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悠久の王・キュリオ編

<料理長>ジル

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 食事を任された料理人たちは大小さまざまな銀の器を並べ、芸術とも見まごうほどに美しい料理を次々に作り上げていた。それはそれは見事な手さばきで、彼らに剣を持たせたら一流の剣士だと噂されるくらいなのだ。

「よしっ! あとは果実を盛りつけて終わりだな!」

「はいっ!」

廊下を歩くキュリオのもとへ、年期のはいった……しかし張りのある威勢のよい男の声が響いた。

(この声は……相変わらずだな)

口元に笑みを浮かべ、その声に導かれるようにキュリオは迷いなく歩みをすすめる。

 開けた扉を覗くと、見習いであろう若い男たちが長身の老人に怒鳴られながら懸命に果実を盛りつけている。若者らの眼差しはとても真剣だが、横から口を挟む老人はどこか楽し気だった。

「い、如何でしょう……ジル様」

震えるような声で呟いた見習いの男が一歩下がり、隣の老人が前にでた。

「ふむ。悪くはない……」

腕組みをして盛りつけられた果物を眺める老人の言葉に、若い男は日に照らされたような明るい笑顔をみせた。

「ほ、本当ですかっ!?」

男が喜びの声を上げると――

「しかぁぁしっっ!!!
まだまだ儂には及ばぁああんっ!!!」

ガハハッと豪快に笑う老人を見た他の料理人たちも、つられて笑いだす。まわりを包むこのあたたかい雰囲気は彼の人柄によるものだとキュリオは知っている。

「ジル、いつもすまないね。あとで君のもとへ酒を届けよう」

品のある落ち着いた声が突如厨房の入口から発せられ、そこにいた全員の視線が一点に集中する。

ある者は呼吸するのも忘れ……またある者は完全に動きを止めてしまった。

「おぉ! これはこれは!! キュリオ様っっ!!」

ただ一人、ジルと呼ばれた威勢のよい老人だけが嬉しそうに彼の元へと駆け寄っていく。

「……キュリオ様……このお方が……っ……」

「我が国の王……キュリオ様だっ……!」

「このお方が……」

ジル以外の人間は我も忘れ恍惚の眼差しで銀髪の王を見つめている。透ける陶器のような肌に、宝石よりも美しい青い瞳。そして隙のない品のある立ち振る舞いは、まさしく王になるべくして生まれてきた者……唯一無二、完全無欠のキュリオ王だった。

動きを止めたまま自分を食い入るように見つめている料理人たちに目を向けたキュリオは、すまなそうに声のトーンを落とした。

「……邪魔してしまったかな?」

「いえいえっ! 邪魔だなんて滅相もございません! どうぞごゆっくり!!」

ジルという名の白髪に大柄の男はよほど嬉しかったのかいつにも増して声を大にし、またガハハと笑った。そしてひとしきり笑うと老人はふと我に返り、キュリオに声をかける。

「キュリオ様、もしや朝食のリクエストでしたかな?」

それを聞いた見習いとおぼしき若い男が急いで紙と羽ペンを用意し小走りに駆け寄ってきた。

「すまない……気を遣わせてしまったな、違うんだ。温めたミルクを少し分けて欲しくてね」

よほど意外だったのだろう。その場にいた全員が王の思わぬ発言に目を丸くしている。

「ミルクを……?」

ポカンとしているジルにキュリオは頷き答えた。

「あぁ、ティーカップにではなく……できれば小さなボトルのようなものに入れて欲しいのだが……」

更に付け加えられた言葉を聞いて、にわかに周りがざわつき始めた。
この大国の王がボトルにミルクを入れて飲むような習慣があるなどとは聞いたことがなく、上品な彼の嗜好は香りのよい茶葉やワインだったはずだ。

「か、かしこまりましたキュリオ様……すぐにご用意いたしましょう」

わずかに動揺したジルだが早々にミルクを鍋で温めはじめ、手頃なボトルを探して戸棚を開け閉めしている。その様子をじっと見つめていたキュリオはミルクが保管してある金属の棚の前までくると、年老いた料理長に向き直った。

「ジル、これからしばらく私もここにお邪魔させてもらうよ。ミルクの場所も覚えた。次回からは私がやるから今回だけ頼まれておくれ」

片づけをしながらこっそり様子をうかがっていた他の料理人たち。
なんとか平静を装ってはいたものの、キュリオのまさかの発言に隠し切れぬほど大きな衝撃を受けている。

(……つ、次からはキュリオ様がっ!?)

 (キュリオ様がミルクボトルを手にっっ……い、いや! キュリオ様ならそれすら様になっているに違いないっ!!)

男たちは美しい王のその姿を想像し、違和感があるものの……それにすら尊敬と憧れの眼差しで胸を高鳴らせていた――。

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