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しおりを挟む悠人の人生は、何かが終わり、何かが始まる終着駅のホームでしか進まなかった。
その夜も、彼は終電間際の中央線のベンチに深く座り込んでいた。
今日のプレゼンでの小さなミスが、まるで過去の大きな失敗の焼き直しのように、重くのしかかる。「忘れてしまいたい」彼は無意識にそう願っていた。
そんな悠人の隣に、彼女はいた。
澄んだ目をした、薄紫色のワンピースの女性。深夜のホームにいるにはあまりにも透明感があり、まるで光を吸い込んでいるかのようだ。
「あの……誰かを待っているんですか?」
悠人が声をかけると、彼女は少し驚いたように微笑んだ。
「誰かに声をかけられるのは久しぶりで……。ふふ、私は誰かを待っているというより、どこかへ行くためのきっかけを待っているんです」
彼女は雫と名乗った。
話してみると、彼女は今日の出来事、ニュース、流行っている歌すら知らないようだった。
会話はチグハグだったが、その無知さが、悠人にとって心地よかった。
忘れてしまいたい過去を知らない彼女の前では、彼はただの、声をかけてきた親切な男でいられたからだ。
「そういえば、これ」
悠人は鞄から、昨日コンビニで買った星型のピーチ味の飴を取り出し、彼女に差し出した。
「よかったら。疲れたときには甘いものが一番ですよ」
雫は不思議そうな顔をしたが、「ありがとうございます」と言って受け取った。
彼女の指先が、一瞬だけ悠人の手に触れる。その瞬間、彼の胸に微かな桃の香りと、夏の日の強烈な後悔がフラッシュバックした。
ー 忘れたい ー
頭の中で声が響く。そして、彼女の体が、微かに揺らいだように見えた。
「そろそろ、時間です」
雫が立ち上がったとき、ホームに終電到着を告げるベルが鳴り響いた。
悠人が「え?」と声を上げる間もなく、彼女の体はまるで夜露が蒸発するように、ふわりと光の粒に変わり、音もなく消えていった。
彼の手に残ったのは、冷たい夜風と、桃の飴の甘い匂いだけだった。
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