その香り。その瞳。

京 みやこ

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(2)SIDE:斗輝

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 アルファとして生まれたことは、おそらく、幸運なのだろう。
 ベータやオメガの上に立ち、彼らを従え、支配者として君臨する。
 それは、限られた者にのみ、神より与えられた特権。
 どんなに優秀なベータやオメガであっても、俺達アルファから見れば、恐るるに足りない。
 どれほどベータやオメガが世界の頂点を目指そうとも、アルファが存在している限り、それは実現しないのだ。
 だから、生まれながらにしてアルファの中でもトップクラスの家柄、能力、権力を持つ澤泉(さわいずみ)財閥の長男である俺は、他のどの人間よりも幸せであるはず。

 なのに、心が乾いているのはなぜだろうか。
 心の隙間が埋まらないのは、いったい、なぜなのだろうか。



 今日の講義を終えた俺は、煩く付きまとうオメガたちに一瞥もくれることなく、大学を出た。
 秋風が吹く街中を欝々とした気分を抱えて歩いている俺の横を、ベータ同士のカップルがすれ違う。年の頃は、二十歳の俺とそう変わらないくらいだろうか。
 優しそうな男性と穏やかそうな女性が、言葉を交わし、笑顔を交わし、視線を交わす。
 失礼だが、彼らの容姿は平凡。
 だが、すごくすごく幸せそうだ。
 世界の頂点に君臨できないベータなのに、世界の王であるべきアルファの俺よりもはるかに幸せそうだ。
 あんな風に、誰かと笑い合ったことなど、今までにあっただろうか。
 幼い頃は家族や親しい友人と笑い合ったかもしれないが、自分の立ち位置を認識してからは、あのように笑った覚えがない。
 こんな俺は、はたしてベータやオメガよりも幸せだと言えるのだろうか。

 家に帰ると、珍しく親父がいた。
 普段であれば、きっちり定時まで仕事をこなしてから帰ってくるものなのに。
 どうしたのだろうか、具合でも悪くなったのだろうか、と考えたが、それは違うと気が付いた。
 今日は、両親の結婚記念日だ。
 結婚して二十五年が経つといいのに、今なお、母親を溺愛している親父が、この日を忘れるわけがなかった。
 俺も、親父のように、何年経っても愛情を注ぎ続けられる相手に巡り合えるのだろうか。
 塞いだ気分のせいで、上機嫌な両親すら睨んでしまう。
 だが、親父たちはそんな俺を嗜めるわけでもなく、怒るでもない。
「斗輝(とき)、ここに行ってみるといい」
 親父が差し出したのは、オメガのデータを管理している組織の場所を記したもの。澤泉財閥が出資している施設だ。
 アルファを生み出すのはオメガということは、変えようのない事実。
 だからこそ国がオメガを把握し、密かに保護をしているのだという。これは限られた役人と、ごく一部のアルファしか知らないこと。
「管理職員以外に許されている閲覧情報は、顔写真と年齢、そして男性か女性か、のみだ。名前も、住んでいる所も一切明かされない。それでも、そのオメガの中に、お前の番がいるかもしれない」
 番と聞いて、頭の芯がフワリと熱を持った。
 自分のためだけに存在する番。魂の伴侶。己の愛を注ぐ相手。
 その番といつ出会えるのか、どうやって出会うのか、多くの謎に包まれている。
 残念ながら、たとえどんなに優秀なアルファであっても、番に出会えないこともあるという。
 それでも、もし俺に番がいるならば、きっと、あんな風に笑えるはず。
 先ほど羨んだ、ベータ同士のカップルのように。楽しそうに、幸せそうに……

 翌日、早速施設に赴き、親父の名前が記されている紹介状を差し出すと、中に入れてもらえた。
 何気ない建物に見えるが、セキュリティが半端ない。
 オメガはアルファやベータに比べて弱い生き物だが、見方によっては莫大な財産を生む金の卵。
 なにしろ、アルファはオメガからしか生まれないとされている。
 万が一、オメガの情報が盗まれ、その情報を手にした者がオメガたちを飼い慣らしたとしたら?
 番を求めるアルファたちは、どんな大金を摘んでも、必死になって己の番を手に入れようとするだろう。
 番に対するアルファの執着心は、親父を見ていればよく分かる。温厚で理解のある親父が、母親に危害が及ぶとなると、一瞬で鬼に変わるのだから。

 職員が指紋認証と虹彩認証によって、パソコンを起動させる。
「ここには、第二次特性検査を受けた十歳から登録されています。ですが、番というのは、年齢差がそれほど開いていないと聞きます。あなたの番も、おそらく、五歳と離れていないと思われますよ」
 そう言って、職員が年齢を絞る。
 画面では、現在二十歳である俺の事を考え、十五歳から二十五歳までのオメガたちの画像が現れた。
 親父が言ったとおり、画面に映るのは肩から上の写真のみ。
「すでにお聞き及びとは思いますが、オメガに関する情報の詳細は明かすことができません。それはあなたに限らず、どのアルファに対しても同様です。悪く思わないでください」
「分かった。案内、ありがとう」
 俺のほうがかなり年下だが、こんな物言いでも職員は穏やかな表情を変えない。俺が特別なアルファであるからだ。
 自分の周りでは、あの職員のような態度が一般的。アルファやベータからは、敬意と畏怖が向けられるものだ。オメガからは鬱陶しい秋波しか寄せられないので、興味はない。
 あらゆる意味で視線を集める俺だが、本当に欲しいものは、そんなものではなかった。
 たくさんの視線などいらない。俺が欲しいのは、たった一人が向けてくれる視線。それだけでいいのだ。
 ため息を一つ吐き、デスク前の椅子に腰を掛ける。
 パソコンを操作し、オメガたちのデータを見ていった。
 男女関係なく、映し出される顔。
 オメガであれば、男であっても妊娠可能だ。発情期間になると、普段は存在しない雌の器官が腹の奥に現れ、アルファの精を受けて妊娠する。
 俺としては、オメガの性別はどうでもよかった。
 大事なのは、俺の番かどうか、だけ。男だろうと、女だろうと、関係ない。
 見落とさないように、じっくり、じっくりと彼らの顔を見つめる。
 とはいえ、顔を見るだけで、番かどうかなんてわかるのだろうかという心配もあった。
 本来は、互いの体から発する匂いで番と判別するのだ。『写真だけで?』と訝しむ俺に、親父は俺とよく似た目を細めた。
「なんとなくだが、分かるもんだよ。お前の母さんも、そうやって見つけた」
 一番身近な親が言うのだから、そうなのだろう。

 顔写真を眺めているうちに、期待が徐々に諦めへとシフトチェンジしてゆく。
 なかなか番と思える相手が見つからない苛立ちが、盛大なため息となって零れた。
 その時、十人目の写真を見て、息が止まる。
 元々の色素が薄いのだろうか。明るい茶色の髪に、それよりも少し濃い茶色の瞳。黒髪、黒瞳の俺とは、まったく違う。
 肌はかなり白く、薄紅色の唇が余計に目立っていた。
 釣り目である俺とは違って、パッチリとした二重は目尻が少し下がっている。
 幼く見えるが、画面には十八歳と表示されている。
 その容姿は、綺麗でもかっこいいでもなく、ただただ、可愛いものに見えた。
 パソコンのマウスを握る俺の手が震えている。動かない、声も出さない平坦な画面に、俺の目は釘付けだ。

――可愛い。可愛い……、可愛い!

 たとえ彼の第一次特性が男であっても、俺の目にはこれ以上ないほど可愛く映っている。
 庇護欲が湧き上がると同時に、独占欲が勢いよく噴き出した。

――見つけた……。俺の番。俺だけの番……

 画面の中の彼の瞳を見つめているうちに、乾いた心が潤ってゆく。隙間の空いた心が満たされてゆく。
 写真だけでも分かると言った父親の言葉は本当だった。だが、なんとなく分かるというのは嘘だ。
 こんなにも激しく心臓が揺さぶられるなんて、思いもしなかった。
 俺はできる限り画面に近付き、食い入るように茶色の瞳を見つめる。

――絶対に、絶対に彼と出逢ってみせる。

 そのためには、今の自分では駄目だ。いつか出逢う彼のために、もっと、アルファとしての自分を磨かなくてはならない。
 可愛い彼を俺の唯一とするには、誰の手からも守り抜く力が必要だ。愛しい番が笑顔でいてくれるためには、このままでは駄目なのだ。今の俺には、なんの力もない。
 その力は実際の腕力といったものだけではなく、知力、財力、権力といったことも含む。

――この瞳が悲しみの涙で濡れないように、俺が守ってやらなくては。

 これまでの無気力な人生が一転した瞬間だった。



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