寿命公平法

川砂 光一

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第1話

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 その男性は、寒風吹きすさぶ中、建物の前に立ち尽くしていた。ここまで来たものの、やはり入る決心がつかない。怖い、怖いのだ。恐怖と寒さで、震えが止まらない。
 このことから逃げ出したい。しかし、1人だけ逃げようだなんて、そんなわがままは許されない。特に自分は。
 でもやはり……。ああ、どうすればいいんだ。
 男性が頭を抱えていると、その建物、すなわち公平署から人が出てきた。公平署員だ。署員は男性に声をかけてきた。
「本日40歳になられたのですよね?」
「うっ……。ええと……その……そうです……」
 男性は、風にかき消されそうな声で答えた。
「お誕生日おめでとうございます」と署員。
「あ、ありがとうございます……」
「この世に未練が残る気持ちはわかりますよ。でもそれは、みんな同じです。公平な社会のためです。それは、あなたもよくわかっていることでしょう。処分を受ける、と心を決めてください」
 公平署員は厳しい口調で言った。
「そ、そうですよね」
 男性はぎこちなくうなずいた。
「さあ、こちらへどうぞ」
 署員は公平署の入り口を示した。その言葉に押し流されるように、男性はゆっくりとそこへ入っていった。
 公平署の中は暖かかったが、体の震えは止まらない。
 署員が尋ねた。
「ご家族はお見送りにいらっしゃらないのですか?」
「ええ、なるべく精神的な負担をかけさせたくなくて」と男性。
「なるほど、お優しいのですね」
「本当にこれでいいのか、わからないんですけどね。息子には、このことを伝えてすらいませんし」
「お子さんにはショッキングな話ですからね」
「はい……。しかし、私が帰ってこなければ、おかしいと思うでしょう。一応妻がそれらしい理由をつけてくれると思いますが、いつかは知ってしまうんでしょうね。あんなに純真無垢でかわいい子が悲しむ姿を想像すると、胸が痛みます」
 男性は言った。
 そして、いろいろ身分確認をされる。
「生年月日は、1900年1月16日で間違いないですか?」
「はい」
 そのような質問を終えると、署員は言った。
「あちらが処分室になります。行ってらっしゃませ」
 胸をつかまれたような感覚。
(ああ、最期の時はすぐ目の前まで迫ってきた。俺の人生はあと数十秒だ)
 男性は嘆いた。震える足を前に動かして、案内されたところへ向かう。
 歯を食い縛りながら、処分室に入った。部屋の中は明るかったが、心は闇の奥深くにあった。
(うわぁぁぁぁっ!!)
 男性は心の中で叫んだ。もう、救われることはないんだ。何も考えない。
 数十秒後、男性は何も感じなくなった。

 あるマンションの一室、一つの家庭があった。母親と幼い子供、合計2人。しかし子供は思っていた。全員で3人いると。
 やがて夕食の時間になる。2人は席についた。
「わあ!僕の好きなハンバーグだ!」
 子供はそう言って、すぐさまかぶり付こうとした。
「いただきますは?」と母親。
「あっ、そうか。忘れてた。いただきます!」
 子供は手を合わせて言った。そして、ハンバーグをおいしそうに頬張る。
「お父さん遅いね。まだかな?」と子供。
「口に物を入れたまましゃべらない」
 母親が注意した。
 子供はハンバーグを飲み込むと言った。
「お父さん、まだ帰ってこないね」
「ちょっと仕事が忙しいんだと思う」
「そっかぁ……。早く帰ってくるといいね」
 子供は言った。
 母親は考える。やはり、嘘を教えておくのはかわいそうかもしれない。真実を知った時の絶望が、より大きくなるかも……。やはり、教えた方がいいのだろうか。寿命公平法のことを。
 そして母親は、子供の目を見て言った。
「実は……、お父さんはもう帰ってこないんだ」
「えっ、なんで?」
 子供は驚いた様子で言った。
「お父さんは……もうこの世にはいないんだ」
 母親は恐る恐る言った。子供の顔がこわばる。
 話を続ける母親。
「40歳になった人はあの世へ行く、そういう決まりがあるの。世の中には、長生きできる人もいれば、若くして亡くなる人もいる。でも、みんな同じ人間。人生の長さが違うのは不公平でしょ。だから、なるべく公平にするために、寿命を40歳で刈りそろえているの。もっと若くして亡くなる人もいるから、完全に公平にはならないんだけどね」
 子供の目に、見る見る涙が浮かんでくる。箸を放り出すと、叫んだ。
「何言ってるんだよ、お母さん!そんなのおかしいよ!いやだよ!」
「これはね、法律で決まっていることなの」
 母親は優しい声で言った。
「そんな……。お母さんも……、お母さんも40歳になったら死んじゃうの?」
 涙声で子供は尋ねた。
「うん……そういうこと」と母親。
「そんなの嫌だ!お母さん、死なないで!死んじゃダメ!」
 子供は涙を流しながら、母親の服をつかんで言った。母親は、子供の頭をそっとなでる。
(この子にこのことを教えるのは、やっぱりまだ早かったかしら。)
 壁にかけられた亡き夫の写真を見つめながら、母親は心の中でつぶやいた。写真の中の夫は、長身の体をかがめて優しく微笑んでいた。
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