はるになったら、

エミリ

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第六話

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 都内某所、千羽のマンション前。
「……何してんだ」
 千羽は、エントランス横の植え込みに座り込んでいた春を見つける。手入れの行き届いた草木が人型に歪んでいた。
「クソ……さみいんだよここ。鍵ないとエントランスすら入れてくれねえのかよ」
「普通そうだろ……」
 千羽は自動ドア脇の小さな機械にカードキーを当てた。ピッと音がしてドアが開く。
 春は特に断りもなく部屋までついて行くが、千羽も特に何も言わない。
「ん」
 千羽の部屋にあがったところで、春は紙袋を差し出した。
「何だこれ」
「……いつも手ぶらで悪いなあと思って。千羽さん、ビール好きなんだろ?」
 袋の中には、缶が二本。その缶は正しくはビールではなく発泡酒だったのだが。
「ありがとな」
 千羽は春の頭をポンと叩いた。春は頬を膨らませたが、わかりやすく耳は赤くなる。
「何、赤くなってんだよ」
「さ、寒いとこでずっと待ってたからだよ!」
「最近夜は冷えるからな。うち来る前は電話なりメールなり入れろよ、今度から」
 暖房のスイッチを入れた後、千羽は再び玄関へ向かった。
「え、どっか行くの?」
「心配しなくても、メシはちゃんと食わしてやるよ。仕事道具車に積んだままだから取りに行ってくるだけだ。ハルはあったかいとこで待ってな」
「うん……」
 手伝おうか、という一言が春の喉から出たのは、ドアが閉まる音とほぼ同時だった。


「で、何があったんだ?」
 食卓に一通り食事が並ぶと、春が持ってきたビール(ではなく発泡酒だった)の缶をあけながら千羽が訪ねる。
 いつもなら千羽が席に着くより先に料理にかぶりつく春だが、今日は春のグラスに注がれたジュースにすら手をつけていなかった。
「……何かなきゃここ来ちゃダメなのかよ」
 状況から見て、何もなかったとはとても言い難い。春は自分でもそれがよくわかっていた。もちろん、千羽も。
「手土産持って来るなんて初めてだよな? これで何もなかったらお前はキツネが化けたヤツか」
「言い方が平成だな」
「これだから令和は」
 皮肉の応酬にも力がない。次第に余裕もなくなり、返す言葉に迷い始めると、タイミングのいいことに、ここで春の腹に限界がきた。
「いいから、腹一杯食えよ。話ならそのあとでいくらでも聞いてやるから」
「……うん。いただきます」
 今日も変わらず、千羽の作るご飯は美味しかった。思わず熱いものがこみ上げ、春は鼻をすする。
「何、泣いてんだよ」
「泣いてねーよ! ずっと寒いとこにいたから、温度差でだな」
「はいはい。ラーメン食った時のアレな」
「ほうだよ。あーめんだほぅ」
「飲み込んでから喋れ」
 いつも通りのやり取りに、春の気持ちもだいぶ落ち着いてきた。
 食卓が片付けられる。いつもは食べ終わった食器を流しに運ぶことすらしない春だったが、今日は棚にしまうところまで手伝った。
「台拭き、これ使っていい?」
「ああ」
 母親があまり家にいないので、普段は家でやっていることだが、他人の家でやるとなるとなんだか恥ずかしい。春は顔が熱くなるのを感じていたが、もう「寒いところにいた」ではごまかせない。それでもどうにかごまかそうと、なるべく顔をあげないようにしていた。
 そうしてテーブルを拭き終わった春に、暖かいカップが差し出される。
「あー……あったかい湯気が顔に……」
 カップを受け取った春は、わざと顔の前にもっていく。それも苦しい言い訳だとわかっていたが、千羽は特に何も言わなかった。
 千羽はいつも、無理に急かさず、春が自分から喋り始めるのを待ってくれる。
 しかし今日ばかりは、いつまで経っても春の心の準備が整わなかった。
「あ、あのさ」
 口を開いてみたはいいものの、その先が続かない。
「ん?」
「今度……うちのガッコで文化祭があってさ」
 違う。この話じゃない。
「文化祭か」
「うん。マリコが軽音部なんだけど、ギターが足りないって言われて、俺も出ることになったんだよね」
 それはそうなんだけど。違う。
「ハル、ギターできるの?」
「こ、これでも中学の時までバンドやってたんだよ!」
「今はやってないのか」
「……うん。まあ。バイトしなきゃいけなかったし」
 身を粉にして働いている母親を見ていると、高校まで部活をさせてくれ、とはとても言えなかった。
「母さんに小遣いくれ、なんて言えなかったし」
「で、苦労して稼いだ金でわざわざ不健康とウンコの薬剤を買ったってわけか」
「え……」
 思わぬ展開。
「いや……今その話する?」
「ははは、悪かったよ」
 笑いながら、千羽は自然な手つきで春の髪を整え始めた。背中を丸めてソファーに身をうずめながら、春は撫でられる犬の気持ちがわかってきた。
「犬みたいだな、ハルは」
 察しのいい千羽は、すぐさま突っ込んでくる。
「ゴロゴロ言わないだけネコよりマシだろ」
「どういう理屈だよ」
 頭を触られながら春は、ここに来て話そうと思っていたことがどんどん遠くへ行ってしまうのを感じていた。
 些細な悩みではない。この前偶然見てしまった千羽と副店長のやり取り、カバンに入っている一枚の紙切れ……。それらは春の頭に重苦しくまとわりついていたが、千羽の手はそれすらもほぐしてくれたのだろうか。
 無理に話すことはない。千羽の手が優しく語りかけてくれた。
 ……優しく?
「なあちょっと、何してんだよ」
 千羽の手つきがいつもと違うことにようやく気づいた。初めはいつも通りだったと思うが、いつのまにか強めに引っ張ったり、なんかワックスのようなものをつけてなでつけたり……。
 ちなみにお任せコースだったので、近くに鏡はない。
 大きな窓に映った自分を見て、春は言葉を失った。
「な、なな」
「バンドやるんだって? 文化祭で」
 悪巧みをする子どものような笑みを浮かべ、千羽は手のひらでワックスを溶かしている。
「あたまセットしてやろうか? こんなふうに」
 千羽の手によって、春の頭は時代遅れのパンクバンドとヘタクソなビジュアル系バンドを足して二で割ったような、なんともファンキーな髪型に仕上がっていた。
「今ならメーキャストもつけるぞ」
 なぜかは知らないが背筋に悪寒が走り、春は千羽から距離をとった。
「バンドって……普通のバンドだよ! なんだよこのファンキーベイベーみたいなアタマ!」
「ウンコ色に染めるヤツにとやかく言われたくないな」
「うっ」返す言葉もない。
「ほら、元に戻してやるからこっち来い」と言う千羽に、大人しく従うしかなかった。


 帰り支度をする春に、千羽はいつものようにパッキングした夕食の残りを渡す。
「ハル、文化祭の話、俺は冗談のつもりで言ったんじゃないからな」
「え? 文化祭の話って……ファンキーベイベーにしてくれるって話?」
 千羽は「……そもそもファンキーベイベーってなんだよ」とツッコミたくて仕方がなかったのだが、堪えた。
「ハルの高校生活最後の晴れ舞台なんだろ? いつものモデルのお礼と……その、ふぁんきーべいべーのお詫びにさ」
 夕食パックを受け取った春は、疑いなど一片もなく目を輝かせた。
「……まあ、ハルだけじゃなく、バンドメンバーのもついでにやってやってもいいけど」
 何故か春から目を逸らす千羽。春はさらに身を乗り出した。
「まじか! マリコが千羽さんのすげーファンでさ、きっとすげー喜ぶよ! まじですげー!……あ、でもさ、千羽さんすげー忙しいんじゃ」
 玄関の脇に置かれたままの千羽の仕事道具が春の目に留まる。大きなキャリーケースに、ボストンバック、他にもバッグが二、三積まれている。
「いや、その時期はショーも終わってるから、店休めば行ける」
 カレンダーをチェックする千羽のスマホをチラッと覗き見る春。まるでなにかのアートのようにカラフルだった。
「店休むのかよ……」
「今年有給使ってないからな」
「千羽さんがいいなら……おれはすげーうれしいけど」
「おう、喜んどけ。もう予定に入れた」
「急な仕事とか入ったら、ちゃんとそっち行けよ!」
「はいはい。さあて、どんな髪型にしてやろうかなー」
「ファンキーベイベーはやめろよ」
「……悪いハル、ふぁんきーべいべーがどういう髪型なのか、俺でもわかんねえわ」
 千羽と言葉を交わすうち、春の心はすっかり晴れていった。
 ──次に入れ物返しにここに来た時、千羽さんに聞こう。千羽さんが店辞める時、カットモデルも辞めるのかって。家に帰ったら、進路希望調査のあの紙に書こう。「未定」って。それだけだ。簡単なことなんだ。
 あんなにさっぱりしていた毬子も、春と同じように悶々と悩んでいた時期があったのかもしれない。毬子だけでなく、多くのクラスメイトも同じような経験をしているはず。
「なあ、ところでハル……」
 靴を履きながら、明日それとなく暁斗に聞いてみるか……などと考えていた春に、千羽が声を掛ける。
「ん? おれなんか忘れ物した?」
「いや」
 千羽の声色が若干冷たく感じ、気になって振り返った春は、再び背筋に冷たいものが走った。
 見覚えは、ある。副店長に詰め寄っていた時のあの目だ。
 なんだか怖い……春が生唾を飲み込むが、千羽の口から出たのは予想外の言葉だった。

「……マリコって、誰?」
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