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5 獣の国

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2年前、ベリルは獣の国デュラントに入った。
領主の館があるセーゼの町は大きく。
そこに教会もあった。
そこの教会にナヴァロが司祭として就任していた。

ナヴァロの送ってくれる手紙には異国の匂いがした。
見た事のない街並み。
犬の、兎の、耳をした人々。
味わった事のない食べ物。
そしてここでは乾燥したものしか見た事のない薬草が、繁々と生えているという。

家の中でベリルの居場所は無かった。
発情しないΩは役に立たない。
薬草を煎じられても、それは貴族の仕事じゃないと眉を顰められる。

結局、旅をします。
森の国でもっと薬草を学びます。
と、いう点前のまま。
家名を剥奪されて、追い払われるように国を出た。


発情期が来ないからΩのフェロモンは無い。
護身術を習ったからそこそこ強い。
フードをまぶかに被って、ベリルは乗合馬車でセーゼまでやってきた。

ヒトの国から出るのは初めてで。
自分を知らない他国で、ベリルはようやく息をつけた気がした。


森の国 "シャウル"に行く途中にと寄っただけのつもりだったのに。
ナヴァロと教会の人々が優しく受け入れてくれたのと、目新しい異国にベリルは浮かれた。


獣人とヒト族は随分昔に戦った事があると言う。
獣人の中には、ヒト族を"毛の無い猿"呼ばわりする者もいるから。と何度も念を押され。
ベリルは頭からすっぽり被るヒジャブで耳を隠していた。

ありがたい事にこの国は日差しが強いので、特に既婚女性はアルアミラやヒジャブで頭や首を覆っているので目立たない。
ベリルはいそいそと町を歩いた。



デュラントは太陽が燦々と降り注ぐ国だった。
町を行き交う人々は色とりどりの髪色をしている。
ヒトの国よりも衣装の色も派手で、原色に近い。
獣耳が生えていたり、尻尾のある人が多く、中には肌にウロコのある人もいた。
体格的にはベリルは小動物くらいらしい。
皆んな大きくて、深めにヒジャブで覆って歩いていると、リスか鼠の獣人に見えている様だった。


獣人達は大きな声で笑う。
気温はからりと暑く、木は見上げるほどに大きい。
そして黒く見える木陰には、オレンジ色に光る実がたわわに付いていた。

町を歩くと今が盛りのローホウがあちこちに咲いている。
太陽を浴び花弁を広げるその花は、紅く大きく、香り高い。
甘いけれど爽やかで、しっとりした森の苔にも似た独特な香りが空気中に溶け込んでいる。


セーゼの町には領主の館がある。
堀に囲まれた館は城塞とも言えるくらい強固で。
昔、ここで戦があった名残りらしい。
小高い山に聳え立つ館の入り口から、一本の道が真っ直ぐ街道へと延びている。
その道の途中に大きな噴水と広場があって、そこから放射状に町は広がっていた。

通りに沿って市場や商店が立ち並んで、客引きの声が出て飛び交う中を色々な食べ物の匂いが漂っている。

一本奥に入り込んだ所にある植物の市場は、嗅ぎ慣れない香辛料と珍しい花。
そして獣達の体温で、不思議の国のようだ。

初め、畏怖していた獣人達は気のいい人達ばかりで。
ベリルは教会の買い物にも一人で歩ける様になっていた。
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