君の空になる

mimi*

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後悔

後悔

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 カップに一杯のコーヒーを注ぐ。ブラックでも飲めるようになったのは最近のことだ。砂糖を入れた方が舌にしっくりくるのは変わりないが、これまで散々友人の萩原徹からお子ちゃまだとからかわれてきたせいか、そうしようと思うことさえ今はない。
 コーヒーを一口すすり、ゆっくりとソファーに沈みこんだ。やっぱり少し苦い。自然と眉が寄るのを自分でも感じた。

――知らなかった。

 不意に、壊れかけたオルゴールが音を鳴らすような、かすれた声が耳に蘇った。もう数時間も前のことだ。ここは自宅で、彼女――新堂都子がここにいるわけがない。そんなことは分かりきったことなのに、それでもなおきょろきょろとあたりを見回してしまう自分に千彰は呆れた。
「……重症?」
 自分に問いかけた言葉は静かな部屋に溶けていく。思わず声に出してしまうところあたりがその答えなのかもしれない。
 覚えず大きなため息をはき出した。
 今日は。完全に失敗だった。あんなことをしてしまうとは、自分自身、夢にも思っていなかったのだ。


*       *       *


「……生徒、会、が一緒だったの……」
 耳をすまさなければ聞こえないくらいのか細い声で、腕の中にいる都子は言葉をこぼした。
「……生徒会?」
 確か、藤見良介は東高だったはすだ。都子の通っている高校、西高とは兄弟校にあたるが、生徒会が一緒だというのはどういうことだろう。浮かんできた疑問はすぐに彼女の次の言葉が解決してくれた。

――合同学園祭。

 そういえば、聞いたことがあった。2年に1度行われるこの行事は各学校の文化祭よりも人が大勢集まり、5年前あたりから入場がチケット制になったという。そのチケットを入手するためには西高か東高に知り合いがいないとまず無理だと前に徹が話していた。
「……いつ、別れたの」
 そう尋ねたものの、だいたいの予想はついていた。毎朝、高校に入学したばかりの頃から、千彰はずっと都子を見つめ続けてきたのだ。半年前。彼女が変わったのはそれくらいの時期だ。
 思った通りの答えを発した彼女は、それからもとつとつと良介のことを話してくれた。自分でも何を言っているのかよく分かっていないのか、文章は支離滅裂だったけれど、おおまかな事情だけはうかがい知れた。
 そして、千彰は良介に怒りを抱くとともに、何かがおかしい、とも思う。

 藤見良介は、この辺りでは有名な人間だ。良い意味でも、悪い意味でも人に知られている。
 端整な甘いマスクは多くの女を誘惑し、気に入った女を次々と口説き落としていっては、飽きたらすぐに捨てる。二股、いや、三股くらいは普通の男だ。
 北高は男子校だというのに、藤見良介に関する情報はやたらと耳にした。要は平凡な学生生活の、一種のネタとして提供されているのだ。
――あいつ、また女引っかけたんだって。へー今度は誰? S女のおじょーさま、冬木麗だってさ。うわー、マジで? どんだけいい女食えば気が済むんだよ。でも彼女他に男いなかったっけ? 別れたんじゃねーの、ほんと馬鹿だよなあ、どうして女ってあーいう奴に騙されるんだろうな――

 良介の噂は毎日何かしら耳に入ってきた。毎回同じようなことばかりで、いい加減飽き飽きしてくるくらいだったが、彼に関しての噂は途切れることを知らないようだった。
 ……だから、おかしいのだ。
 これほどまで噂になる人物なのに、都子に関することだけがまるですっぽり切り取られたように――誰も口にしたことがないなんて、何かがおかしい。たまたま自分が聞いていなかっただけだろうか? 一瞬その可能性を考えたものの千彰はすぐにそれを打ち消した。それはありえない。徹はそういう話に関して地獄耳だし、だいたい、都子の名前が出ていたら誰よりも早く自分が反応するだろう。

――本当に付き合ってたのか?

 とうとうそんな疑問さえ浮かんできたとき、思い出したのはあの良介の表情だった。


――都子。

 そう、彼女の名前を呼んだときの表情。そして、千彰が都子を抱き寄せ、良介を睨み付けながら都子を『彼女』だと宣言したあのときの表情。
 明らかにひるんだ様子を見せた良介は、苦い顔をして悔しそうに目を逸らした。

 都子と良介が何も関係していないのなら、あのときのことはどうにも説明できなくなる。
 ……やっぱり付き合ってたんだな。
 理解すると同時に絶望した。彼女は傷ついている。小さな身体を震わせ、ぽろぽろと涙を流し、自分を守るように心を閉ざしている。
 良介に何をされたのかは明確だった。知らなかった。そう言葉した彼女は本当に良介のことを知らなかったのだろう。何も知らずに出会って、ただ純粋に良介を好きになっただけだ。

 胸がむかついた。全身が逆立つような怒りを感じた。そして、藤見良介に嫉妬した。


 ――顔を上げた彼女は無防備すぎた。

 気付けば、その両肩をぐっと掴んで形の良い小さな唇に口付けていた。触れた途端甘い香りが鼻孔をくすぐり、柔らかな感触にわきでるような愛しさを覚えた。
 はっとしたように都子が意識を取り戻したのはそのすぐあとだった。
 パシンッ、とものすごい音が脳天に響くとともに熱を持った左頬。両拳を震わしながら都子は千彰を睨み付けた。
「……最っ低!」
 彼女は、泣いていたのに。
 全身で悲しみを表し、小さな身体を震わせていたのに。

 俺は馬鹿だ。どうしようもないほどの大馬鹿だ。

 駆け出していった都子を、そのときの千彰は追いかけることができなかった。
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