【完結】初恋のアルファには番がいた—番までの距離—

水樹りと

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第2章

第二話

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 大学院生と学部生のあいだに、思っていたほど接点はない。

 再会から一週間。
 蛍はまだ健吾と言葉を交わせずにいた。

 ジェンダー経済学の講義は週一度きり。
 授業が終われば、健吾は配布物を整え、挨拶もそこそこに教室を後にする。
 TAの業務が詰まっているのか――それとも、必要以上に学生との距離を詰めない主義なのか。
 どちらにしても、蛍には近づく隙がなかった。

「なんか最近、落ち着かないね」
 昼休み、真帆が弁当のフタを置きながら言う。
「そう?」
「芦原さんのこと、ずっと考えてるでしょ」
 図星だ。講義中も、健吾の横顔ばかり追ってしまう。

「でも全然話せてないんでしょ?」
「うん。授業後に質問しようと思ったけど、いつも人だかりで」
「で、結局声かけられず、ね」

 健吾の周囲には、講義の質問だけでなく私的な話題まで投げる学生が絶えない。
 特に女子学生の積極性は高校時代と変わらず、輪に入る勇気が蛍にはまだ足りなかった。
 臆病な自分が歯がゆい。
「もっと積極的にならないと」
「分かってるけど……」
「じゃあ作戦を練ろう」
「作戦?」
「自然に話せる機会を作るの。研究室に行ってみるとか」
「用事もないのに行くのは変じゃない?」
「"質問がある"でいいじゃん。実際、ジェンダー経済学って難しいでしょ?」
 逡巡する蛍を見て、「そうだ」と真帆がぽんと手を叩く。

「図書館はどう? 大学院生って論文書くために図書館によくいるでしょ?」
「でも、どの図書館かも分からないし」
「経済学部の資料室とか、専門書のあるところを狙い撃ちよ。意外と穴場かも」



 放課後、蛍は経済学部棟の資料室へ向かった。
 小さな部屋だが、背の高い書架が隙間なく並び、紙とインクの匂いが静かにこもっている。
 蛍光灯の白い光が、静寂を際立たせていた。


 何日か通ったある日、窓際のテーブルで、健吾がノートPCに向かっているのを見つけた。

 脇には『ジェンダー研究』『労働経済学』と背表紙に金文字の分厚い本が積み上がっている。
 真剣な横顔は、高校時代に見たときよりも大人びて見える。
 蛍は棚から適当に『ジェンダー経済学入門』を抜き、数席離れて腰を下ろした。
 ページの紙質が指にざらりと触れる。
 けれど、どう声をかければいいのか分からない。
 三十分ほどして、健吾が本を抱えて立ち上がる。
 返却らしい。

(いまだ!)

 蛍も本を手にカウンターへ向かう。
「あれ、蛍」
 気づいて、健吾が微笑む。高校時代と変わらない、穏やかな笑顔。
「こんにちは」
「勉強熱心だね」
「あ、うん」
 手元の本の表紙を見下ろす。
 心臓の音が聞こえそうなほど静かな空間で、自分の声が妙に大きく響く。

「ジェンダー経済、最初はとっつきにくいでしょ」
「うん。ちょっと……」
「分からないことがあったら、いつでも聞いて。TAの仕事でもあるしね」
 その言い方が柔らかくて、蛍は意を決した。
 チャンスは今しかない。

「じゃあ、今度、質問しに行ってもいい?」
「もちろん。研究室にいることが多いから、都合のいいときに来てくれればいい」
「ありがとう」
 健吾が去ったあと、蛍は書架の陰で小さくガッツポーズを作った。
(きっかけが、できた)
 胸の奥で、希望という名の火種が静かに燃え上がる。
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