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喧騒の子守唄
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「どうも静かなのって苦手なんだよね」
イツキは夜、決まって窓を開けてしまう。部屋は窓が防音になってるからちゃんと閉めれば夜は静かなのに、イツキは絶対に窓を開けて寝る。
「車の音とかうるさくない?寝られないよ。寒いし」
僕がそう言ってもイツキは絶対に譲らなかった。
「実家がさ。いつもざわざわしてたから。だから静かだと寝られないんだよね」
真夜中、いつも窓際に座って煙草を吸い始める。真っ暗な部屋で煙草を吸うたびに火がイツキの顔をほのかに照らした。その顔がなんだか寂しそうでいつも胸が締め付けられた。イツキは目の前にいるのに、どうしてかとても距離があるように感じていた。
僕はイツキと二人で映画館に行くのが大好きだった。小難しい映画から頭空っぽで見れるアクションまで。僕らは様々な映画を観に行った。
僕がどんなものを観たいと言ってもイツキは拒絶することなく受け入れた。僕はいつも帰り道にさっき見た映画の感想を長々と語るのが癖だった。それすらも、イツキは黙って笑顔で聞き入れてくれていた。
イツキと出逢ったのは高校生の時。バイトで入ったスーパーで同い年だと紹介された。
ずいぶん子供っぽい同い年だなと思った。
「ずいぶん老けたやる気のない同い年だなって思ってたよ」
僕がその話をするとイツキは決まってそう返してくる。
なぜだか絶対僕の方が歳上に見られる。イツキなんてなんて、今だにコンビニで酒や煙草を買う時に年齢確認される。
「キミはさ、見た目とかそういうのじゃないよ。雰囲気が枯れてるんだよ」
そう言ってケラケラ笑うイツキの顔が腹立たしくて、同時に直視出来ないくらい好きだった。
出逢ってから付き合い始めるまで時間はかからなかった。
若さも手伝って、二人とも高校を卒業と同時にすぐに家を出た。なんの抵抗もなく一緒に暮らし始め、ごくごく当たり前に喧嘩したり愛し合ったりを繰り返した。
ただイツキは決まって夜、窓を開けて寝るのだった。
「実家がうるさかったから。喧騒がないと寝れないんだよね」
イツキの実家は下町でモツ焼きの店をやっていた。古くて小さいながらいつも混み合っている繁盛店で、初めてお店に行った時もイツキの両親があくせくと働いていた。
「イっちゃーん!おーい!帰ってきたんかよ?」
「ああ松ちゃん。毎度ね。ちょっと寄っただけ」
「大学なんか行ってないで早いとこお店継げよう!がはは」
「松ちゃんこそ仕事しろっての」
慣れた様子でイツキはお店の常連さんと思しき人たちと会話を交わしていた。その時の顔がいつも僕に見せる寂しそうな顔とは真反対の明るい笑顔だと気が付いてしまった。
イツキのお母さんにはじめて挨拶した時、いつもの寂しそうなイツキとそっくりな顔をするもんだから驚いた。
「いい歳して男の子二人だけでこんなとこ来てないでさ、カノジョでも作ってみんなでお洒落な所行きなさいな」
思ってることが顔に出易いのはお母さん譲りなんだなとその時に知った。
それからしばらくは変わらない生活を続けていたが、大学を卒業してお互い仕事に就いた頃から少しずつ関係に変化が現れはじめた。
イツキは大手の食品メーカーに就職し、僕は小さな映画雑誌を出す出版社へと勤めはじめた。
生活のリズムが合わなくなり、家でもほとんど顔を合わせなくなった。
そしてある日、もう何日もイツキが家に帰って来ていない事に気が付いた。仕事が忙しかったのもあるがイツキがいないことに今の今まで気が付かなかった自分が情けなくて、ひどく憤りを感じた。
僕はイツキの顔を見るのが怖くなって自分からは連絡できないでいたのだが、とある日曜日に突然フラッとイツキが帰ってきた。
「ずいぶん久しぶりだね」
自分でも意地悪だなと思うトーンでつい口を出てしまった。僕だって悪いのに。
「おう。そうだね。ゴメン。会社、結構ブラックでさ。なかなか帰れなくて」
久しぶりに見たイツキは、以前とは打って変わって疲れ切っていた。
「そっか。ゴメンね気が付けなくて」
「いや。仕方ないんじゃない」
そう言ってイツキは自分の荷物をまとめはじめた。
「俺、実家に戻るよ。そっちの方が会社近いし。家事も自分じゃできないから。二ヶ月分の家賃は置いてくからさ。勝手言ってゴメン」
その時に僕らの関係が既にああしようこうしようと相談できる段階を過ぎていることに気が付いた。もう、僕に出来ることはあまり残っていなかった。
「ねえ、最後に二人で映画見に行かない?なんでも良いからさ」
僕がそう言うとイツキは例のあの寂しい顔をした。
「実はさ。俺、映画館あまり好きじゃない。寝ちゃうんだよあの雰囲気。人の呼吸音とか物音とかで眠くなっちゃうんだ。今までずっと言い出せずにいた。ゴメン」
彼が出て行くことよりずっとショックを受ける言葉だった。
「え、じゃあ今まで寝てて全然分からない映画の話に付き合ってくれてたわけ!?僕、いっつもひとりで延々と語ってたじゃん。馬鹿みたいに」
恥ずかしさと悔しさで自分でも信じられないくらい涙が溢れてしまった。コレじゃまるで別れたくない、って泣いてる奴みたいで嫌だった。嫌だったけど、涙が止まらなかった。
「馬鹿じゃない。馬鹿なんかじゃないよ。だって今、それが仕事になってるじゃん。それにさ」
いつの間にか夜になって真っ暗になった部屋に、時おり外を通り過ぎる車のライトが差し込んでくる。
「映画のこと語ってくれる楽しそうなキミの顔がたまらなく好きだったんだ」
途切れ途切れの光に照らされるイツキの顔は、五月の新緑の様にむせ返るほど爽やかで眩しくて、僕の胸の一番深い場所まで突き刺さってくるようだった。
「だからもう、映画館は行かない。キミと一生分行ったから」
「嘘つけ。どうせ会社の女の子とデートで行くんだろ」
「行かないよ。あんなとこ金払って寝に行ってるようなもんじゃんか」
最後にイツキが言った言葉を僕はずっと忘れないでいようと思った。彼が僕にくれた一番優しくて残酷な呪縛の言葉。
「映画館なんて。本当に好きな奴にどうしてもって頼まれない限り行かないよ」
そうして僕らの関係はあっけなく幕を閉じた。
あれから何年経っただろうか。仕事の関係でイツキの実家の近くに行くことがあったので、何も考えずフラッと覗きに行ってみた。
あっけなくというかなんというか、店頭で少しだけ老けたイツキがモツ焼きをくるくると回していた。
傍らには同い年くらいの女の人がいて、背中に小さな赤ん坊を背負っていた。どうやらそれはイツキの子供らしく、その子を見るイツキの目は僕が見たこともない様な愛情に溢れるものだった。
赤ん坊は酔っ払いの声や食器の音が騒がしい店内でもすやすや寝ていた。
あの子もきっとここでイツキの様に育っていくのだろう。あの心地良さそうな、喧騒の子守唄を聞きながら。
終
イツキは夜、決まって窓を開けてしまう。部屋は窓が防音になってるからちゃんと閉めれば夜は静かなのに、イツキは絶対に窓を開けて寝る。
「車の音とかうるさくない?寝られないよ。寒いし」
僕がそう言ってもイツキは絶対に譲らなかった。
「実家がさ。いつもざわざわしてたから。だから静かだと寝られないんだよね」
真夜中、いつも窓際に座って煙草を吸い始める。真っ暗な部屋で煙草を吸うたびに火がイツキの顔をほのかに照らした。その顔がなんだか寂しそうでいつも胸が締め付けられた。イツキは目の前にいるのに、どうしてかとても距離があるように感じていた。
僕はイツキと二人で映画館に行くのが大好きだった。小難しい映画から頭空っぽで見れるアクションまで。僕らは様々な映画を観に行った。
僕がどんなものを観たいと言ってもイツキは拒絶することなく受け入れた。僕はいつも帰り道にさっき見た映画の感想を長々と語るのが癖だった。それすらも、イツキは黙って笑顔で聞き入れてくれていた。
イツキと出逢ったのは高校生の時。バイトで入ったスーパーで同い年だと紹介された。
ずいぶん子供っぽい同い年だなと思った。
「ずいぶん老けたやる気のない同い年だなって思ってたよ」
僕がその話をするとイツキは決まってそう返してくる。
なぜだか絶対僕の方が歳上に見られる。イツキなんてなんて、今だにコンビニで酒や煙草を買う時に年齢確認される。
「キミはさ、見た目とかそういうのじゃないよ。雰囲気が枯れてるんだよ」
そう言ってケラケラ笑うイツキの顔が腹立たしくて、同時に直視出来ないくらい好きだった。
出逢ってから付き合い始めるまで時間はかからなかった。
若さも手伝って、二人とも高校を卒業と同時にすぐに家を出た。なんの抵抗もなく一緒に暮らし始め、ごくごく当たり前に喧嘩したり愛し合ったりを繰り返した。
ただイツキは決まって夜、窓を開けて寝るのだった。
「実家がうるさかったから。喧騒がないと寝れないんだよね」
イツキの実家は下町でモツ焼きの店をやっていた。古くて小さいながらいつも混み合っている繁盛店で、初めてお店に行った時もイツキの両親があくせくと働いていた。
「イっちゃーん!おーい!帰ってきたんかよ?」
「ああ松ちゃん。毎度ね。ちょっと寄っただけ」
「大学なんか行ってないで早いとこお店継げよう!がはは」
「松ちゃんこそ仕事しろっての」
慣れた様子でイツキはお店の常連さんと思しき人たちと会話を交わしていた。その時の顔がいつも僕に見せる寂しそうな顔とは真反対の明るい笑顔だと気が付いてしまった。
イツキのお母さんにはじめて挨拶した時、いつもの寂しそうなイツキとそっくりな顔をするもんだから驚いた。
「いい歳して男の子二人だけでこんなとこ来てないでさ、カノジョでも作ってみんなでお洒落な所行きなさいな」
思ってることが顔に出易いのはお母さん譲りなんだなとその時に知った。
それからしばらくは変わらない生活を続けていたが、大学を卒業してお互い仕事に就いた頃から少しずつ関係に変化が現れはじめた。
イツキは大手の食品メーカーに就職し、僕は小さな映画雑誌を出す出版社へと勤めはじめた。
生活のリズムが合わなくなり、家でもほとんど顔を合わせなくなった。
そしてある日、もう何日もイツキが家に帰って来ていない事に気が付いた。仕事が忙しかったのもあるがイツキがいないことに今の今まで気が付かなかった自分が情けなくて、ひどく憤りを感じた。
僕はイツキの顔を見るのが怖くなって自分からは連絡できないでいたのだが、とある日曜日に突然フラッとイツキが帰ってきた。
「ずいぶん久しぶりだね」
自分でも意地悪だなと思うトーンでつい口を出てしまった。僕だって悪いのに。
「おう。そうだね。ゴメン。会社、結構ブラックでさ。なかなか帰れなくて」
久しぶりに見たイツキは、以前とは打って変わって疲れ切っていた。
「そっか。ゴメンね気が付けなくて」
「いや。仕方ないんじゃない」
そう言ってイツキは自分の荷物をまとめはじめた。
「俺、実家に戻るよ。そっちの方が会社近いし。家事も自分じゃできないから。二ヶ月分の家賃は置いてくからさ。勝手言ってゴメン」
その時に僕らの関係が既にああしようこうしようと相談できる段階を過ぎていることに気が付いた。もう、僕に出来ることはあまり残っていなかった。
「ねえ、最後に二人で映画見に行かない?なんでも良いからさ」
僕がそう言うとイツキは例のあの寂しい顔をした。
「実はさ。俺、映画館あまり好きじゃない。寝ちゃうんだよあの雰囲気。人の呼吸音とか物音とかで眠くなっちゃうんだ。今までずっと言い出せずにいた。ゴメン」
彼が出て行くことよりずっとショックを受ける言葉だった。
「え、じゃあ今まで寝てて全然分からない映画の話に付き合ってくれてたわけ!?僕、いっつもひとりで延々と語ってたじゃん。馬鹿みたいに」
恥ずかしさと悔しさで自分でも信じられないくらい涙が溢れてしまった。コレじゃまるで別れたくない、って泣いてる奴みたいで嫌だった。嫌だったけど、涙が止まらなかった。
「馬鹿じゃない。馬鹿なんかじゃないよ。だって今、それが仕事になってるじゃん。それにさ」
いつの間にか夜になって真っ暗になった部屋に、時おり外を通り過ぎる車のライトが差し込んでくる。
「映画のこと語ってくれる楽しそうなキミの顔がたまらなく好きだったんだ」
途切れ途切れの光に照らされるイツキの顔は、五月の新緑の様にむせ返るほど爽やかで眩しくて、僕の胸の一番深い場所まで突き刺さってくるようだった。
「だからもう、映画館は行かない。キミと一生分行ったから」
「嘘つけ。どうせ会社の女の子とデートで行くんだろ」
「行かないよ。あんなとこ金払って寝に行ってるようなもんじゃんか」
最後にイツキが言った言葉を僕はずっと忘れないでいようと思った。彼が僕にくれた一番優しくて残酷な呪縛の言葉。
「映画館なんて。本当に好きな奴にどうしてもって頼まれない限り行かないよ」
そうして僕らの関係はあっけなく幕を閉じた。
あれから何年経っただろうか。仕事の関係でイツキの実家の近くに行くことがあったので、何も考えずフラッと覗きに行ってみた。
あっけなくというかなんというか、店頭で少しだけ老けたイツキがモツ焼きをくるくると回していた。
傍らには同い年くらいの女の人がいて、背中に小さな赤ん坊を背負っていた。どうやらそれはイツキの子供らしく、その子を見るイツキの目は僕が見たこともない様な愛情に溢れるものだった。
赤ん坊は酔っ払いの声や食器の音が騒がしい店内でもすやすや寝ていた。
あの子もきっとここでイツキの様に育っていくのだろう。あの心地良さそうな、喧騒の子守唄を聞きながら。
終
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