俺は美少女をやめたい!

マライヤ・ムー

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3章 藤枝宮子(ふじえだみやこ)

第33話 DA-DAN DAN-DADAN

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目を覚ますと、俺は暗い部屋の中にいた。
窓の外には摩天楼、真っ暗な空に満月が浮かんでいる。

俺はとりあえず起きあがろうとしたのだが、体が言うことをきかない。首を起こしてみると、全身がガムテープでぐるぐる巻きにされていた。

「ネクロ、ちょっとこれ剥がしてくれ」

「人間どもの干からびたゴムみたいな指と違って、私の触手はウェットで繊細なのだ。そういう作業には向かない」

ネクロノミコンは、ちっちっちっと触手を振りながら言った。

確かに、テープを剥がすのって指の先に爪が生えている俺たちだからできることであって、タコの触手では難しそうだ。

「クッソ、もう夜だ。キスの期限って、厳密に言うといつまでなんだ?」

「きっかり12時までだ」

身動きできないが、なんとかしないとまずい状況だ。しかし俺の記憶はバンから振り落とされたところで途切れている。

「せめて、ここがどこかわかればな……ネクロはわかるか?」

「ずっと鞄に入ってたんだ、わかるわけないだろう」

杏子に連絡を取らなきゃいけない。警察を呼ぶことも考えたが、そうなると里奈さまはもう学校にはいられなくなるだろう。彼女は会長の不思議な力に心を狂わされているのであって、けして悪い人ではないはずだ。

しかし、全身縛られた状況では、スマホも使えないな――そうだ。

「おいネクロ、俺の鞄からスマホ出してくれ」

「スマホ……いつも君らがいじり回している石版のことか」

ネクロノミコンは鞄からスマホを取り出して、俺の顔の前に転がした。

「その状態でどうやって操作するつもりだ」

「お前がやるんだよ。その触手で」

ガムテープは剥がせないが、スマホにタッチするくらいはできるだろう。

「私が? ハッ! 人の目を歴史の堆積たる書物から引き剥がし、くだらんお遊戯に終始させている堕落の象徴たるその石版を私に使わせようと言うのかね、冗談じゃない」

「お前だって、祝福の分け前が欲しいんだろう? 俺はお前ほど長く生きてきたわけじゃないけど、こういうチャンスが滅多にないってのはわかるよ」

俺は縛られた体をなんとか引き起こしながら言った。

「祝福のエネルギーってのがお前にとってどれだけの価値を持ってるのかは知らないが、俺が男に戻れなくなったらお前もそれを得るチャンスを棒に振ることになるんだぞ」

「……………仕方ない。だが勘違いするんじゃあないぞ、私にとっては君の災難も暇潰しみたいなものなんだからな」

ネクロは、しぶしぶと触手をスマホに伸ばした。

文明との接触が幾度かあったとは言え、1300年前に生まれた奴にスマホの操作法を教える困難さは、想像を絶するものだろう。

そう思っていたのだが、ネクロノミコンはなかなか頭が柔らかいらしい。いくつか操作の基本を教えると、すぐにコツを掴んだ。

「ハルカ、この部屋にもポ○モンがいるぞ」

「いいから早くマップ開いて!」

真っ暗な部屋の中で、画面が俺とネクロノミコンを照らす。

マップアプリを起動させると『ナカトミグランドホテル』に、現在地の旗が立っていた。ここはホテルの一室らしい。

次に新着メッセージを開かせると、思った通りSNSに杏子から連絡が来ていた。

『 大丈夫? 目、覚めてる? 怪我してない? 』

「ネクロ、大丈夫だって送ってくれ」

「任せろ」

『 わがなはねくろのみこん かんじがうてない 』

「上に変換候補が出てるだろ、そこから選ぶんだよ」

「なるほど」

すぐに杏子から返信があった。

『 ネクロ? ハルカはどうしたの? 』

『 ガムテープで巻かれている さながら百年生きたミノムシ 』

「場所を教えてやれよ」

「ミノムシも百年生きれば喋るらしい」

『 ナカトミグランドホテルにいる 』

『 近い すぐ行く 』

頼もしい返事が返ってきた。しかしここが何号室かわからないことには、どうしようもない。どうしたものか考えていると、隣の部屋から声が聞こえてきた。女の声だ。

「……………」

俺は芋虫のようにもぞもぞ体を動かしながら、ドアのすぐ前まで這いずっていった。ドアの向こうから、息も絶え絶えという感じの、か細い声が聞こえてくる。



「だめよ里奈……自暴自棄でそんなことをしてはダメ……」



会長の声だ!
俺はネクロノミコンに小声で囁いた。

「おい、『そんなこと』ってどんなことだと思う? 囚われたお姫様がされちゃう『そんなこと』って、どんなことだと思う?」

「落ち着け。浅ましく興奮するのはわかるが、そういうこととも限らないぞ」

「……どういうこと?」

「里奈という娘は、会長の傍にずっといたんだろう。それも、なにもせずにじっと我慢しながら。ほんの束の間であの杏子がアホみたいになる会長の前でずうっとだ。溜まりに溜まって爆発した慕情が、もう止められなくなって今回のような事件を引き起こした。周りを巻き込んで、会長を薬か何かで眠らせさえして。そういう破滅的な道ならぬ恋の、行き着く先はだいたい決まっている」

ちょっとだけ興奮していたところに、水をぶっかけられた気分だった。

「里奈さまが、心中する気だって言いたいのか?」

「可能性はあるということだ」

男に戻れるとか戻れないとか、そんな些事を飛び越えて事態は差し迫っている。ドアに体当たりしてみようかとも思ったが、今こちらに気付かせたところで何もできない。

「何か、止める方法はないのか」

「古代ギリシャでは、テッサリアの巫女は空から月を隠すことができたそうだ。これはプラトンの筆にも乗せられた事実だ」

ネクロノミコンが、妙な話を始めた。

「これは偉大なる魔術の系譜だ。テッサリアの魔術は、このネクロノミコンを構成する源流のひとつなのだ」

ネクロノミコンの触手が、するするとページの狭間に消えた。ページが1枚、2枚、とめくれていく。

「それがどうしたってんだ」

「私も同じ力を持っているということだ」

ページのめくれるスピードがどんどん上がっていく。白い残像を残し、風を起こすほどになって、その中心に光が見え始めた。光は明かりの消された部屋の中で、壁や天井を青白く、まだらに照らした。

月を隠す。ネクロノミコンはそう言った。
俺は窓の外を見た。

ビルの上に冷たく輝く満月。
その輪郭に、虫の大群のような黒い影が現れ始めた。
おぞましい影は蠢きながら月の光を蝕んでいく。
悪夢のような光景だ。

――気が付くと、空から月が消えていた。まるで新月の夜のように。

「……なるほど、新月の夜は祝福の力が弱まるって言ってたな」

つまり、会長の人の心を惑わす力も弱まるということだ。これで里奈さまの暴走に歯止めをかけられるはずだ。

「見たか、これが私の力だ。畏れ敬い崇拝し、二度と逆らわないことだ。だが、この力はそう長くは持たんぞ」

「それでも、会長の力が抑えられるなら……」

そこまで言って、俺はとんでもないことに気が付いた。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「ですから申し上げましたように、宿泊されたお客様のお部屋番号は、個人情報なのでお伝えできないんです」

私はホテルのロビーでずいぶん粘ったのだが、帰ってくる答えは変わらなかった。

「お電話をなさってはいかがでしょう?」

「……………」

それができれば苦労はしない。しかし状況によっては、あまりハルカの電話を鳴らし続けると、里奈さまに取り上げられることも考えられる。

キスの期限は今日まで。12時までだと考えたら、後数時間で片を付けなければいけない。そうでないと、私の女としての人生は終わってしまう。

クリスチナ女学園で過ごす花束のような時間を投げ捨てて、筋骨隆々のおじさまとしてこれからの人生を生きていかなければならなくなる。

ブルース・ウィ○スはカッコいいし好きだけれど、別に一体化したいわけじゃない。戦争映画が好きな人だって、戦争に行きたいわけじゃないでしょう?

そんなことを考えていると、またSNSに着信があった。

『 どっか隠れて 』

どういう意味だろう? 私は周りを見た。黒服の人がやたらと多い。お葬式でもあったんだろうか。続くメッセージを見ると、血の気が引いた。

『 ネクロが新月にした 』

新月に? しようと思ってできるものなの?
あの魔導書のことだから、そういう力もあるのかもしれない。
でも待って、新月――。

私の脳裏に、薫風寮の夜での惨劇がよみがえる。
過ぎ去りし大災厄アルマゲドン――ああ、思い出したくもない。
続くメッセージ。

『 隠れて 男になるぞ 』

隠れる場所、隠れる場所、隠れる場所――。

トイレ――だめだ、この制服のまま出て行かなくちゃいけなくなる。
外――もってのほか!

体の奥が、ぞわぞわしてくる。体に変化が起こる前兆だ。もう時間がない。

周りをキョロキョロ辺りを見渡していると、フロントの扉から従業員が出てきた。手に抱えているのは、不織布のカバーに包まれたスーツのようだ。あの奥はクリーニング室らしい。誰も私を見ていないことを確かめると、従業員が出てきた扉に飛び込んだ。

扉を2つ抜けて、杏子はクリーニング室を見つけた。扉の小窓から、服が並んでいるのが見えたのだ。運の良いことに、というかそうでなければ詰みなのだが、中には誰もいなかった。

私は吊されて並ぶ衣服に体を隠しながら、靴と制服を脱いだ。あの夜に着ていたブラウスはもちろん、ブレザーもスカートも、すっかりダメになってしまった。また新しい制服をお母さんに頼むのは申し訳ない。ブラも外して――ショーツはさすがに履いたままでいるつもり。

ブラの肩紐から腕を抜く同時に、ぐんと体が膨らんだ。肩幅が広がる、腕や足が太くなって、ああ、悪夢だ――ショーツがミチミチいっている。体は薫風寮の夜よりも少し大きくなっているみたいだ。

私はぺたぺたと顔を触ってみる。高い鼻、窪んだ眼窩。濃い眉毛。ダメだ、やっぱり触っただけじゃわからない。

とりあえず入る服を探さないと。ここに置いてある物は、当然誰かの物なんだろうけれど、申し訳ないが背に腹は代えられない。私はハンガーに掛けられた服を物色した。

このスーツは小さすぎる、このタキシードも腕が通らない。ずいぶん大きな体だ。ブ○ース・ウィリスでないとすれば誰だろう。最近見た映画ってなんだったっけ――。

ようやくサイズの合う服を見つけた。黒革のパンツだ。股間に感じる重量感を極力意識せずに足を通すと、丸太みたいな太股はきちんと収まった。一緒に吊されていた、同じく黒革のジャケットに腕を通す。こっちも大丈夫。

履く物はどうしようかと辺りを探すと、『レンタル』と印刷された黄色いシールの貼ってある靴箱があった。なるほど、これでスニーカーで来ちゃった人もセレモニーに参加できるわけだ。私はそこからぴったりの革靴を見つけて、血管の浮いたでっかい足をそこに収めた。

これで大丈夫かな――いや、私は思い返す。

この間のできごとで、ブルース・○ィリスはロサンゼルスで逮捕されてしまったのだ。このまま堂々と外に出たら、また無辜むこのハリウッド俳優に迷惑をかけることになりかねない。

何か顔を隠す物はないかしら。

靴箱の横の棚をあけてみると、中に小さなクリアボックスが重ねてある。クリアボックスには番号がついていて、中には時計とか老眼鏡なんかが入っていた。おそらくスーツに入れたままだった小物を保管しているのだろう。

その中からサングラスをみつけた。これがあれば、顔の印象も紛れるだろう。サングラスをかけると、世界に薄く緑がかかった。

私は廊下に人がいないことを確認すると、また扉を2つくぐって、ホテルのロビーに出た。

最初に目が合った女の人は、目を丸くして口元を押さえた。里奈さまの部屋を教えてくれなかったフロントの人も、ぽかーんとこちらを見つめている。気が付けば、みんなが私を見ていた。やっぱり、有名な人らしい。周りからざわめきが聞こえてくる。

「……あれ、知事じゃね?」

「どう見ても知事なんですけど」

知事? 政治家さん?
何事かとフロントに尋ねている人もいる。

「いったい何が始まるんです?」

私はロビーの壁にある鏡に体を映してみた。



――デデンデンデデン!
(私の脳内に響きわたった何の脈絡もないBGM)



がっちりした体格、胸元に覗く膨れ上がった筋肉。黒革のジャケットもパンツも、サングラスまでがあつらえたようにしっくりきているこのスタイル。

そうだ、私が最近見た映画は、未来から来たロボットが主人公を助けるアレだった。ドラ○もんじゃない方のやつ。主人公を狙う抹殺者ターミネーターと戦うやつ。それも、2の方だ。

私は思わず呟いた。



「あいるびー・ばっく……」(CV:玄田哲○)



ロビーに拍手が巻き起こった。
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