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こりごり
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朝は薄い雲が空を覆っていただけだった。2限目が終わったあたりから灰色の雲が現れて、そのあとすぐに雨が降り出した。
雨。雨は嫌いだ。青い空を覆い被して、心の平穏を掻き乱す。あのきれいな色は心を安らげてくれるものなのに、それを掻き消してしまう雲、雨は大嫌いだ。
「お昼、屋上では食べれないね……」
窓の外を見上げた利恵に、都子は憂鬱さを隠せず頷いた。気分が重いのは天気のせいだけじゃない。昨日のことを思い出すたび、心がなまりのように沈んでいくのだ。
今日は朝から電車の時間を変えた。もっと早く出よう、昨日そう利恵に電話をした時点で利恵は何か思うところがあったようだが、何も言わずただいいよ、という返事をくれた。今も、利恵はあきらかに都子の様子がおかしいのに気が付いているのに何も聞いてこない。それが彼女の優しさだ。ただ待っていてくれる。決して無理に聞き出そうとはしない。
「物理室、行こう。話したいことがあるの……」
利恵に話そうかどうか朝から迷っていたが、こんなことを話せる相手は彼女しかいない。
うかがうように利恵を見つめる都子に対して、利恵はうん、と都子を安心させるような柔らかい微笑みを作った。
* * *
「……良介に、会った」
このたった一言に都子は唇を震わしてしまった。
え、と。
利恵が息を詰まらせた。俯いているため彼女の顔は見えないが、箸を持った利恵の手が途中で止まったままになっているのを視界の端に映していた。
「な、なんで……」
「偶然……だよ。あの人……津田くんと歩いてたら、ただ、ばったり会っただけ」
自分の名前を呼んだ良介の声。それを思い出すだけでどうにもできない感情が身体全身を支配する。最後に会ったのはもう半年も前なのに、いまだ、色褪せることなく思い出せる彼のすべてが、麻薬のように心をがんじがらめに束縛する。
「別に、何もなかった。……でも、分かっちゃったの。わたし、まだ全然良介のこと忘れられてないんだって……そんな馬鹿みたいなこと、分かっちゃった」
ぱさりと髪が頬に落ちてきて、都子は泣きそうに歪む顔をどうにかして隠した。
今まで、良介のことを想っては尽きることなく涙をこぼしてきた。忘れようとして、思い出も、彼に関する何もかものことを、記憶から消そうともがき苦しんで、心の奥深くにその想いを封印したはずだった。
「どうして、嫌いになれないのかなあ……」
近くに、いすぎたからだろうか。自分の何もかもを彼に許していたからだろうか。
優しかったから。良介がすごく優しかったからかもしれない。ときどき、都子をからかうように意地の悪い部分も見せた彼。すべてが愛しくてたまらなかった。
良介との秘密の恋は、あの生徒会室で交わしたキスから始まった。付き合ってることは秘密にしよう。そう言われて、都子は何も考えることなく頷いた。ただ、良介が側にいてくれればよかった。他の誰が知らなくても、良介が自分のことを想っていてくれるのなら、それで良かった。どうして? と尋ねることはしてはいけない気がした。その頃の都子にとって、良介は絶対的な存在だった。
彼との約束は絶対だ。都子は誰ひとり、親友の利恵にさえも良介のことを話さなかった。彼から誘いがあったときは、利恵と別れたあとこっそり電車を引き返して、待ち合わせの場所に向かった。
少し考えれば都合のいい女として利用されているだけだと気が付いたはずなのに。
恋は盲目だとはよく言ったものだ。その頃、世界は良介というベールですべて覆い被されていて真実が見えなかった。本当に、何も見えていなかった。
「……都子」
利恵は唇だけを動かした。何を言っていいのか分からない。そんな表情だった。
「ごめんね、また利恵を困らしちゃった。……うん、でも大丈夫。何だか話したらすっきりしたかも」
ぱっと顔を上げて、小さく微笑みを作った。
笑える。自分はまだ笑えるのだ。こんなこと、全然大したことじゃない。そう自分に言い聞かせた。
「今日の、朝は、ね」
弁当をつつきだした都子は、話題を変えるように声色を明るくした。
「あの人に会いたくなかったから、時間を変えただけ」
「……津田、くん?」
「うん。やっぱりわたしあの人だめみたい。昨日はちょっとあんなことがあって心許しちゃったとこもあったけど、急にキスしてくるなんて男として最低でしょ」
「キ……キスッ?!」
「うん。引っぱたいてやったけど」
千彰には感謝している。あのとき、彼がいてくれなかったらどうなっていたか自分でも分からない。
けれど、それとキスとは別物だ。
「あーいうのはもうこりごり」
恋をするのは、もう、こりごりだ。
雨。雨は嫌いだ。青い空を覆い被して、心の平穏を掻き乱す。あのきれいな色は心を安らげてくれるものなのに、それを掻き消してしまう雲、雨は大嫌いだ。
「お昼、屋上では食べれないね……」
窓の外を見上げた利恵に、都子は憂鬱さを隠せず頷いた。気分が重いのは天気のせいだけじゃない。昨日のことを思い出すたび、心がなまりのように沈んでいくのだ。
今日は朝から電車の時間を変えた。もっと早く出よう、昨日そう利恵に電話をした時点で利恵は何か思うところがあったようだが、何も言わずただいいよ、という返事をくれた。今も、利恵はあきらかに都子の様子がおかしいのに気が付いているのに何も聞いてこない。それが彼女の優しさだ。ただ待っていてくれる。決して無理に聞き出そうとはしない。
「物理室、行こう。話したいことがあるの……」
利恵に話そうかどうか朝から迷っていたが、こんなことを話せる相手は彼女しかいない。
うかがうように利恵を見つめる都子に対して、利恵はうん、と都子を安心させるような柔らかい微笑みを作った。
* * *
「……良介に、会った」
このたった一言に都子は唇を震わしてしまった。
え、と。
利恵が息を詰まらせた。俯いているため彼女の顔は見えないが、箸を持った利恵の手が途中で止まったままになっているのを視界の端に映していた。
「な、なんで……」
「偶然……だよ。あの人……津田くんと歩いてたら、ただ、ばったり会っただけ」
自分の名前を呼んだ良介の声。それを思い出すだけでどうにもできない感情が身体全身を支配する。最後に会ったのはもう半年も前なのに、いまだ、色褪せることなく思い出せる彼のすべてが、麻薬のように心をがんじがらめに束縛する。
「別に、何もなかった。……でも、分かっちゃったの。わたし、まだ全然良介のこと忘れられてないんだって……そんな馬鹿みたいなこと、分かっちゃった」
ぱさりと髪が頬に落ちてきて、都子は泣きそうに歪む顔をどうにかして隠した。
今まで、良介のことを想っては尽きることなく涙をこぼしてきた。忘れようとして、思い出も、彼に関する何もかものことを、記憶から消そうともがき苦しんで、心の奥深くにその想いを封印したはずだった。
「どうして、嫌いになれないのかなあ……」
近くに、いすぎたからだろうか。自分の何もかもを彼に許していたからだろうか。
優しかったから。良介がすごく優しかったからかもしれない。ときどき、都子をからかうように意地の悪い部分も見せた彼。すべてが愛しくてたまらなかった。
良介との秘密の恋は、あの生徒会室で交わしたキスから始まった。付き合ってることは秘密にしよう。そう言われて、都子は何も考えることなく頷いた。ただ、良介が側にいてくれればよかった。他の誰が知らなくても、良介が自分のことを想っていてくれるのなら、それで良かった。どうして? と尋ねることはしてはいけない気がした。その頃の都子にとって、良介は絶対的な存在だった。
彼との約束は絶対だ。都子は誰ひとり、親友の利恵にさえも良介のことを話さなかった。彼から誘いがあったときは、利恵と別れたあとこっそり電車を引き返して、待ち合わせの場所に向かった。
少し考えれば都合のいい女として利用されているだけだと気が付いたはずなのに。
恋は盲目だとはよく言ったものだ。その頃、世界は良介というベールですべて覆い被されていて真実が見えなかった。本当に、何も見えていなかった。
「……都子」
利恵は唇だけを動かした。何を言っていいのか分からない。そんな表情だった。
「ごめんね、また利恵を困らしちゃった。……うん、でも大丈夫。何だか話したらすっきりしたかも」
ぱっと顔を上げて、小さく微笑みを作った。
笑える。自分はまだ笑えるのだ。こんなこと、全然大したことじゃない。そう自分に言い聞かせた。
「今日の、朝は、ね」
弁当をつつきだした都子は、話題を変えるように声色を明るくした。
「あの人に会いたくなかったから、時間を変えただけ」
「……津田、くん?」
「うん。やっぱりわたしあの人だめみたい。昨日はちょっとあんなことがあって心許しちゃったとこもあったけど、急にキスしてくるなんて男として最低でしょ」
「キ……キスッ?!」
「うん。引っぱたいてやったけど」
千彰には感謝している。あのとき、彼がいてくれなかったらどうなっていたか自分でも分からない。
けれど、それとキスとは別物だ。
「あーいうのはもうこりごり」
恋をするのは、もう、こりごりだ。
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