はるになったら、

エミリ

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第五話

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「陵至、最近なんだか楽しそうね」
 鏡越しに千羽を見つめ、洋子は言った。
「そうか?」
「今のあなたなら……やり直してもいいって、思うけど」
 千羽は作業の手を止めない。
「さすが、スーパーモデル様は余裕だな」
 遠回しにフラれたとわかっても、スーパーモデルは首一つ、頭一つ動かさなかった。
「はあ。わかってるわよ。あなたにその気がないってことくらい。何? 新しい彼女?」
「まあ、そんなところだ」
 早く話を終わらせたいのが見え見えな適当すぎる相槌だったが、そこを逃してくれない人が若干一名。
「あーら! なあに~? 愛しのクレインちゃん、やっと恋の病が完治したのかしらぁん」
 離れた席で別のモデルのメイクをしていたはずのなのに、彼女はいつの間にか千羽の後ろに立っていた。
「アン、あなたもう終わったの?」
「ブライアン、時間ないんだぞ」
 千羽と洋子はほぼ同時に言い切る。
「アラあんたたち、息ピッタリね」
 二人から息の合った総攻撃をされ、彼女はすごすごと自分の担当するモデルの元へ戻って行った。
 タイミングがいいのか悪いのか、スタッフから声がかかる。
「ブライアンさーん! 次お願いします!」
「わかってるわよ! もう! あと、アタシのことはアンって呼んでっていつも言ってるでしょー!」
 洋子のヘアセットをしながら千羽は、後ろのわちゃわちゃをどこか遠くの出来事のように聞いていた。
 ──恋の病、か。

   ***

「終わったぞ」
「あんま変わってなくね?」
「いいんだよ。メンテナンスだからな」
 美容室ミリオン、その閉店後の店内。春と千羽が出会ってから、約ひと月が経っていた。
 月イチ、と言われたわりに、春は週に一度は店を訪れている。それどころかほぼ毎日、春は千羽の家に夕飯を食べに行っていた。
「今日メシは?」
「母さん休みで家にいるんだ。今日は帰るよ」
「そうか」
「千羽さんも、俺に構ってばっかいないでちゃんと仕事しろよな」
「はいはい」

 春を見送って店に戻ると、奥から副店長が出て来る。
「なんだ清水、まだいたのか」
「高校生のカットモデル……本当だったんですね、店長」
 彼女は俯いていて表情は読めないが、声色は暗かった。
「店長、モデルなら私が……!」
「悪い。おまえの髪じゃ練習にならないんだ」
「なんで……」彼女の声は震えていた。「……店長は、私の尊敬するプロです! 練習の必要なんて」
 副店長の言葉は、それ以上続かなかった。千羽が片付けの手を止めて彼女に迫ったからだ。
 壁際に追い込まれた副店長は、それでも抗議の声を上げようとする。そこへ、千羽は優しく語りかけた。
「プロだから、練習するんだよ。俺たちの仕事道具は鋏や櫛だけじゃない。普段から腕を磨いて最善を心がけるのも当然だが、本番で最高のパフォーマンスができるよう練習する、それもプロだろ? お前は、それがわかってるやつだと思ってたんだけどな」
 最後の一言がトドメとなった。副店長は肩を大きく震わせて店を飛び出していく。
 千羽は、開けっぱなしになったドアを閉めに向かった。
「……聞いてたのか」
 ドアの影にうずくまっていたのは、春。
「スマホ忘れちゃって……」
「ああ……」千羽は気まずそうに春を店内へ引き入れた。「そういえば、お前に無礼を働いたのもあいつだったか。今度改めて謝罪させる」
「いいんだよもうそれは! おれも……失礼なこと言っちゃったし」
 それより、春には気がかりなことがあった。
「……あの人、クビにする?」
「まさか。清水は信頼できる仕事仲間だ。技術は申し分ない。ニーズに合ったやり方ができる……が、まあ若干コミュニケーションに問題がな。俺としては、早く安心して店を明け渡したいんだけどな」
「え? 店、やめちゃうの?」
「ああ。フリーになろうと思ってる。誰かの専属でいるのは、もう疲れた」
 春は、胸騒ぎを覚えた。その「誰か」に、自分も入っているのだろうか。
「お前がそんな顔するなよ」
 千羽は、春の頭をポンっと軽く叩いた。たくさんの鏡がある店内、春はその中に、今にも泣き出しそうな顔をしている自分を見つける。
 頭を優しく撫でる千羽の手の温もりを感じれば感じるほど、こみ上げてくる熱も膨らんでいくのだった。


 翌日の学校。春の憂鬱な気分に追い打ちをかけるような出来事が起こる。
「進路希望調査……」
 ホームルームで配られたその一枚の紙切れは、鉄の塊かと思うほど重く感じた。
「なあまりこー」
 春は、鬱々とした気分を共有して少しでも気を紛らそうと、後ろの席を振り返った。しかし、「同類」だと思っていた毬子は、春とは正反対の表情をしていた。
「何?」
「いや……」
 毬子は紙切れを手に立ち上がる。
「え、もう提出すんの?」
「うん。今出すのも来週出すのも一緒だし」
 毬子はそう言うと、たった今教室を出た先生を追いかけて行った。
「なああきとー」
「……ハル、毬子に逃げられたからって、オレに振るなよ」
 暁人は中学から一緒で、出席番号が近いこともあって自然と話す仲になっていた。黒縁眼鏡の見た目そのままにガリ勉で成績もトップ。クラスでは大人しい方の人種ではあるが、みんなから一目置かれていた。
「え……まさかお前も」
「今は出さないよ。先生追いかけるのめんどくさいし」
「でも書いたんだ……」
「決まってないなら、未定にチェック入れて出せばいいだろ」
「それは……そうだけど」
 よくよく教室を見渡してみると、春のように動揺している生徒の方が少ない。進路希望調査自体は初めてではなく、去年も今年の初めにもあった。その時はまだ、教室中から唸るような声が上がっていたし、到底受かるはずのない国立大の名前を書いてふざける余裕もあった。
 春は惨めな気分になった。急に、自分だけ仲間外れにされたような。
 先生の代わりに学級委員が出てきて文化祭の話をし始めても、春の耳には全く入ってこなかった
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