その香り。その瞳。

京 みやこ

文字の大きさ
52 / 200

(50)SIDE:奏太

しおりを挟む
 どっしりとしたソファの座面に横たわっている僕は、自分の唇にソッと手で触れる。
 たった今キスをしたばかりだからか、ほんのり熱を持っているように感じた。
 ジンジンと痺れるように思えるのは、貪るようにキスをされたこの唇か、それとも甘いもので満たされている胸の奥か。
 どちらにせよ、僕にとって幸せな感覚だった。
「あんなにも素敵な人が、僕の番なんて……」
 正気に戻った今でも、いや、正気に戻った今だからこそ、その事実がどうにも信じがたい。
 発情期真っ最中の時は、無意識のうちに斗輝を求め、その熱を、その存在を全身で感じたいと思った。
 今はそれほど激しい感情は湧かないものの、何度見てもときめいてしまう彼の姿に、心臓がトクトクと音を立てる。
 僕は唇から手を放し、左胸へと移動させた。
 手の平に伝わる振動は、まるで「斗輝が好き」と言っているかのようだ。
 そう考えたところで、ブワッと顔が発火しそうなほど熱くなった。

――な、なに、考えてるんだよ!

 両手で顔を覆い、右に左にと座面でのたうつ。 
 彼を想う気持ちに嘘はないけれど、それにしても鼓動がそんな風に言っていると考えるとは、相当なロマンチストではないだろうか。
 おしゃれとは無縁の素朴な田舎で育ち、大学に入った今もまったくあか抜けていない自分が、そんなことを考えるとは。
 我ながら、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「うぅ……、わぁ……」
 押し殺した声で呻いていると、リビングの扉が開く音がした。
 続いて「奏太!?」という焦った声と、忙しない足音が聞こえる。ガチャンという音がしたのは、料理が乗せられているトレイをローテーブルに置いたのだろう。
 なにを慌てているのだろうかと手を顔から離そうとした瞬間、ガバリと抱き付かれた。
「奏太、どうした!? 大丈夫か!」
 斗輝はさらに慌てた声を出し、あっという間に僕を抱き上げる。

――な、なに? 斗輝、どうしたの?

 ふたたび膝抱っこされた僕は、訳が分からなくて硬直した。
「奏太、奏太!」
 そんな僕の頭や背中をひとしきり撫でた彼は、ギュッと胸に中に僕を閉じ込める。
「どこが苦しい!? 鎮痛剤が必要か!? いや、それよりも病院だな!」
 今にも立ち上がりそうな斗輝の様子に、僕は両手を顔から外して彼のTシャツにしがみついた。
「……違うんです。 僕は、なんともありませんから」
「だが、あんなに苦しそうにしていたじゃないか。それに、顔がすごく赤いぞ。俺に遠慮しなくていい、すぐ病院に連れて行ってやるからな」
 僕の額にチュッとキスを落とし、彼が僕を横抱きにして立ち上がる。
 足早に扉へと向かう斗輝に「病気でも、怪我でもないんです!」と繰り返したものの、彼の歩みは止まらなかった。
 
――困ったなぁ……。どうしたら、斗輝は止まってくれるの?

 オロオロとしながら、僕はイチかバチかで、彼にキスをした。
 首裏に腕を回し、グッと引き寄せて強く唇を押し付ける。 
 そこで、ようやく彼が動きを止めた。
 静かに唇を離した僕は安堵しつつも、大胆な行動に出た自分が恥ずかしくなる。
 そのまま、彼の肩口に額を押し付け、小さく縮こまった。
「奏太……?」
 かなり戸惑った様子で名前を呼ばれ、僕は彼を誤解させてしまった行動についてつっかえつっかえ説明を始める。
「あ、あの、さっきの声は、苦しいとか痛いとか、そういうことではなくて……」
 モジモジしながらチラリと見上げたら、斗輝が不安そうに口を開いた。
「原因は、俺か? 俺の、なにかが、気に入らなかった、とか?」
「それこそ、違いますよ!」
 とんでもない誤解が生まれそうになり、僕は大きな声を出した。
 その声に一瞬驚いたものの、彼の表情は曇ったまま。
「それなら、どうしてあんな呻き声を?」
 正直に言わないと、斗輝の勘違いは留まることがないだろう。頭の回転は速いし勘もいい人なのに、僕のことになると、たまに自信が迷子になるようだ。
 僕はふたたび顔を伏せ、それでも彼に聞こえるように言った。
「斗輝にキスをされて……、心臓がドキドキして……。その音がまるで、『斗輝が好き』って言っているみたいだなって思ったから……。なんか恥ずかしくなって、照れていただけなんです……」 
 どうにか説明を終えると、痛いくらいに抱き締められる。
 僕の髪に頬ずりしながら、斗輝が艶っぽい声で囁く。
「奏太、あんまり可愛いことを言うな。食事を放り出して、すぐにでも寝室に籠りたくなるだろうが」
「べ、別に、可愛いことなんか、なにも……」 
 言われた内容とその声に、耳まで熱くなってきた。
 さらに身を小さくしていたら、つむじにキスをされる。
「計算もなしに、そのセリフか。俺の心臓と理性が、鍛えられそうだな。まぁ、望むところだが」
「……斗輝?」
 オズオズと顔を上げたら、穏やかな笑顔が見えた。
 彼の誤解が解けたようで、僕は改めてホッと大きく息を吐く。
 そんな僕に、彼がさらに目を細める。 
「早とちりして悪かった。さあ、食事にしようか」
 切れ長の目が優しく弧を描く様子に、僕の心臓がふたたび「斗輝が好き」と言った。

 ソファに戻った斗輝は、やはり僕を抱き締めたまま腰を下ろす。
「今回は、和食を用意したんだ。奏太もだいぶ腹が減っているようだし、しっかりご飯物を食べたほうがいいと思ってな」
 トレイの上には、片面が味噌、もう一方に大葉が付いている焼きおにぎり、根菜や豆腐が入っている具沢山のお味噌汁、小松菜と油揚げのおひたしと漬物が並んでいた。
「美味しそうですね」
 食欲をそそるかぐわしい匂いが立ち込めていて、お腹の虫を容赦なく刺激してくる。
 ローテーブルに対して正面を向いている斗輝に横抱きにされているため、料理に手が届かないし、この体勢では食べにくい。
 いそいそと彼の膝の上から降りようとした瞬間、素早く広い胸に抱き込まれた。
 きょとんとした表情で見上げる僕に、ニッコリと彼が笑った。
「このままでいいだろう」
「でも……」
 試しに片手を伸ばしてみたけれど、手前に置かれている箸にすら届かない。
 斗輝は、僕がまだ全身が倦怠感に襲われていると思っているのだろうか。
 キスによる甘い痺れはだいぶ薄れたので、僕はもう一人で座ることができるはずなのだが。
 そのことを告げたものの、彼は僕を膝の上から降ろそうとはしない。
「百メートルダッシュをするのは無理ですけど、座ってご飯を食べるくらい平気です。お腹がペコペコなので、早く食べたいです」
 もう一度自分は大丈夫だと伝えたところ、彼がさらに笑みを深めた。
「だから、俺が食べさせてやる」
「え? また、僕の世話を焼きたいんですか?」
 問いかけに、彼は楽し気に口角を上げる。
「それもあるが、単純に奏太と触れ合っていたいんだ」
 そう言いながら、彼はトレイの上から濡れたおしぼりを手に取る。
 それを軽く広げ、丁寧に僕の手を拭い始めた。
 斗輝の様子があまりにも嬉しそうで、そして僕も彼と触れ合うことが好きだから、羞恥心を感じながらも、「このままでいいか」と心の中で呟いた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

鳥籠の夢

hina
BL
広大な帝国の属国になった小国の第七王子は帝国の若き皇帝に輿入れすることになる。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

処理中です...