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1章 有村遥(ありむらはるか)
第5話 魔女が眼鏡でやってくる
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姉と同い年くらいの妙齢の女性たちが、うちのリビングで雄叫びを上げている。
昼間なのにリビングのカーテンはぴったり閉じられていて、どこからひっぱり出してきたのか分からない、ぶっといロウソクやら、ドクロの形のランプやらが部屋中に灯されていた。そこに集う、黒装束をまとった元乙女たち。
すごく帰りたいけれど、残念ながらここは俺の家だ。
「なんなのコレ」
「クリスチナ女学園、高等部時代のオカ研部員よ。全員はちょっとムリだったけど、突発、翌日午前で3人集まればいい方よね」
クリスチナ女学園は姉の母校で、杏子が通っている学校でもある。
結構ハイソなお嬢様学校だ。
そのはずなんだが。
「ぶ……部長……あのぉ……この子ぉ……」
プラスチックレンズが主流である現代では考えられないような、分厚いグルグルビン底メガネのお姉さんが、ソファの後ろではぁはぁ息を荒らげながら俺の肩を撫でさすってきた。
「あのすごくぅ……リアルミミコちゃんなんですけどぉ……どこからぁ……拉致ってきたんですかぁ………」
生ぬるい吐息が、うなじに当たって鳥肌が立つ。
「私もここに来たときから気になってた……この子マジミミコちゃんだ……夢に出てきた、実写ミミコちゃんと完全に同じだ……」
「触り心地も一緒だ……」
「味も確かめないとでござる……」
徐々に狭まる変態包囲網。
てか、ミミコちゃんの味ってなんだよ……。
知らない大人たちに囲まれるのはけっこう圧迫感があるものだけれど、彼女たちの目の暗い輝きは、そういう次元の問題ではなかった。ニヤニヤしながら近づいてくるようで、誰も目が笑っていない。
茶髪巻き巻きのつけまバチバチ、ラウンドフレームのお洒落なメガネをかけたなショップ店員っぽいお姉さん、めっちゃよだれ垂れてるんですけど……。
俺は思わず杏子にしがみついて、小声で助けを求めた。
「杏子、食べられっ、食べられるっ」
「大丈夫だって。友達が入ってるけど、オカ研の人って謎の迫力あるよね」
杏子は、彼女らが自分の学校のOGだから安心しているのか、すまして紅茶を飲んでいる。
「当時のオカ研は、完璧少女ミミコちゃん同好会でもあったの。この反応は仕方ないわ」
「部長! さ、触ってもいいですか!?」(触りながら)
「な、舐めても……」
仕方ないの? 社会人でこの反応が仕方ないの?
「部長、ついに二次元の壁を突破したんですか……!?
二次元から美少女のサルベージに成功したわけで、
つまり、今回の会合はその結果報告……長年の夢がついに叶ったんですね!」
「フフッ、部長に先を越されちゃったみたいですね。
この研究のために何枚のディスプレイを突き破ったことか……感慨深いわ」
俺のとなりに座っている、足を組んだオールバックのお姉さんが、縁なしメガネをクイッと上げてつぶやく。俺のお腹を撫でさすりながら。
この人たち、ふだんはちゃんと社会生活送れてるんだろうか。
そしてなんなんだこのメガネ率は。
「みんな落ち着いて。この子はミミコちゃんのようでいて、
ミミコちゃんではないわ……。この子はね、私の弟なの」
姉のひとことで、変態たちがますますざわめいた。
「部長の弟さん……弟ということはつまり、は、生えてるんですかっ!?」
「な、舐めてみても……!」
「違うわ、この子は今は完全な女の子。でも昨日の昼までは、一般的な何の特徴もないクローゼットの冬服ケースの底にエロ本隠してるイカ臭い高校生男子でしか無かったのよ。杏子ちゃん、何があったか説明してあげて」
え、今エロ本の隠し場所暴露する必要あったの?
――――――てか、なんで知ってるの?
変態どもがニヤニヤしながらこっちを見てくる。体を撫ですさる手がスローでねちっこい動きに変化してきた。たすけて。
頼みの綱の杏子は俺に冷たい視線を送ると、んんっと咳払いして、昨日の出来事を話し始めた。元オカ研の変態どもは、メモを取ったりホワイトボードに要点を書いたり俺のふとももをさすったりしながら、思い思いに聞いている。
スカートの中に手を入れるのをやめろ。
「………で、川からあがってきたら、こうなっちゃってたんです」
「なるほど」
「完全にオカルト案件ね」
巻き毛さんがマーカーにフタをした。
ホワイトボードはこんな感じ。
・ミミコちゃんコミックス受け渡しの直後
・川に飛び込んで白いネコを救助
・ち○ちんは目下行方不明
・ふくらはぎ噛みたい
巻き毛さんは最後の一行を指でなぞりながら、チラチラこっちを見てくる。
いや、噛ませねえよ? 視線を外したら、じいっとこっちを見つめているオールバックさんと目があった。
「まずミミコちゃんを調べないとね」
「ハルカです」
「現時点での手がかりは、現象として現れた彼女自身だけだわ。ちょっと立ってみて」
オールバックさんはそう言いながらソファをおりて、その場にしゃがんだ。
俺が言われたとおりに立ち上がると、彼女は俺のスカートの中に手を突っ込んだ。
「おい!」
「しっ、手がかりが〝聞こえない〟わ………」
そう言って、彼女は俺のスカートの中を探り続ける。
「元に戻りたいんでしょ? だったら静かにしていて」
「……わかった」
すりすりすり、さわさわさわ、ふとももの付け根に向けて、冷たい手が這い回る。内ももにぎゅっと力が入る。
ぞわぞわと嫌悪感が皮膚を這い上ってくるけれど、男に戻るためだ、俺は目をつぶった。
ふとももの感覚をできる限り無視して、俺はその場に全然関係ないこと、針を使わないホッチキスのことなんかを考えながら、じっと調べ終わるのを待っていた。
冷たい指がショーツの中にまで入ってきている気がするけれど、気にしない。
なんかスカートに鼻息を感じるけれど、気にしない。
なんか触っちゃダメなところ触られている気がするけれど、気にしない、気にしない――。
永遠とも思える時間が経って、オールバックさんは俺のスカートから顔を出した。
みんなの方に向き直って、調査結果を報告する。
「わかりました、彼女は処女です」
「何を調べてんだァァァァァァァァァァァァァ!!!」
俺はすぐそこあるオールバックのほっぺたを膝で蹴り飛ばした。
「あふゥン!」
吹っ飛んでいったケダモノは、巻き毛さんのヒザの上に頭から突っ込んだ。
「なんだよ『手がかりが〝聞こえない〟わ………』って、全然意味わかんねーよ! なんかそういう特殊能力的なアレがあるのかと思うだろこっちは!」
「ごめんなさい、それっぽいこと言えば、いっぱい触らせてくれるかなって」
「フフ、さすがは元副部長……その冷酷無比な策士っぷり、衰えてはいないようね」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
「ちょっとは言い繕おうよ!」
ほんの少しでもこの変態を信頼してしまっていただけに、なんかすっげえ悔しい。ちょっと涙出てきたぞ。
「俺の純潔を返せよう……」
俺は杏子の腕にしがみついた。
涙目で顔を見上げると、杏子はなぜかちょっとうれしそうな顔で俺の頭を撫でた。
「まあまあ」
まあまあじゃねーよ。けっこうすごいことされたんだぞ俺は。
でもこの場に人間は杏子しかいないので、俺は文句も言わずに黙って杏子にしがみついていた。
「ちょっと考えてたんですけど、なんかそういう系の都市伝説みたいなのありましたよね。ネコにお願いしてどうこうみたいな。どこで聞いたんだったかなあ……」
杏子は俺の頭を撫でながら、自分の耳たぶを触って何かを思い出そうとしている。
すると巻き毛さんが、ぽんと手を叩いた。
「あったあった。それもチナ女内だけの、かなりローカルな奴よ。しかも、七不思議には入ってなくて……」
「正確には……クリスチナ女学園裏十六不思議のひとつです……七不思議はチナ女の設立当初からありましたけれど……裏十六不思議は……われわれの先々代が編纂したもので……内容も結構ディープ……ウフフフ……当時の会誌……持ってきてますよ……」
ビン底メガネさんはソファの横に置いてあった、今から海外旅行にでも行くのかよっていうくらいの大きいスーツケースを開いた。
ぶわっと部屋にホコリが舞う。
「ウフフ……げっほがっほ……どこだったかなァ………
オカ研の資料全部持ってきたから……ごほっ………」
ロウソクの灯りの中でセキ込みながら、もうもうとホコリを巻き上げるスーツケースを物色する黒装束。
その後ろ姿だけで、これ以上ないほどオカルトだった。
「……あの、電気点けますね」
杏子が気を利かして、蛍光灯をつけた。
ぱあっと明るくなって、視界が青く開ける。
うわ……部屋がホコリまみれだ……。
やがてビン底さんが、ホコリの舞う中をゆらりと立ち上がった。
「フフ……これです……懐かしい……」
取り出されたのは、一冊の本だ。
パンパンとホコリをはたいて、テーブルに置いた。
OA用紙と製本テープで手作りされたもので、表紙には当時のオカ研メンバーによるものと思われるミミコちゃんのイラストが描かれている。
「これ、にゃも子が描いたのよね? かっわいい~」
姉が懐かしそうに、ピンク色の表紙に指をすべらせた。
「やめてよ部長、恥ずかしいよも~」
巻き毛さんが、頬に手を当てて体をくねらせた。
俺は杏子の腕から離れると、ウザい感じで盛り上がる元乙女たちから会誌を奪い取って手元に置いた。
杏子がそのページを開く。
「えーと……裏十六不思議はクリスチナ女学園において泡沫的に語られる都市伝説の集成であり、学園設立当初から存在したとされる学園七不思議とはその成立を異にするもので……はいはい……ふむん……あったあった! 願いを叶える白ネコ、これだ!」
俺は杏子の横から会誌をのぞき込んだ。
『メリヤス女学園の広い敷地には、ネコが何匹か棲みついている。
願いを叶える白いネコは、その中の一匹だ。
もちろん、見たことがある人はほとんどいないけれど。
この白い子ネコが困っているときに助けてあげれば、
願いがひとつ叶うんだって。
たとえば、おなかが空いているときにご飯をあげたり、
木から降りられなくなっているときに下ろしてあげたり。
そのときに強く想いを念じれば、白ネコはその願いを叶えてくれる。
ある生徒は、白ネコのひっつき虫を取ってあげたおかげで、
難関大学に合格したらしい。
ネコにいつも餌をあげていたある先生は、
宝くじの1等を当てて学校をやめたとか。
叶えたい願いがある人は、ネコ缶を持って学園を探検するのもいいかもね。
願いを取り消したくなった人は、あきらめてください(笑)』
つ……使えねえ!
オカ研使えない上に文末の(笑)がハンパなくイラッとくる。
目の前の変態どもが、女子高生時代にキャッキャウフフと盛り上がりながら丸文字で(笑)とか書いてるのを想像すると、ぶつけどころのない理不尽な怒りが湧いてくる。
「やはりどうにもならないようね……」
俺たちの上から会誌を見ていた姉は、そこから顔を上げると、
ビン底メガネさんと目を合わせた。
「フフフ……では、アレを出すしかないみたいです………」
ビン底メガネさんは、待ってましたとばかりにもう一冊取り出した。
ドサッとテーブルに置かれたそれは、マンガ雑誌くらいの大きさの巨大な革張りの本だった。
炎で炙ったかのように黒ずんだ分厚い表紙は、にぶい光沢を帯びている。
蛍光灯が放つ青白い文明の光が本を照らすと、それは本の抱くおぞましい歴史を濃く透き通したかのような妖しい褐色に変わり、その光はまるで薬液のように私の瞳孔に浸透していった。
未だ目にしたことのない厚い材質で作られた表紙、そのくすんだ冒涜的な色あいは、見る者の胸に不安の澱となって沈んでいくようだ。
何代もの手垢にまみれた金文字は、すり切れていてもはや読みとることができない。
ただ、表紙に同じく金箔で描かれた、名状しがたいある形象の一部は、未だわずかにその姿を留めている。
本にはおぞましい緑色の分厚い皮帯が巻かれていて、背表紙にはそれを留める金細工の鍵があった。その鍵穴は外宇宙を思わせる真の闇であって、そこからしたたり落ちる冷気が、部屋を陰湿に濡らしていくようだった。
そしてその鍵にも、表紙の金文字が描くものと同じ意匠が象られている。
神を呪うかのごとく暗い輝きを湛えたその形象は、たとえその一部をちらと目にするだけであっても、自らのちっぽけな人生の器から、こぼれ落ち溢れてしまいそうなほどの深い憂鬱、そして古代の怪物が遠い歴史の洞穴から這い上ってくるような、焼けただれるような焦燥を私の胸に呼び起こすものであった。
それは人間が歴史を紡ぐ上でその正統を保つために、幾度と無く濯がれた罪や汚辱が、何万年も堆積して邪悪な泥の沼となり、そこからのっそりとかま首をもたげた悪夢のように見えた。
と、思わず冒涜的な思考が溢れ出すほどの禍々しさ。
「えへへ……持って来ちゃった………」
ビン底さんは、てへぺろっと舌を出して、自分の頭をコツンと叩いた。
「あー、なつかしーっ! 部室にあったよね?」
巻き毛さんとオールバックさんもテーブルに寄ってくる。
「なみえ、まだそれ持ってたのね。ちょっと見せてよ」
「えへへ……」
「いやいや、なにその『卒業アルバム持って来ちゃった~』みたいなノリ!? えげつないオーラ発してるんだけど!! なんか黒い湯気みたいなの出てるんだけど!」
俺はまた杏子の腕にしがみつく。
姉は怪しい笑みを浮かべて、メガネのブリッジに中指を当てた。
「なにって、本物の魔導書よ……」
昼間なのにリビングのカーテンはぴったり閉じられていて、どこからひっぱり出してきたのか分からない、ぶっといロウソクやら、ドクロの形のランプやらが部屋中に灯されていた。そこに集う、黒装束をまとった元乙女たち。
すごく帰りたいけれど、残念ながらここは俺の家だ。
「なんなのコレ」
「クリスチナ女学園、高等部時代のオカ研部員よ。全員はちょっとムリだったけど、突発、翌日午前で3人集まればいい方よね」
クリスチナ女学園は姉の母校で、杏子が通っている学校でもある。
結構ハイソなお嬢様学校だ。
そのはずなんだが。
「ぶ……部長……あのぉ……この子ぉ……」
プラスチックレンズが主流である現代では考えられないような、分厚いグルグルビン底メガネのお姉さんが、ソファの後ろではぁはぁ息を荒らげながら俺の肩を撫でさすってきた。
「あのすごくぅ……リアルミミコちゃんなんですけどぉ……どこからぁ……拉致ってきたんですかぁ………」
生ぬるい吐息が、うなじに当たって鳥肌が立つ。
「私もここに来たときから気になってた……この子マジミミコちゃんだ……夢に出てきた、実写ミミコちゃんと完全に同じだ……」
「触り心地も一緒だ……」
「味も確かめないとでござる……」
徐々に狭まる変態包囲網。
てか、ミミコちゃんの味ってなんだよ……。
知らない大人たちに囲まれるのはけっこう圧迫感があるものだけれど、彼女たちの目の暗い輝きは、そういう次元の問題ではなかった。ニヤニヤしながら近づいてくるようで、誰も目が笑っていない。
茶髪巻き巻きのつけまバチバチ、ラウンドフレームのお洒落なメガネをかけたなショップ店員っぽいお姉さん、めっちゃよだれ垂れてるんですけど……。
俺は思わず杏子にしがみついて、小声で助けを求めた。
「杏子、食べられっ、食べられるっ」
「大丈夫だって。友達が入ってるけど、オカ研の人って謎の迫力あるよね」
杏子は、彼女らが自分の学校のOGだから安心しているのか、すまして紅茶を飲んでいる。
「当時のオカ研は、完璧少女ミミコちゃん同好会でもあったの。この反応は仕方ないわ」
「部長! さ、触ってもいいですか!?」(触りながら)
「な、舐めても……」
仕方ないの? 社会人でこの反応が仕方ないの?
「部長、ついに二次元の壁を突破したんですか……!?
二次元から美少女のサルベージに成功したわけで、
つまり、今回の会合はその結果報告……長年の夢がついに叶ったんですね!」
「フフッ、部長に先を越されちゃったみたいですね。
この研究のために何枚のディスプレイを突き破ったことか……感慨深いわ」
俺のとなりに座っている、足を組んだオールバックのお姉さんが、縁なしメガネをクイッと上げてつぶやく。俺のお腹を撫でさすりながら。
この人たち、ふだんはちゃんと社会生活送れてるんだろうか。
そしてなんなんだこのメガネ率は。
「みんな落ち着いて。この子はミミコちゃんのようでいて、
ミミコちゃんではないわ……。この子はね、私の弟なの」
姉のひとことで、変態たちがますますざわめいた。
「部長の弟さん……弟ということはつまり、は、生えてるんですかっ!?」
「な、舐めてみても……!」
「違うわ、この子は今は完全な女の子。でも昨日の昼までは、一般的な何の特徴もないクローゼットの冬服ケースの底にエロ本隠してるイカ臭い高校生男子でしか無かったのよ。杏子ちゃん、何があったか説明してあげて」
え、今エロ本の隠し場所暴露する必要あったの?
――――――てか、なんで知ってるの?
変態どもがニヤニヤしながらこっちを見てくる。体を撫ですさる手がスローでねちっこい動きに変化してきた。たすけて。
頼みの綱の杏子は俺に冷たい視線を送ると、んんっと咳払いして、昨日の出来事を話し始めた。元オカ研の変態どもは、メモを取ったりホワイトボードに要点を書いたり俺のふとももをさすったりしながら、思い思いに聞いている。
スカートの中に手を入れるのをやめろ。
「………で、川からあがってきたら、こうなっちゃってたんです」
「なるほど」
「完全にオカルト案件ね」
巻き毛さんがマーカーにフタをした。
ホワイトボードはこんな感じ。
・ミミコちゃんコミックス受け渡しの直後
・川に飛び込んで白いネコを救助
・ち○ちんは目下行方不明
・ふくらはぎ噛みたい
巻き毛さんは最後の一行を指でなぞりながら、チラチラこっちを見てくる。
いや、噛ませねえよ? 視線を外したら、じいっとこっちを見つめているオールバックさんと目があった。
「まずミミコちゃんを調べないとね」
「ハルカです」
「現時点での手がかりは、現象として現れた彼女自身だけだわ。ちょっと立ってみて」
オールバックさんはそう言いながらソファをおりて、その場にしゃがんだ。
俺が言われたとおりに立ち上がると、彼女は俺のスカートの中に手を突っ込んだ。
「おい!」
「しっ、手がかりが〝聞こえない〟わ………」
そう言って、彼女は俺のスカートの中を探り続ける。
「元に戻りたいんでしょ? だったら静かにしていて」
「……わかった」
すりすりすり、さわさわさわ、ふとももの付け根に向けて、冷たい手が這い回る。内ももにぎゅっと力が入る。
ぞわぞわと嫌悪感が皮膚を這い上ってくるけれど、男に戻るためだ、俺は目をつぶった。
ふとももの感覚をできる限り無視して、俺はその場に全然関係ないこと、針を使わないホッチキスのことなんかを考えながら、じっと調べ終わるのを待っていた。
冷たい指がショーツの中にまで入ってきている気がするけれど、気にしない。
なんかスカートに鼻息を感じるけれど、気にしない。
なんか触っちゃダメなところ触られている気がするけれど、気にしない、気にしない――。
永遠とも思える時間が経って、オールバックさんは俺のスカートから顔を出した。
みんなの方に向き直って、調査結果を報告する。
「わかりました、彼女は処女です」
「何を調べてんだァァァァァァァァァァァァァ!!!」
俺はすぐそこあるオールバックのほっぺたを膝で蹴り飛ばした。
「あふゥン!」
吹っ飛んでいったケダモノは、巻き毛さんのヒザの上に頭から突っ込んだ。
「なんだよ『手がかりが〝聞こえない〟わ………』って、全然意味わかんねーよ! なんかそういう特殊能力的なアレがあるのかと思うだろこっちは!」
「ごめんなさい、それっぽいこと言えば、いっぱい触らせてくれるかなって」
「フフ、さすがは元副部長……その冷酷無比な策士っぷり、衰えてはいないようね」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
「ちょっとは言い繕おうよ!」
ほんの少しでもこの変態を信頼してしまっていただけに、なんかすっげえ悔しい。ちょっと涙出てきたぞ。
「俺の純潔を返せよう……」
俺は杏子の腕にしがみついた。
涙目で顔を見上げると、杏子はなぜかちょっとうれしそうな顔で俺の頭を撫でた。
「まあまあ」
まあまあじゃねーよ。けっこうすごいことされたんだぞ俺は。
でもこの場に人間は杏子しかいないので、俺は文句も言わずに黙って杏子にしがみついていた。
「ちょっと考えてたんですけど、なんかそういう系の都市伝説みたいなのありましたよね。ネコにお願いしてどうこうみたいな。どこで聞いたんだったかなあ……」
杏子は俺の頭を撫でながら、自分の耳たぶを触って何かを思い出そうとしている。
すると巻き毛さんが、ぽんと手を叩いた。
「あったあった。それもチナ女内だけの、かなりローカルな奴よ。しかも、七不思議には入ってなくて……」
「正確には……クリスチナ女学園裏十六不思議のひとつです……七不思議はチナ女の設立当初からありましたけれど……裏十六不思議は……われわれの先々代が編纂したもので……内容も結構ディープ……ウフフフ……当時の会誌……持ってきてますよ……」
ビン底メガネさんはソファの横に置いてあった、今から海外旅行にでも行くのかよっていうくらいの大きいスーツケースを開いた。
ぶわっと部屋にホコリが舞う。
「ウフフ……げっほがっほ……どこだったかなァ………
オカ研の資料全部持ってきたから……ごほっ………」
ロウソクの灯りの中でセキ込みながら、もうもうとホコリを巻き上げるスーツケースを物色する黒装束。
その後ろ姿だけで、これ以上ないほどオカルトだった。
「……あの、電気点けますね」
杏子が気を利かして、蛍光灯をつけた。
ぱあっと明るくなって、視界が青く開ける。
うわ……部屋がホコリまみれだ……。
やがてビン底さんが、ホコリの舞う中をゆらりと立ち上がった。
「フフ……これです……懐かしい……」
取り出されたのは、一冊の本だ。
パンパンとホコリをはたいて、テーブルに置いた。
OA用紙と製本テープで手作りされたもので、表紙には当時のオカ研メンバーによるものと思われるミミコちゃんのイラストが描かれている。
「これ、にゃも子が描いたのよね? かっわいい~」
姉が懐かしそうに、ピンク色の表紙に指をすべらせた。
「やめてよ部長、恥ずかしいよも~」
巻き毛さんが、頬に手を当てて体をくねらせた。
俺は杏子の腕から離れると、ウザい感じで盛り上がる元乙女たちから会誌を奪い取って手元に置いた。
杏子がそのページを開く。
「えーと……裏十六不思議はクリスチナ女学園において泡沫的に語られる都市伝説の集成であり、学園設立当初から存在したとされる学園七不思議とはその成立を異にするもので……はいはい……ふむん……あったあった! 願いを叶える白ネコ、これだ!」
俺は杏子の横から会誌をのぞき込んだ。
『メリヤス女学園の広い敷地には、ネコが何匹か棲みついている。
願いを叶える白いネコは、その中の一匹だ。
もちろん、見たことがある人はほとんどいないけれど。
この白い子ネコが困っているときに助けてあげれば、
願いがひとつ叶うんだって。
たとえば、おなかが空いているときにご飯をあげたり、
木から降りられなくなっているときに下ろしてあげたり。
そのときに強く想いを念じれば、白ネコはその願いを叶えてくれる。
ある生徒は、白ネコのひっつき虫を取ってあげたおかげで、
難関大学に合格したらしい。
ネコにいつも餌をあげていたある先生は、
宝くじの1等を当てて学校をやめたとか。
叶えたい願いがある人は、ネコ缶を持って学園を探検するのもいいかもね。
願いを取り消したくなった人は、あきらめてください(笑)』
つ……使えねえ!
オカ研使えない上に文末の(笑)がハンパなくイラッとくる。
目の前の変態どもが、女子高生時代にキャッキャウフフと盛り上がりながら丸文字で(笑)とか書いてるのを想像すると、ぶつけどころのない理不尽な怒りが湧いてくる。
「やはりどうにもならないようね……」
俺たちの上から会誌を見ていた姉は、そこから顔を上げると、
ビン底メガネさんと目を合わせた。
「フフフ……では、アレを出すしかないみたいです………」
ビン底メガネさんは、待ってましたとばかりにもう一冊取り出した。
ドサッとテーブルに置かれたそれは、マンガ雑誌くらいの大きさの巨大な革張りの本だった。
炎で炙ったかのように黒ずんだ分厚い表紙は、にぶい光沢を帯びている。
蛍光灯が放つ青白い文明の光が本を照らすと、それは本の抱くおぞましい歴史を濃く透き通したかのような妖しい褐色に変わり、その光はまるで薬液のように私の瞳孔に浸透していった。
未だ目にしたことのない厚い材質で作られた表紙、そのくすんだ冒涜的な色あいは、見る者の胸に不安の澱となって沈んでいくようだ。
何代もの手垢にまみれた金文字は、すり切れていてもはや読みとることができない。
ただ、表紙に同じく金箔で描かれた、名状しがたいある形象の一部は、未だわずかにその姿を留めている。
本にはおぞましい緑色の分厚い皮帯が巻かれていて、背表紙にはそれを留める金細工の鍵があった。その鍵穴は外宇宙を思わせる真の闇であって、そこからしたたり落ちる冷気が、部屋を陰湿に濡らしていくようだった。
そしてその鍵にも、表紙の金文字が描くものと同じ意匠が象られている。
神を呪うかのごとく暗い輝きを湛えたその形象は、たとえその一部をちらと目にするだけであっても、自らのちっぽけな人生の器から、こぼれ落ち溢れてしまいそうなほどの深い憂鬱、そして古代の怪物が遠い歴史の洞穴から這い上ってくるような、焼けただれるような焦燥を私の胸に呼び起こすものであった。
それは人間が歴史を紡ぐ上でその正統を保つために、幾度と無く濯がれた罪や汚辱が、何万年も堆積して邪悪な泥の沼となり、そこからのっそりとかま首をもたげた悪夢のように見えた。
と、思わず冒涜的な思考が溢れ出すほどの禍々しさ。
「えへへ……持って来ちゃった………」
ビン底さんは、てへぺろっと舌を出して、自分の頭をコツンと叩いた。
「あー、なつかしーっ! 部室にあったよね?」
巻き毛さんとオールバックさんもテーブルに寄ってくる。
「なみえ、まだそれ持ってたのね。ちょっと見せてよ」
「えへへ……」
「いやいや、なにその『卒業アルバム持って来ちゃった~』みたいなノリ!? えげつないオーラ発してるんだけど!! なんか黒い湯気みたいなの出てるんだけど!」
俺はまた杏子の腕にしがみつく。
姉は怪しい笑みを浮かべて、メガネのブリッジに中指を当てた。
「なにって、本物の魔導書よ……」
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