俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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2章 城ヶ崎漣(じょうがさきれん)

第10話 大人のキスを教えて

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爽やかな木漏れ日を浴びながら、今日もポプラ並木のもとを歩く乙女たち。

細い小道を抜けて、歴史ある校門をくぐれば、そこは聖なるマリア様のお庭。

「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

汚れを知らない乙女の笑顔は、マリア様に習ってつつしみ深く、親しみを込めて交わす朝の挨拶は、小鳥のさえずりのように清く明るい。

明るい色の学生鞄は、両手で持ってしずしずと。
靴音はあくまで静かに。
スカートのプリーツは決して乱さず、膝下ひざもとで小さく揺れるだけ。

私立クリスチナ女学園。

ここは乙女の園―――。



「つまり彼女たちは自然に振る舞えば決して発生しない仕草しぐさをこうしてわざわざ演じてみせることで、その立ち振る舞いを身につけるまでについややす膨大な余暇よかと、それを生み出す資産を持っていることを無意識にアピールしているわけだ」

さっきからずっと鞄の中で、ネクロノミコンがひねくれたお嬢さま論をくどくどとのたまっている。

「相手に不愉快な思いをさせないという大義名分たいぎめいぶんのもと、権力者の見栄のために長い年月をかけておりのように積み重なったいわゆるマナーと呼ばれるものの成れの果てがああいうものだ。人間の自らの獣性じゅうせいに対する反動形成の結晶のようなものだよ、彼女たちはその犠牲者ぎせいしゃだ」

「うるせーよ」

念のために連れてきてはみたものの、やかましくって仕方がない。

「親に課せられた共同幻想のために、腕のひとつも自由に動かせなくなった少女を眺めるのは楽しいかね? 私は楽しい」

俺は鞄からはみ出てきた触手を指で押し込んで、しっかりとふたを閉じた。

それにしても、門をくぐってからこっちドキドキしっぱなしだ。
右を向いても左を向いても女子生徒ばかり。
匂いからして、どこ行ってもなんか汗くさい男子校とはまるで違う。
目をつぶって大きく息を吸えば、そのまま風に乗って天国に連れて行かれそうな甘い芳香。
「ごきげんよう」と挨拶を交わす上品な仕草。柔らかい物腰。
あの元気っ子の杏子が通っている学園とは思えない。
いや、みんな杏子と同じ制服を着ているわけだけれど。

なんだかこれだけ女の子が多いと自分が男だとばれそうな気がして、どうしても隅っこばっかり歩いてしまう。
それだけ存在感を消しているのに、なんだかみんなこちらをチラチラ見て、足早に去っていくように見える。

「やはり、美しすぎるとそれはそれでコミュニケーションの妨げになるのかな」
「くだらんことを言ってないで職員室を探したまえ」

鞄からくぐもった声が響いた。

そんなふうに人目を避けたり避けられたりしているうちに、徐々に外を歩く生徒は少なくなり、そのうちに誰もいなくなってしまった。

「まだ時間早いよな。なんで誰もいないんだ?」

俺は鞄の蓋を開けて、中のネクロノミコンに話しかけた。
魔導書はすまして答える。

「知らなかったのか。ホームルームは8時50分からだが、その前に朝の聖書朗読の時間がある。それが8時40分からで、それに伴って朝のお祈りが8時35分。そしてその5分前行動ということで8時30分には教室にいないといけない」

「遅刻じゃねーか!」

俺はあわてて玄関に向かった。
ローファーを靴箱に乗せて、持ってきた上履きに急いで履き替えると、廊下をひた走ってクラスに向かう。
面接は2年のクラスがあるフロアで行われたので、教室の場所ならだいたい分かるし、表札が掛かっているのも知っている。

2年ふじ組、ここだ。
中から声が聞こえてくる。

「はい、では続きを城ヶ崎じょうがさきさん」

あれ? 姉の話だと、ここでは下の名前にさん付けが正しかったはず。
いや、それは生徒だけの話なのか。
それよりも『城ヶ崎さん』――確かにそう聞こえた。

ぎ、と椅子の動く音。
そうか、今から聞こえるのが俺とキスする少女の第1号である城ヶ崎れんの声なのだ。
少しの間の静寂を置いて、ほのかにかすれたような、甘い声が耳をくすぐった。

「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか……」

どこか、幼い響きの残る声。

遅刻したのは正解だったのかもしれない。
女の子を落とすための良い女養成訓練中、姉はこんなことを言った。

「遅刻は転校生最大の武器になり得る」

まず相手の意表を突く。
転校初日からまさかの遅刻なんて、と。
しかもそれが、相手と1対1で向き合う瞬間であれば、より強くこちらの印象を植え付けることができる。

城ヶ崎――いや漣さんは今、ひとり教室で立って朗読中。
そこに俺が乱入すれば、俺と彼女は1対1で真っ正面から向き合うことになる。
7日間にも及ぶ訓練、姉の教えを活かすときだ。
城ヶ崎漣のくちびるを奪うまでの、タイムリミットは5日。
空前絶後くうぜんぜつごのモテ女と化した俺にとっては、決して短い時間ではない。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、
 あなたがたも人にしなさい。
 これこそ律法と予言者である……」

漣さんの可憐かれんな声が響く。
俺は意を決して、あえて正面側の扉を開いて中に飛び込んだ。

「いや~んちこくちこくぅーっ☆」

内股で走って教卓に激突。掴みはオッケーだ。
女の先生が顔を真っ青にして後ずさりしてるけど、これは新入生の自己紹介のためにスペースを確保する教育的配慮はいりょだと思われる。

「あ~んごめんなさぁーい☆」

頭を軽くコツンと叩いて、舌をペロリ。

教室がざわめく。
みんながこの俺に注目している――この史上空前しじょうくうぜんの美少女に。

俺は斜めのポーズで片ヒザを上げて、両手をネコの手にして頭の上にかざした。
頭には堂々たるネコ耳が鎮座ちんざしている。
週間少年漫画誌大の巨大な赤いリボンが跳ねる。
ウェストでぐるぐる巻いて超ミニにしたスカートが揺れる。
驚異のボタン4つあけで、大きく開いた胸元からこぼれんばかりの巨大な谷間。
赤いチョーカーについた鈴がしゃらんと鳴った。

「今日からみんなの新しいアイドル☆
 きゃりるん、ぴかりん、有村ハルカちゃんの登場だニャン☆
 仲良くしてくれなきゃー、ダ・メ・な・ん・だ・ゾー?
 よろしくグッピー♪」

華麗にウィンクを決めた。
ド派手2段盛りのつけまつげがバッチーン☆
女の子たちは感動のあまり、時間が止まったようにぴくりとも動かない。
ひとり動いているのは窓際の席に座っている杏子で、こっちを指さして口をぱくぱく動かしている。俺のパーフェクト☆っぷりに言葉も出ないようだ。
姉と毎日夜更けまで練習した甲斐があった。

杏子の反対側――廊下側の席で、さっきまで聖書を朗読していた城ヶ崎漣が、本を取り落とした。
廊下を吹き抜ける風が教室に入って、ゆるふわパーマの柔らかそうな明るい色の髪を揺らした。
やや幼い曲線を描く丸い頬は、思わず触れてみたくなるほどすべらかに見えたが、少し青ざめているようだ。

運命の相手に出会った衝撃で気が動転しているのかな?
俺は彼女の方に前屈みになって、胸を強調する悩殺ポーズをキメた。

「よろしくニャ……」

「ドアホ―――――――――――――――――――――!!!!!」

窓ガラスがビリビリ震えるほどの大音声だいおんじょう
声の主は杏子だった。俺を指さしたまま、肩で息をしている。
ふたたび教室がざわめき始めた。

「……今の杏子さん?」
「ひょっとしてお知り合いなのかしら」
「今“どあほ”って聞こえたのだけれど……」
「杏子さんがそんなこと言うはずないじゃない」

杏子はしまった! という顔で俺の方を見た。
そして首を振ると、気を取り直したように大きな声で、

「ド、ドアの方! ドアの方に移動しましょうハルカさん! ドアの方に! 先生、有村さんは脳の気分が激しくお悪いようなので保健室に付き添ってもよろしいでしょうか!?」

「……はい……それでは小西さん……お願いします」

顔を真っ青にした先生はの視線は虚ろで、焦点が合っているようには思えない。

「おやおや、すっかり惚れさせちゃったかニャ? てへっ☆ ぐえっ」

俺は前に出てきた杏子に首根っこを掴まれて、教室から引きずり出された。

「ちょっと待ってニャ、気分悪くなんか……」

ずんずんと足音高く、俺は保健室までひっぱって行かれた。

「……どうしたの?」

保健室のドアをぴっしゃーんと閉めて、杏子は肩で息をしている。
先生はいないようだった。

「どうしたのっじゃなーい!! なんなのその有様は? ていうか何その格好?」
「なにって、姉ちゃんと考えた最高のモテ女子……」

「モテるわけないでしょドン引きだわよ! なにそのアホみたいにでっかりリボン? なにその首の鈴は? ネコ耳は? そのアホみたいに短いスカートは? 胸元開き過ぎなのよほんとなに考えてんの? ニャンって何? ニャンってにゃんだぁあぁぁぁぁぁああああ!!??」

「落ち着きたまえ」

俺の鞄から触手が顔を出した。

「落ち着けるわけないでしょ、なんでこんな痛々しいことになってるの? あんたも止めなさいよ! ってか分かって暴走させてるでしょ!」

「私はファッションといえばブックカバー以外にはとんと疎くてね。実に残念だー、彼の金字塔を通り越してもはや時代の徒花あだばなとなった80年代アニメ文化的萌え要素ゴテ盛り珍扮装と、たとえア○パンマンの世界に生まれ変わろうとも教師生徒一丸となってイジメられそうな痛々しいキャラに気付くことができなかったー」

「えらい詳しいじゃない!」
「え……ひょっとしてこの格好が……モテない……?」
「モテるわけないでしょ、マンガにも出てこないわよそんな女」

俺はその場で崩れ落ちて、ヒザをついた。

「姉ちゃんが、ミミコちゃんを私好みに改造できるなんて夢みたいって……こんなに気合い入れたのに……あの努力はいったい………」

戦前の女の子同士の恋愛をテーマとしたエス文学の発展から、秋葉原の盛衰、アパレル業界の未来まで、様々なテーマを織り込んだ姉との議論は、に入りさい穿うがつ精妙さをもって進められ、ときに大胆なパラダイムシフト的転回を見せて、このモテ女スタイルを作り上げたはずだったのだ。

それがどうして――。

「密室での長時間に及ぶ議論が、いかに現実からかけ離れた答にたどり着くかという、まさにお手本のような迷走っぷりだった」

ネクロノミコンは鞄の中から触手を振り回して喜んでいる。

「分かってんなら止めなさいよ!」

「では私が解決策を教えてやろう。今すぐそのネコ耳を取って、代わりにウサ耳を装着するのだ。そして首輪をはめて鎖をじゃらじゃら言わせながら『ご主人さま募集中だぴょん♪』これでいこう」

「よ、よし」
「何がよしか!」

俺は杏子からすべてのオプションパーツをはぎ取られて、ブラウスのボタンは上まで止めさせられ、腰で折り込んだスカートは元の長さに戻された。

姿見を見ると、そこにはただの美少女がいた。
規格外の胸はプリーツの入ったブラウスに品よく収められ、そこにふわりと乗った紺色のタイ。
スカートの長さはあくまで品よく膝下で揺れる。

「すごく普通だ……」

俺が感想をもらすと、杏子はネコ耳カチューシャを指でくるくる回しながら言った。

「普通でいいの。みんなそこから始めるの。言っとくけどあんたその状態でも十分目立つからね。顔もかわいいし、胸もおっきいし……ほんと何が入ってるのよコレ」

杏子は俺の胸に顔を近づける。

「触ってみる?」
「結構です」

そう言うと彼女は屈めた体を起こして、腰に手を当てた。

「まずマトモな人間として入ってこなきゃ、壁ができちゃうのよ。テレビや舞台の向こうの人だったら、それでもいいのかも知れないけれど、一緒に学校生活を送るんだから、楽しいことだけじゃなくて、辛いこととか大変なことも共有しなくちゃいけないの。だからマトモに話ができる相手じゃないと信用してもらえないし、信用してもらえなければ心が動くこともあり得ない。女の子同士の警戒心って、男よりずっと強いのよ。まずは信用できるお友達になりなさい」

ぐうの音も出ない正論だったので、俺はちょっと言い返したくなる。

「でも、最初に友達の位置に収まっちゃったらさ、そこから恋愛関係に発展させるのは難しいって姉ちゃんが」

俺がそんなことを言うと杏子は、

「そんなの分からないでしょー!」

ちょっとびっくりするくらいの大きな声で怒鳴った。

「お、おう……」

保健室がシーンとしてしまった。

怒らせちゃった?

でも杏子を見ると、怒っているというより、予想外に大きな声が出て自分でも驚いているという感じで顔を赤くしている。
俺は何か言わなくてはと思って、とりあえず

「ごめん……」

なんか謝ってしまった。
それを聞くと、杏子は慌ててわたわた手を振って、

「そうじゃなくて、そうじゃないのよ……とにかく、きちんとしなきゃダメってことよ。話し方も、普通の女の子みたいにして。そこからスタートなんだから」

取り繕うようにそう言うと、踵を返して保健室の扉を開いた。

「とにかく、もう1時間目が終わるくらいまでベッドの中にいなさい。熱がでておかしくなってたってことにしましょ。ちょっと無理があるけど。おとなしくしてなさいよ」

杏子はそう言うと、あたふた保健室を出て行った。
1時間目が終わるくらい、というのがまじめな杏子の許すサボりのぎりぎりのラインなのだろう。

「せわしない小娘だな」
「だよなー」

あはははははは、とネクロノミコンと笑いあっていると、また急にドアが開いてネコ耳カチューシャが俺の顔面に飛んできた。

「ふんっ」

杏子はまたぴしゃんとドアを閉めて教室に戻っていった。
ネコ耳カチューシャが転がって、むなしい音を立てた。
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