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惚れちまった悦びに
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いつも決まった場所、決まった時間に道に立っている女性がいる。年齢は五十代を少し出たところか、もしくは少し上か。派手な化粧と服に身を包みいつも細長い煙草を不機嫌そうに咥えている。
彼女の名はマキさんという。
マキさんはここら辺で昔から仕事をしている古顔だそうだ。この場所で客をとり商売をしていた。していた、というのはマキさんがとうの昔に仕事をやめて、結婚して暮らしているという話を聞いたからだ。
僕は初めてマキさんを見かけた日から彼女に興味をひかれていた。彼女の格好は明らかに道端で商売をしている人にも関わらず、何度見かけても客をとっているところを一切見たことが無かったからだ。
しかし実際のところ用もないのに見知らぬ女性にいきなり声をかけるというのは勇気がいるもので、気になってはいたもののしばらくマキさんとの距離は縮まらずにいた。
ある日、突然の夕立に降られ目についた軒先へ避難すると偶然にもマキさんも雨から逃げてきたところに行き合った。
マキさんは僕に目線で会釈をして、鞄から煙草を取り出した。
ところが彼女のライターは雨に濡れてしまったのか一向に火が付かず、空に向かって小さく嘆息を漏らしていた。
「よかったら使ってください」
差し出した百円ライターが僕とマキさんの最初の会話であった。
そこから立ち話で様々なことを聞いた。マキさんは思いの外饒舌な人で僕も好奇心に任せて色々聞いてしまったが彼女は快くなんでも答えてくれた。
そして、なぜ彼女が道端に立ちながら客を取らないのかその理由も知ることができた。
「旦那がね。まあ元々客だったのよ。アタシこの商売は三十からやってんだけどさ。あの人と出会ったのは四十くらいの時ね。あの人はカタギだったから結婚したらすぐこの商売は辞めたんだけどね」
マキさんは夕立に向かってぷぅっとひと筋の紫煙を吐く。その横顔はまるで好きな異性の話をする時の女学生の様である。
「ところがさ。あの人ちょっと変わった趣味?ってえのがあってさ。『結婚しても道端には立ち続けてくれ、俺は道端にいるお前を愛してるんだあ』とか言っててさ。もう全然意味が分からなかったんだけどね。まあでもさ。そもそもカタギのくせにいきなりアタシに求婚してくる時点で変わった奴だなと思ってんだけどさ」
「つまり、旦那さんの要望で商売を続けてるんですか?」
「いやいや。流石にアタシも結婚してまで商売したくないしさ。旦那も商売はしないで良い、ただ道端に立ち続けてくれってだけなんだよね。だから客はとらないで、ただ毎日数時間あそこに立ってんのよ」
「そうですか。じゃあ旦那さんは商売がどうこうってよりも、道端に着飾って立つマキさんが好きだから結婚しても変わらないでいて欲しかったって事なんですかね」
僕がそう聞くとマキさんは少し頬を緩ませながらまた大きく紫煙を吐き出した。
「さあね。変わりモンの考えてることなんか知るもんか」
「多分そうじゃないかな。僕も分からないけど」
マキさんはついに堪えきれずふふふと笑みを溢した。
「あの人と結婚する前は散々色んな男に騙されてさ。この商売に入ったのも極道な男の尻拭いだったんだけどね。アタシってつくづく男を見る目ないなと思ってたとこにあの変わりモンでしょ?全く好みじゃなかったんだけど、だから逆にこれなら幸せになれるかも、って思って結婚したの。だからまあ少しくらい変わってても良いかなってね」
「なるほど。たしかに」
そこそこ長い時間を話していたと思う。ようやく雨が上がり、僕らは短く別れの挨拶をした。
軒先から歩きだしていくマキさんの先に、大きな黒いこうもり傘を差した紳士が立っていて彼女のことを一心に見つめていた。マキさんは紳士の顔を見つけると、とても嬉しそうに微笑んで彼の方へ駆け寄っていった。
きらきらと笑顔の溢れるマキさんを見て、僕もなるほど綺麗な人だなとその時初めて思ったのである。
終
彼女の名はマキさんという。
マキさんはここら辺で昔から仕事をしている古顔だそうだ。この場所で客をとり商売をしていた。していた、というのはマキさんがとうの昔に仕事をやめて、結婚して暮らしているという話を聞いたからだ。
僕は初めてマキさんを見かけた日から彼女に興味をひかれていた。彼女の格好は明らかに道端で商売をしている人にも関わらず、何度見かけても客をとっているところを一切見たことが無かったからだ。
しかし実際のところ用もないのに見知らぬ女性にいきなり声をかけるというのは勇気がいるもので、気になってはいたもののしばらくマキさんとの距離は縮まらずにいた。
ある日、突然の夕立に降られ目についた軒先へ避難すると偶然にもマキさんも雨から逃げてきたところに行き合った。
マキさんは僕に目線で会釈をして、鞄から煙草を取り出した。
ところが彼女のライターは雨に濡れてしまったのか一向に火が付かず、空に向かって小さく嘆息を漏らしていた。
「よかったら使ってください」
差し出した百円ライターが僕とマキさんの最初の会話であった。
そこから立ち話で様々なことを聞いた。マキさんは思いの外饒舌な人で僕も好奇心に任せて色々聞いてしまったが彼女は快くなんでも答えてくれた。
そして、なぜ彼女が道端に立ちながら客を取らないのかその理由も知ることができた。
「旦那がね。まあ元々客だったのよ。アタシこの商売は三十からやってんだけどさ。あの人と出会ったのは四十くらいの時ね。あの人はカタギだったから結婚したらすぐこの商売は辞めたんだけどね」
マキさんは夕立に向かってぷぅっとひと筋の紫煙を吐く。その横顔はまるで好きな異性の話をする時の女学生の様である。
「ところがさ。あの人ちょっと変わった趣味?ってえのがあってさ。『結婚しても道端には立ち続けてくれ、俺は道端にいるお前を愛してるんだあ』とか言っててさ。もう全然意味が分からなかったんだけどね。まあでもさ。そもそもカタギのくせにいきなりアタシに求婚してくる時点で変わった奴だなと思ってんだけどさ」
「つまり、旦那さんの要望で商売を続けてるんですか?」
「いやいや。流石にアタシも結婚してまで商売したくないしさ。旦那も商売はしないで良い、ただ道端に立ち続けてくれってだけなんだよね。だから客はとらないで、ただ毎日数時間あそこに立ってんのよ」
「そうですか。じゃあ旦那さんは商売がどうこうってよりも、道端に着飾って立つマキさんが好きだから結婚しても変わらないでいて欲しかったって事なんですかね」
僕がそう聞くとマキさんは少し頬を緩ませながらまた大きく紫煙を吐き出した。
「さあね。変わりモンの考えてることなんか知るもんか」
「多分そうじゃないかな。僕も分からないけど」
マキさんはついに堪えきれずふふふと笑みを溢した。
「あの人と結婚する前は散々色んな男に騙されてさ。この商売に入ったのも極道な男の尻拭いだったんだけどね。アタシってつくづく男を見る目ないなと思ってたとこにあの変わりモンでしょ?全く好みじゃなかったんだけど、だから逆にこれなら幸せになれるかも、って思って結婚したの。だからまあ少しくらい変わってても良いかなってね」
「なるほど。たしかに」
そこそこ長い時間を話していたと思う。ようやく雨が上がり、僕らは短く別れの挨拶をした。
軒先から歩きだしていくマキさんの先に、大きな黒いこうもり傘を差した紳士が立っていて彼女のことを一心に見つめていた。マキさんは紳士の顔を見つけると、とても嬉しそうに微笑んで彼の方へ駆け寄っていった。
きらきらと笑顔の溢れるマキさんを見て、僕もなるほど綺麗な人だなとその時初めて思ったのである。
終
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