その香り。その瞳。

京 みやこ

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(55)SIDE:奏太

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 斗輝の気持ちが落ち着いたのを見計らい、僕は彼にある提案をする。
「そろそろ着替えたいんですけど、僕の服はどこにありますか?」
 すると、斗輝が首を傾げた。
「寒いのか? それなら、エアコンの温度を上げるが」
 ローテーブルの端に埋め込まれているタッチパネルへと手を伸ばす彼に、僕はユルユルと首を横に振る。
「この格好が落ち着かなくて……」
 太ももの半分から下が丸出しになっているこの状態で親に電話をかけるのは、どうにも心もとないのだ。たとえどんな服装をしていようが、電話の向こうにいる家族に見えないと分かっていても。
 斗輝は伸ばしていた右手を戻し、僕の足をソロリと撫でた。
「こんなに、似合っているのに」
 長い指が左太腿を辿る感覚に、ピクンと体が震える。
「と、斗輝?」
 戸惑いがちに名前を呼ぶと、切れ長の目が細くなった。
「奏太、可愛い」
 震えただけで可愛いなんて、まさに恋は盲目といったところか。自分の容姿に自信がない僕は、可愛いと言われるといたたまれなくなってしまう。
 モジモジと恥ずかしそうに下を向くと、彼の指が何度も太腿の外側を往復する。
 そのたびに、体が跳ねた。
「可愛いよ」
 クスクスと楽しそうに笑いながら告げられた言葉に、すぐさま反論する。
「可愛くなんて、ない、で、す……、んん……」
 くすぐるようなしぐさに声が震え、最後には小さく喘いでしまった。
 そんな僕の額に、彼は唇を押し当てる。
「ほら、可愛い」
「だから、可愛くなんて、な、い……、あっ!」
 Tシャツの裾から潜り込んできた大きな手が、僕のお尻を下着の上からやんわりと揉んだ。
 その動きは優しくゆっくりなのに、性的な意味合いが含まれているのを感じる。
「あ、あの……」
 伏せていた顔を上げて彼を見ると、濡れたようにしっとりした黒曜石の瞳が僕を見ていた。
「奏太」
 少し掠れた声で囁かれると、お腹の奥がじんわりと熱を持ったように感じる。
 発情期は終わったはずなのに、また彼が欲しくなってしまう。
 逞しく育った彼のペニスで、激しく突き上げてほしい。隙間なく抱き合い、体の奥に迸る熱を注いでほしい。
 そんな恥ずかしいおねだりが口を衝きそうになった時、僕はあることに気が付いた。

――避妊、してないよね?

 発情期中は記憶がおぼろげなので定かではないけれど、避妊具を早着した彼の姿を見たことがない気がする。
 どんなに知識が乏しい僕でも、アルファの精液を直に注がれたら妊娠することくらいは知っている。
 数え切れないくらい、彼のペニスがナカに挿入された。それと同じ数だけ、斗輝は射精したと思う。
 何度も何度も溢れるほど注がれた精液は、僕の体の奥にある男性オメガ特有の器官に到達したはずだ。

――そ、それじゃ、僕は妊娠、した?

 思わず、両手の平をTシャツの上からお腹に当てた。
 急に黙り込んだ僕に、斗輝はお尻を揉む手の動きを止める。改めて両腕で僕をしっかり抱き締め、優しい声で名前を呼んだ。
「どうした、奏太?」
 僕はなんとも言えない感情に襲われていて、口を開くことができない。
 斗輝のことは大好きで、いつか結婚して彼の子供を産みたいとは思う。
 だけど、まだその覚悟はできていなかった。
 大学に入ったばかりで、彼に出逢ったばかりで、番になったばかりで。
 それなのに妊娠したという事実が、うまく消化できずにいた。
 嬉しくない訳ではない。嫌な訳でもない。
 ただただ、言葉にできない戸惑いが僕に襲いかかる。
「奏太、奏太!」
 大きな声で呼ばれ、ハッと顔を上げた。
 正面にある斗輝の顔には、ありありと心配が浮かんでいる。
「どうしたんだ? なにか、気になることがあるのか?」
 背中にある手が僕を引き寄せ、広い胸に抱き込んだ。
 僕は体を預け、ポソリと呟く。
「……僕、妊娠、したんでしょうか?」
 弱々しく尋ねる自分の声が耳に届くと同時に、ブンブンと首を横に振った。
「あ、あの、斗輝の子供が欲しくないとか、そういうことではないんです。ただ、番とか、結婚とか、つい一週間前まで考えたことがなかったから、心の準備ができていないってだけで」
 誤解されたくなくて必死に言い訳すると、彼の唇でやんわりと口を塞がれる。
「分かっているから、そんなに泣きそうな顔をしなくていい」
「……はい」
 小さな声で答えると、斗輝は僕の左右の瞼にキスを落としてから苦笑を零した。
「奏太は勉強がしたくて、わざわざ東京の大学に出てきたんだ。それなのに、入って一ヶ月も経たないうちに妊娠したとなったら、戸惑うのも当然だ。俺との子供を産みたくないからそう尋ねてきたとは、まったく思ってないさ」
 彼が誤解していなかったことには安心したけれど、妊娠はどうなっているのだろうか。
 抱かれて一週間だから、当然ながら体調には変化がない。あやふやな状態だからこそ、不安になってしまう。

――もし妊娠していたとしたら、これからどうしよう。

 オメガが妊娠すると休学措置を取ってもらえることは、一葉先生と二葉先生から聞いていた。きちんと申請したら、復学も問題ないそうだ。
 それでも講義に出られないから、皆に遅れてしまう。
 遅れを避けるために出産ギリギリまで大学に通うにしても、体調がある程度まで戻るには、出産後にしばらく休むことが必要だ。
 しかし、過保護な斗輝が、大きなお腹を抱える僕を大学に通わせてくれるだろうか。下手をしたら、妊娠発覚直後に僕の休学申請書を出してしまうかもしれない。
 ふたたび表情を強張らせていると、また「奏太」と優しい声で呼ばれた。
 オズオズと顔を上げたら、穏やかに微笑む彼と目が合う。
「まだ、妊娠はしてないと思うぞ。だから、そんなに不安そうな顔はしなくていい」
「……え?」
 
――あんなに、たくさん抱かれたのに? 避妊具なしで、しかも、ナカに出されたのに?

 そんな戸惑いを、勘のいい斗輝が瞬時に悟る。
「ああ、そうだ。朝も昼も夜も奏太を抱いて、溢れても溢れても精液を注ぎ込んだが、おそらく妊娠していない」
 彼の話は嬉しいはずなのに、なんとなく寂しさも感じる。僕は手の平でお腹を軽く押した。
「そうですか……」
 ここに子供がいたら今は困るけれど、いないとなったら、心の奥がキュッと締め付けられる。
 彼との間に子供ができなかったことに寂しさを感じると同時に、ある考えが浮かぶ。
「……僕が、出来損ないだから?」
 オメガとしての機能が、やはりどこか欠落しているのだ。
 こんなにも優秀な斗輝だから、彼に問題があるはずがない。心身ともに、それこそ精子も完璧のはず。
 問題があるのは、彼の精子を受け止める僕に問題があるのだ。
 思わず呟いてしまうと、ゴチンという鈍い音がして額に痛みが走った。
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