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NSCの諜報組織『海神』
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翌日
防衛省市ヶ谷駐屯地に隣接する、NSCの諜報組織『海神』
防諜関係の施設はすべて下層階、地下部分に集中していた。明かりの指し込まない
部屋はLED照明により、自然光に近い環境が保たれている。終日部屋に閉じこもって
任務につくスタッフが多く、環境面での配慮は、欠かせないものだった。
大町二佐が四名のスタッフを前に指示を与えている。
「西浜、君はDIA日本支部の動きを洗い直してくれ。特に工作船が集めた
『カブト』の情報がどの程度のものかをな」
西浜は、手元の資料に目を落とし報告する。
「現状調査が特に進展した様子はありませんが、引き続き監視を続けます。
カブトの実物が手に入らない限り、彼らにコトの真相は理解出来ないと思われます」
西浜は技術系の出で、技術情報の分析能力に長けている。
海神は組織図上NSC所属とはいえ、従来の諜報組織とは一線を画した存在として
認められていた。
原則、他の諜報組織から情報を受けることがあっても、情報を流すことはしない、
そういう立ち位置を許されている。
公安調査庁や、それを母体とした内閣情報調査室、防衛省の情報局、その他様々な
情報機関からは隔絶した存在だった。
ある意味ではNSCからも、独立した存在だとも言えた。
日本の諜報組織は、どんな試みをしたところで、縦割りの弊害を脱しきれないで
いたからだ。
結果として情報の優劣の判断、分析など各々が勝手に行っている、そんな現状に
甘んじていた。
もっとも当事者には、その意識さえなかったのだが。
四名のスタッフは全員、防衛省の諜報員や情報分析官から大町が引き抜いた者たちだ。
その他に情報・技術スタッフが二十数名いるが、直接機密情報に関与できる人間は
この四名、少数精鋭で運営していた。
秘密事項に関与する人間は、極力少ないほうが良い、それが大町の考えだった。
階級的には二尉から三尉クラスで、みな国防意識に燃えた青年将校、そんな様子の
男たちだった。
大町は最初に全員の意識改革を目指した。まず階級意識を捨てさせ、出自から離れた
自由な発想を持つことを要求した。
「いいかお前たちは、所属していた組織のことは、一切忘れろ。
俺たちは俺たちの技術で、独自の情報戦を戦うんだ。監視衛星など利用できるものは
活用するが、その他のシガラミは考えるな」
大町は、軍隊にありがちな縦割りの意識、上下の意識が、組織の弊害となっている
ことを、熟知していたからだ。
大町はNSC諜報部の部長として、組織作りとその運営を担い、その基礎を築き
上げた人間だった。部下には常に緊張感を持たせ、その場面、局面で問いかけることを
忘れない。
「俺たちはこれまでに無く、質の高い情報を持っている。
判っていると思うが、この情報をいかに生かして日本を守り、
将来に結びつけていくかが俺たちの使命だ」
情報は単に集めるだけでは意味がない。
それを分析し、評価し、対応策を練り上げて、初めて情報の価値が生まれるのだ。
大町はキンチョーに次ぐ、次世代の諜報手段を手に入れていた。
「いいか、俺達はこれまで七名の内通者を拘束した。おそらくこれ以上、防衛機密を
流せるような大物は出てこないだろう。
俺達にキンチョーがある限り、敵方に内通者を作る必要はないが、キンチョー
がいつまで有効に機能するかは、保証がない。いずれ相手にキンチョーの存在は、
気付かれることは間違いないと思え。
で、俺たちはこれからどうするかだ」
スタッフの一人、松本二尉が手を挙げ質問する。松本はオールラウンダー、
大町に次ぐスタッフと言えた。
「これからは、敵方に内通者を作れということですか?」
大町は笑っていた。
「そんな必要はない。所詮人間のやることだ、逆スパイの例など腐るほどあるからな。
俺達はこれまで話して来たように、人間に頼る諜報活動はしない。それが原則だ。
今日、『雪虫』が試作段階を終え、実用レベルになったとの報告が上がってきた」
キンチョーの進化形として作られた雪虫は究極のナノ技術で、
人間の目に捉えることは難しいものだった。
もちろん、機械的に捉えることも困難なものだ。
コンマ2ミリのサイズで、その動きは、飛翔というより、浮遊に近いものだった。
「キンチョーをはるかに超えるものを手に入れた。
で、俺達はどうするべきだ?」
今度は別のスタッフ、大西三尉が応える。
「キンチョーの秘匿レベルを下げる。
相手方に気付かせる、ということだと思います」
大西は諜報畑専門で任務をこなし、日本には珍しい工作員としても優秀な成果を
上げてきた特異な存在だった。
大町が満足顔で頷く。
「正解だ。対抗する諜報組織がキンチョーに気付けば、警戒レベルをキンチョーに
合わせることで、油断が生じる。
なにしろ最新の技術だからな。
俺達はそれに乗じて、更に諜報活動のレベルを上げるのだ」
大西は嬉しそうな表情を浮かべ、
「大町部長、なんか狐と狸の化かし合いみたいですね。
俺たちはこれまで、狐にも狸にもなれなかったので、俄然、やる気が出てきました」
日本のこれまでの諜報活動は米国の下請け、そんなありさまだった。
その米国にさえ、いいように利用されていた。
これからは同盟国からも秘匿する秘密もあり、対等のポジションにも成りえたのだ。
大町は狐と狸の話を聞いて、ある案を思いつき、大西三尉に指示与える。
「大西、おまえに接触を試みてる、中国の女工作員がいたよな。
おまえ、ハニートラップに掛ってやれよ。
ちょっとカラかってこい、意味はわかるな?」
「了解です。これって役得ですかね。楽しんできます」
◆
一週間後。
北京、中央軍事委員会、会議室。
大きな会議室に集まった、軍事委員の顔色は冴えない。
まだ李軍事代表の顔も見えず、会議室はざわついている。
「おい、李上将の姿がないな。代表が時間に遅れるなんて珍しいぞ、なにか不都合でも
あったのか?」
「不都合ってなんだよ。また日本がらみか? そうそう不都合があってたまるか。
今回、何か失敗があったら李は終わりだぞ」
「確かにな。もう、あいつの顔を見るのは沢山だ。
あいつのために俺たち軍はロクな目にあってないじゃないか」
軍人たちの心は、既に李から離れていた。
「なにか特別な情報が上がってきたみたいだぞ。
多分それだ、李が遅れている理由は」
李上将を呼び捨てにする軍人たちの会話には遠慮が無かった。
中国の軍隊、人民解放軍は国軍とも言える存在だが、
正式には共産党所属の軍隊であり、党の意向を反映する軍隊でしかありえなかった。
過去の中国に軍閥が割拠していたごとく、地方の人民解放軍は独立意識が高く、
優秀な組織も多かった。
共産党自体もそうだったが、人民解放軍も所属する地方で利権を持ち、独自の動きを
するケースが多かったのだ。
その地方組織から指摘されたのが、日本のキンチョーによる情報漏えいの話だった。
その情報をもたらしたのは、上海や浙江省・福建省などを管轄する南京軍区・
人民解放軍の諜報部門・参謀第二部の馬辰だった。
馬は以前、彼の掴んだ情報が釣魚島事件で危機に陥った中国漁民を救う成果を上げ、
異例と言える出世の階段を登ることになる。
毛主席の信頼を勝ち取り、軍事委員の席をもうかがっていた。
彼が手に入れた情報は、日本が『キンチョー』という微細ドローンを使い、
中国の内部情報を広範に集めている、と言うモノだった。
その情報に沿って調べてみると、各地の重要拠点で次々と『キンチョー』が発見されることになる。
日本がこれまで、どれほどの情報を収拾していたのか……。
日本が中国の機密事項を事前に知った上で、軍事や外交に役立てていることは
明らかだと言うしかない。
それは中国にとって、取り返しの付かない深刻な事態と言えた。
秘匿すべき国家機密が、どの程度日本に洩れていたのか、それが判明しない限り、
今後の対応を決めることが出来ないからだ。
技術的に先んじていると信じていた、有人宇宙飛行や宇宙開発計画。
拡張戦略に基づく、空母による太平洋の軍事プレゼンスの展開や核兵器による防衛構想。
それら全ての詳細が、筒抜けになった可能性があるのだ。
日本の情報が手に入らない限り、対処のしようがない。
外交官、新華社特派員、留学生、クラブのホステス、ありとあらゆる人的資源を使い、
諜報活動を試みてきたが経済部門は別にしてその力が日本の中枢に及ぶことは無かった。
海神が創設されて以来、彼らの諜報活動が成果を上げるケースは、激減していた。
李上将は腕組みをして、考え込んでいた。
「おい、判っているな? 俺たちは日本にお礼をしなくては気が済まん。
これをチャンスと捉え、反撃の足掛かりにするんだ」
そう言って馬に命令する、李の言葉を受け、
(なにが『俺たち』だ。お前一人だ、そんなこと考えているは)
「了解です。然るべく!」
そう返答してみせる。
李が命じたことはキンチョーの排除ではなく、秘匿だった。
秘匿とは、キンチョーの存在を中国が知っていることを秘匿する、そう言うことだ。
会議室では、代表の李孔明が中心になって、今後の対日作戦が話し合われた。
「一月前の釣魚島では、大失態を犯すことになった。
中国人が日本軍と米軍に救われるなど、あってはならないことだ。
ここで名誉挽回しないと俺達は浮かばれないぞ。
誰か、次の有効な作戦を考える人間はいないのか」
李は内心で、
(失敗は『キンチョー』による、情報漏えいのせいだ。俺の計画は完ぺきだった。
本来なら成功していた筈なんだ)
そんな風に自分の心を偽り、冷静な分析など忘れていた。
『何故船が動かなくなったのか』ということに考えが至らないほど、
精神的に追い詰められていたのだ。
一人の委員が声を上げた。
「李同志、次は潜水艦を使って漁民を上陸させましょう。海中から上陸すれば、
事前に発見される恐れはありません。
原子力潜水艦を二隻ほど準備すれば、最低でも百人は運べます。
潜水艦ならあのようなことは、起きないでしょう」
李代表が苦々しい顔をする。
「日本の対潜能力を知らんのか。領海を出たところで補足されるのがオチだぞ」
「大丈夫です。明日からでも、ありったけの潜水艦を動員して日本海に展開させ、
日本の対潜水艦部隊を引き付ければ良いのです。
現在、新旧・大小合わせて、三十隻ほどの潜水艦を動かせます。
日本軍には、これら全ての艦船に対応する能力などありません」
李の顔は笑っている。
「そうか、確かにそうだな。思いきった提案だが、やるしかない。百人か……少ないな。それで上陸要員は確保してあるんだな?」
「はい、精鋭と言える要員を既に選別しております」
「よし、上陸決行は五日後だ」
会議は順調に進んで行った。
それは会議室の天井に張り付いている、キンチョーを意識した会話に他ならない。
すべては李が書いた台本通り、会議はそのように進み閉会する。
(よし、このまま台本通りに進めば、一矢報えるぞ。大逆転だ)
李孔明が分厚い眼鏡越しに天井の板に張り付いたキンチョーを見つめ、笑みを浮かべていた。
キンチョーの排除は、作戦終了後、と言うことになっている。
李はキンチョーの仕組みを理解していなかった。
天井のキンチョーを見つめ、傲岸な笑いを浮かべる李の顔が、『海神』のモニターに映し出されていた。
五日後と宣言したその翌日。
中国海軍の潜水艦基地がある全ての港が、慌ただしい動きを見せている。
日本に偽情報をつかませたと確信する、中国の潜水艦群が日本海に移動すべく
動き出していたのだ。
前回の失敗に懲りた中国海軍は、港湾の警戒を最高レベルに上げ、
艦隊の防御に腐心していた。千隻におよび漁船が動力を失くした原因について、
特定できる情報を持たない中国海軍は潜水艦ならなんとかなる、そんな希望的観測に
頼る愚作に手を染めてしまう。
情報戦で敗北し、その失地回復を焦る軍部は情報操作での勝利を確信すると言う、
新たな失策呼び込む事になる。
海南島にある亜竜湾海軍基地でも、慌ただしい動きが見られ、全ての潜水艦が準備を
整え、桟橋で待機している。
晋級・弾道ミサイル原子力潜水艦を先頭に、出港準備を整えた艦から次々とその姿を
海中に没していく。
二百人を超える上陸要員の乗船を終えた、四隻の商級・通常型潜水艦もその中にあった。
「艦長、いよいよですね。今回は何がなんでも成功させなければなりません。
動ける艦の全てが作戦に参加しているわけですから」
潜水艦の乗組員としては、異例なくらい大柄な副長が言う。
「ああ、その通りだ、副長。上の連中も必死だから従うしかない。だが、この人数はたまらんな、息が詰まるぞ」
小柄で精悍な風貌の艦長が、顔をしかめる。
50数名の上陸要員を乗せた艦内は、むせ返るような熱気が立ち込めていた。
桟橋の舫いを解き、意気揚々と出港していく潜水艦群。
動き出した潜水艦の底部には、既にコバンザメのごとく、カブトが貼り付いていた。
これまでに中国の軍港全てがカブトの監視の対象になっており、中国潜水艦群の
動きは丸見えだった。
海中に潜航し、速度を上げようとする普級・潜水艦。
突然、
「ギッ・ギ・ギー!」
海中で不快な金属音を発し、急激に速度を落とす。
「わあぁー! ぎゃあー!」
至る所で大きな悲鳴が上がる。
艦内では殆どの乗組員が倒れたり壁に激突し、大混乱に陥った。
「な、なんだ? なにが起きた? 起きろ、副長! 至急、損害があるか確認し、
報告しろ」
かろうじて海図のデスクにつかまり、転倒を免れた艦長が叫ぶ。
正規のクルー以外の人員を擁した艦内は、混乱の極みにあった。
各部署の状況を確認した副長は、異変の正体に気づいたようだ。
「艦長! これは例の日本による攻撃ではないでしょうか? 漁船に起きた現象と、
酷似していると思われます」
「なにぃ! これが日本による攻撃なのか……」
「何かに衝突したわけでもないのに、こんな現象なんて。そうとしか考えられません」
艦長は、唇を噛んで黙り込む。
「そうか……判った。しかたない。浮上だ、浮上しろ」
外洋に出るべく動き出した潜水艦群は、港の出口にさえ辿りつけなかった。
哀れにも鉄の塊として浮上し、各々の軍港の中に漂う潜水艦は救難艇を待つしか
手立てがなかった。
尖閣の時と同様カブトの攻撃を受け、スクリューを止められてしまったのだ。
カブトは旅順、青島、玉林等、中国各地の軍港に配備され、中国全域をカバーしていた。
このケースは戦後の日本が初めて行った、いわゆる専守防衛の範囲を超える、
敵地での作戦行動となった。
三 カブト計画
北京・中南海。
米国と中国の関係は日本同様、戦略的互恵関係にある。
むしろ経済で言えば日本よりはるかに良好な、パートナーシップを築いていたと言える。安全保障は同じ
価値観を共有する日本との同盟関係で、経済は世界最大のマーケット・
中国との友好関係で、と言うふうに器用に使い分けていた。
米国にとって全ての判断基準とは『国益に適うか否か』、それ以外にはあり得ず、
彼らの掲げる自由・民主主義等は、次善の選択肢に過ぎなかった。
米国の国務長官の訪中に随行して、北京を訪れていたDIAのジェンキンスは、
極秘裏に馬軍事委員と接触を図っていた。
世界における諜報戦の中で、最も対立する関係にあると言って良い間柄ではあったが、馬は事前の打診受け、
それを了とした。
狙いはズバリ、『カブト』に関する情報交換…互いの利害に合致するモノだった。
中南海の居住区。
「馬さん、中南海に住居を与えられるとは大した実力です。
まずはオメデトウと言わせてもらいます」
ジェンキンスはそう言って手を差し出す。馬はその手を握り返し、
強い目線で見つめながら、
「ははは、ジェンキンスさん、御冗談を。アメリカさんの居住環境からみたら、
ここなどは『ウサギ小屋』以下でしょう。
冗談はさて置き、今回はこのような機会を作って頂き感謝しています。お互いの
腹の内は明らかですから、前置き無しに話を進めさせて下さい」
ジェンキンスは笑顔を返しながら、
「実務に長けた方とは聞いていましたが、率直な仰りようにこちらこそ感謝の念に
堪えません。私どもに取り米中間の関係は日本の言う戦略的互恵関係などでは無く、
明確に互恵関係であると認識しています。それが我々のスタンスであると、
ご理解ください。では、お互い忌憚なく話させていただくと言うことで……
どうぞこの写真をご覧下さい」
そう言って複数の写真ファイルを手渡した。
「……」
馬の顔に、苦々しい表情が浮かぶ。
「そうです。昨年の事件、貴国にとっては、悪夢のような出来事と思いますが、
私どもの工作船が引き上げた中国漁船の資料です。
正確に言えば、引き上げたと言うより台風で沈まなかった漁船ですが」
馬の顔に苦笑いが浮かぶ。
「やはり、そうでしたか。船が沈んだ場所は大陸棚で浅い海なのに、どうして日米が、
船体の引き揚げをしないのかと、不思議でしたよ。当方も何が起きたのか原因不明で、
調査したかったのですが、さすがに事件の直後は手を出せませんでした」
「それは米・中とも事情は同じで、他国の二百カイリ内で、勝手な引き上げ作業など
許されないのでね。強襲揚陸艦に五隻ほど確保してあったのです。写真のスクリューに
巻き付いているモノは、炭素繊維と硬化剤のような、接着剤と思われるモノが
合体したものです。明らかに日本の技術、と言って良いと思われます」
馬の表情は硬いままだ。
ジェンキンスが続ける。
「そうですか……実態は不明ながら、この兵器は『カブト』と言うそうです。姿や形、
しかも兵器と言えるのかも判りませんが」
「カブトですか、初めて聞きました」
馬は思い迷った末、そんな表情で話し出す。
「今我が国と日本には、危機的と言って良い問題が生じています。
釣魚島の問題は置くとして、我々は日本海軍によると思われる先制攻撃を受けました。
ご存知でしょう、先月の事です」
「軍の監視衛星の情報から、中国の複数の海軍基地で問題が生じた事は報告を
受けています。昨年の中国漁船と似たような状況、と言う分析でした」
馬が平然と受け流して続ける。
「仰る通りです。人的被害は無く、稼働できる全ての潜水艦を一時無力化されました。
原因は頂いた写真と同じモノでした。
先制攻撃と言っても、軍の懲りない連中が釣魚島再上陸を企てた末に反撃を受けた、
と言うことなのですが。
問題は二点です。
一つはカブトの存在がある限り、海洋で軍事プレゼンスを発揮する事は出来ない。
今一つは、我が国の軍事情報が際限なく漏れている、その恐れです」
馬は手持ちの情報、『キンチョー』の存在を知らせることはあえてしなかった。
ジェンキンスが、身を乗り出して話し出す。
「仰る通りです。日本の諜報環境は激変しています。
これまでのような米国の関与が、全く効かなくなっています。
急激な軍事バランスの変化はお互いにとって好ましいものでは無い、
そうではありませんか?」
「アメリカとの協力ですか……おかしな感じです。なにか大戦前に戻ったような
気分になりますね。
とにかくカブトの問題を始め、今の日本を解明しなくてはなりません。
手持ちのカードは、お見せします、協力し合いましょう」
「そう言っていただけると、ここまで来たかいがあります」
「軍事情報を丸裸にされる、これほど屈辱的で危機的状況は考えられません。
昨年の事件先月の先制攻撃と言い、現状の我々には対処すべき方法がないのです」
馬はタメ息までついて、嘆いて見せた。
大きく頷くジェンキンスに、馬が続ける。
「しかも軍や共産党の上層部は屈辱的結果から目をそむけ、現実を認めようと
しないのです」
「危機意識と言うものは危機そのものを目の当たりにしない限り、なかなか
生まれるものでは無いのでしょう。お察しします」
「李軍事代表は現実を認めず、いまだに己の不幸を嘆いている、そんな有様です」
「お察しします」
「残念ながら、今の政権は軍の権威を求めざる得ません。今の政治体制そのものが
抱える問題と言えるのでしょう」
ジェンキンスは驚いた顔つきで、馬を見つめていた。
「これは第一級の機密情報なのですが、」
そう言ってから、ジェンキンスが声をひそめる。
「日本は密かに、潜水空母を開発しています。詳しい仕様は不明ですが、
これも開発中の無人戦闘爆撃機を二十数機搭載出来ると言う話で、日本の軍事
プレゼンスが飛躍的に高まることに、我々は懸念を覚えています。
この辺は利害も一致し協力し合えるテーマ、そう思えるのですが。
上層部の目を覚ますのにも役立つのでは?」
馬は驚愕の思いを隠さなかった。
「噂には聞いていましたが、正直言って驚きです。なんとしても、
それだけは阻止しないと我が国の存立に関わる事態になります。
日本に攻撃空母を持たせるなど、危険に過ぎます。
普段は善人面した平和主義者であっても、簡単に心変わり出来るのが日本人です」
「……拭いがたい不信感があるのですね。
中国の反応がそうであるなら極東に新たな不安定要素が生まれる、そう評価せざる
得ません。
とにかく、互いに出来る協力を考えましょう。
まずはカブトの実態を明らかにする、それからです」
◆
防衛省市ヶ谷駐屯地。
防衛省の諜報部門に在籍していた大町は、防衛省の中に研究会と称し、『IT勉強会』なるものを創設した。
有志を募り情報関係の先進技術を研究し・諜報技術のイノベーションを図ると唄い、活動を始めていた。
大町はNSC創設など形ばかりで中身を伴わない、現在の組織に辟易としていたのだ。
大町の目的は日本の諜報を根本から造り直す、そのことにあった。 加えて組織の
中から優秀な人材を見出し選別する、そのための勉強会の創設だった。
そうして獲得したスタッフが、松本・神田・西浜・大西の四名だった。松本、神田はオールラウンダーで、
西浜、大西は技術系出身で、スペシャリストだ。
大町の諜報組織再編の展望が開けたのは、諜報ドローン・キンチョーの開発に、
手を染めてからだった。
それまでの構想は組織防衛と言う内向きのものであったが、キンチョーが手に入れば、これまでにない
能動的な活動が可能になり、大町にすれば望外のチャンスと言えた。
キンチョーの原型は玩具であり、蝶の生態を模して造られた高度で微細なドローン
技術だった。
「今度晴海で『東京おもちゃショー』が開かれます。玩具と言っても馬鹿にできませんよ。一緒に行きませんか?」
ある時大町は西浜の誘いに乗り、幕張で開かれていた玩具ショーに来ていた。
玩具など全く興味を持てない大町は、しつっこく誘う西浜三尉の言い様に、根負けして
やって来たと言う形だった。
行ってみるとそこは大町にも十分楽しめる空間で、展示品には目を引くものが多かった。
先行していろいろなブースを見ながら進む西浜。
追いて歩く大町も意外な展示品に、興味を持っているようだ。
「部長! 部長ぉ、あれを見てください」
西浜三尉の声に、大町が振り返る。
玩具メーカーの看板が下げられたブースの空間に、ひらひら舞う蝶を見上げ、大町は息を呑んだ。
急いでブースに近寄り、操縦者と思しきに人間に話しかける。
「す、すみません、それってドローンと言うか、機械ですよね?」
大町が目を見張り、興味深くそれを見つめながら尋ねた。
「ええ、昆虫タイプの飛翔マシンです。面白いでしょう?」
空中をヒラヒラ舞う蝶の姿は、とても機械を使って飛んでいるものとは思えなかった。
「面白いでしょう? ……って、これ、とんでもない技術じゃないですか?
こんなもの見たことありませんよ」
正直に感想を述べる大町。
晴海で開かれた『おもちゃフェスタ』でデモンストレーションされ、それに目を付けた大町と開発者の出会いのシーンだった。
大町は少し興奮しながら、
「これって、まるで本物のように見えますね。
もの凄い発明、そう思えるんですが、どうしてオモチャなんですか? あ、失礼。」
大町に話しかけられた、開発者が顔を赤らめ応じる。
「ははは、お褒め頂いて恐縮です。
でも、コストが掛かり過ぎるのが難点でして、オモチャとして日の目を見ることは
無いでしょうね。
会社からはこれで最後にしろって、言われているんですよ」
担当者が苦笑いしながらそう語った。
「え~、そうなんですか? もったいない話ですね。
いったい、どれほどするんですか、この蝶々って」
「億以上の金がかかってます。量産しても何十万かしますしね。
オモチャとしては、不都合な商品ですよ。作るのに夢中になって、売ることは考えて
いませんでした。ははは……」
大町は名刺を取り出し、手渡す。
「この製品に興味があります。研究を続けたい、その意思がおありでしたら、
連絡をお願いします」
西浜は、あまりの急激な展開に、両者を見ながら唖然としている。
名刺を受取った男は名刺の肩書を一瞥すると、マジマジと大町の顔を見つめた。
「そうです、ぜひご協力頂きたいのです。
出来れば、今すぐこのマシンを故障させて頂きたいのですが」
大町の顔は真剣だった。
男は大町の言う意味を理解し、黙って大きくうなずいた。
ヒラヒラ空中を待っていた蝶は突然動きを止め西浜の肩に当たり、足元に落下した。
「アッ!」
はずみと言う感じで、西浜がそれを踏み潰してしまう。
大町はこの研究者が、必ず連絡を寄越すと確信していた。
研究費を使い過ぎ売れない玩具をつくり、不遇をかこっていた技術者を引き抜く
ことが出来た。
オタクと言ってもよい技術者がそれを微細ドローン、『蚊』型まで進化させたのだ。
深化した情報収集のスタートは、『キンチョー』の実用化がもたらした成果だった。
従来にない情報収集を可能とする、強力な手段を手に入れた大町は、日本の防衛が諜報技術と、専守防衛の
兵器開発で担っていけると確信し、その開発に傾注することになる。
その後カーボン・ナノ・チューブ等の実用化を待って、『雪虫』がその後継として開発されることになる。
ナノテク、それは、日本の微細技術の勝利と言ってよいもので、最初から軍事目的で制作された。
大町は開発者の意欲を削ぐことなく、テーマを特定しない自由な研究にも寛容だった。
そうした自由な発想が、新しい意外なものを生み出すことを熟知していたからだ。
◆
与党幹事長室。
カブト開発に向けたアイディアの元は大町だが、それを実現可能な設計図までに
高めたのは、四人のスタッフの力に依っていた。
諜報での『キンチョー』、防衛での『カブト』が大町たちの切り札であり、
外に打って出る諜報活動を可能とするものだった。
石葉が与党の幹事長時代大町が持ち込んだ話から、秘密のミッションがスタートする。
政権党の幹事長である石葉は大町が唯一認める諜報に精通した政治家で、信頼出来る
数少ない存在であった。
「石葉さん、今、自分達が考えている面白い技術があります。
相談に乗ってもらえませんか?」
石葉と大町の付き合いは、大町が国防大学で学んでいた頃からのもので、石葉が大物
政治家になった今でもコンタクトがとれた。
与党の幹事長室に、私服姿の大町がいた。
「珍しいな、大町くんの相談なんて。なんだ? いったい」
「今、防衛省諜報部門の我々一部のグループが、新たな兵器開発を企画しています。
それも、秘密裏にですが」
「ふ~ん、いったいそれは、どういうものなのだ?」
石葉が身を乗り出して、興味を示す。
大町は設計図を広げて見せ、そのスペックを説明した。
ムービーで完成品の動きを見せられた石葉は、そのまま固まってしまう。息を詰め、
目だけが映像を追っていた。
「これは、海洋国家としての日本が専守防衛の理想を実現できる、究極とも言える
武器の開発になります。
秘密保持もそうですが、それには莫大な開発予算が必要となって来ます」
「予算の問題は俺が解決するとして、もっと具体的に説明してくれないか。俺が納得
出来る話なら、乗るぞ」
石葉が乗り気になっているのは、明らかだった。
そうして始まったのが、『カブト開発プロジェクト』だった。
それは従来にない発想のモノで、武器とは言い難い代物だった。
敵を傷つけることなく、無力化することだけを目的にした武器、これまでそんな
兵器はありえない。発想の基本は敵の機動力、つまり動力無力化ということにあった。
カブト開発が佳境に迫ったある時、西浜が、
「部長、カブトの技術と交換に、海軍のあれを貰いましょうよ。
あれならカブトの母艦に使えますよ。通信の技術的問題で泣く泣く有人仕様に
変更しているとの噂がありますから」
西浜三尉の提案だった。
あれとは西浜が大町に引き抜かれる前に関わっていた、海軍の無人潜水艦のことだ。
「そうか、その手があるな。確かに無人運用は暗礁に乗り上げ、有人仕様に
変更しようとしている。あれを海軍が計画している攻撃兵器の代わりに、カブトを
運ぶ、小型母船用のキャリアーにすれば良いのか。……うん、これはいけるな」
「無論海軍に渡すのは、通信仕様のカブトだけですよね」
「ははは、その通りだ。西浜、なかなか解かっているじゃないか」
防衛省海軍ではカブト開発計画の数年前から、極秘に無人潜水艦の運用を計画して
いた。秘密保護法を隠れ蓑に、敵地攻撃が可能となる戦力保持を画策していたのだ。
それは潜水空母と無人戦闘爆撃機をセットにした、壮大な開発計画だった。
全長250m全幅120m、亀の甲羅を思わせる、ズングリとした形状の、
巨大潜水艦だ。無人戦闘爆撃機を20数機搭載し、空母としての機能も備えている。
言わば太平洋の軍事バランスを、根底から覆す能力を秘めていた。
しかし潜水艦の無人運用には、越えられない技術的問題があった。
海中では、長距離の安定した無線通信が困難で、レーザー等の光通信や音響通信が
開発されたものの、大容量の情報通信が可能となるレベルには至らなかった。
カブトは既にそれ自身が通信媒体になることで、その問題をクリアーしていた。
「空母の保有は、日本海軍の悲願ですからね。それを可能とするためには、
どんな話にも乗ってきますよ。あの計画に参加していましたから、よく判ります。
部長、お願いします」
「そうだな。どこから手を付けるか、それが問題だ。
海軍にすれば秘中の秘をバーターしようと言う話だから、簡単にはいかんぞ」
大町の話し方は慎重だ。
「そうですね。でもそれは上の人が考える問題ですから、お任せします。
なにがなんでも、交渉を成功させてください」
「ははは、そうだな、判った。なんとかしよう」
(正面からいっても相手にされないだろう。やはり政治家だな)
そうして大町たちの開発グループは、カブトの運用を可能とする大型母船を手に
入れることが出来た。
海洋で無人運用される兵器など、世界のどこにも存在しない。
海洋国家の日本にして、初めて生まれた発想と言って良かった。
防衛省は既に、アメリカの無人機に学び、無人で運用するロボット型兵士や、
無人戦闘機はおろか、無人航行する潜水艦の開発、建造に着手していた。
日本の軍隊は、既存の兵器をすべて無人化する、究極の目標はそこにあったが、
最低でも十分の一以下の省力化を可能とすることが目標だった。
兵器の無人化はその性能を、飛躍的に上げることが可能になる。
潜水深度・運動性・航空機の高速機動・重量物の装備など全ての面で、能力アップを
図ることができるからだ。
大町がカブト計画進捗状況の、詳細を石葉に説明していた。
石葉が呆れ顔で話す。
「なにか軍事オタクを自称する私にも信じられん話ですな。戦車だ戦闘機だって話が、
バカバカしく思えてきます。まるで漫画みたいな話だが日本の民生技術には脱帽です」
大町が頷く。
「そうです、軍事ばかり考える人間には、絶対思い浮かばない発想です。まず最初に
浮かぶのが火力、つまり打撃力ですからね。アンドロイド型ロボットとか、潜水母艦
とか今やっているその辺が限界でしょう」
大町が打ち明け話をする。
「カブト製造過程で民生技術の組み合わせは、いわゆるゲーマーが考えたんですよ。
なんでもありのシュミレーションゲームで、これを使えば何かが出来る、そんな
ところがスタートだったんです。
最初は実を言うと、息子から聞いたゲームの話がヒントでした」
石葉は興味深そうに、聞いている。
「我々のような官にはない、自由な発想が必要なんです。本当の意味で民間活力を
生かすべき、そう思います」
時流に乗り首相に登りつめた石葉は、カブトの完成を待って、大町を巻き込み
NSCの下に新たに諜報組織を創ることになる。
石葉自身が内閣調査室とか公安と言った、古びた組織に愛想を尽かしていたからだ。
組織の名は『海神』、石葉の趣味で勝手につけたものだった。
組織内の情報通信は独自の閉鎖系通信網を使うことで、盗聴などを許すことはない。
『海神』、格好良く言えばポセイドン。
どういうわけか、石葉はそれをポシドンと発音していた。
「なぁ、大町くん、ポシドン艦隊ってどうだ?」
おまけに戦闘艦も存在せず、艦隊編成でもないカブト運用部隊を勝手に、
ポシドン艦隊と命名する始末だった。
「なんですか総理、ポシドン艦隊って。そもそも艦隊なんかじゃないでしょうに」
大町は石葉のオタクぶりに、あきれていた。
軍事オタクのなせる業なのだろうが、関係者全員の反対にあってしまう。
なぜか最終的には『亀甲艦隊』と言う名に落ち着く。
どこかで聞いたような、昔、敵国のどこかにあったような、
まるで意味が判らないものだった。
カブトに関連したすべての運用が、この新組織『海神』にゆだねられることになる。
あたらしい組織は、防衛省の市ヶ谷駐屯地に隣接する場所に創られた。
駐屯地に隣接すると言っても、防衛省の傘下にあるわけではない。防衛省にとっては
むしろ、目の上のタンコブのような存在になりかけていた。
「総理、これだけはご了承下さい。『海神』は防衛省と連携はしません。それは内閣で
確認して欲しいのです。
防衛省との連携はアメリカとの連携と同義ですからね。
上下関係を言えば軋轢が生まれるでしょうから、あくまでも別組織、そのように
徹底してもらいたいのです」
「そうだな、本来なら上に置きたいところだが、組織上当面は難しいだろう。
いたずらに官僚の抵抗を招くことになる」
石葉にもその意味は理解できるので、大町の要望を受け入れた新組織となった。
海からの攻撃は、戦争以前の紛争レベルでの対処が必要だった。
人的被害を出さず、紛争レベルでことを収める、それがカブトの目的だった。
「大町くん、ほんとに面白すぎるな。相手を殺さない兵器に、
絶大な力があるなんてのは」
「総理、まさに専守防衛の極み、と言える兵器だと思います。
日本が海洋国家だったということが、幸いしたのです」
「確かにな、陸続きの国家じゃこうはいかんだろう」
「仰るとおりです、海洋国家だからこそ、他国にはあり得ない発想が生まれた、
そう言うことなのだと思います。油断はできませんが、当面これに対抗するものは、
できないでしょう」
カブトのキャリアーになる母船は当初攻撃兵器として、防衛省が極秘に開発中の
ものを、転用させてもらったものだ。
空母の保有は日本海軍の悲願とも言える課題だった。
「空母が実現したら、日本の抑止力は飛躍的に向上しますね。
しかも捕捉不能で攻撃仕様の潜水空母ですよ。軍事バランスとかそんな評価は、
全く意味を為さなくなるでしょう。
秘密が保持できれば良いですが、明るみになったら政権そのものも危ういものになる
恐れも考える必要がありますが」
西浜の話に大町が応じる。
「東アジアの国々がどう受け止めるかは、微妙な所だ。それよりも一番の心配は、
米国の横やりが入ることだ。海軍がどこまで秘密を保持できるかが勝負になる。
国内問題もあるしな」
西浜の顔が引き締まる。
「そうです、問題はアメリカですね。母船のスペックが明らかにされれば、いずれ
カブトの存在にも辿り着く可能性がありますから」
海軍の攻撃空母の計画は、極秘裏に続けられている。
他国を攻撃できる兵器の開発計画が国民に知られることなく、秘密保護法の庇護の下、
進められつつあった。
母船でさえ無人で操縦されており、すべてが『海神』、大町たちによって管理、
運用されていた。
「ワッ! 海底にぶつかっちゃたよ。もうゲームオーバーじゃん。
ゲーマー失格だな、俺って」
オペレーターのリーダー格、冨田こと、トミーが嘆く。
「バカヤロー! もっと真面目にやれ、母船一機に幾ら掛っているか知っているはずだ。
戦場に次なんてのは、無いんだぞ」
西浜三尉が叱咤する。
「そんなこと言っても、海中での操縦って想像以上に難しいんですよ。次は必ず成功
させますって。要領は判りましたんで」
ゲーセンにある、シュミレーターを使うのと同じような訓練の一場面だ。
『亀甲艦隊』の母船は、四機で運用されていた。
当初攻撃用潜水空母の発想で、無人攻撃機を搭載する予定であったスペースが改造され、
多数の子亀を搭載する仕様に変更された。
「大町君、これで日本の海は万全だな。『亀甲艦隊』か、こんなローコストで日本の
海が守れるなんて、思いもしなかった。しかも無人で運用できるなど、今までなら
考えられなかったものだ」
石葉はこれまでの成果に満足していた。
「失礼ですが総理、それは能天気と言うものです。技術革新は日本だけのモノでは
ありません。必ず、対抗するのものが生まれるのが兵器の宿命です。まぁ兵器とは
言い難いものですから、当分は対抗するもは出てこない、そうは思いますが」
大町は常に将来に備える、それが習い性になっていた。
現状考えられる中国との有事で最悪の事態とは、中国による核兵器の使用にあった。
日本はあくまでも核を持たない国家として、世界にアピールし続けていた。
「大町君、中国の核と言うのは、実際日本に向けたものがどのくらいあるのだ?
確認できているのもはあるのか?」
「確認できているもので、日本に向けプログラムされているものは七基あります。
三基を除き全て米軍基地を目標としたものです。しかし、戦争状態になったとしても、
核が使われることはない、そのように判断しています」
「どう言うことだ、それは」
「核兵器とは『使わない事に価値がある』兵器で、使ってしまっては意味がないからです。
言わば使えない兵器、それが核なのです。まぁ、最悪のケースを考えないわけには
いきませんが……」
歴史上日本以外で核が兵器として、使われたことはない。
太平洋戦争で生じた広島・長崎の尊い犠牲と凄まじい惨状が、それを使おうとする
手を押しとどめていたからだ。
だからと言って、敵の能力を看過するわけにはいかない。
NSCでは、陸上発射型の核ミサイルへの対策は済んでいた。
「現在中国では、潜水艦発射型のミサイル実験が予定されています。 我々はこの核に
関しては脅威として認識しています。普通の国ならありえませんが、中国における核の
管理体制には不安があります。 とくに原潜の核の管理には事故がありえる、
そう思えるのです」
今回、問題になったのは、潜水艦による核ミサイルの脅威だった。
中国には三隻の、弾道ミサイルを搭載する原子力潜水艦があった。
『雪虫』が掴んだ情報は、中国北方艦隊による、長距離ミサイルの海中発射実験だった。
NSCの作戦は、原潜のカブトによる無力化ではなく、発射実験そのものの失敗を
図るものだった。
◆
中国。黄海、大連港沖。
空は快晴。中国晴れと言っても良い、雲一つない天気だった。
MC-1,『海亀1』が大連港南方十キロメートル・渤海湾内三百Mの海底に
鎮座していた。
二百Mを超える漆黒の巨大な海亀が、光が届かない海底の暗闇に溶け込んでいる。
海亀は錆びる恐れがないため、必要に応じ海水が注入され、浮力が原則『ゼロ』
に保たれていた。必要な時は、空気を生成して浮上する仕様だ。
背部にある亀甲模様の一部が、音もなくスライドして開いていく。子亀の放出口が
開かれたのだ。
『子亀1』が姿が現れ、それは、ゆっくりと浮き上がった。
『子亀』の形状は『海亀』と同一で子亀が親ガメから離れる、まさにそんな姿だった。
放出された子亀は、音もなく浅海へと移動していく。
『小亀1』は旅順港の開口部に忍びより、偵察仕様の『カブト』を三機放出した。
◆
同時刻。
市ヶ谷『海神』。
『ゲーセン』と部所名がついたオペレーション・ルーム。
二人の男が操縦スーツに身を包み、『海亀2』と『小亀1』を操縦していた。
ゲーセンはすべての無人機を操縦する、オペレーション・ルームになっている。
『小亀1』を操縦する男のゴーグルには、晴れ渡った旅順港の様子が映されていた。
「へぇ~、東京は台風で嵐だってのに、旅順は晴れか。小平島の海軍基地ってどこだ?」
ゴーグルの男が、別のカブトのカメラに切り替える。
「お、いた。あいつだな、普級原子力潜水艦。グーグルアースで丸見えってのが
お粗末だよな。その通りの場所にいやがったぜ」
「おい、トミー。無駄口叩いてないで、仕事しろ、仕事を」
座っていたオペレーターの横に立つ、西浜三尉が文句を言う。
部屋の壁に下げられたモニターにも、基地の様子は映っていた。
「お、ミサイルの積み込みが始まったぞ。
さあて、どうやって遊ぼうかな」
男の言葉に緊張感は、かけらも無かった。
男の後で、大町も苦い顔をしている。
「おいトミー、おまえの腕の見せ所だぞ。
わかっているな、注文通り結果を見せてくれよ」
「へ~い、お代官様、仰せの通りにいたしやす」
トミーこと富井は、大町が一番最初にリクルートした天才ゲーマーだ。ネットでは
有名人だったので、探すのは簡単だった。
今回の作戦は、原潜の無力化ではなく、発射実験そのものの失敗を狙うものだった。
「お役人は注文出すばかりで、アイディアの欠片も出さないって、お気楽だよな」
ゴーグルを調整し直したトミーは、聞こえるか、聞こえないかのように呟いてみせた。
「おーし、原潜が動き出した。ここでカブト放出だな。うまいこと取り付けなくちゃな」
男がプログラムした通り、放出されたカブトは原潜のミサイル発射口に取りついた。
外洋に出た原潜は深度三十Mで停止する。発射口が開き始めると大量の泡が吹き出し、
海中に気泡の柱を立てる。
発射口が開きった瞬間、中にカブトが入り込み、ミサイルに張り付く作戦だ。
「お、発射口が開いた。1・2・3……、そこだ! ようし、よし、うまくカブトが
飛び込んだぞ」
全ての様子を、艦橋に張り付いたカブトが映し出している。
轟音が海中に響き渡り、発射口の周囲が白濁し視界が途切れる。
「おー、発射した」
ミサイルが海面に姿をあらわし、ゆっくりと上昇していく。
垂直に上昇し弾道軌道に向かって、噴射煙がその軌跡を大空に記していく。
その白い軌跡が、大きく揺らいでいた。
「ははは、なんかよれてるな、あのミサイル」
三機のカブトをミサイルに炭素繊維で取りつかせ、ミサイルの弾道を狂わせる
と言うのが、男のアイディアだ。
人身事故は起こさず、発射はさせる。
しかしミサイルは、着弾予定地点には届かない。
痕跡は一切、残さない、その通りの結果になった。
大町の顔には、安堵の色がみられた。
「よし成功だ、ごくろうだったな」
「お疲れっす」
ゴーグルと装備を外した男は、茶髪にピアス、二十歳にも届かない若者だった。
防衛省市ヶ谷駐屯地に隣接する、NSCの諜報組織『海神』
防諜関係の施設はすべて下層階、地下部分に集中していた。明かりの指し込まない
部屋はLED照明により、自然光に近い環境が保たれている。終日部屋に閉じこもって
任務につくスタッフが多く、環境面での配慮は、欠かせないものだった。
大町二佐が四名のスタッフを前に指示を与えている。
「西浜、君はDIA日本支部の動きを洗い直してくれ。特に工作船が集めた
『カブト』の情報がどの程度のものかをな」
西浜は、手元の資料に目を落とし報告する。
「現状調査が特に進展した様子はありませんが、引き続き監視を続けます。
カブトの実物が手に入らない限り、彼らにコトの真相は理解出来ないと思われます」
西浜は技術系の出で、技術情報の分析能力に長けている。
海神は組織図上NSC所属とはいえ、従来の諜報組織とは一線を画した存在として
認められていた。
原則、他の諜報組織から情報を受けることがあっても、情報を流すことはしない、
そういう立ち位置を許されている。
公安調査庁や、それを母体とした内閣情報調査室、防衛省の情報局、その他様々な
情報機関からは隔絶した存在だった。
ある意味ではNSCからも、独立した存在だとも言えた。
日本の諜報組織は、どんな試みをしたところで、縦割りの弊害を脱しきれないで
いたからだ。
結果として情報の優劣の判断、分析など各々が勝手に行っている、そんな現状に
甘んじていた。
もっとも当事者には、その意識さえなかったのだが。
四名のスタッフは全員、防衛省の諜報員や情報分析官から大町が引き抜いた者たちだ。
その他に情報・技術スタッフが二十数名いるが、直接機密情報に関与できる人間は
この四名、少数精鋭で運営していた。
秘密事項に関与する人間は、極力少ないほうが良い、それが大町の考えだった。
階級的には二尉から三尉クラスで、みな国防意識に燃えた青年将校、そんな様子の
男たちだった。
大町は最初に全員の意識改革を目指した。まず階級意識を捨てさせ、出自から離れた
自由な発想を持つことを要求した。
「いいかお前たちは、所属していた組織のことは、一切忘れろ。
俺たちは俺たちの技術で、独自の情報戦を戦うんだ。監視衛星など利用できるものは
活用するが、その他のシガラミは考えるな」
大町は、軍隊にありがちな縦割りの意識、上下の意識が、組織の弊害となっている
ことを、熟知していたからだ。
大町はNSC諜報部の部長として、組織作りとその運営を担い、その基礎を築き
上げた人間だった。部下には常に緊張感を持たせ、その場面、局面で問いかけることを
忘れない。
「俺たちはこれまでに無く、質の高い情報を持っている。
判っていると思うが、この情報をいかに生かして日本を守り、
将来に結びつけていくかが俺たちの使命だ」
情報は単に集めるだけでは意味がない。
それを分析し、評価し、対応策を練り上げて、初めて情報の価値が生まれるのだ。
大町はキンチョーに次ぐ、次世代の諜報手段を手に入れていた。
「いいか、俺達はこれまで七名の内通者を拘束した。おそらくこれ以上、防衛機密を
流せるような大物は出てこないだろう。
俺達にキンチョーがある限り、敵方に内通者を作る必要はないが、キンチョー
がいつまで有効に機能するかは、保証がない。いずれ相手にキンチョーの存在は、
気付かれることは間違いないと思え。
で、俺たちはこれからどうするかだ」
スタッフの一人、松本二尉が手を挙げ質問する。松本はオールラウンダー、
大町に次ぐスタッフと言えた。
「これからは、敵方に内通者を作れということですか?」
大町は笑っていた。
「そんな必要はない。所詮人間のやることだ、逆スパイの例など腐るほどあるからな。
俺達はこれまで話して来たように、人間に頼る諜報活動はしない。それが原則だ。
今日、『雪虫』が試作段階を終え、実用レベルになったとの報告が上がってきた」
キンチョーの進化形として作られた雪虫は究極のナノ技術で、
人間の目に捉えることは難しいものだった。
もちろん、機械的に捉えることも困難なものだ。
コンマ2ミリのサイズで、その動きは、飛翔というより、浮遊に近いものだった。
「キンチョーをはるかに超えるものを手に入れた。
で、俺達はどうするべきだ?」
今度は別のスタッフ、大西三尉が応える。
「キンチョーの秘匿レベルを下げる。
相手方に気付かせる、ということだと思います」
大西は諜報畑専門で任務をこなし、日本には珍しい工作員としても優秀な成果を
上げてきた特異な存在だった。
大町が満足顔で頷く。
「正解だ。対抗する諜報組織がキンチョーに気付けば、警戒レベルをキンチョーに
合わせることで、油断が生じる。
なにしろ最新の技術だからな。
俺達はそれに乗じて、更に諜報活動のレベルを上げるのだ」
大西は嬉しそうな表情を浮かべ、
「大町部長、なんか狐と狸の化かし合いみたいですね。
俺たちはこれまで、狐にも狸にもなれなかったので、俄然、やる気が出てきました」
日本のこれまでの諜報活動は米国の下請け、そんなありさまだった。
その米国にさえ、いいように利用されていた。
これからは同盟国からも秘匿する秘密もあり、対等のポジションにも成りえたのだ。
大町は狐と狸の話を聞いて、ある案を思いつき、大西三尉に指示与える。
「大西、おまえに接触を試みてる、中国の女工作員がいたよな。
おまえ、ハニートラップに掛ってやれよ。
ちょっとカラかってこい、意味はわかるな?」
「了解です。これって役得ですかね。楽しんできます」
◆
一週間後。
北京、中央軍事委員会、会議室。
大きな会議室に集まった、軍事委員の顔色は冴えない。
まだ李軍事代表の顔も見えず、会議室はざわついている。
「おい、李上将の姿がないな。代表が時間に遅れるなんて珍しいぞ、なにか不都合でも
あったのか?」
「不都合ってなんだよ。また日本がらみか? そうそう不都合があってたまるか。
今回、何か失敗があったら李は終わりだぞ」
「確かにな。もう、あいつの顔を見るのは沢山だ。
あいつのために俺たち軍はロクな目にあってないじゃないか」
軍人たちの心は、既に李から離れていた。
「なにか特別な情報が上がってきたみたいだぞ。
多分それだ、李が遅れている理由は」
李上将を呼び捨てにする軍人たちの会話には遠慮が無かった。
中国の軍隊、人民解放軍は国軍とも言える存在だが、
正式には共産党所属の軍隊であり、党の意向を反映する軍隊でしかありえなかった。
過去の中国に軍閥が割拠していたごとく、地方の人民解放軍は独立意識が高く、
優秀な組織も多かった。
共産党自体もそうだったが、人民解放軍も所属する地方で利権を持ち、独自の動きを
するケースが多かったのだ。
その地方組織から指摘されたのが、日本のキンチョーによる情報漏えいの話だった。
その情報をもたらしたのは、上海や浙江省・福建省などを管轄する南京軍区・
人民解放軍の諜報部門・参謀第二部の馬辰だった。
馬は以前、彼の掴んだ情報が釣魚島事件で危機に陥った中国漁民を救う成果を上げ、
異例と言える出世の階段を登ることになる。
毛主席の信頼を勝ち取り、軍事委員の席をもうかがっていた。
彼が手に入れた情報は、日本が『キンチョー』という微細ドローンを使い、
中国の内部情報を広範に集めている、と言うモノだった。
その情報に沿って調べてみると、各地の重要拠点で次々と『キンチョー』が発見されることになる。
日本がこれまで、どれほどの情報を収拾していたのか……。
日本が中国の機密事項を事前に知った上で、軍事や外交に役立てていることは
明らかだと言うしかない。
それは中国にとって、取り返しの付かない深刻な事態と言えた。
秘匿すべき国家機密が、どの程度日本に洩れていたのか、それが判明しない限り、
今後の対応を決めることが出来ないからだ。
技術的に先んじていると信じていた、有人宇宙飛行や宇宙開発計画。
拡張戦略に基づく、空母による太平洋の軍事プレゼンスの展開や核兵器による防衛構想。
それら全ての詳細が、筒抜けになった可能性があるのだ。
日本の情報が手に入らない限り、対処のしようがない。
外交官、新華社特派員、留学生、クラブのホステス、ありとあらゆる人的資源を使い、
諜報活動を試みてきたが経済部門は別にしてその力が日本の中枢に及ぶことは無かった。
海神が創設されて以来、彼らの諜報活動が成果を上げるケースは、激減していた。
李上将は腕組みをして、考え込んでいた。
「おい、判っているな? 俺たちは日本にお礼をしなくては気が済まん。
これをチャンスと捉え、反撃の足掛かりにするんだ」
そう言って馬に命令する、李の言葉を受け、
(なにが『俺たち』だ。お前一人だ、そんなこと考えているは)
「了解です。然るべく!」
そう返答してみせる。
李が命じたことはキンチョーの排除ではなく、秘匿だった。
秘匿とは、キンチョーの存在を中国が知っていることを秘匿する、そう言うことだ。
会議室では、代表の李孔明が中心になって、今後の対日作戦が話し合われた。
「一月前の釣魚島では、大失態を犯すことになった。
中国人が日本軍と米軍に救われるなど、あってはならないことだ。
ここで名誉挽回しないと俺達は浮かばれないぞ。
誰か、次の有効な作戦を考える人間はいないのか」
李は内心で、
(失敗は『キンチョー』による、情報漏えいのせいだ。俺の計画は完ぺきだった。
本来なら成功していた筈なんだ)
そんな風に自分の心を偽り、冷静な分析など忘れていた。
『何故船が動かなくなったのか』ということに考えが至らないほど、
精神的に追い詰められていたのだ。
一人の委員が声を上げた。
「李同志、次は潜水艦を使って漁民を上陸させましょう。海中から上陸すれば、
事前に発見される恐れはありません。
原子力潜水艦を二隻ほど準備すれば、最低でも百人は運べます。
潜水艦ならあのようなことは、起きないでしょう」
李代表が苦々しい顔をする。
「日本の対潜能力を知らんのか。領海を出たところで補足されるのがオチだぞ」
「大丈夫です。明日からでも、ありったけの潜水艦を動員して日本海に展開させ、
日本の対潜水艦部隊を引き付ければ良いのです。
現在、新旧・大小合わせて、三十隻ほどの潜水艦を動かせます。
日本軍には、これら全ての艦船に対応する能力などありません」
李の顔は笑っている。
「そうか、確かにそうだな。思いきった提案だが、やるしかない。百人か……少ないな。それで上陸要員は確保してあるんだな?」
「はい、精鋭と言える要員を既に選別しております」
「よし、上陸決行は五日後だ」
会議は順調に進んで行った。
それは会議室の天井に張り付いている、キンチョーを意識した会話に他ならない。
すべては李が書いた台本通り、会議はそのように進み閉会する。
(よし、このまま台本通りに進めば、一矢報えるぞ。大逆転だ)
李孔明が分厚い眼鏡越しに天井の板に張り付いたキンチョーを見つめ、笑みを浮かべていた。
キンチョーの排除は、作戦終了後、と言うことになっている。
李はキンチョーの仕組みを理解していなかった。
天井のキンチョーを見つめ、傲岸な笑いを浮かべる李の顔が、『海神』のモニターに映し出されていた。
五日後と宣言したその翌日。
中国海軍の潜水艦基地がある全ての港が、慌ただしい動きを見せている。
日本に偽情報をつかませたと確信する、中国の潜水艦群が日本海に移動すべく
動き出していたのだ。
前回の失敗に懲りた中国海軍は、港湾の警戒を最高レベルに上げ、
艦隊の防御に腐心していた。千隻におよび漁船が動力を失くした原因について、
特定できる情報を持たない中国海軍は潜水艦ならなんとかなる、そんな希望的観測に
頼る愚作に手を染めてしまう。
情報戦で敗北し、その失地回復を焦る軍部は情報操作での勝利を確信すると言う、
新たな失策呼び込む事になる。
海南島にある亜竜湾海軍基地でも、慌ただしい動きが見られ、全ての潜水艦が準備を
整え、桟橋で待機している。
晋級・弾道ミサイル原子力潜水艦を先頭に、出港準備を整えた艦から次々とその姿を
海中に没していく。
二百人を超える上陸要員の乗船を終えた、四隻の商級・通常型潜水艦もその中にあった。
「艦長、いよいよですね。今回は何がなんでも成功させなければなりません。
動ける艦の全てが作戦に参加しているわけですから」
潜水艦の乗組員としては、異例なくらい大柄な副長が言う。
「ああ、その通りだ、副長。上の連中も必死だから従うしかない。だが、この人数はたまらんな、息が詰まるぞ」
小柄で精悍な風貌の艦長が、顔をしかめる。
50数名の上陸要員を乗せた艦内は、むせ返るような熱気が立ち込めていた。
桟橋の舫いを解き、意気揚々と出港していく潜水艦群。
動き出した潜水艦の底部には、既にコバンザメのごとく、カブトが貼り付いていた。
これまでに中国の軍港全てがカブトの監視の対象になっており、中国潜水艦群の
動きは丸見えだった。
海中に潜航し、速度を上げようとする普級・潜水艦。
突然、
「ギッ・ギ・ギー!」
海中で不快な金属音を発し、急激に速度を落とす。
「わあぁー! ぎゃあー!」
至る所で大きな悲鳴が上がる。
艦内では殆どの乗組員が倒れたり壁に激突し、大混乱に陥った。
「な、なんだ? なにが起きた? 起きろ、副長! 至急、損害があるか確認し、
報告しろ」
かろうじて海図のデスクにつかまり、転倒を免れた艦長が叫ぶ。
正規のクルー以外の人員を擁した艦内は、混乱の極みにあった。
各部署の状況を確認した副長は、異変の正体に気づいたようだ。
「艦長! これは例の日本による攻撃ではないでしょうか? 漁船に起きた現象と、
酷似していると思われます」
「なにぃ! これが日本による攻撃なのか……」
「何かに衝突したわけでもないのに、こんな現象なんて。そうとしか考えられません」
艦長は、唇を噛んで黙り込む。
「そうか……判った。しかたない。浮上だ、浮上しろ」
外洋に出るべく動き出した潜水艦群は、港の出口にさえ辿りつけなかった。
哀れにも鉄の塊として浮上し、各々の軍港の中に漂う潜水艦は救難艇を待つしか
手立てがなかった。
尖閣の時と同様カブトの攻撃を受け、スクリューを止められてしまったのだ。
カブトは旅順、青島、玉林等、中国各地の軍港に配備され、中国全域をカバーしていた。
このケースは戦後の日本が初めて行った、いわゆる専守防衛の範囲を超える、
敵地での作戦行動となった。
三 カブト計画
北京・中南海。
米国と中国の関係は日本同様、戦略的互恵関係にある。
むしろ経済で言えば日本よりはるかに良好な、パートナーシップを築いていたと言える。安全保障は同じ
価値観を共有する日本との同盟関係で、経済は世界最大のマーケット・
中国との友好関係で、と言うふうに器用に使い分けていた。
米国にとって全ての判断基準とは『国益に適うか否か』、それ以外にはあり得ず、
彼らの掲げる自由・民主主義等は、次善の選択肢に過ぎなかった。
米国の国務長官の訪中に随行して、北京を訪れていたDIAのジェンキンスは、
極秘裏に馬軍事委員と接触を図っていた。
世界における諜報戦の中で、最も対立する関係にあると言って良い間柄ではあったが、馬は事前の打診受け、
それを了とした。
狙いはズバリ、『カブト』に関する情報交換…互いの利害に合致するモノだった。
中南海の居住区。
「馬さん、中南海に住居を与えられるとは大した実力です。
まずはオメデトウと言わせてもらいます」
ジェンキンスはそう言って手を差し出す。馬はその手を握り返し、
強い目線で見つめながら、
「ははは、ジェンキンスさん、御冗談を。アメリカさんの居住環境からみたら、
ここなどは『ウサギ小屋』以下でしょう。
冗談はさて置き、今回はこのような機会を作って頂き感謝しています。お互いの
腹の内は明らかですから、前置き無しに話を進めさせて下さい」
ジェンキンスは笑顔を返しながら、
「実務に長けた方とは聞いていましたが、率直な仰りようにこちらこそ感謝の念に
堪えません。私どもに取り米中間の関係は日本の言う戦略的互恵関係などでは無く、
明確に互恵関係であると認識しています。それが我々のスタンスであると、
ご理解ください。では、お互い忌憚なく話させていただくと言うことで……
どうぞこの写真をご覧下さい」
そう言って複数の写真ファイルを手渡した。
「……」
馬の顔に、苦々しい表情が浮かぶ。
「そうです。昨年の事件、貴国にとっては、悪夢のような出来事と思いますが、
私どもの工作船が引き上げた中国漁船の資料です。
正確に言えば、引き上げたと言うより台風で沈まなかった漁船ですが」
馬の顔に苦笑いが浮かぶ。
「やはり、そうでしたか。船が沈んだ場所は大陸棚で浅い海なのに、どうして日米が、
船体の引き揚げをしないのかと、不思議でしたよ。当方も何が起きたのか原因不明で、
調査したかったのですが、さすがに事件の直後は手を出せませんでした」
「それは米・中とも事情は同じで、他国の二百カイリ内で、勝手な引き上げ作業など
許されないのでね。強襲揚陸艦に五隻ほど確保してあったのです。写真のスクリューに
巻き付いているモノは、炭素繊維と硬化剤のような、接着剤と思われるモノが
合体したものです。明らかに日本の技術、と言って良いと思われます」
馬の表情は硬いままだ。
ジェンキンスが続ける。
「そうですか……実態は不明ながら、この兵器は『カブト』と言うそうです。姿や形、
しかも兵器と言えるのかも判りませんが」
「カブトですか、初めて聞きました」
馬は思い迷った末、そんな表情で話し出す。
「今我が国と日本には、危機的と言って良い問題が生じています。
釣魚島の問題は置くとして、我々は日本海軍によると思われる先制攻撃を受けました。
ご存知でしょう、先月の事です」
「軍の監視衛星の情報から、中国の複数の海軍基地で問題が生じた事は報告を
受けています。昨年の中国漁船と似たような状況、と言う分析でした」
馬が平然と受け流して続ける。
「仰る通りです。人的被害は無く、稼働できる全ての潜水艦を一時無力化されました。
原因は頂いた写真と同じモノでした。
先制攻撃と言っても、軍の懲りない連中が釣魚島再上陸を企てた末に反撃を受けた、
と言うことなのですが。
問題は二点です。
一つはカブトの存在がある限り、海洋で軍事プレゼンスを発揮する事は出来ない。
今一つは、我が国の軍事情報が際限なく漏れている、その恐れです」
馬は手持ちの情報、『キンチョー』の存在を知らせることはあえてしなかった。
ジェンキンスが、身を乗り出して話し出す。
「仰る通りです。日本の諜報環境は激変しています。
これまでのような米国の関与が、全く効かなくなっています。
急激な軍事バランスの変化はお互いにとって好ましいものでは無い、
そうではありませんか?」
「アメリカとの協力ですか……おかしな感じです。なにか大戦前に戻ったような
気分になりますね。
とにかくカブトの問題を始め、今の日本を解明しなくてはなりません。
手持ちのカードは、お見せします、協力し合いましょう」
「そう言っていただけると、ここまで来たかいがあります」
「軍事情報を丸裸にされる、これほど屈辱的で危機的状況は考えられません。
昨年の事件先月の先制攻撃と言い、現状の我々には対処すべき方法がないのです」
馬はタメ息までついて、嘆いて見せた。
大きく頷くジェンキンスに、馬が続ける。
「しかも軍や共産党の上層部は屈辱的結果から目をそむけ、現実を認めようと
しないのです」
「危機意識と言うものは危機そのものを目の当たりにしない限り、なかなか
生まれるものでは無いのでしょう。お察しします」
「李軍事代表は現実を認めず、いまだに己の不幸を嘆いている、そんな有様です」
「お察しします」
「残念ながら、今の政権は軍の権威を求めざる得ません。今の政治体制そのものが
抱える問題と言えるのでしょう」
ジェンキンスは驚いた顔つきで、馬を見つめていた。
「これは第一級の機密情報なのですが、」
そう言ってから、ジェンキンスが声をひそめる。
「日本は密かに、潜水空母を開発しています。詳しい仕様は不明ですが、
これも開発中の無人戦闘爆撃機を二十数機搭載出来ると言う話で、日本の軍事
プレゼンスが飛躍的に高まることに、我々は懸念を覚えています。
この辺は利害も一致し協力し合えるテーマ、そう思えるのですが。
上層部の目を覚ますのにも役立つのでは?」
馬は驚愕の思いを隠さなかった。
「噂には聞いていましたが、正直言って驚きです。なんとしても、
それだけは阻止しないと我が国の存立に関わる事態になります。
日本に攻撃空母を持たせるなど、危険に過ぎます。
普段は善人面した平和主義者であっても、簡単に心変わり出来るのが日本人です」
「……拭いがたい不信感があるのですね。
中国の反応がそうであるなら極東に新たな不安定要素が生まれる、そう評価せざる
得ません。
とにかく、互いに出来る協力を考えましょう。
まずはカブトの実態を明らかにする、それからです」
◆
防衛省市ヶ谷駐屯地。
防衛省の諜報部門に在籍していた大町は、防衛省の中に研究会と称し、『IT勉強会』なるものを創設した。
有志を募り情報関係の先進技術を研究し・諜報技術のイノベーションを図ると唄い、活動を始めていた。
大町はNSC創設など形ばかりで中身を伴わない、現在の組織に辟易としていたのだ。
大町の目的は日本の諜報を根本から造り直す、そのことにあった。 加えて組織の
中から優秀な人材を見出し選別する、そのための勉強会の創設だった。
そうして獲得したスタッフが、松本・神田・西浜・大西の四名だった。松本、神田はオールラウンダーで、
西浜、大西は技術系出身で、スペシャリストだ。
大町の諜報組織再編の展望が開けたのは、諜報ドローン・キンチョーの開発に、
手を染めてからだった。
それまでの構想は組織防衛と言う内向きのものであったが、キンチョーが手に入れば、これまでにない
能動的な活動が可能になり、大町にすれば望外のチャンスと言えた。
キンチョーの原型は玩具であり、蝶の生態を模して造られた高度で微細なドローン
技術だった。
「今度晴海で『東京おもちゃショー』が開かれます。玩具と言っても馬鹿にできませんよ。一緒に行きませんか?」
ある時大町は西浜の誘いに乗り、幕張で開かれていた玩具ショーに来ていた。
玩具など全く興味を持てない大町は、しつっこく誘う西浜三尉の言い様に、根負けして
やって来たと言う形だった。
行ってみるとそこは大町にも十分楽しめる空間で、展示品には目を引くものが多かった。
先行していろいろなブースを見ながら進む西浜。
追いて歩く大町も意外な展示品に、興味を持っているようだ。
「部長! 部長ぉ、あれを見てください」
西浜三尉の声に、大町が振り返る。
玩具メーカーの看板が下げられたブースの空間に、ひらひら舞う蝶を見上げ、大町は息を呑んだ。
急いでブースに近寄り、操縦者と思しきに人間に話しかける。
「す、すみません、それってドローンと言うか、機械ですよね?」
大町が目を見張り、興味深くそれを見つめながら尋ねた。
「ええ、昆虫タイプの飛翔マシンです。面白いでしょう?」
空中をヒラヒラ舞う蝶の姿は、とても機械を使って飛んでいるものとは思えなかった。
「面白いでしょう? ……って、これ、とんでもない技術じゃないですか?
こんなもの見たことありませんよ」
正直に感想を述べる大町。
晴海で開かれた『おもちゃフェスタ』でデモンストレーションされ、それに目を付けた大町と開発者の出会いのシーンだった。
大町は少し興奮しながら、
「これって、まるで本物のように見えますね。
もの凄い発明、そう思えるんですが、どうしてオモチャなんですか? あ、失礼。」
大町に話しかけられた、開発者が顔を赤らめ応じる。
「ははは、お褒め頂いて恐縮です。
でも、コストが掛かり過ぎるのが難点でして、オモチャとして日の目を見ることは
無いでしょうね。
会社からはこれで最後にしろって、言われているんですよ」
担当者が苦笑いしながらそう語った。
「え~、そうなんですか? もったいない話ですね。
いったい、どれほどするんですか、この蝶々って」
「億以上の金がかかってます。量産しても何十万かしますしね。
オモチャとしては、不都合な商品ですよ。作るのに夢中になって、売ることは考えて
いませんでした。ははは……」
大町は名刺を取り出し、手渡す。
「この製品に興味があります。研究を続けたい、その意思がおありでしたら、
連絡をお願いします」
西浜は、あまりの急激な展開に、両者を見ながら唖然としている。
名刺を受取った男は名刺の肩書を一瞥すると、マジマジと大町の顔を見つめた。
「そうです、ぜひご協力頂きたいのです。
出来れば、今すぐこのマシンを故障させて頂きたいのですが」
大町の顔は真剣だった。
男は大町の言う意味を理解し、黙って大きくうなずいた。
ヒラヒラ空中を待っていた蝶は突然動きを止め西浜の肩に当たり、足元に落下した。
「アッ!」
はずみと言う感じで、西浜がそれを踏み潰してしまう。
大町はこの研究者が、必ず連絡を寄越すと確信していた。
研究費を使い過ぎ売れない玩具をつくり、不遇をかこっていた技術者を引き抜く
ことが出来た。
オタクと言ってもよい技術者がそれを微細ドローン、『蚊』型まで進化させたのだ。
深化した情報収集のスタートは、『キンチョー』の実用化がもたらした成果だった。
従来にない情報収集を可能とする、強力な手段を手に入れた大町は、日本の防衛が諜報技術と、専守防衛の
兵器開発で担っていけると確信し、その開発に傾注することになる。
その後カーボン・ナノ・チューブ等の実用化を待って、『雪虫』がその後継として開発されることになる。
ナノテク、それは、日本の微細技術の勝利と言ってよいもので、最初から軍事目的で制作された。
大町は開発者の意欲を削ぐことなく、テーマを特定しない自由な研究にも寛容だった。
そうした自由な発想が、新しい意外なものを生み出すことを熟知していたからだ。
◆
与党幹事長室。
カブト開発に向けたアイディアの元は大町だが、それを実現可能な設計図までに
高めたのは、四人のスタッフの力に依っていた。
諜報での『キンチョー』、防衛での『カブト』が大町たちの切り札であり、
外に打って出る諜報活動を可能とするものだった。
石葉が与党の幹事長時代大町が持ち込んだ話から、秘密のミッションがスタートする。
政権党の幹事長である石葉は大町が唯一認める諜報に精通した政治家で、信頼出来る
数少ない存在であった。
「石葉さん、今、自分達が考えている面白い技術があります。
相談に乗ってもらえませんか?」
石葉と大町の付き合いは、大町が国防大学で学んでいた頃からのもので、石葉が大物
政治家になった今でもコンタクトがとれた。
与党の幹事長室に、私服姿の大町がいた。
「珍しいな、大町くんの相談なんて。なんだ? いったい」
「今、防衛省諜報部門の我々一部のグループが、新たな兵器開発を企画しています。
それも、秘密裏にですが」
「ふ~ん、いったいそれは、どういうものなのだ?」
石葉が身を乗り出して、興味を示す。
大町は設計図を広げて見せ、そのスペックを説明した。
ムービーで完成品の動きを見せられた石葉は、そのまま固まってしまう。息を詰め、
目だけが映像を追っていた。
「これは、海洋国家としての日本が専守防衛の理想を実現できる、究極とも言える
武器の開発になります。
秘密保持もそうですが、それには莫大な開発予算が必要となって来ます」
「予算の問題は俺が解決するとして、もっと具体的に説明してくれないか。俺が納得
出来る話なら、乗るぞ」
石葉が乗り気になっているのは、明らかだった。
そうして始まったのが、『カブト開発プロジェクト』だった。
それは従来にない発想のモノで、武器とは言い難い代物だった。
敵を傷つけることなく、無力化することだけを目的にした武器、これまでそんな
兵器はありえない。発想の基本は敵の機動力、つまり動力無力化ということにあった。
カブト開発が佳境に迫ったある時、西浜が、
「部長、カブトの技術と交換に、海軍のあれを貰いましょうよ。
あれならカブトの母艦に使えますよ。通信の技術的問題で泣く泣く有人仕様に
変更しているとの噂がありますから」
西浜三尉の提案だった。
あれとは西浜が大町に引き抜かれる前に関わっていた、海軍の無人潜水艦のことだ。
「そうか、その手があるな。確かに無人運用は暗礁に乗り上げ、有人仕様に
変更しようとしている。あれを海軍が計画している攻撃兵器の代わりに、カブトを
運ぶ、小型母船用のキャリアーにすれば良いのか。……うん、これはいけるな」
「無論海軍に渡すのは、通信仕様のカブトだけですよね」
「ははは、その通りだ。西浜、なかなか解かっているじゃないか」
防衛省海軍ではカブト開発計画の数年前から、極秘に無人潜水艦の運用を計画して
いた。秘密保護法を隠れ蓑に、敵地攻撃が可能となる戦力保持を画策していたのだ。
それは潜水空母と無人戦闘爆撃機をセットにした、壮大な開発計画だった。
全長250m全幅120m、亀の甲羅を思わせる、ズングリとした形状の、
巨大潜水艦だ。無人戦闘爆撃機を20数機搭載し、空母としての機能も備えている。
言わば太平洋の軍事バランスを、根底から覆す能力を秘めていた。
しかし潜水艦の無人運用には、越えられない技術的問題があった。
海中では、長距離の安定した無線通信が困難で、レーザー等の光通信や音響通信が
開発されたものの、大容量の情報通信が可能となるレベルには至らなかった。
カブトは既にそれ自身が通信媒体になることで、その問題をクリアーしていた。
「空母の保有は、日本海軍の悲願ですからね。それを可能とするためには、
どんな話にも乗ってきますよ。あの計画に参加していましたから、よく判ります。
部長、お願いします」
「そうだな。どこから手を付けるか、それが問題だ。
海軍にすれば秘中の秘をバーターしようと言う話だから、簡単にはいかんぞ」
大町の話し方は慎重だ。
「そうですね。でもそれは上の人が考える問題ですから、お任せします。
なにがなんでも、交渉を成功させてください」
「ははは、そうだな、判った。なんとかしよう」
(正面からいっても相手にされないだろう。やはり政治家だな)
そうして大町たちの開発グループは、カブトの運用を可能とする大型母船を手に
入れることが出来た。
海洋で無人運用される兵器など、世界のどこにも存在しない。
海洋国家の日本にして、初めて生まれた発想と言って良かった。
防衛省は既に、アメリカの無人機に学び、無人で運用するロボット型兵士や、
無人戦闘機はおろか、無人航行する潜水艦の開発、建造に着手していた。
日本の軍隊は、既存の兵器をすべて無人化する、究極の目標はそこにあったが、
最低でも十分の一以下の省力化を可能とすることが目標だった。
兵器の無人化はその性能を、飛躍的に上げることが可能になる。
潜水深度・運動性・航空機の高速機動・重量物の装備など全ての面で、能力アップを
図ることができるからだ。
大町がカブト計画進捗状況の、詳細を石葉に説明していた。
石葉が呆れ顔で話す。
「なにか軍事オタクを自称する私にも信じられん話ですな。戦車だ戦闘機だって話が、
バカバカしく思えてきます。まるで漫画みたいな話だが日本の民生技術には脱帽です」
大町が頷く。
「そうです、軍事ばかり考える人間には、絶対思い浮かばない発想です。まず最初に
浮かぶのが火力、つまり打撃力ですからね。アンドロイド型ロボットとか、潜水母艦
とか今やっているその辺が限界でしょう」
大町が打ち明け話をする。
「カブト製造過程で民生技術の組み合わせは、いわゆるゲーマーが考えたんですよ。
なんでもありのシュミレーションゲームで、これを使えば何かが出来る、そんな
ところがスタートだったんです。
最初は実を言うと、息子から聞いたゲームの話がヒントでした」
石葉は興味深そうに、聞いている。
「我々のような官にはない、自由な発想が必要なんです。本当の意味で民間活力を
生かすべき、そう思います」
時流に乗り首相に登りつめた石葉は、カブトの完成を待って、大町を巻き込み
NSCの下に新たに諜報組織を創ることになる。
石葉自身が内閣調査室とか公安と言った、古びた組織に愛想を尽かしていたからだ。
組織の名は『海神』、石葉の趣味で勝手につけたものだった。
組織内の情報通信は独自の閉鎖系通信網を使うことで、盗聴などを許すことはない。
『海神』、格好良く言えばポセイドン。
どういうわけか、石葉はそれをポシドンと発音していた。
「なぁ、大町くん、ポシドン艦隊ってどうだ?」
おまけに戦闘艦も存在せず、艦隊編成でもないカブト運用部隊を勝手に、
ポシドン艦隊と命名する始末だった。
「なんですか総理、ポシドン艦隊って。そもそも艦隊なんかじゃないでしょうに」
大町は石葉のオタクぶりに、あきれていた。
軍事オタクのなせる業なのだろうが、関係者全員の反対にあってしまう。
なぜか最終的には『亀甲艦隊』と言う名に落ち着く。
どこかで聞いたような、昔、敵国のどこかにあったような、
まるで意味が判らないものだった。
カブトに関連したすべての運用が、この新組織『海神』にゆだねられることになる。
あたらしい組織は、防衛省の市ヶ谷駐屯地に隣接する場所に創られた。
駐屯地に隣接すると言っても、防衛省の傘下にあるわけではない。防衛省にとっては
むしろ、目の上のタンコブのような存在になりかけていた。
「総理、これだけはご了承下さい。『海神』は防衛省と連携はしません。それは内閣で
確認して欲しいのです。
防衛省との連携はアメリカとの連携と同義ですからね。
上下関係を言えば軋轢が生まれるでしょうから、あくまでも別組織、そのように
徹底してもらいたいのです」
「そうだな、本来なら上に置きたいところだが、組織上当面は難しいだろう。
いたずらに官僚の抵抗を招くことになる」
石葉にもその意味は理解できるので、大町の要望を受け入れた新組織となった。
海からの攻撃は、戦争以前の紛争レベルでの対処が必要だった。
人的被害を出さず、紛争レベルでことを収める、それがカブトの目的だった。
「大町くん、ほんとに面白すぎるな。相手を殺さない兵器に、
絶大な力があるなんてのは」
「総理、まさに専守防衛の極み、と言える兵器だと思います。
日本が海洋国家だったということが、幸いしたのです」
「確かにな、陸続きの国家じゃこうはいかんだろう」
「仰るとおりです、海洋国家だからこそ、他国にはあり得ない発想が生まれた、
そう言うことなのだと思います。油断はできませんが、当面これに対抗するものは、
できないでしょう」
カブトのキャリアーになる母船は当初攻撃兵器として、防衛省が極秘に開発中の
ものを、転用させてもらったものだ。
空母の保有は日本海軍の悲願とも言える課題だった。
「空母が実現したら、日本の抑止力は飛躍的に向上しますね。
しかも捕捉不能で攻撃仕様の潜水空母ですよ。軍事バランスとかそんな評価は、
全く意味を為さなくなるでしょう。
秘密が保持できれば良いですが、明るみになったら政権そのものも危ういものになる
恐れも考える必要がありますが」
西浜の話に大町が応じる。
「東アジアの国々がどう受け止めるかは、微妙な所だ。それよりも一番の心配は、
米国の横やりが入ることだ。海軍がどこまで秘密を保持できるかが勝負になる。
国内問題もあるしな」
西浜の顔が引き締まる。
「そうです、問題はアメリカですね。母船のスペックが明らかにされれば、いずれ
カブトの存在にも辿り着く可能性がありますから」
海軍の攻撃空母の計画は、極秘裏に続けられている。
他国を攻撃できる兵器の開発計画が国民に知られることなく、秘密保護法の庇護の下、
進められつつあった。
母船でさえ無人で操縦されており、すべてが『海神』、大町たちによって管理、
運用されていた。
「ワッ! 海底にぶつかっちゃたよ。もうゲームオーバーじゃん。
ゲーマー失格だな、俺って」
オペレーターのリーダー格、冨田こと、トミーが嘆く。
「バカヤロー! もっと真面目にやれ、母船一機に幾ら掛っているか知っているはずだ。
戦場に次なんてのは、無いんだぞ」
西浜三尉が叱咤する。
「そんなこと言っても、海中での操縦って想像以上に難しいんですよ。次は必ず成功
させますって。要領は判りましたんで」
ゲーセンにある、シュミレーターを使うのと同じような訓練の一場面だ。
『亀甲艦隊』の母船は、四機で運用されていた。
当初攻撃用潜水空母の発想で、無人攻撃機を搭載する予定であったスペースが改造され、
多数の子亀を搭載する仕様に変更された。
「大町君、これで日本の海は万全だな。『亀甲艦隊』か、こんなローコストで日本の
海が守れるなんて、思いもしなかった。しかも無人で運用できるなど、今までなら
考えられなかったものだ」
石葉はこれまでの成果に満足していた。
「失礼ですが総理、それは能天気と言うものです。技術革新は日本だけのモノでは
ありません。必ず、対抗するのものが生まれるのが兵器の宿命です。まぁ兵器とは
言い難いものですから、当分は対抗するもは出てこない、そうは思いますが」
大町は常に将来に備える、それが習い性になっていた。
現状考えられる中国との有事で最悪の事態とは、中国による核兵器の使用にあった。
日本はあくまでも核を持たない国家として、世界にアピールし続けていた。
「大町君、中国の核と言うのは、実際日本に向けたものがどのくらいあるのだ?
確認できているのもはあるのか?」
「確認できているもので、日本に向けプログラムされているものは七基あります。
三基を除き全て米軍基地を目標としたものです。しかし、戦争状態になったとしても、
核が使われることはない、そのように判断しています」
「どう言うことだ、それは」
「核兵器とは『使わない事に価値がある』兵器で、使ってしまっては意味がないからです。
言わば使えない兵器、それが核なのです。まぁ、最悪のケースを考えないわけには
いきませんが……」
歴史上日本以外で核が兵器として、使われたことはない。
太平洋戦争で生じた広島・長崎の尊い犠牲と凄まじい惨状が、それを使おうとする
手を押しとどめていたからだ。
だからと言って、敵の能力を看過するわけにはいかない。
NSCでは、陸上発射型の核ミサイルへの対策は済んでいた。
「現在中国では、潜水艦発射型のミサイル実験が予定されています。 我々はこの核に
関しては脅威として認識しています。普通の国ならありえませんが、中国における核の
管理体制には不安があります。 とくに原潜の核の管理には事故がありえる、
そう思えるのです」
今回、問題になったのは、潜水艦による核ミサイルの脅威だった。
中国には三隻の、弾道ミサイルを搭載する原子力潜水艦があった。
『雪虫』が掴んだ情報は、中国北方艦隊による、長距離ミサイルの海中発射実験だった。
NSCの作戦は、原潜のカブトによる無力化ではなく、発射実験そのものの失敗を
図るものだった。
◆
中国。黄海、大連港沖。
空は快晴。中国晴れと言っても良い、雲一つない天気だった。
MC-1,『海亀1』が大連港南方十キロメートル・渤海湾内三百Mの海底に
鎮座していた。
二百Mを超える漆黒の巨大な海亀が、光が届かない海底の暗闇に溶け込んでいる。
海亀は錆びる恐れがないため、必要に応じ海水が注入され、浮力が原則『ゼロ』
に保たれていた。必要な時は、空気を生成して浮上する仕様だ。
背部にある亀甲模様の一部が、音もなくスライドして開いていく。子亀の放出口が
開かれたのだ。
『子亀1』が姿が現れ、それは、ゆっくりと浮き上がった。
『子亀』の形状は『海亀』と同一で子亀が親ガメから離れる、まさにそんな姿だった。
放出された子亀は、音もなく浅海へと移動していく。
『小亀1』は旅順港の開口部に忍びより、偵察仕様の『カブト』を三機放出した。
◆
同時刻。
市ヶ谷『海神』。
『ゲーセン』と部所名がついたオペレーション・ルーム。
二人の男が操縦スーツに身を包み、『海亀2』と『小亀1』を操縦していた。
ゲーセンはすべての無人機を操縦する、オペレーション・ルームになっている。
『小亀1』を操縦する男のゴーグルには、晴れ渡った旅順港の様子が映されていた。
「へぇ~、東京は台風で嵐だってのに、旅順は晴れか。小平島の海軍基地ってどこだ?」
ゴーグルの男が、別のカブトのカメラに切り替える。
「お、いた。あいつだな、普級原子力潜水艦。グーグルアースで丸見えってのが
お粗末だよな。その通りの場所にいやがったぜ」
「おい、トミー。無駄口叩いてないで、仕事しろ、仕事を」
座っていたオペレーターの横に立つ、西浜三尉が文句を言う。
部屋の壁に下げられたモニターにも、基地の様子は映っていた。
「お、ミサイルの積み込みが始まったぞ。
さあて、どうやって遊ぼうかな」
男の言葉に緊張感は、かけらも無かった。
男の後で、大町も苦い顔をしている。
「おいトミー、おまえの腕の見せ所だぞ。
わかっているな、注文通り結果を見せてくれよ」
「へ~い、お代官様、仰せの通りにいたしやす」
トミーこと富井は、大町が一番最初にリクルートした天才ゲーマーだ。ネットでは
有名人だったので、探すのは簡単だった。
今回の作戦は、原潜の無力化ではなく、発射実験そのものの失敗を狙うものだった。
「お役人は注文出すばかりで、アイディアの欠片も出さないって、お気楽だよな」
ゴーグルを調整し直したトミーは、聞こえるか、聞こえないかのように呟いてみせた。
「おーし、原潜が動き出した。ここでカブト放出だな。うまいこと取り付けなくちゃな」
男がプログラムした通り、放出されたカブトは原潜のミサイル発射口に取りついた。
外洋に出た原潜は深度三十Mで停止する。発射口が開き始めると大量の泡が吹き出し、
海中に気泡の柱を立てる。
発射口が開きった瞬間、中にカブトが入り込み、ミサイルに張り付く作戦だ。
「お、発射口が開いた。1・2・3……、そこだ! ようし、よし、うまくカブトが
飛び込んだぞ」
全ての様子を、艦橋に張り付いたカブトが映し出している。
轟音が海中に響き渡り、発射口の周囲が白濁し視界が途切れる。
「おー、発射した」
ミサイルが海面に姿をあらわし、ゆっくりと上昇していく。
垂直に上昇し弾道軌道に向かって、噴射煙がその軌跡を大空に記していく。
その白い軌跡が、大きく揺らいでいた。
「ははは、なんかよれてるな、あのミサイル」
三機のカブトをミサイルに炭素繊維で取りつかせ、ミサイルの弾道を狂わせる
と言うのが、男のアイディアだ。
人身事故は起こさず、発射はさせる。
しかしミサイルは、着弾予定地点には届かない。
痕跡は一切、残さない、その通りの結果になった。
大町の顔には、安堵の色がみられた。
「よし成功だ、ごくろうだったな」
「お疲れっす」
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2
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SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
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