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リッターの妹の話 〜 セシリーちゃんの夕食会

1,リッターの妹

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その夕刻、町から少し外れた住宅街にあるリッターの家は、異様なバター臭さに満ちあふれていた。

「ううう……俺は、俺は、もう…………」

ダンクがあまりの辛さに口を押さえる。
そもそもダンクがお姫様抱っこできないために、痩せると覚悟を決めてくれたから、バター料理を食べに来た。
それは理解できる。が、彼女のバター好きがここまでとは思わなかった。
セシリーのバター備蓄解放は、恐ろしいまでに重い料理のオンパレードだ。

キッシュにナイフを入れると、ドッとバターがあふれてくる。
野菜のスープと思ったら、スープはすべて溶けたバターだった。
卵料理は油か白身かわからない。
パンはすべてがバターに浸かった激甘超フレンチなトーストで、肉も魚も冷めたところからバターが固まって、クリーム色の世界に変わりつつあった。

「誰か……助けて…………」

ダンクがカランとフォークを落とす。
知らず涙が流れる。
最初の数口はバターが溶けてて何とか食えた。
でも、これはもうバター食ってるとしか言えない。
気持ち悪い、飲み込めない。
どうしようと、何度も玄関のドアを振り向いた。

リッターは、3局周りで遅くなっているサトミを待つからと逃げた。
目の前では平気な顔でセシリーが黙々食べている。

怖い……
俺はサトミよりセシリーちゃんの胃が怖い……

「あら、ダンクぅもっと食べないとぉ、あたしぃまた重くなっちゃうじゃないぃ~?
お兄ちゃん達の分はまだあるのよぅ、たべてたべてぇ~」

彼女がくるくるプラチナブロンドの巻き毛をふかふかの指でくるくる回す。

セシリーは痩せてた時の写真見ると、美人系リッターと違って、ぷっくり優しい顔した超可愛い子だ。
リッターが言うところによると、自分は母親そっくりだけど、妹は口元くらいしか似てないらしい。
昔はマジでくるくるした目で可愛くて、守ってやらなきゃと必死だったらしい。


そう、バターと出会うまでは。


当たり前だが太っても妹だ。太っても構わないけど、バター依存が怖いとリッター談だった。
意味不明だったけど、なんだか少しわかってきた。

ダンクがさっさと決めろとサトミにド突かれながら買ったティーカップ、喜んでくれたのはいいが、彼女はそれに溶かしバターと砂糖を入れて、ごくごく飲み始めた。


あ、あれ?バターって、飲み物だったっけ?


見てるだけで気持ち悪い。

「ね、ねえ、セシリーちゃん。バターの備蓄って、何オンス(1オンス約28グラム)あんの?」

「あ、えっとぉ、10ポンド(約4.5キロ)くらい買ったばっかりなのぉ。
お兄ちゃん、ビックリしてぇ、その日帰ってこなかったのよぅ。
妹1人にしてぇ、ひっどいと思わない?」

「……え?じ、じゅっぽんどって、聞こえたけど、俺の耳変かな?」

「うん、もう!」

セシリーちゃんが、のしのし歩いてキッチンの冷蔵庫を開ける。
そこには、なんかバターと書かれた紙に包まれた固形物がビニールに入れられてみっちり押し込まれている。
ダンクはそれを見ると、死体でも見たようにヒィッと息を飲んで立ち上がり、壁際までよろよろと後ずさった。

「こ、こんなにどこで売ってんの?」

「ロンドじゃ買い溜めできないでしょう?だからデリーまでね、買いに行ったの。
ほら、日が落ちたら気温下がるでしょ?明るい時にデリー行って、日が暮れたら買って帰ってくるのよ。
一度怖いおじさんたちに捕まったけど、3人ばかり銃でぶち殺したら、逃げちゃったわ。
だって、なあんだバターかって一個放り投げちゃったのよ?
暗くて見えなくて、結局見つからないし、あたい泣いちゃったわ。」

ハッとした。
リッターが一度急に、妹が事件に関わったって休んだ時だ。
女が夜中に荒野越えとか尋常じゃねえ。

依存症こええ……

「ねえねえ、もっと食べて?何で食べてくれないの?美味しいでしょう?
あたい悲しいわ、これでバターとおさらばなんて……でもいいの!まだちょっとバター残ってるしぃ。
ねえ、だから遠慮いらないのよぉ?ねえ、なんで食べないのよぉ!」

セシリーちゃんの微笑みをたたえた巨体が迫る。

油が喉を通ろうとしない。口ん中ドロドロだ。
俺は……俺は一体どうすれば……いいんだああああああ!!



「どうぞ~、狭いけどな。って、ダンク何してんの?」

そこへ、リッターがサトミ連れて帰ってきた。

「お、おにいさーーーーんん!!こわかったよおおお!!」

リッターに思わず飛びつく。と、逃げられた。

「何で逃げんの?」

「バターくせえから」

「なっにがバター臭えだ!てめえ!妹どうなってんだよ!」

「だから言ったじゃん!お前が考えてるより深刻なんだってよ!」

ボカボカ殴り合う男2人の横から、ぴょこんとサトミが顔を出す。

「くんくん、うーん、これがバターって油の臭いかー……何か家中がくっせえ。」

「あら、お兄ちゃん、こちらどなた?」

サトミの前に、セシリーがのしのし歩いてくる。
サトミが彼女を見て、ふうんと腕を組んだ。

「はじめまして、ミス・セシリー……だっけ。俺はサトミ・ブラッドリーってんだ。
郵便局の新入りだ、よろしく。
ふうん、ダンク、彼女を抱えられないって?」

「そ、お前わかるかなー、こう両手でお姫様抱っこよ。だからー・・・え?」

サトミが彼女に歩み寄る。
怪訝な顔の彼女に手を伸ばすと、横からいとも簡単にサトミがお姫様抱っこした。

「「 えええええええええええええええええ!!!! 」」

「なあんだ、どんな重量級かと思ったら、大したことねえわ。
これなら片手でもオッケー。」

ひょいと右手で片手抱っこする。

「し、しまった、こいつ筋肉馬鹿なの忘れてた。」

リッターがつぶやく。
やっとバターやめる気になってくれたのに、決意が潰えたらどうしよう。

アイコンタクトしたくても、サトミは小さいのではるかに大きいセシリーで埋まっている。
やがて彼女をポンと降ろすと、テーブルに歩み寄って見回した。

「へえええ、これがバター料理か。なんか真っ白だ。
室温で固まる油か~、獣系缶詰みたいだな。
うーん、なんかマズそう。」

マズそうと、はっきり言うサトミに、仰天してリッターが妹を見る。
が、彼女はボーーーっと立ち尽くして夢見心地だ。

「王子だわ……」

「ちょ、いや、待て!お前の王子はダンクだろ?!
お前あんなにダンク好きって言ってたじゃん!」

リッターが、焦って妹に叫ぶ。

「あたいくらい抱えられなくて、何が王子よ!ダンクは却下だわ!」

セシリーの心に、何か訳のわからない火が付いた。
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