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一 釣魚島(尖閣諸島)奪還
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一 釣魚島(尖閣諸島)奪還
一週間前
北京・中国共産党・『中央軍事委員会』会議室
大きな会議室には、赤を基調とした様々な軍旗が立ち並び、壁面を覆い尽くすように
飾られていた。煌々と輝く照明に照らし出された軍旗の下、十数名の男たちが
席に着き一人の男を見つめていた。
ひときわ大きな五星紅旗を背にした中央の席に、端正な顔立ちの男が座っている。
列席する委員の中で際立って若いその男は、中国の国家主席、毛沢山総書記だった。
中国は前の総書記時代、各地で発生した反政府暴動の鎮圧にようやく成功した
ばかりであった。
国の分裂さえ想起される騒乱状態の中、彗星のように現れた毛沢山は中国人民の
信望を一身に集め、その混乱を収めたのだ。
演説を再開する毛総書記の動きに、会場のざわめきが静まる。
「我々は綱紀粛正と党の立て直しを、これまで以上に進めていかなくてはなりません。
それには共産党を始めとして、ここに参加する軍の皆さんの協力が不可欠であります。党・軍が一体となり、社会主義の根本に立ち返り、人民の信頼回復に努めようでは
ありませんか」
毛総書記の演説が更に続いて行く。
共産党幹部による際限のない権力乱用と腐敗、これ以上あり得ないと思える極端な
格差社会等、蓄積された人民の不満はついに共産党そのものに向けられていた。
その端緒は中国バブルの崩壊、中国経済の大混乱だった。
借りた資金を返せない国有企業の負債は莫大で、その使途が明示明されないことが、
人民の怒りの炎に油を注ぐ結果になる。
地方で繰り返される暴動は、次第にその規模を拡大し津波のごとくに全国に
波及していった。
各地で続いていた民族の独立運動も加え、体制崩壊の危機ともいえる状況に
陥っていたのだ。
公称十三億余の人口を抱え、経済成長を梃に国力を増大し、内に外に
拡大し続けた中国も、歴史の転換点を迎えていた。
「我々は人民の信頼を回復し、人民の支持を得る為には適正なる情報公開が
必要であることを、今回の政権移行で学んだのです」
それは毛の手法『情報をリークすることで、政治を動かす』と言う意味に他ならない。
一方インターネットを中心とする情報社会では、『反日』のカードで人民の目を
外にそらすなどの、手あかのついた手法は、既に成り立たなくなっていた。
市場経済を謳いながら市場を国策で操る手法は破たんし、国営企業を中心に莫大な
負債が明らかになっていた。経済の全てが行き詰まり、それを支えた法律ですら
恣意的に運用したツケを清算しなくてはならない時期に来てしまったのだ。
単純に言えばバブルの崩壊に他ならない。
腐敗を追及する動きは、共産党の権威・権力をもってしても抑えられないほど、
大きな民衆のウネリとなり、全国に波及していった。
「これ以上、旧態依然の党幹部に政治を任せても、問題の解決は望めません。
このまま暴動を放置すれば、国の崩壊に繋がるのは明白です。利権やしがらみを
持たない我々だけが、今の嵐を鎮めることが出来るのです。守旧派から真の政治を
取り戻しましょう」
当時、重慶市長であった毛は心ある軍や党の若手を糾合し、
政治の表面に浮かび上がってきた。
その後一大勢力を築いた毛はクーデターに近い手法で共産党を制圧することになる。
守旧派と言われる前の主席に連なる政治局や軍部内全ての幹部の排除に成功し、
民衆の支持を背景に国家主席の座を射止めていた。
「我々の政治体制は人民と軍によって支えられていると言っても過言ではありません。
どうか社会主義の原点に戻り、真の社会主義実現に向け共に邁進しようでは
ありませんか」
政治経験はあっても軍に権力基盤を持たない毛は、
前の政権同様人民解放軍の把握、コントロールに苦慮していた。
今日の会議はまたぞろ軍の強硬派による、『釣魚島(尖閣諸島)奪還』がテーマで
毛には気乗りのしないものであった。
しかし軍の支持なくして現在の政権の維持は困難で、委員会における決定権者の
委員長と言えども、軍の提案を簡単に否定できるだけの権力基盤は持っていなかった。
毛が立ち上がり、居並ぶ軍の幹部を見つめながら、話を始める。
「さて、本日はかねてより李上将より意見具申があった、『釣魚島奪還計画』について
検討したいと思う。配布された資料を見てくれ。まずは、李同志の説明を
聞こうじゃないか」
居並ぶ軍人たちの表情は、無機質で感情のないものだった。
おもむろに李孔明が立ち上がり、メガネの縁を押さえながら、一同の顔を見回している。
李孔明上将は朝鮮族の出身であり、漢民族が支配する共産党の中にあって、
異例の出世を遂げていた。
北京大学出の秀才でもあったが民族的背景からか、異様とも思える『反日思想』に
凝り固まった男だった。
そのことが、党に認められた理由でもあったのだが。
痩せ形で小柄、いかにも神経質な李は、ことあるごとに対日批判を繰り返していた。
李は人民解放軍を足がかりに出世の階段を上り詰め、毛の政権奪取に協力することで、
軍部を代表する地位にたどり着いていた。
「ふん! また反日バカの話を聞かされるのか……。
朝鮮族なんかの恨みに乗せられると、ロクなことはないぞ」
「そうだ、ここは様子見が正解だ。毛にしたって嫌な顔がありありじゃないか。
沈黙は金ってことだな」
李は必ずしも、軍事委員の支持を得ているわけでは無かった。
過去反日を主張してやまない李は、釣魚島を含む防空識別区を設定することを主張し、
強行した。
事前に共産党上層部の許可を得ることなく、軍部の意志として独断で断行する
暴挙と言えるものだった。
それは将来の釣魚島侵攻を見据えた、目論見でもあったのだ。
李の遠大な計画は今、最終局面を迎えようとしていた。
李委員が背筋を伸ばし、主席に向かって声高に話し出す。
「既に、ご覧いただいている資料で、お判りの事と思われます」
そう言ってから、李は毛主席の顔を見つめる。。
「毛主席、釣魚島へ向かう漁船団の編成は、既にすませております。
上陸要員の選定も終わり、三日後には出港準備が整います」
李委員は一息入れ、参列する将軍たちの顔を見廻した。
出席者全員が興味深げな面持ちで、李委員を眺めている。
「毛主席! あなたのご指示を頂ければ、領土奪還の悲願が実現することに
なるのです。千隻に上る船があなたの命令を待っています。
どうかこの機会を逃さず、ご決断いただきたい!」
毛委員長は黙って、李軍事代表を見つめていた。
渡された資料に落とした目を上げ、李代表に確認する。
「犠牲者がでるような不測の事態は起きない、確かにそれで良いんだな?
今、戦争を起こすことなど絶対に出来んぞ」
李は自信満々の表情を崩さず、
「上陸するのは非武装の漁船と船員たちです。日本軍に攻撃など出来はしませんし、
戦争に繋がる事態は絶対起き得ません」
李が大きく、肯いてみせる。
領土問題に絡んで戦争の危険を犯してまで、米国が日本に加担することは無い、
(ましてや民間の船と船員だ。それも非武装のな……)
李はそう確信していた。
事実米国は従前より、軍事に絡まない領土問題・紛争に関与することはない、
と明言している。軍事に絡まない紛争、つまり非武装の民間人による尖閣諸島上陸が
それに当たるのだ。
そして今の日本には、今回の作戦を阻止する能力はない。
そのように判断した上での作戦行動だった。
李は毛を見つめ内心であざ笑っていた。
(失敗するはずがないのに。フンッ、毛は、怖気づいているな)
漁船と上陸要員を非武装にしたのは、そのための保険だ。
非武装の漁船襲来に、自衛隊の防衛出動はあり得ない。
海上保安庁の対応も難しいというより、その能力から言って対処出来なくなることは
明白だった。
「戦争にはしない、そのことは、十分に考慮した上での作戦です」
李は自信満々だ。
「中国人に犠牲者が出たら、国内を押さえることは難しい。日本人に犠牲者が出れば、
国際的に孤立してしまう。そんな事態が起きたらそのダメージは
計り知れないものになる。
判っているな? 今の中国にそんな余裕は無いぞ」
中国人に犠牲者が出れば、国内で巻き起こるであろう戦争への圧力を抑えきれない。
それはなにがなんでも、避けなければならない事態だ。
今回の作戦とは毛にしてみれば、未だ御しきれていない軍の思うツボ、
そんな顛末でしかあり得なかった。
火急の課題である国内の安定を目指していた毛にとって、それは受け入れがたい
ものだった。
海洋国家としても世界の覇権を目指す中国は、国内的にその実力を喧伝してきており『日本と戦えば負けない』と、国内世論が思い込んでしまっている。
しかし中国バブルの崩壊や、全国に発生した暴動で経済は低迷し中国の海洋戦略は、
思うように進展していなかった。
現在就航させている三隻の空母などは言わば張り子の虎で、日本空軍やイージス艦の、格好の餌食になることは、火を見るより明らかだった。
「中日による海軍同士の衝突となれば、確かに危うい面はあります。
南シナ海のようなワケにはいかんでしょう。
ですから保険としての非武装なのです」
周辺各国が弱小の海軍しか持てない南シナ海では中国の独壇場、やりたい放題だった。
古くから中国と対立してきたベトナム、米国の軍事プレゼンスを失った
フィリピンなどは、領土問題で中国が進める侵略行為には対抗する術もなく、
有効な防衛処置を取れないでいた。
しかし東シナ海では中国の目指す覇権が成立するどころか、領土問題でさえ根本から
揺らいでいる。しかも日本列島そのものが中国から太平洋へと抜ける、全ての開口部を
閉じているのだ。
東太平洋での覇権を目指す中国にとり、日本の存在自体が大きな障害となっていた。
過去も現在もそのような状態が続いており、今の、この状況に甘んじることは、
大国意識持つに至った国にとって耐えがたいものでもあったのだ。
李はほくそ笑んでいた。
(日本と海洋での戦いなぞ、出来るわけが無い。そんな危ない橋を渡る必要なんて
ないのだ。千隻の漁船、それで充分だ……)
軍事バランス上、軍事力総体での対日比較はともかく、海洋での軍事力では、
明らかに劣勢と言える態勢に甘んじている。
太平洋における新たな軍事力の展開は、中国の悲願・中国海軍の最も重要な命題と
言えた。
現状制海権はともかく、制空権では日本を凌駕する状態に至っている。
それが中国の認識だった。
今こそが海洋を制する好機、李は、そう確信していた。
「日本だって指を咥えて観ているわけではないだろう。李上将は何か対抗策を
持っているのか?」
「どうかおまかせ下さい。失敗などありえません」
毛の問いかけに、李が胸を張る。
「抵抗と言うか、なんらかの攻撃を受けることはないのか?」
李が自信にあふれた顔で続ける。
「そんなことは起き得ません。専守防衛などと世迷い事をのたまう日本に、
手出し出来るわけがありません。非武装の千隻に及ぶ魚船に対応する能力など、
今の日本には存在しませんので」
「それは、そうなんだろうが……」
毛の言葉は歯切れが悪い。
「他に意見のある委員は、いないのか?」
誰も応える者はいない。
李の危うい思惑・結論に乗る冒険主義的共産主義者など、軍の中には一人として
居なかった。
事が確定するまで、賛成も反対もしない、それが政治家の姿だ。
「繰り返しになりますが、彼奴らは手をこまねいて見ているしかないのです。
後は日本が主張する『実効支配』、それを重ねていけば、ことは完璧と言えます」
確かに千隻の船に対応できる艦船など、今の日本にはない。
撃沈するだけなら可能かもしれないが、非武装の漁船を攻撃することなど、
適わないからだ。
そのことは、ここに席を並べる全員が理解していた。
しかしそれにより生じる事態、結果については想像がつかない。
李が主張する『悲願達成』が簡単に成就するとは思えず、誰もがその
当事者になることを、恐れているのだ。
李の説明に会議室では密やかな私語が交わされ、全体の空気がざわめいている。
なかなか決定を下そうとしない毛に、李はイラついていた。
軍人の一人一人を睨みつけながら、李は毛の言葉を待っていた。
『ブ~ン』、
(ん、なんだ、こんな所に『蚊』か?)
小柄で細身の、ただでさえ貧相な李が、しかめ面をする。
『ピシャッ!』、蚊を叩き潰した手の平に、血がにじむ。
(血か……ふふ、誰か刺されたな)
潰された『蚊』は、李の足下に落ちた。
「どうした? 李委員」
「え、あ、毛主席、なんでもありません。どうぞご決断をお願いします」
「わかった。決行は五日後とする。李委員、くれぐれも不測の事態が起きないよう、
万全の手配をしてくれ」
決定を下す毛主席の顔色は、冴えなかった。
その場にいる他の委員は、全員が押し黙っていた。
誰もが様子見で、決定には参加しない。
つまり結果が良ければただ賞賛すれば良く、悪ければ、この若い指導者と軍事代表を
貶めることができる、そんな思惑だった。
毛の決定を得て、一人、李だけが悦に入っている。
その足元に落ちた『蚊』が『ジジジー』と小さく音を立て、微かに青白く光っていた。
一週間前
北京・中国共産党・『中央軍事委員会』会議室
大きな会議室には、赤を基調とした様々な軍旗が立ち並び、壁面を覆い尽くすように
飾られていた。煌々と輝く照明に照らし出された軍旗の下、十数名の男たちが
席に着き一人の男を見つめていた。
ひときわ大きな五星紅旗を背にした中央の席に、端正な顔立ちの男が座っている。
列席する委員の中で際立って若いその男は、中国の国家主席、毛沢山総書記だった。
中国は前の総書記時代、各地で発生した反政府暴動の鎮圧にようやく成功した
ばかりであった。
国の分裂さえ想起される騒乱状態の中、彗星のように現れた毛沢山は中国人民の
信望を一身に集め、その混乱を収めたのだ。
演説を再開する毛総書記の動きに、会場のざわめきが静まる。
「我々は綱紀粛正と党の立て直しを、これまで以上に進めていかなくてはなりません。
それには共産党を始めとして、ここに参加する軍の皆さんの協力が不可欠であります。党・軍が一体となり、社会主義の根本に立ち返り、人民の信頼回復に努めようでは
ありませんか」
毛総書記の演説が更に続いて行く。
共産党幹部による際限のない権力乱用と腐敗、これ以上あり得ないと思える極端な
格差社会等、蓄積された人民の不満はついに共産党そのものに向けられていた。
その端緒は中国バブルの崩壊、中国経済の大混乱だった。
借りた資金を返せない国有企業の負債は莫大で、その使途が明示明されないことが、
人民の怒りの炎に油を注ぐ結果になる。
地方で繰り返される暴動は、次第にその規模を拡大し津波のごとくに全国に
波及していった。
各地で続いていた民族の独立運動も加え、体制崩壊の危機ともいえる状況に
陥っていたのだ。
公称十三億余の人口を抱え、経済成長を梃に国力を増大し、内に外に
拡大し続けた中国も、歴史の転換点を迎えていた。
「我々は人民の信頼を回復し、人民の支持を得る為には適正なる情報公開が
必要であることを、今回の政権移行で学んだのです」
それは毛の手法『情報をリークすることで、政治を動かす』と言う意味に他ならない。
一方インターネットを中心とする情報社会では、『反日』のカードで人民の目を
外にそらすなどの、手あかのついた手法は、既に成り立たなくなっていた。
市場経済を謳いながら市場を国策で操る手法は破たんし、国営企業を中心に莫大な
負債が明らかになっていた。経済の全てが行き詰まり、それを支えた法律ですら
恣意的に運用したツケを清算しなくてはならない時期に来てしまったのだ。
単純に言えばバブルの崩壊に他ならない。
腐敗を追及する動きは、共産党の権威・権力をもってしても抑えられないほど、
大きな民衆のウネリとなり、全国に波及していった。
「これ以上、旧態依然の党幹部に政治を任せても、問題の解決は望めません。
このまま暴動を放置すれば、国の崩壊に繋がるのは明白です。利権やしがらみを
持たない我々だけが、今の嵐を鎮めることが出来るのです。守旧派から真の政治を
取り戻しましょう」
当時、重慶市長であった毛は心ある軍や党の若手を糾合し、
政治の表面に浮かび上がってきた。
その後一大勢力を築いた毛はクーデターに近い手法で共産党を制圧することになる。
守旧派と言われる前の主席に連なる政治局や軍部内全ての幹部の排除に成功し、
民衆の支持を背景に国家主席の座を射止めていた。
「我々の政治体制は人民と軍によって支えられていると言っても過言ではありません。
どうか社会主義の原点に戻り、真の社会主義実現に向け共に邁進しようでは
ありませんか」
政治経験はあっても軍に権力基盤を持たない毛は、
前の政権同様人民解放軍の把握、コントロールに苦慮していた。
今日の会議はまたぞろ軍の強硬派による、『釣魚島(尖閣諸島)奪還』がテーマで
毛には気乗りのしないものであった。
しかし軍の支持なくして現在の政権の維持は困難で、委員会における決定権者の
委員長と言えども、軍の提案を簡単に否定できるだけの権力基盤は持っていなかった。
毛が立ち上がり、居並ぶ軍の幹部を見つめながら、話を始める。
「さて、本日はかねてより李上将より意見具申があった、『釣魚島奪還計画』について
検討したいと思う。配布された資料を見てくれ。まずは、李同志の説明を
聞こうじゃないか」
居並ぶ軍人たちの表情は、無機質で感情のないものだった。
おもむろに李孔明が立ち上がり、メガネの縁を押さえながら、一同の顔を見回している。
李孔明上将は朝鮮族の出身であり、漢民族が支配する共産党の中にあって、
異例の出世を遂げていた。
北京大学出の秀才でもあったが民族的背景からか、異様とも思える『反日思想』に
凝り固まった男だった。
そのことが、党に認められた理由でもあったのだが。
痩せ形で小柄、いかにも神経質な李は、ことあるごとに対日批判を繰り返していた。
李は人民解放軍を足がかりに出世の階段を上り詰め、毛の政権奪取に協力することで、
軍部を代表する地位にたどり着いていた。
「ふん! また反日バカの話を聞かされるのか……。
朝鮮族なんかの恨みに乗せられると、ロクなことはないぞ」
「そうだ、ここは様子見が正解だ。毛にしたって嫌な顔がありありじゃないか。
沈黙は金ってことだな」
李は必ずしも、軍事委員の支持を得ているわけでは無かった。
過去反日を主張してやまない李は、釣魚島を含む防空識別区を設定することを主張し、
強行した。
事前に共産党上層部の許可を得ることなく、軍部の意志として独断で断行する
暴挙と言えるものだった。
それは将来の釣魚島侵攻を見据えた、目論見でもあったのだ。
李の遠大な計画は今、最終局面を迎えようとしていた。
李委員が背筋を伸ばし、主席に向かって声高に話し出す。
「既に、ご覧いただいている資料で、お判りの事と思われます」
そう言ってから、李は毛主席の顔を見つめる。。
「毛主席、釣魚島へ向かう漁船団の編成は、既にすませております。
上陸要員の選定も終わり、三日後には出港準備が整います」
李委員は一息入れ、参列する将軍たちの顔を見廻した。
出席者全員が興味深げな面持ちで、李委員を眺めている。
「毛主席! あなたのご指示を頂ければ、領土奪還の悲願が実現することに
なるのです。千隻に上る船があなたの命令を待っています。
どうかこの機会を逃さず、ご決断いただきたい!」
毛委員長は黙って、李軍事代表を見つめていた。
渡された資料に落とした目を上げ、李代表に確認する。
「犠牲者がでるような不測の事態は起きない、確かにそれで良いんだな?
今、戦争を起こすことなど絶対に出来んぞ」
李は自信満々の表情を崩さず、
「上陸するのは非武装の漁船と船員たちです。日本軍に攻撃など出来はしませんし、
戦争に繋がる事態は絶対起き得ません」
李が大きく、肯いてみせる。
領土問題に絡んで戦争の危険を犯してまで、米国が日本に加担することは無い、
(ましてや民間の船と船員だ。それも非武装のな……)
李はそう確信していた。
事実米国は従前より、軍事に絡まない領土問題・紛争に関与することはない、
と明言している。軍事に絡まない紛争、つまり非武装の民間人による尖閣諸島上陸が
それに当たるのだ。
そして今の日本には、今回の作戦を阻止する能力はない。
そのように判断した上での作戦行動だった。
李は毛を見つめ内心であざ笑っていた。
(失敗するはずがないのに。フンッ、毛は、怖気づいているな)
漁船と上陸要員を非武装にしたのは、そのための保険だ。
非武装の漁船襲来に、自衛隊の防衛出動はあり得ない。
海上保安庁の対応も難しいというより、その能力から言って対処出来なくなることは
明白だった。
「戦争にはしない、そのことは、十分に考慮した上での作戦です」
李は自信満々だ。
「中国人に犠牲者が出たら、国内を押さえることは難しい。日本人に犠牲者が出れば、
国際的に孤立してしまう。そんな事態が起きたらそのダメージは
計り知れないものになる。
判っているな? 今の中国にそんな余裕は無いぞ」
中国人に犠牲者が出れば、国内で巻き起こるであろう戦争への圧力を抑えきれない。
それはなにがなんでも、避けなければならない事態だ。
今回の作戦とは毛にしてみれば、未だ御しきれていない軍の思うツボ、
そんな顛末でしかあり得なかった。
火急の課題である国内の安定を目指していた毛にとって、それは受け入れがたい
ものだった。
海洋国家としても世界の覇権を目指す中国は、国内的にその実力を喧伝してきており『日本と戦えば負けない』と、国内世論が思い込んでしまっている。
しかし中国バブルの崩壊や、全国に発生した暴動で経済は低迷し中国の海洋戦略は、
思うように進展していなかった。
現在就航させている三隻の空母などは言わば張り子の虎で、日本空軍やイージス艦の、格好の餌食になることは、火を見るより明らかだった。
「中日による海軍同士の衝突となれば、確かに危うい面はあります。
南シナ海のようなワケにはいかんでしょう。
ですから保険としての非武装なのです」
周辺各国が弱小の海軍しか持てない南シナ海では中国の独壇場、やりたい放題だった。
古くから中国と対立してきたベトナム、米国の軍事プレゼンスを失った
フィリピンなどは、領土問題で中国が進める侵略行為には対抗する術もなく、
有効な防衛処置を取れないでいた。
しかし東シナ海では中国の目指す覇権が成立するどころか、領土問題でさえ根本から
揺らいでいる。しかも日本列島そのものが中国から太平洋へと抜ける、全ての開口部を
閉じているのだ。
東太平洋での覇権を目指す中国にとり、日本の存在自体が大きな障害となっていた。
過去も現在もそのような状態が続いており、今の、この状況に甘んじることは、
大国意識持つに至った国にとって耐えがたいものでもあったのだ。
李はほくそ笑んでいた。
(日本と海洋での戦いなぞ、出来るわけが無い。そんな危ない橋を渡る必要なんて
ないのだ。千隻の漁船、それで充分だ……)
軍事バランス上、軍事力総体での対日比較はともかく、海洋での軍事力では、
明らかに劣勢と言える態勢に甘んじている。
太平洋における新たな軍事力の展開は、中国の悲願・中国海軍の最も重要な命題と
言えた。
現状制海権はともかく、制空権では日本を凌駕する状態に至っている。
それが中国の認識だった。
今こそが海洋を制する好機、李は、そう確信していた。
「日本だって指を咥えて観ているわけではないだろう。李上将は何か対抗策を
持っているのか?」
「どうかおまかせ下さい。失敗などありえません」
毛の問いかけに、李が胸を張る。
「抵抗と言うか、なんらかの攻撃を受けることはないのか?」
李が自信にあふれた顔で続ける。
「そんなことは起き得ません。専守防衛などと世迷い事をのたまう日本に、
手出し出来るわけがありません。非武装の千隻に及ぶ魚船に対応する能力など、
今の日本には存在しませんので」
「それは、そうなんだろうが……」
毛の言葉は歯切れが悪い。
「他に意見のある委員は、いないのか?」
誰も応える者はいない。
李の危うい思惑・結論に乗る冒険主義的共産主義者など、軍の中には一人として
居なかった。
事が確定するまで、賛成も反対もしない、それが政治家の姿だ。
「繰り返しになりますが、彼奴らは手をこまねいて見ているしかないのです。
後は日本が主張する『実効支配』、それを重ねていけば、ことは完璧と言えます」
確かに千隻の船に対応できる艦船など、今の日本にはない。
撃沈するだけなら可能かもしれないが、非武装の漁船を攻撃することなど、
適わないからだ。
そのことは、ここに席を並べる全員が理解していた。
しかしそれにより生じる事態、結果については想像がつかない。
李が主張する『悲願達成』が簡単に成就するとは思えず、誰もがその
当事者になることを、恐れているのだ。
李の説明に会議室では密やかな私語が交わされ、全体の空気がざわめいている。
なかなか決定を下そうとしない毛に、李はイラついていた。
軍人の一人一人を睨みつけながら、李は毛の言葉を待っていた。
『ブ~ン』、
(ん、なんだ、こんな所に『蚊』か?)
小柄で細身の、ただでさえ貧相な李が、しかめ面をする。
『ピシャッ!』、蚊を叩き潰した手の平に、血がにじむ。
(血か……ふふ、誰か刺されたな)
潰された『蚊』は、李の足下に落ちた。
「どうした? 李委員」
「え、あ、毛主席、なんでもありません。どうぞご決断をお願いします」
「わかった。決行は五日後とする。李委員、くれぐれも不測の事態が起きないよう、
万全の手配をしてくれ」
決定を下す毛主席の顔色は、冴えなかった。
その場にいる他の委員は、全員が押し黙っていた。
誰もが様子見で、決定には参加しない。
つまり結果が良ければただ賞賛すれば良く、悪ければ、この若い指導者と軍事代表を
貶めることができる、そんな思惑だった。
毛の決定を得て、一人、李だけが悦に入っている。
その足元に落ちた『蚊』が『ジジジー』と小さく音を立て、微かに青白く光っていた。
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「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
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