うたかた

雀野

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「―――‥‥よ。呼吸も安定してるし、心拍数も落ち着いたわ。陽君に任せて正解だった。ありがとう。あ、無月。満月の薬ももうすぐ切れる頃よ。行ってあげなさい。目が覚めて貴方がいないんじゃ彼女も不安がるでしょう?」
まだぼやけたままの視界。墓場ではないことを鼻を突いた薬品の臭いと凛と響くような美しい女性の声が示していた。優しい声色。どこか懐かしいと感じるのは昔からよく世話になったからか、はたまた。
「ああ、わかった」
無月の足音だろうか、返事と共に遠退いていった。
「‥‥‥相変わらず優しいな、瑠璃姉ちゃん」
「志摩殿!」
まだふらつく身体を起こすと、日向が飛び込むように振り返った。頬には大きなガーゼが貼られている。隣では白衣を纏った美女、瑠璃姉ちゃんこと遠江瑠璃がそれに向かって困ったように笑っていた。彼女は《倭家》の主治医にして、陸奥家の当主。陸奥は彼女の旧姓である。今となっては遠江家に嫁に入った身であるが、《倭家》は姓や戸籍より力が優先される。陸奥家の力は【召喚術】。《倭家》によって封じられた式神を呼び出し使役する。使役力は使用者の精神力の強さと言われている。召喚術は特殊であるため、遺伝の確率が極めて低い。実際、彼女の兄である親父――陸奥隆信は力を受け継ぐことはなかった。
だからこそ陸奥の力を今唯一継いでいる瑠璃が姓は違えど当主を勤めている。有事があれば『陸奥家』として彼女は仕事を成すのだ。『遠江』を名乗るのは彼女の強い希望だったという。
それは陸奥家が一時の壱列目にある家だからこそ許されていることである。
「体調はどう?譲君」
「あぁ、大丈夫。ありがとう」
本来であるなら彼女は大きな病院でも十分活躍できるほどの名医であるのだが《倭家》のしきたり上それは許されない。
はるか昔より、閉鎖的な一族であり特に《言霊師》の血を外に出すことを嫌った《倭家》。それに倣い俺の父親が生まれるよりももっと前、かつての《うたかた》は、一歩《倭家》から出るにのも数々の審査や学力を必要とする制度を設けた。《倭家》には高校がない。つまり進学を希望する者はまずその審査をクリアする必要がある。中学を出る段階で並みの高卒以上の学力を得ることは出来るがその審査がとにかく厳しい。それほどまでに外に血を出すことを嫌い恐れている。しかし、それ故にいざ外へ出れば世の権力者にこの血が多く絡んでいくのだ。

彼女はそれをクリアし、高校、大学へ進学。医学部を首席で卒業。医師免許を手にし、《倭家》の主治医として戻り陸奥家当主の二足の草鞋を履いている。。
昔からよく世話になった。本当の姉のような人だ。

「そう、よかった。でも、お礼なら陽君にしなさい」
瑠璃が日向に目をやると、その気配に気づいたのか照れ臭そうに頭をかきながら日向は笑った。俺は思わず頬の絆創膏やガーゼに触れていた。
「そうやな。ありがとう、日向。あと、ごめん。その顔」
「志摩殿‥‥」
日向は何も言わず首を横に振っただけだった。
記憶のフラッシュバック。
大切なものをなくした過去の記憶。多量の血に沈んで侵されていくような感覚は昔に忘れたと思っていた、いや、忘れようとしていたものだった。松前の死体を見つけたとき俺は恐かった。ただ純粋に。幼すぎて何も出来なかった自分が甦り、いずれ周りの皆を失ってしまうのではないかという言い様のない不安だけがそこにあった。
「しょっちゅう喧嘩しとるような奴がまさか血が苦手とは思わんかったわ」
部屋の入り口を振り返ると、無月がからかい口調であったにも関わらず神妙な面持ちで腕を組んで立っていた。奴は俺の過去を詳しくは知らない。だから血が苦手、そういうことになっているらしい。
「満月は?」
「誰かさんとおんなじじゃ。まあ、あんなん見てまったら誰でもああなるんが普通じゃろうな。目は覚めとる、もうじき来るじゃろ」
「そうか‥‥」

―――お前は?

そんな意を込めて無月を見れば自嘲するような苦笑いを浮かべるだけだった。無月は、強い男だ。力もそうだが、精神的にも。
「それより、瑠璃の姉貴。こんな大ごとになってしもてんのに警察呼ばへんってどういうことなんじゃ?」
無月は表情を一変させ、瑠璃を鋭い目付きで睨み付けた。
「まったく、耳が早いわね」
瑠璃は苛立ったように長い髪をくしゃりと掻いた。知られたくなかったと言う顔だ。
「それ、どういうこと?」
「《老》方の命よ。明らかに他殺体だし、警察に頼るのが懸命だって私だって何度も言ったんだけど。外部の人間には関係ないことの一点張りよ」
《倭家》には警察や弁護士など国の法に直接関わる組織がない。警察になるにあたっては素性を徹底的に調べ上げられる。それを恐れてというのが一つ。そして、たとえ罪人が現れても捕え、罰する権限が《うたかた》(不在時には《老》)にある為必要ない、という考えである、らしい。だが、このような人の死に俺は決断を下せる自信がなかった。そもそも犯人は見つかってもいないのだ。

「その通り。これは《倭家》の問題だからね。あと、この件を他者に公言することも、ましてや葬儀の類を執り行う事一切禁止と言う決定だよ」

気配なく現れた壱岐は、扉に寄りかかり無情な言葉を紡いだ。俺は思わずベッドから飛び降り、壱岐の胸ぐらをつかみあげていた。
「譲君っ!」
「おい、どういうことや壱岐。おやっさんはあんな無残に殺された上に弔うことも許されへんって言うんか?」
「僕が言っている訳じゃない。僕は《老》の言葉をそのまま伝えただけだ。あと、《老》から当主へ伝言だ‥‥『逆らえるものなら逆らってみろ。いつまでも未熟なお山の大将気取りのお前に何が出来るか見物じゃよ』だそうだ」 
壱岐の言葉にさらに頭に血が昇るが、こいつの言う通り。壱岐は《老》付き。《老》共の代弁者だ。《老》の言葉をそのまま伝えるだけだ。こいつに非はない。
「はっ、《うたかた》相手にエライ口叩いてくれるな」
「‥‥守護神が呼び出せなければ、《老》方がお前を認めることはないだろうな。なにせ《うたかた》という証明がない」
だがこれは、紛れもなく壱岐の言葉だった。そうだ。結局のところ俺が《うたかた》だと言う証拠はどこにもない。《証》という名の印が体に刻まれてはいるが、ただ声を聞いただけ。俺の名を呼ぶ神の声。神無月の神の声を聞いたのは一度だけだ。
「くそ。いや、でも、俺が直接葬儀屋に掛け合えば‥‥‥‥っ!」
言って思い出す。《倭家》の葬儀全般を請け負っていたのが、松前家。今回の被害者である松前本人あると言うことを。そして、いつも行動を共にしている武蔵が今日に限っていないと言うことを。
「亡くなった人の家族が葬儀を拒否すればする必要もないだろ?」
壱岐は胸倉を捕まれたまま唇の両端をニヤリと吊り上げた。滅多に見せない表情に微かな悪寒。
「てめー、根回ししやがったな。それほどおやっさんのことを皆に知られたくない秘密でもあるって訳か。こりゃ、老人ホームの爺共を失脚させるいい機会みたいやな」
「‥‥そう思うのはお前の勝手だ」
壱岐はいつもの無表情に戻っていた。
「なら勝手にさせてもらう。日向、無月。行くぞ」
悪態をつきながら壱岐を突き飛ばし、ハンガーにかかった上着を引ったくる。背後で足音が二つ。二人の無言の肯定を感じ、足を進めた。
「ちょっと、譲君!貴方達まさか老閣に言って直談判する訳じゃないわよね?壱岐君の言う通り、いくら《うたかた》と名乗っていても《守護神》を呼び出せていない貴方の権力は絶対じゃないのよ!」
瑠璃の叫びに似た言葉に足を止める。しかし、振り返っただけ。彼女に言葉は返さなかった。今何を言ったところで彼女に心配をかけることに代わりはない。その代わり、壱岐を見る。
「なあ、壱岐。お前はどう思うん?爺の言葉じゃなく、お前の言葉を俺は聞きたい」
「‥‥‥僕は、《老》に従うまで。ただ、彼等も僕にとって絶対的な存在ではないよ」
「そっか。ありがと。じゃあな」
瑠璃の制止を無視して部屋を後にした。
診療所の広い廊下へ出ると、そこには満月の心配そうな、泣き出しそうな顔と、出雲の呆れたような顔があった。
「扉くらい閉めて話せ。丸聞こえだったぞ」
「志摩、本当に老閣へ?私‥‥‥」
満月が《老》を好んでいないことは知っている。かつて俺や無月に耐えられた《老》の暴言も罵りも、存在の否定もこの一人の少女にとっても大きな傷になっている。俺は、満月の頭をくしゃりと撫でた。
「安心しろ。あんな爺共に直談判する気はない。俺は俺のやり方でやったる。俺らが今から行くんは、松前家や」
全員が思わぬ名前に驚愕の表情を浮かべる。さっきのやり取りなら真っ先に老閣へ乗り込むと誰もが思ったはずだ。
「ちょ、ちょっと待て。まさか遺族に直談判しようって言うのか?《老》には松前家のかつての当主もいる。そんなに簡単にこちらに従うとは思えない」
「それがな、思えるんだよ出雲。
あそこの長男が受け継いだのは長門。母方の姓や。次の世代におらん以上あの家にはもう言霊師としての松前家跡継ぎはおらん。つまり、当主権限を持つ松前の人間はおらんっつーわけや。《老》の圧力に屈する必要はない。それに、葬儀屋として跡を継ぐのは姓が変わる長男には不可能やからおそらく妹の美琴が継がざるを得なくなるはず。運がいいことにあの子は俺の数少ない理解者でな。おまけに賢い子やから」
父親の死の真相、葬儀を行うことを許されない理由を知りたがる、か。と、出雲が俺の言葉を次いだ。
「《倭家》独特の跡継ぎの制度が裏目に出ると?しかし、志摩殿。無理にでも葬儀を行う理由がどうも私には」
日向は眉をしかめた。何も出て来なかったあとの俺が心配だと表情が言っている。わかりやすい男だ。
「心配か?まあ、何も出てこんだら出てこんだでしゃあない。でもな、立場が上ってだけの人間に肉親の弔いを許されやんのはやっぱりおかしいと思わん?俺は、《うたかた》としてまだ役たたずかもしれやんけど、そんな理不尽だけはとっぱらったらなあかんって思っとるんや。せっかくそれが出来る力が一応、あるんやから」
一応、を強調する。言って皆の顔を見回せば、反対の意を示す表情はない。俺は、黙って頷き踵を返した。松前家は診療所からそう遠くはない。

「なあ、日向の兄貴。あいつなんだかんだ言って時々ちゃんと自分の役目を果たそうしてると思わんか?」
「そうだな。お前みたいに認めてくれる人間がいるからこそ、彼は頑張れるんだよ。喧嘩ばかりせずにそうやって認めてあげなさい」
「‥‥考えといちゃるわ」
俺達の一歩後ろで日向は照れ隠しなのか、顔をそらせた無月に向かってにっこりと笑い、栗色の髪をくしゃりと撫でた。

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