その香り。その瞳。

京 みやこ

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(54)SIDE:奏太

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 ボンヤリと斗輝の顔を眺めていたら、彼が僅かに口角を上げて笑う。
「オメガにはない感覚だから、俺のことを鬱陶しいと思うか?」
 僕はフルフルと首を横に振った。
 斗輝の話を不思議に感じながらも、それだけオメガはアルファに愛される存在なのだということが分かった。
 オメガは色々な面で、アルファはもちろんのこと、ベータにさえ遠く及ばないことが多い。
 だけど、こんなにもアルファに愛される存在なのだから、たとえ能力的に劣ることがたくさんあっても、最終的には幸せになれるのだろう。
 この時、ふと両親の姿が脳裏に浮かんだ。
 いつだって両親の仲は良く、常に笑いが絶えない家だった。
 とはいえ、斗輝が僕に向けるような愛情を父が母に向けていたようには思えない。ベータ同士の恋愛や結婚は、友情の延長にあるもののように感じる。
「僕、オメガでよかったです。こんなにも斗輝に好きになってもらえて」
 フフッと小さく笑うと、彼は少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「残念ながら、これは番同士だからこそ成り立っている。今の世の中でも、オメガを自分よりもはるか下位に見ているアルファがいて、そんな彼らにとってオメガは性欲処理のオモチャや金儲けの道具に過ぎない」
「……え?」
 驚いて目を見開くと、彼の大きな手が優しく僕の髪を撫でる。
「アルファと言っても、ピンからキリまであるんだ。俺や篠岡兄弟のように、名の知れた家のアルファは、番ではないオメガに対してもそんな振る舞いはしない。だが、アルファではあるが、人の上に立って社会を動かすほどの能力を持たないアルファもいる。中には、努力を重ねたベータに劣る者もいて、彼らはその鬱憤をオメガにぶつけるんだ。結果として、凄惨な事件に繋がることもある」
 髪を撫でる仕草は優しいのに、斗輝の声は険しい。
「そういった事件が起きないように社会もだいぶ変わってきているが、まだ油断はできないな」
「そうなんですね」
 僕が相槌を打つと、髪を撫でる彼の手が動きを止めた。
「だからこそ、奏太にはセキュリティが整っているここで暮らしてほしい。奏太とずっと一緒にいたいという気持ちはもちろんだが、身の安全と俺の精神的安定のために」
 それを聞いて、僕は胸の奥がくすぐったくなる。
「僕の安全のためって言われたら、そこまでする必要があるのかなって思いましたけど。斗輝の精神安定のためって言われたら、すぐにでも引っ越ししなくちゃいけないですね。澤泉斗輝ともあろう人が精神的に不安定になったら、周りが大騒ぎしそうですよ」
 そう返すと、彼は深く頷いた。
「ああ、そうだ。俺にとって、奏太は必要不可欠の番だからな」
 そして斗輝は考え込むように、ほんの少しだけ視線を伏せる。
「本来なら一緒に暮す前にあいさつに行ってご両親の許可を取るべきなのだろうが、これから出向くというのは難しいか……」
 彼は清水先輩や二葉先生から色々と情報を聞き出し、僕の出身地をすでに知っているようだ。
 表情を曇らせるのも無理はない。僕が育った地域は、ここから車で八時間はかかるところにある。
 直線距離で考えたらそこまで離れている訳ではないものの、高速道路は近くに走っていない。ある程度は高速道路で進めるが、一般道に降りてからが長かった。
 また、新幹線の停車駅は近くになく、途中まで新幹線で行き、その先はローカル線に乗り換え、ひたすら揺られるのである。
「さすがに、今からというのは」
 大好きだけど交通の便が悪い地元を思い浮かべ、僕は苦笑いを浮かべた。
「あとで、両親に電話をしておきます。実際に出向くのは、五月の連休辺りですかね」
 すると、斗輝が『絶望』の二文字を顔に貼り付ける。
「それでは、あと二週間近くもあるじゃないか。……待てよ、自家用ジェットを使えば、一時間で行けるかもしれない。父の今日の予定では、ジェットは使わなかったはずだ。……よし! 行くぞ!」
 斗輝は大きな声を出し、僕の目を覗き込んだ。
 嬉しそうに告げる彼に、僕も大きな声を出す。
「それこそ無理です!」 
 すると、斗輝が僅かに呆ける。
「なぜだ? ジェットのメンテナンスはしっかり行っているし、専属のパイロットもいる。俺たちが身支度を整えている間にジェットの準備をさせるから、二時間もしないうちにご両親に会えるな」
 今にも飛び出していきそうにソワソワしている彼を落ち着かせようと、ポンポンと広い肩をゆっくりとしたリズムで叩く。
「奏太?」
 不思議そうな表情で首を傾げる彼の様子に、僕は苦笑を深めた。
「時間的には可能でも、色々な問題があると思います。そのジェット機、どこに着陸させるんですか? 僕の地元には、そういった飛行場なんでないんですよ」
 僕に指摘されて、斗輝は気まずそうに眉尻を下げる。
「だが、奏太の地元で医者をしている一葉に連絡を入れたら、近くの学校の校庭を開けてくれるかもしれないぞ」
「それも、簡単には行かないんじゃないですか。僕の発情期が終わるまで僕たちは学校を休んでいますけど、今日は平日なんですよ。小学校も中学校も高校も、この時間では生徒たちが学校にいるはずですし」
 いくら彼が世界に名の知れた澤泉財閥の人間だとしても、それは随分と横暴なお願いだと思う。
 僕はクスクス笑いながら、なんとかしてすぐにでも僕の両親い会いに行こうと考えている斗輝の髪を撫でる。
 自分の髪質と違い、サラリと指通りのいい感触を味わいつつ、僕は口を開いた。
「両親へのあいさつがあとになってしまいますが、僕は今日からここで暮らしたいです。そのことは電話でも説明しますし、たぶん、一葉先生が僕の家族にきちんと説明をしてくれるはずです」
 先生はアルファでオメガの番持ちだから、僕と斗輝の関係を分かりやすく伝えることができるはず。
 そう告げる僕に、彼は反論することなく大人しくしていた。
「それと、電話をしてから大して時間もおかずに斗輝が現れたら、両親も腰を抜かすはずです。少し時間を置いてもらえると、すごく助かるんですけど」
 僕の話を聞き終えて、ようやく彼に冷静さが戻ってくる。
「ああ、それもそうだな。東京に出てきて一ヶ月も経たないうちに結婚を前提にした交際相手が現れたら、奏太のご家族はさぞかし驚くだろうしな。二週間あったら、気持ちも落ち着くかもしれないか」
「それに連休でしたら、兄や姉も家にいるはずですので、ちょうどいいと思います」
「分かった。じゃあ、五月の連休にそちらに伺うと、連絡してくれないか? できたら、俺も少し話をさせてもらいたいんだが」
 彼の柔らかい笑顔を見て、僕はホッと息を吐く。
「はい」
 僕もニッコリと笑った。
 ところが、彼の表情がすぐさま曇る。
「……待てよ。時間を空けることで冷静になった奏太のご家族が、『まだ早い!』と言って、反対する可能性もあるな。奏太を可愛がるご家族なら、こちらに乗り込んできて、俺と奏太を引き剥がすかもしれない。やはり、こういうことは間を置かないほうが」
 ふたたびソワソワし始めた斗輝の首裏に腕を回し、大きな声で彼の名前を呼んだ。
「斗輝!」
 ギュッとしがみつき、黒曜石の瞳をジッと見つめる。
「僕の家族にとったら、確かに急な話で戸惑うとは思います。だけど、こんなにも素敵な斗輝を見たら、反対なんてするはずないですよ」 
 なにも心配することはないという思いを込めて、彼を見つめ続けた。
 それでも、斗輝の瞳から翳(かげ)りは消えない。
「いや、だが……。こんなにも可愛い奏太を、いきなり現れた俺が攫うような真似をする訳だから、許してもらえない可能性のほうが大きいはずだ。まして、奏太の家族はベータなのだろう? 出逢ってしまったら離れられないオメガとアルファの番関係を、きちんと理解していただけるか、すごく不安なんだ。一葉を信用しているが、こればかりは感覚的なものだからな」
 そんな彼の唇に、触れるだけのキスをする。
「仮に僕の家族が反対したとして、斗輝は諦めてしまうんですか?」
 すると、「諦めない!」と、彼が即答した。
「納得してもらえるまで、絶対に諦めない。奏太と結婚させてもらえるなら、土下座だってしてみせる」
 きっぱりと力強く言い切った斗輝に、僕はホッと息を吐く。
「でしたら、顔合わせが二週間先になっても、なんの問題もないと思いますよ。でも、土下座はしないでくださいね。天下の澤泉の長男に土下座されたら、それこそ両親と兄姉が腰を抜かしますから」
 二つの黒曜石を見つめながらクスクスと笑うと、ようやく斗輝の表情がいつものように和らいだ。
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