだろうと、霧島と柳瀬が話している間は外していた。
霧島が部屋から出て来ると、入れ替わりに隆元が線香を挙げたのだ。
そのあとは、乗って来たヘリの燃料補給が済むまで士官食堂で時間をつぶしていた。
「私、後悔はしてないよ。
晴賢には生きてもらわなければならなかった。
義隆様のためにも、毛利のためにも」
隆元は言葉を選びながら話す。
「ああ」
霧島はそう言うことしかできなかった。
「でも、芦名一尉のことは、勇馬一人が背負わなければならないことじゃない。
私はあなたの妻なんだよ。
私にも背負わせて?」
「いいのか…?」
霧島の問いに、隆元は立ち上がって彼の頭を抱きしめることで応える。まるで母のように。霧島も抱き返していた。
かすかに、嗚咽が聞こえ始める。
士官食堂にいる他の幹部たちは、事情を知っているため見て見ぬふりだ。時と場合によるが、規律より大事なものもある。
隆元は安心した。
戦いにけしかけておいてなんだが、最愛の夫には優しさを失って欲しくないのだ。
友人の死を前にして、涙を流さない人間には、できればなって欲しくないのだ。
霧島が落ち着くまで、隆元は彼の頭を胸に抱き続けていた。
かくして、後に厳島沖海戦と呼ばれた戦いは、毛利と自衛隊に軍配が上がる。
だが、一人の英雄の死は、多くの者たちの胸を深く貫いていたのだった。
彼らにとって勝利の美酒は、悲しみの味しかしなかったのだ。
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