その香り。その瞳。

京 みやこ

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(120)SIDE:奏太

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 迎えに来てくれた車に二人で乗り込み、僕が東京に出てきてから暮らしていたマンションへと向かう。
 斗輝との生活に胸を弾ませていた僕だけど、ふとあることを思い出した。
「二葉先生に連絡しないと」
 マンションの手配をしてくれたのは二葉先生で、なにかとおぼつかない僕の生活をサポートしてくれていた。
 引っ越しするなら、連絡を入れておいたほうがいいだろう。
 一週間ほど前、大学でいきなり発情期になって以来、顔も合わせていないし話すらしていなかった。
 僕の呟きに、右隣に座っている斗輝がクスッと笑う。
「二葉には、ある程度の報告は済ませてある」
「え? いつですか?」
 キョトンとしている僕に、彼が「奏太を部屋に連れて帰ってから、三日目だったか」と告げた。
「俺は奏太を手放すつもりはなかったから、一緒に暮らすことを伝えておこうと思ってな。東京での奏太の保護者が二葉だと、清水が教えてくれていたんだ。医務室での俺の態度を見たら、俺と奏太の番関係に気付いたはずだが、今後のことがあるから、報告くらいはしておかないと、俺の立場が悪くなっただろうしな」
 苦笑を浮かべる彼を見て、僕は首を傾げる。
「今後のことですか?」
「ああ、そうだ。俺と奏太が番だと分かっていても、その事実だけでは、奏太の身の安全を保障することにはならない」
 その説明に、僕は改めて首を傾げた。
「ええと、でも……、アルファは番のオメガを大切にするって……」
 僕は斗輝と出逢ってから、ずっと、ずっと優しくしてもらっていた。
 身の危険を感じることなんて、なにもなかった。
 それどころか、こっちが申し訳なくなってしまうほど、僕のことを世話してくれていたし、ちゃんと僕の意見を聞き入れてくれていたのだ。
 僕の言葉に、彼は苦笑を深めた。
「もちろん、番に全力で愛情を注ぐのがアルファの特性だ。だが、深く愛するあまり、理性が崩壊するアルファがいないわけではない。部屋から出さない程度なら、まだ甘いほうだぞ」
「え?」
 パチリと瞬きをしたら、斗輝が表情を曇らせながらも話を続ける。
「番の自由を奪うために、手錠や足枷を嵌めることもある。自分以外と話すことさえも厭い、連絡手段をすべて奪う。愛情が狂気にすり替わると、最悪の場合、番の命を奪ってしまうそうだ」
 ものすごくショックなことを聞かされ、僕は目を大きく見開いた。
 好きだと思っている相手を苦しめて、いったい、なにになるのだろうか。
 そんなことをしたら、オメガは番のアルファを嫌いになってしまうのに。
「どうしてですか? 番が誰よりも大事なら、そんなことをするのはおかしいです」
 思わず言い返すと、斗輝の表情がさらに曇る。
「他の誰かに奪われないために、いっそのこと、この手で……と、考えるらしい。まったくもって、理解できないがな」
  深くため息を吐いた彼が、左手を伸ばして僕の右頬に触れた。
「誰にも奪われたくないなら、愛情で雁字搦めにすればいいのに。自分以外目に入らないくらい、大切に守って、たっぷり愛情を注げばいいのに」
 そう囁きながら、斗輝は親指の腹で僕の頬の丸みを撫でる。
「この愛らしい顔が恐怖や悲しみで歪むなんて、自分の命が奪われる以上の苦痛でしかない」
 静かな声だけど、彼の気持ちが込められているのが伝わってきた。
 僕は膝に置いていた右手を上げ、頬にある斗輝の右手に重ねた。

 僕よりも大きく骨ばっている手だけど、伝わってくる温もり同様、すごく優しいことを知っている。
 斗輝と過ごした時間はまだ一週間くらいとはいえ、彼の大きくて深い愛情に嘘がないと、僕はちゃんと心の底から知っている。
 僕のことを、僕よりも大切にしてくれるのが斗輝だ。

 頬を擽られる感触に僕が小さく笑っていると、彼が話を続ける。
「だからこそ、二葉に連絡をしたんだ」
「二葉先生、心配していたでしょうね」
 発情期中の僕は医務室での出来事をほとんど覚えていないものの、先生はずっと僕の体のことを気遣ってくれていたのは、うっすらと記憶にある。
 ポツリと呟いた言葉に、彼がユルリと首を振った。
「それもあるが、なにより、奏太の家族に嫌われると、俺は終わりだからな。あと、篠岡兄弟を怒らせたくなかった」
「はい?」
 キョトンとした僕の鼻先を、彼が親指の腹で軽くタップする。
「俺が信用に足らない行動を起こしたら、二葉は即座に奏太の家族に知らせたはずだ。そして、奏太を取り戻しに来るだろう。俺はそれなりに体を鍛えているが、二葉も優秀なアルファだ。彼に勝てない可能性がある。それと、初めに俺の悪い印象を奏太の家族に与えた場合、もう二度と俺に会わせないだろう」
「まさか……」
 僕は目を見開いたまま、動きを止めた。
 いつもニコニコ笑って明るい二葉先生が、斗輝に対してそんなことをするとは考えられなかった。
 なにしろ、斗輝と先生は、付き合いが長く深い。
 僕はたまたま流れで、一葉先生や二葉先生と出会っただけなのだ。
 ポカンと口を半開きにしている僕を見て、斗輝がクスッと笑う。
「澤泉の財力と権力はかなりのものだが、篠岡もそれなりの力を持っている。実はな、あの家は人脈の広さといった点では、澤泉の上を行く。奏太を俺から隠そうとするのは、できないことではない」
「はぁ……」
 気の抜けた返事をしたら、また鼻先を親指でタップされた。
「そのくらい、奏太はあの二人に可愛がられている。だからこそ、俺は二葉の信用を得る必要があったんだ」
 いまいち話が呑み込めなくて、僕は首を傾げる。
 すると、斗輝の瞳に悲し気な光が浮かんだ。
「医療に関わっているあの二人は、理不尽な暴力に晒されたオメガを何度も実際に見ているんだ。オメガというだけで、人権も、時には意思さえも容赦なく奪われ、一方的に乱暴されたオメガの多くは、心までも壊れてしまう。運悪く、助けが間に合わない場合もある。それを知っている一葉と二葉は、知り合ったオメガを守ろうとするんだ。俺が奏太を想うあまりに、愛情をこじらせてしまわないか心配していたようだ」
 ここにきて、僕はようやく話が分かった。
「そういうことだったんですか。でも、斗輝が僕に酷いことをするなんて、ありえないですよ。部屋に乗り込んでこなかったということは、二葉先生は斗輝をちゃんと信用していたんですね」
 ニコッと笑いかけたら、斗輝が微妙な表情を浮かべた。
「そうとは言い切れないな」
「なんでですか?」
「二葉に電話した時、彼の背後がなにやらざわついていたんだ。そして、『篠岡家専属の特殊部隊を出動させる羽目にならなくて、本当によかったです』と言ってきた。つまり、完全には俺を信用していなかったわけだ」
 困り顔をしていた斗輝は、視線を伏せてフッと短く息を吐く。
 次に視線を上げた彼は、まっすぐに僕を見つめる。
「奏太の家族、篠岡兄弟の信頼は裏切らない。なにより、俺は絶対に奏太を裏切らない」
 その言葉に、僕は何度も深く頷き返したのだった。
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