暮らしの妖怪帖(加筆版)

三文士

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夏・「あか舐め」

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 梅雨が蝉時雨に変わるころ、家に垢なめが出た。最近、家の風呂掃除をサボりがちだったのが原因らしい。

「困っちゃうわよねえ」

「自治会で駆除依頼できないんですか?」

 垢なめとは風呂場に出る妖怪で、掃除を怠った家の風呂に夜な夜な現れては垢を舐めていくという。その垢なめがウチだけではなく、家の近所一帯に出没してるというのだ。

「垢なめって男の子みたいな見た目の妖怪でしょ?気持ち悪くてとても入れないわあ」

 江戸の昔なら恐怖の対象とされていた垢なめも現代ではただの変態扱いである。

 今日は自治会の会議に出席してる。議題はもちろん垢なめのこと。昼ひなかに大の大人が銭湯の二階に集まって汗だくで三時間も話している。扇風機しかないせいでかなり暑い。クーラーは主人の意向で設置していないそうだ。

「駆除するったって、いくらかかるんです?そんな予算もないですよ。ねえ副会長」

「この間の工事で今年度予算は空ですから」

「じゃあ市にお願いするしかないのかしら」

 市にお願い、という言葉に黙っていられずつい身を乗り出した。

「市は何もしてくれませんよ。お役所仕事でたらい回しにされます。春先に家に小豆とぎが出て散々な目に遭いましたから」

 補助金が出てることは内緒だ。

「それは当てにならないですね」

「じゃどうするの!もう、なんとかして!」

「そんなこと言っても予算が……」

「気持ち悪くて湯船に入れない……」

「やっぱり自治会が……」

 自分の言ったひと言で、場の空気が掻き乱れていく。空腹と暑さでもうろうとしてきた。

 そんな時、カミナリとも言うべきひと言が部屋中に鳴り響いた。

「静かにしろい!垢なめくらいでだらしねえこと言ってんじゃねえ!」

 会議の開始直後からずっとだんまりをきめこんでいたこの銭湯の主人こと、自治会長がついに重い口を開いた。老人の声には場を静寂にするほどの迫力があった。

「でも自治会長、妖怪が……」

「でももへったくれもねえ!そもそも垢なめってのはな、風呂の掃除を怠けてる家に出る妖怪なんだ。てめえらの不精を棚に上げて、他人のせいばかりにするなんて。いい大人が恥を知りやがれ!」

 かしましかった奥さん連中はこれですっかり黙ってしまった。しかしそれで終わりではない。

「おう!副会長!」

「はい!」

「例の会館の工事の報告書を読ませてもらったけどな。ずいぶんと交際費が使われていたじゃねえか」

ぶおーという扇風機の音。副会長の頬を大粒の汗が滴り落ちてく。

「あの……それはその……工事の業者さんに値引きしていただくための接待でして」

「バカ野郎!値引きしてもらう為にスナックで金を使っていたんじゃ、本末転倒もいいとこじゃねえか!」

「ひぃぃ」

とたんに奥さん連中が息を吹き返す。

「ちょっと!それって立派な横領じゃないの!」

 一触即発のその場を抑え、自治会長は咳払いをひとつした。

「まあとは言え、あんな大規模工事をあの予算で賄ったのはなかなかの手腕だ」

「じゃあ……」

「どうだい皆。ここはひとつ俺の顔を立てて必要経費として認めてやるってのは。しかし誤解されるようなことは金輪際やるんじゃねえよ」

「はい…」

「そこでな、今回の件と副会長の件で俺に妙案がある。スナックで楽しんだ副会長と会計に被害にあった家の風呂を掃除しに行かせるってのはどうでえ」

 副会長と会計の顔は青ざめた。被害にあった家は二十軒以上。先は長い。スナックで楽しんだ分は随分高くついてしまった。

 会長の案は満場一致の賛成で可決となった。

「でも、それって時間かかるでしょ?それまで湯船に入れないのは辛いわ」

 誰かがそう言うと、自治会長は膝をぽん、と打った。

「そういうことならこの風呂屋がひと肌脱ごうじゃねえか。しばらく町内の連中なら誰でも無料タダで入れるようにしてやるよ」

 おお!と声が方々から上がった。

「これにて一件、あ、らくちゃくぅ」

「よ!寿屋!」

 町との関わりを避けてきた俺には分からなかったが、どうやらこの七十を過ぎた自治会長は皆から信頼され愛される傑物らしい。

「毎度ながら見事な岡裁きですね会長」

「世辞を言ったって掃除はしてもらうぜ副会長。さあ、そうと決まったら祝いにひとっ風呂浴びてきな。皆汗かいたろ」

「いいわねえ」

「僕らも入っていこうかな」

「大きいお風呂って久しぶり!」

 バラバラだったみんながひとつになる。銭湯っていう場所は、現代人が失くした人との繋がりをくれる場所かもしれない。柄にもなくそう思った。その時だった。

「オヤブン!言われた通り三丁目の西田さん家の湯船、舐めてきやしたー」

 一瞬、その場の全員が凍りついた。

「キャーッ!」

「うわあ!垢なめだあ!」

 突然銭湯の扉を開けて垢なめが我が家の如く入ってきたからみんな驚いたのなんの。

 ホウキで叩かれそうになる垢なめを庇う自治会長を皆で問いただしたところ、ようやく真実が見えてきた。

 つまり自治会長はこの垢なめとグルになって、近所の湯船を使えなくし寂れかけていた自分の銭湯に活気を取り戻そうとしたのである。

「最近はスーパ銭湯だなんだとか言って、お客がちっとも来やしねえ。もういっそのこと店を閉めちまおうかと思ってた矢先、この舐め太郎がやってきてウチの銭湯が好きだと言ってくれたんだよ」

「オヤブン。ゴメンなさい。オイラのせいで、オイラがもう一度銭湯を繁盛させたいなんて言ったから」

「馬鹿やろう、そうじゃねえ。何にも知らねえお前を俺が悪の道に引き摺り込んじまったんだ。許してくれ」

「オヤブン!」

「舐め太郎!」


 祖父と孫の様な二人を見ていると、誰も彼らをそれ以上責められなくなった。

「まあ悪意あってのことじゃないし。今回は大目にみてあげましょうよ。舐め太郎くんだって、掃除手伝うだろ?」

 垢なめの丸々とした大きな目がキラリと光って俺を見ている。死んだ爺さんとのことを思い出して、何故か柄にもなく庇ってしまった。

「もちろんです!隅から隅まで!」

「おいおい、ちゃんと手でやれよ?」



 結局、掃除は自治会長と副会長がやることになりそれが終わるまでは銭湯は無料で解放ということになった。

「ま、銭湯好きとしては悪くねえなあ」

 のぼせた身体でそう呟きながら銭湯の暖簾をくぐると、夏の夜風が少しだけ涼しく感じた。

 銭湯の裏で汗だくで缶焚かまたきをする垢なめに深くお辞儀をされたので軽く会釈を返しておいた。

 時代遅れの風鈴がチリリリーンと小気味の良い音で鳴っている。なんだかとっても良い気分になり、久しぶりに枝豆とビールで一杯やりたくなった。


 この町で妖怪と暮らす最初の夏がやってきた。

つづく
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