うたかた

雀野

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「んじゃ、まず聞かせてもらう。この子は何者なんじゃ?」
言い様のない重い空気を打開したのはやはり無月だった。本邸のリビングのソファに腰掛けにどかりと座って腕を組む。時々こいつの遠慮のない性格は助け船になる。
「‥‥この子は駿河百合。駿河家次期当主。そして、俺の義理の妹だ」
「駿河家?妹って‥‥」
満月が首を右にかたむけた。そもそも満月や無月、出雲などの比較的若い人間は駿河家そのものすら知らないのだ。
「まあ、お前らが知らんのも無理ないな。‥‥‥駿河家はある事件をきっかけに《倭家》最外層に追いやられとる」
百合は何か言いたげに首をもたげたがすぐにまた俯いた。《倭家》のほぼ中心にあった自分の家が、なぜ同じ《倭家》に住まうものでさえその存在に気付かないような最外層にまで追いやられたのか、それさえも彼女は知らないようだった。
「――――俺が外の人間との混ざり者で、親父‥‥陸奥隆信の道場におったんはもちろん知っとるな」
見回した全員が深々と頷く。それを確認してから俺は昔話を始めた。
「百合との関係はそれよりもっと前の話や。駿河家の失脚前。いや、直前。
駿河家失脚の原因の半分は俺だ‥‥‥。俺は《倭家》に来た頃まだ力をもないただの餓鬼やった」

母が死に、田舎から辺境の地、《倭家》へと連れてこられた俺は、父の妹の嫁ぎ先であった駿河家に引き取られた。彼女が俺と唯一血の繋がりをもった存在だったからだ。曲がりになりにも《倭家》の血を引く子供を施設へ入れることは《老》が許さなかったらしい。
叔父に手を引かれ一種の集落と化した《倭家》へ足を踏み入れた俺は《老》へ謁見。わけもわからないまま《倭家》の仕来りを叩き込まれた。
『お前は本当にあの若造に良く似ておるな』
『まったくだ、あの面汚しに瓜二つじゃ。どこの馬の骨かもわからんような女とこんな貧弱な餓鬼を作りよって』
父親に似ていると言うだけで散々嫌味を聞かされた。当時、「母を置き去りにした男」として元から好いていなかった父親の存在は俺にとって最悪なものとなる。
だが、ここへ来てから俺は、父は母と俺を置いて迎えに来なかった本当の訳を知った。


『いいか、お前を引き取ったのは《倭家》の為だ。そうでもなかったら貴様のような力も持たない出来損ないなんて放り出すところだ。ここで生きていきたければ私の言う事に従いなさい。いいな』
『‥‥はい』
『ここが今日からお前の部屋だ』
再び叔父に連れられ駿河家へ入った俺に与えられたのは部屋と言うには粗雑な物置だった。広い家故に手入れが行き届いていないのだろう。埃にまみれたベッドは長い間横たわる主を待っていたようだ。
『最低限の教育は受けさせてやるが、その代りお前に仕事を与える―――』
そして、突き付けられた無数の仕事。それは身寄りのなかった子供を引き取ると言うよりは使用人を雇ったという方が近い扱いだった。昔の古くさいドラマをまるっと再現された気分だった。上層であった駿河の家はとにかく広く、部屋や庭掃除に半日を有した。それに加えて教育に半日と、敷地を出ることは許されなかったがそうでなくとも家から出るような時間の余裕などなかった。それでも、俺は生きていく場を失わないよう必死だった。もう《倭家ここ》しかないんだ。と、自身に何度も言い聞かせた。当時の俺は駿河家の誰にでもいい、受け入れられたかったのだ。
しかし、義妹の百合は初めて出会ってから俺と口を利くことはなかった。力も血の繋がりさえない俺を兄だと決して認めたくなかったのだろう。

『譲、ついてこい』
そして、使用人よろしく数多の仕事をこなし、叔父、叔母からの執拗な嫌がらせにも馴れた頃。突然叔父は足を踏み入れることを許されていなかった離れへと俺を連れて行った。
カビ臭い湿った離れ。ただでさえ多すぎる仕事にさらに上乗せされるのかとげんなりしていた俺に課せられたのは駿河家にとって最大の秘密とも言える仕事だった。

それは、ある一人の人間の世話係。

『っ‥‥これ、は』
暗い倉のような離れの地下にいたのは、目も眩むような美少年。長いまつげが覗く瞳を固く閉じ、弱弱しい寝息を立てていた。それが、駿河蓮。駿河家の長男であり、百合の兄。そして、駿河家がその存在をひた隠しにしている存在だった。
『駿河蓮。この家の長男だ。だが生まれつき身体が弱く、力の制御も出来ず全く使い物にならん。何度家族を傷つけたかわからん。既に百合という後継者がいる我が家には無用な存在だ』
眠る蓮の隣で叔父は憎悪を吐き捨てるように言う。
その言葉は俺の胸に深く刺さる。必要とされない子供。それは自信の境遇を嫌でも連想させた。駿河家は古くから由緒ある高貴な家系。優秀な《言霊師》が産み出されているため、そのプライドは遥か遠くに見える山よりも高かった。
『いいか、譲。蓮の存在は誰にも知られてはいけない。だが、みすみす殺すわけにもいかない。わかるな?しっかり面倒を見るんだぞ』
『‥‥はい』
そう言って簡単な説明だけを済ますと、叔父は離れをあとにした。浅い寝息をたてる姿は生きた人形のように美しかった。だが、同時にその美しさに恐怖を覚えていた。目が覚めたとき、人形のように冷たい瞳がこちらを向いて俺の存在を嘲るかもしれない。
必要ないと言われたらどうしよう。
お前なんていらないのだと言われたら。
『‥‥‥誰?』
『っ!』
消え入りそうな声に顔をあげると、色素の薄い琥珀の瞳がこちらを見つめていた。俺は何も言えず、ただその瞳に総てを奪われたように見つめ続けていた。激しく脈打つ心音だけが耳を支配する静寂。
『‥‥‥ああ』
何も言わない俺に蓮は何かを悟ったようにベッドから上半身を起こし、俺にまっすぐ手を伸ばした。叔父や叔母にさんざん手を出されたせいか、思わずびくりと身体が震える。しかし、その手は優しく俺の頬へ添えられた。冷たい手のひらと長い指。
『‥‥君、名前は?』
『ゆ、譲。志摩譲』
あえて駿河の姓は名乗らなかった。俺なりの精一杯の抵抗だった。
『ああ、そうか。君が僕の新しい弟だね。辰夫さんから話は聞いているよ』
辰夫とは駿河家現当主の名だ。
今思えば彼はそれ以降も決して俺の前で叔父を父とは言わなかった。
『僕は駿河蓮。よかった、ずっと弟が欲しかったから。もしよかったら僕本当の兄だと思って仲良くしてほしい。いろいろと面倒をかけてしまうけどこれからよろしくね、譲』
そして、蓮。いや、兄さんは笑った。朧気な記憶に残る母のような優しい笑顔で。
『‥‥っ』
自然と涙が頬を伝った。駿河家へ来て一度も流していなかった涙が。母が死んだとき流し尽くしてしまったと思っていた涙が。
『辛かったね。ごめんね。ここの声は外には漏れないから、気が済むまで泣くといい』
兄さんは俺を抱き締め、あやすように背中を撫でた。受け入れられたという安堵感を抱きながらその温もりにすがるように俺は兄さんが言ったように気が済むまで泣いたのだ。

『大丈夫?』
泣き腫らした顔を優しく撫でられ自然と口角のつり上がった俺は頷いた。よかった。そう言って微笑む姿がとても心地いい。
『ありがとう‥‥に、兄さん』
照れながら言うと、兄さんもまた照れるように笑った。

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