あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる

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第一章 団地に来ちゃった見習い管理人④

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 見覚えのある名前だった。
「さくらがおか・だいいち・だんち」。

 胸の奥が、ひゅっと縮む。まるで、古い傷口が疼くように。
 やっぱりここは――「あの団地」だった。凛がかつて暮らしていた団地。ずっと記憶の底に埋め込み、思い出さないようにしてきた場所。

 記憶の片隅。ランドセルを背負った自分。中庭で他の子供たちの輪に入れなかった自分。誰とも目を合わせないように、うつむいて歩いていた自分。階段で転んでも、誰も助けてくれなかった日。お弁当を一人で食べた、あの寂しい昼休み。

 何年たっても鮮やかさを失わない記憶の断片が、ぱらぱらと降ってくる。

 凛はそれらを振り払った。回想にふけっている場合ではない。今はとりあえず、インターホンを押さなくては。
 仕事だ。これは仕事なのだ。

「……す、すみません。きょ、今日からお世話になります、瀬川凛です」

 ガラス越しに声をかけると、すぐに内側からガラリ、と引き戸が開いた。木の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。

「あら。思ったより、元気そうじゃない」

 出てきたのは、灰色のカーディガンにエプロン姿の、地味な初老の女性だった。ふっくらした頬に、笑いジワ。髪は後ろで一つに束ねている。だが、目だけは妙に澄んでいる。まるで、何もかも見透かすような、不思議な瞳だ。

「えっと……お千代さん、ですか?」
「ええ、お千代よ。ようこそ、裂苦楽さくらヶ丘第一団地へ。荷物、重かったでしょ。中に入って」

 お千代の気さくな口調に、凛の緊張は少しほぐれた。日常が戻ってきた気がした。
 さっきまで、見えない足音と全力鬼ごっこをしていた事実が、急に遠ざかっていく。

 靴を脱いで上がると、室内は思っていたよりも整っていた。古いけれど磨かれたフローリングの廊下に、畳敷きの部屋。昭和な吊り下げ照明の下に、洋風のソファがドンと置かれている。本当に、畳にソファだ。壁には古い時計と、色あせた団地の見取り図。棚には湯のみと、洋風のティーカップが並んでいる。

「ここが管理人棟。団地の心臓部よ。……どうしたの、顔がこわばってるわね」
「い、いえ、その……あの、さっき変な足音が……」

 凛は口に出さずにはいられなかった。気のせいだと言われるだろうか。それとも、聞き流されるだろうか。

「靴鳴らしね」

 お千代は即答した。

「え?」
「中庭に住みついてるの。悪さはしないわよ。新顔が来たから、様子を見てただけ」

 さらっと、とんでもないことを言われた。まるで、「階段に猫がいるのよ」と言うような口調で。

「く、靴鳴らし、って……あの、都市伝説とかじゃなくて?」
「伝説じゃないわよ。正直、都市でもないわねぇ、ここは」

 お千代は、スリッパの足音をパタパタと響かせながら、台所のほうへ歩いていく。

「とりあえず、お茶でも飲みましょうか。説明することが、少し多いから」

 凛はすっかり混乱していた。お茶を二、三杯飲んだ程度では、その混乱は収まるとは思えなかった。
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