上 下
12 / 16

ひみつ

しおりを挟む
 週明け、彼女を取り戻した僕は文字通りご機嫌だった。家を出て、鼻歌混じりで歩いて行く。軽快に改札にSuicaを押し当てて、踊るようなステップで電車に乗り込む。職場の最寄駅である目黒に着いてからも、ルンルン気分で歩いていたら、案の定淳に見付かった。
「おいおい。どうしたどうした。徹今日めっちゃ元気じゃん。」
「おー。淳おはよう。ちょっと良いことがあってさ。」
「お。さては彼女戻ってきたのか。」
「あはは。バレたか。」
「バレバレよ。顔に書いてあるっての。良かったじゃん。」
「淳の言った通りになったね。」
「そうだろ。そうだろ。任せとけってんだよ。」
「神様仏様淳様だわ。ありがとう。」

 ご機嫌のまま席に着き、PCの電源を入れる。起動したところで金子部長からお呼びが掛かった。
「渡辺。秋野。ちょっと来てくれ。」
「はい。」
 朝から上機嫌の僕らを待っていたのは、これまた嬉しい知らせだった。
「先日先方にお断りを入れた案件、声優が決まったらしい。」
「本当ですか。」
「本当だとも。これでウチの手は離れたわけだ。」
「部長。お断りの連絡入れた時点で手は離れてますよ。」
「渡辺。揚げ足を取るなよ。」
「すいません。」
「まぁこれで一安心だよな。あとは完成待ちだ。」
「そうですね。ありがとうございます。」
 三人ともほっとした表情をしていた。
「金子部長。ちなみに今回の方は、何と言う声優さんに決まったのでしょうか。」
 金子部長が少し驚いたように僕を見る。
「なんだ、秋野は声優さんに詳しいのか?」
「いや、有名な方なのか気になりまして。」
 完全に出来心だった。
「今回はアマチュアの方だそうだ。ちょっとまってくれよ。どれどれ。」
 そう言うと、金子部長は資料をペラペラめくり始めた。
「あった。これだ。えっとな。今回は坂田千夏さんという人になったそうだ。」
 一瞬頭が真っ白になった。あんなに僕の誘いを嫌がっていた彼女が何故。頭の中にクエッションマークが浮かぶ。
「秋野どうした? 知ってる人だったのか。」
「いえ。なんでもないです。すいません。」


 その場を後にした僕は、直ぐに彼女に連絡を入れた。
「ちょっと話がある。今週の金曜日少し時間を作ってくれない?」
 すぐに既読が付き、返信が来る。
「金曜日ね!了解!」
 端的なLINEを交わし、落ち合う約束をした。

 金曜日の仕事終わり、北千住で落ち合った僕たちは、西口を出たところにある『お好み焼き 嵯峨野』へ。席に着くや否や、ビール2つと牛筋天、海鮮塩もんじゃ、冷やしトマト、枝豆を注文した。直ぐにビールが運ばれてきて、グラスを交わす。
「かんぱ~い!」
 一口飲んで、早速本題を始める。居ても立っても居られなかったのだ。
「千夏あのさ。ちょっと話があるんだけどさ。」
「なあに。」
 彼女がニッコリしながら、首を傾げている。
「今日職場で聞いてびっくりしたよ。声優やる気になったんだな。」
「話ってやっぱりそれか。バレちゃったか。」
 頭を掻きながら、照れ臭そうに笑う彼女。
「何か心境の変化があったの?」
 彼女はビールをゴクリと飲み、話し始める。
「私ね、ずっと逃げてたんだと思う。色んなオーディションで落ちまくって、漸く決まった仕事が前回のやつでさ。内容は短いセリフを幾つか録っておしまい。やっと決まった仕事がそれで、結果的にちょっとしたトラウマになっちゃったんだ。」
 少ししょんぼりした表情を見せた後で、彼女は続きを話し始める。
「今思うと、あの時アイツと一緒になろうとしたのも、きっと自分の夢から逃げたかったってのもあると思うんだ。家庭を築くことで、妥協したゴールに辿り着けると思ったんだと思う。」
 僕は彼女の話しをじっと聞き続けた。
「でもね、徹と出逢って変わりたくなった。徹が仕事頑張ってるの知ってるし、どんなことにも前向きに頑張ろうとする姿に、心動かされるものがあった。私も前向きに生きてみようかなって。そう思ったの。過去の思い出したくない出来事も、上書きすることが出来るんじゃないかって。」
 真剣に考えて出した答えだったということに安心感を覚える。素直に良かったと思う。しかしながら、一つ気になることがあった。
「じゃあ、なんでまず俺に連絡くれないんだよ。」
「なんかそれだとさ、徹を利用したみたいで嫌じゃない。」
 彼女が両手を広げてケラケラ笑う。
「だからね、中村さんに直接連絡したの。」
「なるほどね。てか、なんで中村さん知ってるの?」
「元旦那と中村さん知り合いだったからさ、あの仕事の後も何度か会ったことあったのよ。だから、連絡先も知ってたの。」
 彼女の元旦那さんは元々ウチの会社に居た。知り合いでも可笑しくはないか。
「でも、よく中村さんのとこの案件だって分かったね。」
「あれ?徹と前に飲んだ時に言ってたよ?もしかして覚えてない?」
「マジで。俺酔っ払って機密事項話してたのか。ダメじゃん。俺。」
「ダメだよ。」
 二人してゲラゲラ笑った。

 散々飲んで、お腹を満たした僕らは嵯峨野を後にした。帰り道、夜空に三日月を見付けて君がはしゃいでいたのを覚えている。
「三日月ってさ、夜空が笑ってるみたいに見えるよね。」
「言われてみれば、確かにそうだね。」
「分かってくれてありがとう。」
「どういたしまして。でも、月って写真で撮ろうと思っても、全然上手く撮れないよな。」
「いいんじゃない? 別に記念写真なんて要らないんだよ。今こうして二人で見上げてる。それだけでいいんだよ。」
 そう言って彼女は優しく微笑んだ。

 彼女の家が近付いてきたところで、突然彼女の足が止まった。どうしたのかと彼女の顔を覗き込む。
「ねぇ。そろそろ徹の家行ってみたいんだけど。」
 満を持して出てきた言葉はそれだった。
「あれ、来たことなかったんだっけ。」
「うん。駅からだとウチのが近いから、いつもウチじゃん。」
「そうか。確かにそうだね。」
「ねぇ。今日行っていい?」
 突然の要望に目を丸くしながら答える。
「まぁいいけど、、、、あれだ。少し片付けるから待っててくれれば。」
「私待~つわ! いつまでも待~つわ!」
「ありがとう。それなら、家の裏がローソンだからさ、片付けるまでそこで時間潰してて貰える?」
「うん。分かった。」
 彼女をローソンまで送った僕は、慌てて自宅マンションに向かう。オートロックを解除して、エレベーターで五階へ。ドアを開け、超特急で机の上を片し、散らかった雑誌をマガジンラックに入れる。トイレのトイレットペーパーを三角に折り、玄関の靴を揃える。これで準備完了だ。一目散にローソンへ戻る。

「ごめん。遅くなった。」
「大丈夫だよ。それより、なんか買ってく物ある?お酒とか買ってく?」
「そうだね。買ってこう。」
適当にお酒とつまみを見繕って、家に向かう。
「徹の家はマンションなの?」
「マンションだよ。」
「何階?」
「5階。」
「リッチじゃん。」
「階層でそんなに変わるか。確か家賃そんな変わんなかったぞ。」
「まぁなんでもいいじゃん。」
またケラケラと笑う彼女。僕も釣られて笑う。自宅マンションに着き、オートロックを開け、エレベーターで五階へ。自宅前で立ち止まる。
「いよいよ念願の徹邸だぁ。」
「そんな素敵な場所じゃないぞ。」
「いいの。いいの。」
鍵を開ける。
「はい。どうぞ。」
ドアを開けた彼女の表情が固まる。



「え。徹、、、家族居たの。」





To be continued.
Next story→『家族の風景』

しおりを挟む

処理中です...