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接吻-kiss-

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 1人で使うには少し大きいのに、2人で入るには少し小さい。そんな傘の中で、缶ビール片手に僕らはとぼとぼと歩いていた。
「なんかさ、傘に当たる雨の音ってさ、缶の中で弾けるビールの音みたいだよね。」
「呑気だなぁ。お前は。」
「へへへへ。へへん。」
「へへん。ってなんだよ。」
「へへへへの丁寧語だよ。」
「そんなの聞いたことねぇよ。」
 くだらない話をしながら歩いていたら、あっという間に彼女の家に着いた。彼女の家は駅から約10分。僕の家と駅との中間地点にあるので、歩き慣れた道のはずなのに、この日はやけに早く感じた。
「着いたー。」
 彼女が傘の中から、アパート軒下に飛び出していく。なんだかちょっと寂しい気がした。
「肩少し濡れちゃったから、部屋入ったらすぐ着替えるんだぞ。風邪引かないようにな。」
「優男か。ねぇ、ちょっと飲み足りないし、一人で宅飲みも寂しいからさ、家寄ってかない? この前のお礼と今日のお礼もしたいし。」
「お前な。若い女の子が知らない人を簡単に家にあげちゃダメだぞ。」
「もう知らない人じゃないじゃん。」
 冷静な頭とは裏腹に心が弾んだ気がした。”もう知らない人じゃない。”その言葉が堪らなく嬉しかった。
「もし俺が押し倒したりしたら、どうするんだよ。」
「その時は、お父さんが警察官だから。」
「え。」
「嘘~。」
 してやられた。戯けて笑う彼女が眩しくて、僕は堪らず目を逸らした。
「ほら、おつまみも沢山買っちゃったからさ~。はい。あがったあがった。」
「それでそんなに買い込んでたのか。」
「へへへ。あ、間違えた。へへん。」
「それはどっちでもよくないか?」
「よくない!」
「そうか。分かった分かった。じゃあ、お言葉に甘えて。」

 彼女の部屋は204号室。2階の一番奥だ。ビニール傘を肘にぶら下げ、階段を上がって行く。ドアの前に着いたところで、彼女は何かを思い出したように慌て出す。
「あ。ごめん。ちょっと待ってて。部屋片してくる。」
 慌て出した理由はこれか。なんかちょっと可笑しかった。
「気にしないから大丈夫だよ。」
「女の子は気にするの!」
 自分のことを急に”女の子”と言いだした彼女が、堪らなく可愛く思えた。

 10分程が経ち、ドアが開いた。
「OK! いいよー!」
「お邪魔しまーす。」
 彼女の部屋はワンルームだった。玄関から部屋までの間にトイレ、お風呂、キッチンがある。部屋は中心にテーブルがあり、それを挟むようにテレビとソファ、1番奥にベッドがあった。
「ちょっと着替えるから、座って待っててー。」
 そう言うと彼女は洋服を抱え、脱衣所へ消えていった。僕はソファに腰を下ろし彼女を待った。
「お待たせ。待った?」
 缶ビールを抱えた、部屋着姿の彼女が現れた。Tシャツにショートパンツ姿の彼女が。
「飲む気満々じゃねぇか。」
「へへん。おつまみもあるよー。はい。これチョコレート!」
「チョコレート? いつもつまみにチョコレート食べてるの?」
「チョコ好きなんだもん。他のもあるよ。はい。これさきいかと柿ピー。」
「よかったー。てか、先にこっち出せよ。」
「えへへ。」
 そう言うと、彼女は僕の隣に腰掛け、豪快に缶ビールのプルタブを開けた。
「はい。これお兄さんの分。あ。そういえばさ、名前教えてよ。」
「そうか。まだお互い名前知らなかったんだよな。秋野徹。宜しく。」
「徹さんだね。私は坂田千夏。こちらこそ宜しく。」
「さん付けは好きじゃないから、呼び捨てでお願いします。」
「なら、私も呼び捨てにして。私のが歳も下だろうし。」
「分かった。千夏。」
「徹。」
 自分からお願いした割に、いざ名前を呼ばれると照れ臭いような、少し擽ったいような感じがした。

「ねぇ。テレビ付けていい? 録画してた音楽番組があってさ。お兄さ、徹は音楽好き?」
「好きだよ。」
「どんなの聴く? 邦楽聴く?」
「うん。聴くよ。てか、洋楽しか聴かないように見えた?」
「いや~、たまにそういう人も居るじゃない?」
 また彼女が笑う。
「大丈夫。邦楽も洋楽もジャンルに拘らず聴くから。」
「そっか。良かった。じゃあ付けるね。」
 着けたテレビからは暫くCMが流れて、その後The Coversの田島貴男の回になった。サザンオールスターズのいとしのエリーを歌いあげている。
「撮り溜めた音楽番組ってこれか。」
「そうそう。知ってた? 田島貴男好き?」
「うん。知ってたし、田島貴男好きだよ。カラオケでいつも歌うから。」
「えー! そうなの? 聴きたかった!」
「今度行けばいいじゃん。」
「いいの?」
「うん。勿論。」
「やったー!」
 その後は、The Coversを観ながらだらだらと過ごした。
「田島貴男は何歌っても田島貴男なんだよなぁ。」
「それ分かる。キリンジのカバーとかもそうだったもん。」
「それ聴いたわ。あれはあれで良かったんだけどね。」
 なんて会話をしながら。

 そうこうしていると、あっという間に缶ビールが空いていく。彼女は自分の家だからか、気を利かせて冷蔵庫番をしてくれた。
「ずっとビールでいい? こんなのもあるけど。クラフトビーール!」
「結局ビールじゃんか。」
「ビール好きなんだもん。」
「右に同じ。」
 この通り、途中からクラフトビールになった。正直、もう既に酔っていたので、味はあまり覚えていないのだけど。

 一通り飲んで気持ち良くなったからか、僕らの睡魔との闘いが幕を開けた。各々がシングルマッチだ。なんとか踏ん張って、そろそろ帰ることを彼女に伝えようと近付いた。
「徹気持ち悪い。」
「またかよ。大丈夫か?」
「ベットまで運んで。」
そう言うと彼女はぐったりと項垂れた。
僕は項垂れている彼女を抱き抱え、窓際のベットまで運んだ。
「ねぇ徹。ちょっと耳貸して。」
「耳?いいけど。」
 そう言われて彼女に近付いたら、彼女が僕の首にしがみ付いてきて、そのまま抱き締めるような形になった。彼女の吐息が耳元で響く。少し荒い息遣い。そのまま僕の唇は奪われた。
「へへん。」
 してやったり。と言ったところか。彼女は悪戯に笑った。
「やったな。」
 今度は僕から彼女の唇を奪う。

 The Coversが流れていたテレビは、いつの間にか別の番組に変わり、ORIGINAL LOVEの『接吻-kiss-』が流れていた。
「ホント好きなんだな。」
「うん。」
 長く甘いくちづけなんかじゃなかった。短い口づけを重ねた。何度も何度も。ほんのりIPAが香るビターなキスだった。そのことを笑い合ったりして。あの頃の僕らはそんなことで幸せだった。



To be continued.
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