マーガレット・ラストサマー ~ある人形作家の記憶~

とちのとき

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第二章 炎と遠雷と赤

第三話

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 人形恐怖症の真琴が尋ねてきて数日後。長閑のどかな田園風景の中を樹が運転する車が走り抜ける。窓を全開にした蒸し暑い車内には、助手席に涼し気な顔をした舞果。そして、後部座席には花束があった。舞果の愛用する香水と生花の香りが、吹き込む外気にかき乱される。その香りは、ここ数年のこの日を象徴していた。
 樹はエアコンのパネルをカチャカチャといじってはため息をつく。
 「やっぱただの風しか出ないか・・・、姉さんなんで暑くないの?」
 「諦めなさい、あんたとは出来が違うのよ」
 「出来って・・・、双子なのにこうも違う?」
 「家も車も妙な中古ばかり選ぶから、買った翌年には不具合が出るんじゃない。何回目よ?このやり取り」
 「家はって言ってよ・・・・。まだまだローンあるんだし」
 「あんたみたいのを安物買いの銭失いって言うのよ」

 それから暫く走ると、車は小高い山の中腹にある駐車場に止まる。二人は車を降りると、少し離れたところに沢山の桶が並ぶ場所に向かった。その中の一つを樹が手に取り水を汲む。
 ちゃぷちゃぷと桶の水が揺らしながら歩く後ろを、花束を抱えた舞果はついて行く。墓石が立ち並ぶ広い敷地を進み、その中ほどで足を止めた。そこには山納家と刻まれた墓石が建っていた。
 二人は軽く手を合わせてから、華受けの枯れかかった花を取り換えていると、後ろから声を掛けられた。

 「あら?もしかして舞果ちゃんに樹君かしら?」
 二人が振り向くと、花を持った品の良さそうな初老の女性が、こちらを見て微笑んでいた。黙る舞果の横で少し間を置いて樹が返事をする。
 「こんにちは。えっと・・・・」
 「ああ、二人とも小さかったから覚えてないかもしれないわね。私は栗原美枝くりはらみえよ」
 「栗原・・・。あ、もしかして母がよく人形の世話に行ってた・・・・」
 「そう。あなた達のお母さん、星与ほしよさんの作品の大ファンでね。あらあら、名前だけでも覚えててくれたなんて嬉しいわ」
 「すみません、そんな大事な方を忘れていたなんて」
 「いいのよ、色々あったんだし、無理もないわ。私の方こそ、親交があったのに何もしてあげられなくてごめんなさいね」
 「いえ、とんでもない。それより花をいつも供えて頂いていたようで、ありがとうございます」
 「ふふ、お花をあげに来ただけで大きくなったあなた達に会えるなんて、星与さんからのプレゼントかしらね」
 話をしながら三人で墓を綺麗にし終え、手を合わせると、栗原は二人に山の下にある喫茶店でお茶をしようと提案する。


 田舎の風景に溶け込む外観だが、中へ入ると小洒落た雰囲気の喫茶店にやって来た三人。席に着き注文を済ますと、樹から近況を聞いた栗原は嬉しそうに、
 「あらそう、お母さんの技を継いで二人で人形作りの工房を開いたなんて、立派になったわね二人とも」
 「継ぐというほどのものでもないですけど。何せ母の人形作りの様子を見たのなんて、小さいときだけですから。ほぼほぼ我流です」
 「それでもお店を持つなんて、やっぱり星与さんの子達だわ。そう、なら頼みたい事があるの。実はね、星与さんに作ってもらった人形で孫と遊んでいたら、うっかり壊されてしまったの。せっかくだから修理と、あと舞果ちゃんには、もう一人の子の服の新調を頼めないかしら?」
 樹は快く了承し、舞果も頷くとペンとノートを鞄から取り出し、要望を聞いている。すると辺りをコーヒーとアールグレイの香りが満たす。
 三人がカップに口をつけ、暫し間を置くと、樹はある質問をする。
 「栗原さん、母に最後に会ったのはいつですか?」
 「そうねぇ、星与さんが・・・。いえ、あの火事のあった二週間くらい前だったかしら」
 「夫婦仲や兄さんの事で何か問題を抱えていた様子はありましたか?」
 「それがそんな様子はなかったから、私も未だに信じられないの。いつも会うたびに子供たちの話をしてくれたから。人形の話より多かったくらい。だから私の中で、あなた達は今でも赤の他人とは思えなくてね」
 「そうですか。実は僕たちあの日の記憶が曖昧で・・・・。後に聞かされて、あれが母の起こした心中事件だったなんて、いまいち飲み込めなくて・・・・」
 「無理もないわよ、幼かったあなた達なら尚更。誰しも人に話せないことを一つや二つ持ってる、なんて言う人もいるけど、星与さんからはそんな雰囲気まるでなかったから」
 「あ、すみません、こんな話・・・・」
 「いいのよ、私の知ってる事なら何でも話してあげるわ」
 再び三人はカップに口をつけ、暫しの無言を紛らす。姉弟はカップの中の黒と茶の水面に映る自分の顔を見て、かつての記憶を呼び起こす。



 焦げ臭い空気が肺を満たし、赤い熱気がじりじりと頬と背中に伝わるのが分かる。意識が朦朧とする幼い姉弟は、家の外で横たわっている。体は砂交じりの石畳の地面に張り付いた様に重く、起き上がることは出来ない。
 霞む視界の中、一体の人形と、その先に母が倒れているのが分かる。二人は掠れる小さな声で母を呼ぶが、その返事は無い。
 家の梁が崩れたのだろうか、大量の火の粉が舞い上がり辺りを橙色に照らす。それに混じり、大きくなってくる遠雷とサイレンの音。どれくらい経ったのか、何かの機械が動作する音や、大人たちの声が慌ただしく周囲に木霊している。
 ぽつりぽつりと降り始めた雨の中、二人は誰かに抱え上げられた。全身の力が入らないまま、大人の背丈まで持ち上げられ見下ろした地面には、血だまりの中で包丁を手にし、うつ伏せで倒れている母の姿だった。


 姉弟はカップを置くと、栗原の声に耳を傾ける。
 「あの事件の後、あなた達が施設に預けられたと聞いて、何か力になれないかと尋ねたのだけれど、親族でもない私は門前払いされてしまってね・・・・」
 「そこまで僕らの事気にかけて下さってたんですね。なんだか今まで知らずにいて申し訳ないです」
 「いいのよ、私の単なるお節介だもの」

 三人は喫茶店を後にした。姉弟は栗原の家に立ち寄り、壊れた人形と服の新調を頼まれた別の人形を預かる。いつか見たような気のするその二体の人形。記憶の片隅を探りながら、姉弟は栗原に別れを告げ工房へと帰って行った。
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