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中國の変革と日本の諜報

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 2020年(一年前)3月22日夕方。
 中国、青島、シェラトンホテルの一室。

 シティホテルにしては、さほど大きいとは言えないツインルームで、意外な二人が
対面していた。。
 二つのベッドが置かれた部屋の窓側の隅に、小さな応接セットが設えてある。
窓側の二重カーテンは引かれたままだ。
 薄暗い照明の中、テーブルを挟んで、二人の男が無言で向かい合っていた。
 一人の男は毛沢山、重慶市長。
 毛は30代前半で頭角を現し、重慶市長と言う重職を担い、
社会主義的原理主義者として、世に知られた存在だった。
 いま一人の男は周経国、40代前半といったところだろうか。
 自身は民主化の看板を背負いながら、密かに中国のネット社会をリードし、
世論を自在に操ってきた男だ。

 毛は周から手渡された資料に目を奪われ、夢中になってそれを読み込んでいる。
 毛の顔を見つめながら、周は手元の紙に何かを書き込んでいた。
 周が書いた紙を手渡し、毛を促した。
「ここは危険。資料読む。別々出る。外の屋台で、話す。OK?」
 そう書いた紙を毛に手渡す。
 毛が頷き、渡された紙を握りつぶす。
 頷きあった二人は、しばらくして別々にホテルを出、別な方向に向かって歩き出す。
 十数分後、二人は路上の薄暗い屋台で肩を並べていた。

 二人は儀礼的に安酒の白酒で満たされた、グラスを合わせる。
 グラスには口をつけないまま毛が、
「周さん、あなたはどう言うつもりであの資料を私にくれたのですか? 
正直なところをお聞かせ願いたいものです」
 顔を引き締めて問いかけた。
「毛さん、私はあなたに中国の危機を救って貰いたいのです。今の政権中枢に、
それを担える人物は見当たりません」
 毛の顔には皮肉な笑みが浮かんでいる。
「あなたは共産党が展開するプロパガンダの先兵、そう思っていましたが……
私の思い違いですか?」

 周は笑みを浮かべたまま、
「半分それは当たっていますが、私は純粋な愛国者でもあります。 
全てにおいて党のお先棒を担いできたわけでは、ありません」
 周はいたって真面目な顔つきで、落ち着いて話す。
「あなたはあの資料を、どう使えとおっしゃるのですか?」
 周は手にしたグラスの白酒に、少しだけ口をつける。
「お判りいただけたと思いますが、あれは各地の全人代代表者の全ての履歴を記載して
あります。総員の70%ほどをカバーしています。資料でお判りのように、どのような
地方であれ党の関係者は、全て汚職に関与しています」
「興味深い資料ではありますな。で、全人代で何ができるというのですか? 
全人代など形式的存在であり、有名無実でしょう」
 毛は先を促し、少しだけ白酒に口をつけた。

 周の顔には笑みが浮かんでいる。
「いえ、全人代は国の最高議決機関です。憲法でそう規定されていますし、
その憲法さえ変えることが出来る唯一の機関です」
 少しの間、考えていた毛の顔色が変わった。
 周がグラスに残った白酒を、一気に飲み干して言う。
「そうです、お察しの通りです。全人代を足場に革命を起こすのです。多数を握れば
国家主席になることも可能です。無論、合法ですから、クーデターなどでは
あり得ませんよ」
 毛の顔が強張っていて、声が震えがちになる。
「そんなことが……」
 毛も手にしていたグラスを一気にあおって見せた。
 ちょっと咽ながら、
「あ、あの資料を使って全人代を乗っ取り、合法的に党の現職幹部を一掃しろ、
そう言うことですか……」
 毛は割れんばかりの力で、空のグラスを握りしめていた。
「難しく考えることはありません。人民独裁による社会主義を実現する、
これは憲法のテーゼです。今の格差社会など、憲法違反の極みです。正義は毛さん、
あなたの側にあるのです」
 毛は忙しく考え込んでいる、そんな風だった。

「毛さん、あなたには、党にも軍にも、諜報関係にも大きな人脈がおありでしょう。
確かな筋書きさえ出来れば、実行可能な案だとは思いませんか?」
 毛は周の目を見据え、そして問うた。
「あなたはこのことで、何を得ようとするわけですか?」
「言ったでしょう。私はただの愛国者です。国家の崩壊を指を咥えて観ているつもりは
無いのです。そしてあなたを見つけた。そう言うことです。釈迦に説法でしょうが、
時間はありませんよ」
 毛は無言のままだった。
「そうそう、もし決行することになったら、改めてご連絡いただきたいと思います。
党幹部や軍上層部の履歴の一覧も提供させてもらいます。
使い方は毛さんにお任せします」



 翌日
 市ヶ谷・『海神』・作戦会議室

 大町を長とする『海神』のスタッフ5名と、首相の石葉が顔を揃えていた。
 今日のテーマは中国情勢の分析と今後の対応だ。
「総理、先ほど中国の周から連絡が入りました。毛は話に乗ってきたそうです。
情報が漏れない限り、一か月後の全人代では政変が起きます。総理の望みどおりの
結果になるかと思われます」
「そうか、無事にと言うか、うまく行って欲しいものだな」
 石葉は機嫌がよさそうだった。
「しかし総理には驚かされましたね。まさか中国を救うために私たちを使うとは、
思いもよりませんでした。
 戦略的互恵関係ですか……まぁ納得するしかないのでしょうね」
 松本など若いスタッフは、不快な表情を隠さない。
 大町は苦笑を浮かべている。

 石葉の表情には、安どの色がある。
「何度も言うが日本にとって、今の中国が分裂して良いこと等、なに一つないのだよ。
感情的に小気味が良い、胸がすく、なんてことは言ってくれるなよ。
 中国が混乱すれば日本もそうだが、世界経済が壊滅的打撃を被るからな。当面は今の
体制で、そう、汚い資本主義的共産主義を継続してもらうのが、日本の利益に適って
いるのだよ。いずれ中国も民主化せざる得ない、そう思わんか」
 石葉は表情を緩め、泰然としていた。
「確かに今、中国国内が分裂して良いこと等何一つ思い浮かびませんね。計画がうまく
行き、毛が主席になればあらゆる交渉事が上手く動き出す、そう思えます」
 大町たちの顔にも笑顔が戻る。
 後になりそんな考えは甘かったことを思い知るのだが。



 一か月後4月20日夕刻
 有楽町・ガード下の焼き鳥屋。

 東京では花見のシーズンも終わり、街には初夏に近い陽気が訪れていた。
店は会社帰りのサラリーマンたちが声高に話す会話で溢れている。仕事の愚痴や上役に
対する悪口雑言、皆が酔いに任せて口角を飛ばしている。
 一人でやって来た客はたいていの場合、スマホを見つめながらの一人酒。
酒場の喧騒とは無縁の存在と言えた。
「えー、マジか? ほんとかよ」
 酒場の雰囲気とは、異質の声が上がる。
 誰かがスマホで見ていたTV画面のボリュームを上げると、店の中が静まり返った。

「臨時ニュースを申し上げます。本日、中国の全人代、全国人民代表者会議で、
『毛沢山』重慶市長が国家主席に選出されると言う、異例の事態が起こりました」
「えー、どういう事?」
 店の中がザワつく。男が持つスマホに視線が集中している。
 アナウンサーの顔は、緊張の色を隠せない。
「従来、中国の権力移譲は、共産党中央委員会の常務会など、共産党上層部の話し
合いで取り決められてきました。今回のように何の前触れもない交代劇は、
これまでには無かったケースと言えます」
「そうだよな、全人代で政権交代なんて聞いたことがないぜ」
 店の中のサラリーマンの殆どが、頷く。
「現在中国各地の状況ですが、軍隊の治安出動などはなく、各地とも平穏が保たれて
いる模様です。今回の異例の事態はどういう事なのか、丸森解説委員に聞いてみたいと
思います」

 アナウンサーが隣に座る解説委員に向かい、
「丸森さん、今回の事態なんですが、一体中国で何が起きているのでしょうか?」
「そうですね、今回の政変を予想していた人は、少ないと思われます。現在起きている
状況は、事実上のクーデターとも言える、異常事態だと言えるんじゃないでしょうか。
 ただ共産党的にはそうだということで、法律的には、全人代は中国の最高議決機関で
あり、国家主席を決めることに、なんら問題はありません。
 しかし、明らかに従来の手法から大きく逸脱しており、共産党内部でどんな争いが
起きているのか、今後の推移を見守っていく必要があると思われます」
「今後の推移を見守るって、いったい中国はどうなっちゃうの?」
「いいから、黙って聞けよ」
 店の中が再び静かになる。

「丸森さん、それにしても何故、今、このような事態が起きたのでしょうか?」
「そうですね、これは現在中国で起きている、内乱とも言ってよい混乱した社会状況に
関連したものと思われます。改革派でありかつ、復古主義的社会主義者と言ってよい、
毛主席の登場は、その象徴と思われます。
 中国で今、人民の支持を一番集めている彼が表に立ったことの意味ですが、そうした
本来の社会主義的傾向が、今後の中国の流れになるだろう、そう思われますね」
 解説者にしても、疑心暗鬼、そんな様子だった。
「中国が正しい社会主義に戻るってかい。笑えるじゃん」
「なに言ってんの、黙って聞きなよ」
 上役が部下をたしなめている、そんな様子だ。

「ここで北京支局を呼んでみたいとおもいます」
 TV画面が天安門広場の映像に切り替わる。
 照明に照らし出された天安門を背景に、アナウンサーの興奮した顔が映しだされた。
天安門広場には、普段より多めの武装警官はいたものの、広場では観光客が記念写真を
撮りながらはしゃぐ姿があり、いつもある日常の場面が展開されていた。
「なんだよ、ぜんぜん変わってないじゃん。ほんとうに政変なんか起きたのか? 
信じらんないな、バカバカしい」
「そうだな、普段とかわらんな……」
 店に再び喧騒が戻る。



 同日、市ヶ谷・海神・作戦会議室。

 その日は、現在進行形である中国の政変に対する、評価・分析及び今後の諜報全般に
ついての話し合いがもたれていた。
 参加者はいつものように、石葉と五人のスタッフだ。
「大町君、中国は君の書いた筋書き通りだな。
 しかし政権を牛耳っていた連中も呆気なかったな。君が言うとおり、多かれ少なかれ
全員が汚職に手を染めていたと言う事か」
「その通りです。ただ中国で言う『綱紀粛正』とは、権力闘争に利用されるだけで、
本来の意味とはかけ離れていますので」
 石葉は頷きながら、
「ははは、そうだな。前の政権がやっていた粛清は、まさにそんな様相だった。しかも
毛に、あれほど人脈があるとは思わなかった。大した騒ぎも起きずすんなりと収めた、
そんな感じじゃないか」
 そう言う石葉に対して、大町も考え込む風にして応える。
「そうですね、毛については、こちらの評価が甘かった様です。
 あれほど鮮やかに政権を奪取できるとは、思いもしませんでした。 
今後はより注意を払って、観察していきます」
 大町の顔は強張っていた。
「中国の治安が回復し、世界経済も救われた。それに日本人犠牲者がいなくなったのが
最大の成果、そう言うことだな」
「現状ではそれしか言いようがありませんね」
 大町は苦笑いしていた。

「それにしても、キンチョーが集める情報は素晴らしいな。当面中国関係の情報は
不自由なく手に入る、そう思ってよいのだな」
 大町が頷く。
「これが今後も続く保証はありませんが、当面は問題ないかと思われます。
ただ、当方の人員の問題もあり情報収集はともかく、その分析・評価については、
人手不足は否めません」
「そうですよ部長。人手不足どころじゃありません。情報は際限なく集まっても、
対応できる人間がいない。
 これじゃ宝の持ち腐れじゃないですか」
 情報分析官出身の神田二尉が憤る。
「ははは、そうだな。なんとかするから、暫くは我慢してくれ」
 精鋭による少ない人員、これは大町が求めた形でもあり、やむを得ない面がある。
 情報に携わる人間は、極力少ないほうが良いというのが大町の持論であり、
少数精鋭を貫いていた。
「大町君、それは君の気持ち次第だ。
 任せてあるのだから、納得いく人員配置を考えてくれ」
 大町は石葉の信頼を受け諜報の全てを任されていることに感謝もし、
気持ちを新たにした。



 数日後。
 同じく・海神・作戦会議室。

 メンバー構成はいつもと同じだ。
会議を重ねる中で首相を前にしても、若いスタッフたちが自由に自分の意見を言える、
そんな良い雰囲気が醸成されつつあった。
「総理、今日はNSCを始めとする、内部の問題を検討したいと思うのですが……」
「ああ、忌憚のないところを聞かせてくれ」
 秘密保護法が成立し運用されているとはいえ、これまでの日本の防諜対策は、
穴だらけと言って良いのもだった。
 組織としてNSCが出来たものの、省庁間の縦割りの弊害は変わること無く、
諜報全般に渡る機能不全を克服出来ていなかった。
 大町が首相に対して釘をさす。
「総理、まず第一に考えなくてはならないのは、同盟国に対する防諜です。
とりわけ米国に我々の技術情報が流れることは、一番やっかいな問題を
引き起こすことになります」
「君は米国が防諜で対抗する、一番の対象だと言うのかね」
 石葉は納得が行かない様子だった。
「仰る通りです」
「……」
 石破は憮然とした表情を隠さない。

 大町は構わず続ける。
「内閣の管理を宜しくお願いします。特に外務省のアメリカンスクールの連中は、
要注意ですね。彼らは国益のなんたるかが、判っていませんから」
 大町は歯に衣を着せない言い方をした。
 外務省には、国別、言語別にグループを作る傾向が強く、省内では国益を無視して
利害を争うと言う、とんでもない風潮があった。
「それに防衛省もです。同盟国に甘すぎます」
 松本も不満顔で言い募る。
 情報管理はまず内部から、ということは基本中の基本だった。

 石葉の憮然とした表情は変わらない。
「総理には、どうもご納得いただけないようですね」
 親米派と言われる石葉は、考えこんでしまっている。
「これまで、日本の防諜が機能しなかったのはどうしてだか、
お分かりになりませんか?」
「なんだ、どういうことだ」
「あれは阪神・淡路大震災の際でした。日本の危機管理の不備を指摘されて以来、
いろんな組織が立ち上がりましたが、一向に改善された様子はありません。
諜報・防諜活動も同じです」
 なんども大災害に遭遇しながら、日本の危機管理システムが改善されることは
なかったのだ。
「ふ~ん、そう云うことか……。今も変わらぬ組織の縦割り意識だな。
確かに変わってないな」
「仰る通りです」

 石葉は顔を引き締め、
「判った。私からも釘を刺しておこう。しかし、米国に対しては、なにか心苦しいな。
これまで同盟国として、最大限協力してくれたじゃないか。東日本大震災の時も
そうだったし、尖閣の時だって惜しみなく協力をしてくれたじゃないか」
 親米派の石葉は、歯切れが悪い。
「総理、何を言っているんです。米国がただ同盟国だから協力してくれた、
そうお考えなのですか?」
「それはない、お互い国益が第一だからな。だが大事な同盟国だ」
「その通りです。しかし彼らが協力するのはその時、彼らの国益に適った。
ただそれだけのことです。勘違いしないで下さい」
「……」
 石葉は黙り込んだままだった。

「これまで米国の諜報活動に、どれだけ煮え湯を飲まされたか、お判りの筈です。
今回の中国への工作も米国には筒抜けでした。それなのに米国は、高みの見物を
決め込んでいたじゃないですか」
 誰が情報を漏らしたのか、そこまで判っていたが、大町はそのことには触れなかった。
 米国は同盟国だからと言って、相手を尊重すること等あり得ず、日本でさえ、
彼らの盗聴やスパイ活動の対象になっていた。
「え、筒抜け? 本当にか? まさか、そんなこと……それでキンチョーの機密は
守られたのか?」
 石葉は、唖然とした表情をしている。
「はい、情報源については漏れていません。キンチョーの存在はまだNSCでも、
一部の人間しか知りえませんので」
 石葉が信じられないと言う顔つきだ。

 大町は表情を硬くして追い打ちをかける。
「良いですか、総理。インテリジェンスの世界は、戦いなのです。 判ってください、
ようやく日米の諜報レベルが対等と言えるレベルになったんじゃありませんか」
 これまで日米間の諜報争いは大人と子供の戦い、米国の一人勝ち、そんな状態に
あったと言える。
「そうだな、君の言うとおりだ。トップがこんな風じゃどうしようもないな。
考えを改めることにするよ」
 大町はさらに追い打ちをかける。
「同盟国だから悪いようにはされない、そんな風に思っているのでしたら、
本当に考え直して下さい。お互いの国益を立てて戦っているのです。
国益、我々にはそれ以外ないのです」
 大町の諫言に、石葉は苦笑いをしていた。

 大町二佐は続けて、国内問題について指摘する。
「今一つの問題は、国内の技術者保護の件です。既に米国を始め、中国、ロシア、
韓国の諜報員が技術開発者の割り出しと、接触を図っています。私たちには手が
足りないので、内調や他の組織に協力してもらっています」
「そんな状況なのか」
「ええ、さすがに拉致などはありませんが、私どもとしてはこの際超法規的措置を
もってしても、組織的に技術者を確保する。
つまり世の中らから隔離したいと思うのですが……」
 技術者たちは、本来なら『秘密保護法』の管理下に置くべき存在だったが、
そういう訳には行かなかった。
 カブトやキンチョーと言った技術は、防衛省が勝手に民生技術の軍事転用、
正確に言えば、不法に盗用したものだったからだ。
 開発者自身がそのことを知らないため強制的措置は取れない、そういう状態にあった。
 
 石葉もそのことは理解していたようだ。
「最悪の場合、やむを得んだろうな。それにしても、なにかうまい方法は、ないのか?」
 大町は勿論だが石葉も、この際ある程度の超法規的措置はやむを得ない、
そう考えていた。
 石葉は、『全てにおいて結果責任を負う』、その覚悟は出来ていたし、
難事にあたっても、その姿勢を崩すことはなかった。
 そのことが大町が政治家石葉を信頼する、最大の所以だった。
「ロボットの操縦者を集めた手法で、いくしかありませんね」
 石葉は、初めて聞く話に驚きを隠せない。
「聞いとらんぞ、そんな話。いったい何をしたんだ」
 大町は平然と答える。
「ゲームのコンテストを開いて成績優秀なゲーマーを、就職と言う形で集めました。
当然、年齢にかかわらず高給で釣り上げたのですが。その後は世間と隔離してあります」
 当初から大町は、ロボット操縦に適材な者は、ゲーマーであると考えていた。
 使命感に燃えた頭の固い防衛省の人間より、遊びでゲームにのめり込んだ人間の方が
数段上のレベルで操縦することが出来ると信じていた。事実その通りなのだが。
 
 石葉は内心、ホッとしながらも、問いかける。
「なんだ、そんなことをしていたのか。なんで報告しないのだ」
「合法的にやってますので、お耳見入れる必要はないかと。
 ですから今回も引き抜いて転職、と言う形でなんとかしたいと考えています。
隔離者のリストはこれになります、ご覧下さい」
 リストに乗せられた五十名を超える名前に、首相の顔が曇る。
「こんなにも、いるのか」
「はい、これでも絞りに絞った結果です。
 アリの一穴と言うこともあります。確実にやり遂げなければ、間違いなく、
我が国の防衛は危うくなります。
 一挙にと言うわけには行きませんので優先順位を考慮して、半年以内にはなんとか、
と思っています」
 石葉は、決意を顔に表して言う。
「わかった、全ては俺が責任を持つ。あまり派手にならないようにやってくれ。
どうしても応じない人間には、直接俺が頭を下げても構わないからな」
「……」
 全ての責任を負うと言う石葉の決意に、会議室が静まり返った。



 一年後のある日
 東京・豊洲・勝鬨橋近く

「ハァーァ……」
 暮れなずむ空を見上げた秋津達志は、大きなため息をついていた。 
漸くと言う感じで自宅マンションの入り口に辿り着き、疲れた頭で今日一日の出来事を
振り返っていた。
 妻から『息子が交通事故にあった』との一報で、飛んで行った病院。
そこで聞かされたのは、息子を助けてくれたと言う男の話だった。息子は交通事故に
あい誘拐されかけた、そう言うのだ。
 偶然そこに居合わせたその男が助けて、病院まで運んでくれらしい。
男は『警察沙汰は嫌なので』と言い、そのまま謝礼も受け取らず立ち去ってしまった。
 三歳の息子に確かめても要領を得ない。微かな擦り傷は認められたものの、
入院するほどのことも無く、検査も不要だと言われしまう。警察の聴取を受けても、
事故の現場さえわからず、事件にしようもない。後から駆け付けた妻にバトンタッチし、
会社に帰る羽目になった。ましてや誘拐の話など、出来る状況ではなかった。
(何かが自分に起きている……)
 漠然とそんな思いが浮かんでくるが、考えがまとまる事はない。

「秋津達志さんですね?」
 突然声を掛けられた秋津は、飛び上がる思いだった。
 取り留めもない考えに囚われたかけたマンションの入り口で、一人の男が
声をかけてきた。男は入り口を塞ぐ形で立っている。
 訝しげな顔をする秋津に、男は身分証明のようなものを示す。
「日栄紡績の秋津さんですね。私はこう言う者です」
 手渡された身分証明には、写真とともに、内閣調査室次長、坂本孝平と書かれていた。
 身分証を見た秋津の顔は、強張っていた。
「どんな御用ですか? 内閣調査室って、確か国の諜報部門でしたよね?」
「仰るとおりです。秋津さんは現在、緊急を要する保護対象になっております。
無理とは思いますが、出来ればこのまま、我々とともにご同行願いたいのですが」
 いつのまにか秋津の後ろにも、二人の男が立っていた。

 秋津の顔に、怯えの色が走る。
「よく呑みこめないのですが、いったいどう言うお話でしょう? こんな初めてみる
身分証を見せられても、信じられませんね」
 坂本は、少し考えてから、
「突然言われても、確かにそうでしょうね。秋津さん、これからそこの、築地警察署に
ご同行願えませんか? それなら秋津さんも安心できるでしょう。どうですか?」
 警察署は、秋津のマンションから歩いていける距離だ。
 この男たちを家まで連れて帰るには抵抗があり過ぎた。
 やむを得ず、従うことにした。

 築地警察署の個室で坂本から聞かされた話に、秋津は驚きを隠せなかった。
 秋津が開発した、カーボン・ナノ・チューブを使う動力が軍事転用され、実際、
尖閣諸島の事件で大きな成果を上げたという話なのだ。しかも数カ国のスパイが、
秋津を狙って動いているという。
 秋津にも心当たりがあった。
 最近『誰かにつけられている』、確信は無いものの、そんな気がしてならなかった
からだ。
(真史が誘拐されかけた。それもそうなのか?)
 そう思いはしたものの、男たちに話すことはなかった。
 実際秋津は、中国の工作員の接触対象になっていて、秘かにつけられていた。
 しかし、わざとそれと判るように尾行していたのは、坂本の部下に他ならない。

 その夜、解放された秋津は妻の佳恵に対し、『新興のベンチャー企業に引き抜かれて
の転職』と言う話を打ち明けることになる。
 そして新しいプロジェクトに参加する、と言う説明をし、翌日から長期の出張に出る
ことになる。
「君に相談しなかったことは謝る。極秘の研究で詳しい話が出来なかったんだ。
好きな研究も自由にさせてもらえるし、高給取りにもなれるんだ。
毎日連絡はとれるので、頼む、真史をよろしくな」
 秋津は、そう言って妻を説得した。
 翌日、佳恵は出かける夫を見送ったあと、『当面の生活資金』と言って渡された、
風呂敷包みを開けてみた。中には移籍金と書かれたメモと、分厚い札束が残されていた。



 翌日。
 港区・赤坂、『アメリカ大使館』会議室。

 窓越しに見えるプラタナスの木々は葉を落とし始め、広い庭には大きな枯葉が
舞っていた。
冷え切った外の環境に比べ、窓の内側にある会議室は汗ばむくらいに暖房が効いている。
会議室にはCIAと国防省の諜報機関DIAの日本スタッフが集まっている。
「おい、暑過ぎるだろう。誰か暖房を切ってくれ」
 大柄で肥満しきったDIAの部長の額には汗が浮かんでいる。
「え~、なんですか、丁度いいのに……」
 CIAの痩せたスタッフが、文句を言いながらも空調を切る。

 これまで、対日工作はCIAが表に出ていたが、尖閣列島問題を受けて、DIAの
対日組織が大幅に拡大・強化されていた。
 ミーティングルームに集まった参加者は、皆、口を閉ざし、一様に不快そうな
顔をしている。CIAとDIA、それなりに棲み分けはしているものの、
日本の官僚組織と同様、不仲と言ってよい競争相手でもあった。
 尖閣の事件を受け、先週着任したDIA日本支部の部長、ジェフリー・ジェンキンスが口火を切る。
「確かにこれまでと違い、日本の動きはおかしい。従来にない情報統制が行われて
いるようだ。しかも強固のな。なにかあるのは確実だ。先日の尖閣の事件には、
絶対に裏があるぞ。あんなことが起きるわけがない。ここに中国船員から聴取した
レポートがある」
 ジェンキンスが事前に配布された、レポートの紙を取り上げる。

 日本政府は尖閣海域で中国船員を助ける際、米軍の強襲揚陸艦の応援を要請していた。
日本の軍用艦を集めても、海上で一万人を超える人員を救出するのは、
不可能だったからだ。
 その際DIAのスタッフが米艦に乗船し、中国人船員の事情聴取を行っていた。
「船員たちの説明は、皆、同じものだったことが確認されている。
尖閣近くに行ったらどの船舶も推進力がなくなり、停止したということだったらしい。
彼らにも何が起きたのは判らなかったようだ。これは、いったいどう言うことだ?」
 全員が黙り込み、その質問に答えられる人間はいなかった。

 CIAのスタッフが手を挙げる。
「我々CIAの調べでは、別の動きが確認されています。日本の先端科学の研究者や
企業の技術者、研究者が次々と行方不明になっています。これまで企業情報を
得ようとした対象者が、次々とコンタクト不能になっているのです」
 CIAは日常、産業スパイもどきの活動をしていた。
 同盟国に対する諜報活動は、政治家や政治に影響力をもつ人間の盗聴など、
多岐にわたっている。
 諜報の世界では、国際的道義・信義と言ったものなど、なんの意味もなさなかった。
「そのことは我々DIAも、掴んでいる。それに中国の工作員もやっきになって
追っているようだな。
 ロシアや韓国にも同じような動きがある」
各国ともやっていることに、なんら変りはなく『同じ穴の狢』と言えるものだった。

 突然会議室のドアが開き、若いスタッフが飛び込んできた。
「たった今、海中から中国漁船を引き上げた、海軍の工作船による報告が上がって
きました。ご覧ください。どうぞ、これです」
 そう言って、渡された資料を見たジェンキンスの唇が震えだす。
「なんだこれは! ふざけてるのか?」
 報告書には、『スクリューやスクリューシャフトに何らかの付着物があり、それで
推進力が失われたと思料する。それらには一様に擦れたような痕跡が残されている。
付着物は繊維の紐状のモノと思われる』と書かれてあった。
 報告書を渡されたスタッフ全員が、唖然としていた。
「紐のようなモノって、誰が、どうやって、千隻もの船に何かを着けたと言うんだ。
しかも海の中でだぞ。
 いったいなにを考えてるんだ、この報告を書いた連中は」
 しかし手渡された資料に添付された画像には、シャフトに巻き付いたと思われる
傷跡が鮮明に映されていた。
 全員が黙り込んでしまった。
「これじゃぁサンプルが足りん。引き続き海軍に要請して、確保した漁船の調査続行を
依頼してくれ」

 ジェンキンスが気を取り直して話し出す。
「とにかく、日本の動きはおかしい。第一、我が国の艦船まで利用して中国船員を救助しておきながら、
正義の味方を演じるなどとはアメリカをなめてるぞ。
 いずれにしても一度、お灸をすえてやらなくちゃならんな。おい、NSCに送り込んである協力者に、
コンタクトしてくれ」
「了解しました。早急に手配します」
 ジェンキンスの部下が、素早く反応した。

 ジェンキンスは憤懣やるかたない、そんな様子だ。
 これまで日本の諜報機関が、表立ってアメリカに対抗するような真似をする等は
ありえず、どうにも理解し難い状況が生じていた。
「この国のNSCで、どんなことが起きているのか、掴まなくてはならん。
そのための工作だからな」
 会議室の壁と机の下には、数匹の『蚊』が止まっていた。
 NSCに潜り込み情報を流していた、DIAの協力者はその日の内に拘束される
ことになる。
 驚いたことに拘束された人間は、外務官僚上がりの首相補佐官で、日本版NSC創立に寄与した男だった。
 しかもアメリカに協力したことに、なんら罪の意識さえ持っていなかった。
秘密保護法の意味さえ、理解していないように見える。
 平和ボケの極みとしか言いようのない、情けない話だと言えた。
 大量の情報漏えいの可能性があり、慎重に取り調べが続けられた。
 CIAのハニートラップにかかり、金で縛られた末の結末だった。
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KeyBow
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新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

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