23 / 34
第二部
第23話 皇都の舞姫
しおりを挟む
バステト達――影の騎士ヴァルター、ヨナス、そして双子のルルとイーサーは、皇都に入った。二人が付いてきたのは、皇女の身の回りの世話に女手が必要な事、それに、これからバステトがすべきことには、舞いに詳しいもののサポートが必要だったためだ。
王都の正門は封鎖されていたが、城壁には、一部ほころびがある。バステト達はそこから、皇都内に入ることになった。
皇都は数日前から封鎖され、流通はストップしていた。
現在、軍部は最高司令部を隣の都市ミニヤに設け、そこで皇都ハシュールを兵糧攻めにする構えだ。
皇都は背後の山岳地帯から引き込んだ地下水路、カナートのおかげで水に不自由することはない。皇宮にある倉庫から食べ物が定期的に支給されるため、今はまだ目立った混乱はないという。
皇帝は、皇都封鎖の前一般市民に都外への避難を呼びかけたが、街と皇族を愛する皇都の民は残るものが多く、避難はあまり進まなかった。
兵糧攻めという手法がとられた今、それは完全に裏目に出ていた。
ヨナスは、皇都内に拠点を確保していた。
快適に過ごせる設備がそろったこの拠点は、ヨナス以外にもケイリッヒの諜報部門の人間たちが利用している。
『テトラ、はい、これ着替え。着替えさせてあげる!』
『ん。ありがとう』
ルルはテトラの世話を焼きたくて仕方ないようだ。ルルにとっては、憧れの皇女様だ。今も隣室で庶民の着る服への着替えの最中だ。
ただ、呼び名は好きなようにしてよいということで、前の通りで呼ぶことにする。ここは皇都なので、素性を隠すにもちょうどよい。
でも、イーサーは、テトラと距離が離れたのを感じる。
テトラは、皇女様で、舞姫だった。
あの日、殴られて何もできなかった自分との差が、とてつもなく大きい。
あの日、あの舞を見る瞬間までは、テトラがバステト皇女だと聞いた後もどこか信じられなかった。
信じたくなかったし、すぐにさっきまでの可愛らしいテトラにもどって、あの凛としたテトラは見間違いで、色々聞き間違えたのだと思いたかった。
でも、あの舞を見てしまったら無理だった。
彼女は、舞姫なのだ。
イーサー自身が舞をたしなむものだからこそわかる。
彼女は、違う。
練習とか訓練とかでたどり着ける領域とは明らかに違う。
イーサーは、舞姫の舞を初めて見て、それが神降ろしだと言われる意味が、やっとわかった。
初めて感じた本気の恋心の決着をどこに持っていけばよいのか、イーサー自身も自分の心を持て余していた。
◇◇◇◇◇◇
「これから、食料が足りなくなってくるかもしれない。一番怖いのは、皇都の中で争いが起こることだ。そうなる前に、都外への退避を呼びかけるべきだと思う」
軍はスムーズな政権交代のためには一般市民へ危害を加えることはまずないと聞いて、バステトはそう告げた。
現在、5人は今後の方針を話し合っているところだ。ルルとイーサーも、今後手伝いを行う上ではある程度事情を知っている方がよいため、同席してもらっている。
「うん、いい手だね。食料難になる前に早めに安全な場所へ出てもらう方がいいね」
今、すべきことは、皇都の人々に争いを起こさせない事。
バステトは、愛する民達に血を流してほしくなかった。
ルーク達がしようとしていることが成功すれば、軍は後ろ盾を失い、撤退せざるを得ない。
それまで、いかに、この状態を維持させるかだ。
待つこと。耐えること。
そのためには、皇都の食料問題を解決しなければならない。
それに、もしも、籠城しきれず軍が攻め込んでくる最悪の事態になったとしても、市民が被害を被らないように、なるべく皇都から離れてほしい。
人々にそれを伝えよう、舞姫と皇女バステトの声として届けようと決めた。
それからもう一つ。
「ヨナス、ハサンと話がしたい」
「うーん、ハサン様は、今、ミニヤの最高司令部にいるらしいことは分かってるんだけど、俺やヴァルターだけで行くならともかく、姫様を連れてそこまでいくのは難しいな」
ヨナスが、入り口に立つヴァルターをちらりと見ると、ヴァルターも無理だ、というように首を振った。
「そうか……」
「ただ、一つだけ可能性があるとすれば、こちらに、姫様がいることを知らせて、向こうに来てもらうことかな」
バステトは、顔を上げた。
「ハサン様は、姫様がここにいるとは思っていない。姫様がここにいたら、どうすると思う?」
「私に、会いに来る」
「可能性は高いよ。ただ、別の危険もある」
ヨナスは思案しながら続けた。
「ハサン様を軍が重用している理由は、諸侯の皇族派と神殿派の勢力をまとめやすいからだ。でも、その役割は、姫様でも可能だ。むしろ、姫様の方が向いている。だから、姫様を軍に引き入れるため、捕らえに来るか、邪魔に思って殺しに来るか」
「あるいは、ハサン様が軍についた大義名分は、姫様を奪われ皇帝に裏切られたことだ。ハサン様を支持するものは、姫様をとらえてハサン様に献上しようと考えるかもしれない」
バステトは息をのんだ。
「俺たちが守るけど、危険はないとは言い切れない」
それでもやる?と問いかけるヨナスに、バステトは、言い切った。
「ヨナスとヴァルターを信じる。私は、危険があろうと、なすべきことをなす」
「では、舞姫バステトが、皇都に現れたと大々的にアピールしよう」
◇◇◇◇◇◇
皇都には複数の神殿がある。
中央神殿以外に、街中に小さな神殿がいくつかあり、その正確な数はバステトも知らない。
街中にある神殿は、たいてい中央に大きなスペースがあり、舞の会場に適している。
舞を始める場所と時間の周知は、1時間前。
戸口をたたき、舞姫が来る、と近隣の住民にのみ声をかける。
そして、人々の前で、癒しと祝福、希望の舞を舞うのだ。
涙を流す人々に、バステトは告げる。
「マレの皇女にして舞姫バステト」のお願いとして。
すぐに皇都を離れて避難してほしいこと。
避難後も、自分や皇族に何があっても、軍の者たちに決して歯向かったりしないでほしいということ。
クーデターは、国内の派閥争いだ。
国内の争いは終わった後も禍根を残す。国外の敵に対しての戦争と違い、敵は近すぎる場所にいる。
――絶対に血を流してはいけない。
バステトは、今日も一人で舞の舞台に立つ。
1日に何回も踊って体は疲れ切っていた。今まで、こんなにも連続で舞を舞ったことはなかった。しかし、バステトの代わりになる者はいないのだ。
舞台を終え、少し息をつくために神殿裏の空き地に座っていたが、もうそろそろ戻らないと皆が心配する。
バステトは立ち上がろうとしたが、足元がふらついてバランスを崩してしまった。転ぶと思ったが衝撃はなく、体を支えられていることに気づいた。
イーサーだった。
『ありがとう』
肩と腰を支える動作がとても力強くて安心する。イーサーも舞踏の舞い手だ。きっとルルといっぱい練習してるのだろうと微笑ましく思った。
見上げて、お礼を言うと、何だか辛そうな顔をしている。綺麗な黒い瞳だ。そういえば、最近ルルとばかりでイーサーと話していなかった。
『テトラは、つらくないの?』
思い詰めたような声に、心配をかけてしまっていたことに気づいた。体調管理をちゃんとしなければならない。こんなことでふらついているようじゃ皆んなに心配をかけてしまう。
『前言ってたろ、王子に認めてもらいたくてここに来たって。それって、王子は、今のテトラの事、認めてないってことだろう?』
『そんな奴のためにそんなに頑張るなよ。俺だったら、今のまんまでいい。そのまんまのテトラで。テトラに辛いことなんかさせない!』
以前言ったことを、覚えてくれていたらしい。確かに、ルークには、まだ信頼されていないかもしれない。
でも、今ここで頑張っている理由はそれだけではない。これは、既にルークの問題ではなく、バステトの問題なのだ。私自身が変わりたいと望んでいるのだ。
イーサーにそれを伝えようとしたが、言葉にする前に、肩と腰に回った手に力が込められる。
『俺なら、ここにいる。俺なら、テトラの側で助けられる。慰めてあげられる。俺は、テトラの事好きだよ』
だから、俺を選んでよ。小さな声で続けられ、心臓がギュッとしめつけられる。自分にこんなにも心を傾けてくれていたイーサーの気持ちに胸が熱くなる。同時に、応えられないつらさにも。
『ありがとう、イーサー。とても、嬉しい』
バステトは、イーサーの手をそっと外した。
『でも、バステトはルークに血の誓約を捧げてしまった。バステトの全ては、ルークのものだから。他の誰にもあげられない』
イーサーの揺れる黒い瞳を見上げた。
『それに、今ここで頑張っているのはバステトの意思だ。ルークのためとか、そんなんじゃない』
イーサーは、目を伏せる。
『わかった。でも、テトラのことを助けたいんだ。俺にも何かさせて』
『うん、ありがとう』
そして、イーサーは、そっと回した手を緩めると、去っていった。
いつの間にか背後には、ヴァルターが立っていた。
「俺は、皇女が嫌がっていないのであれば、止めることはできない」
「うん、止めないでくれてありがとう」
「今は迷うな。成すべきことを為せ。――お前はそれでいい。俺達が支える」
「うん、ありがとう」
多くの人の支えを感じて、バステトはそれを噛み締めていた。
◇◇◇◇◇◇
『振られちゃった?』
『うるさい』
双子は、こんな時、勘が鋭くていやになる。
拠点に戻る前、皇都のカナート沿いの手すりで頬杖をついていると、イーサーの脇にルルが並ぶ。
『初めてでしょ?』
『……こんなに辛いなんて知らなかった』
『成長したね』
お前ほんとにうるさい、と呟きながらイーサーは続ける。
『振られたけどさ、テトラに何かしてやりたいんだ。俺は何もできていない』
『うん、私達、何かできるかもって思ったけど、思ったよりできてないよね。一番大変なのは舞だけど、テトラの舞の代わりには誰もなれないもん』
『ああ……。舞の演目は、基本舞い手が一人だもんな。ルルや俺が一緒に舞台に立っても邪魔にしかならない。――あれ、でも、このやり方なら! ルル、聞いてくれ!』
イーサーは思いついたアイデアをルルに話す。
『うん、いいかも! これならテトラもきっと楽になるよ!』
◇◇◇◇◇◇
次の日、バステトの講演時間の間際になってから、ルルとイーサーは、慌てて舞台となる神殿に現れた。イーサーは舞い手の衣装を身に纏っている。
『俺も躍らせて欲しい。ルルと練習したんだ。俺がサポートで入ると、テトラは踊りやすくなると思う。疲れもだいぶ減るはずだ』
『テトラ、体力的にだいぶキツくなっているでしょ。舞の高さと伸びが、前より明らかに落ちてると思うの』
『俺たちはプロだ。俺たちにしかできないことで、テトラをサポートする。テトラを体力的にサポートしながら、舞姫を輝かせる舞にする。俺ならできる』
その日の舞の舞台には、バステトと、初めてイーサーが一緒に立った。
「なるほど。遠心力を利用して、高く飛ばしたり、力のある男が、投げ上げたり、受け止めればいい。確かに皇女の負担は減る」
「ヴァルター、珍しく口数多くて嬉しいんだけど! まあ、姫様にとってもよかったんだけど!! でもさあ! これ、絶対王子に見せらんないヤツだよね!? ちょっと触りすぎだよね。報告担当に、絶対に記録させないようにしないと!」
この二人の舞を王子に報告するのは絶対に阻止しようとヨナスは心に決めるのだった。
◇◇◇◇◇◇
その日の舞は、大盛況だった。
イーサーは体の火照りを抑えるべく、拠点の裏で水をかぶる。バステトの方は、いつも通りルルがマッサージなどサポートを行っているはずだ。
背後に人の気配を感じて振り向くと、飲み物を手に持ったヨナスがいた。
『お疲れ』
『はい、ありがとう……ございます』
ヨナスから飲み物を手渡され、イーサーは礼を言う。
『姫様のために色々考えてくれてありがとう。でも、忠告しにきた。深入りすんなよ、少年』
イーサーはムッとして言い返す。
『俺には絶対に手が届かない人だって事ぐらいわかってるよ。ただ、テトラがあんまり辛そうだから! あの子のことを助けたいんだ。大体、王子様ってほんとにテトラの事、大事に思ってんのかよ!! こんなとこに皇女様一人で行かせるって明らかにおかしいだろ!』
『いやあ、それに関しては内部の不手際だとしか言いようがない。あー、ちなみに、王子は姫様にべたぼれだから。姫様が気が付いてないだけで。王子がちょっと可哀想になるぐらい』
『え?』
『王子は、血の誓約を姫様に返したんだよ? 全部知ってて、返したんだ。マレの者ならわかるだろう?』
『そっか。なら、安心だな』
マレの者なら皆知っている。血の誓約。魂をつなぐ誓約。死が二人を別つまでの重い、誓い。
『でも、俺は誓約なんかなくても、テトラを助けるから』
間に入る隙なんかないことは分かっている。でも、見返りがなくても、何かを捧げたいと思ったのは、初めてだった。
◇◇◇◇◇◇
バステトの舞の公演は効果を見せ始め、皇都から避難する者が続出した。
そして、その者達の口から、近隣の都市へと噂は広がる。
舞姫、バステト皇女が皇都に戻っていると。
そして、大陸の大国ケイリッヒの王子も皇女を助けるべく動いていると。
人々は、希望の明かりを、マレの皇女と、ケイリッヒの王子に見出すのだった。
王都の正門は封鎖されていたが、城壁には、一部ほころびがある。バステト達はそこから、皇都内に入ることになった。
皇都は数日前から封鎖され、流通はストップしていた。
現在、軍部は最高司令部を隣の都市ミニヤに設け、そこで皇都ハシュールを兵糧攻めにする構えだ。
皇都は背後の山岳地帯から引き込んだ地下水路、カナートのおかげで水に不自由することはない。皇宮にある倉庫から食べ物が定期的に支給されるため、今はまだ目立った混乱はないという。
皇帝は、皇都封鎖の前一般市民に都外への避難を呼びかけたが、街と皇族を愛する皇都の民は残るものが多く、避難はあまり進まなかった。
兵糧攻めという手法がとられた今、それは完全に裏目に出ていた。
ヨナスは、皇都内に拠点を確保していた。
快適に過ごせる設備がそろったこの拠点は、ヨナス以外にもケイリッヒの諜報部門の人間たちが利用している。
『テトラ、はい、これ着替え。着替えさせてあげる!』
『ん。ありがとう』
ルルはテトラの世話を焼きたくて仕方ないようだ。ルルにとっては、憧れの皇女様だ。今も隣室で庶民の着る服への着替えの最中だ。
ただ、呼び名は好きなようにしてよいということで、前の通りで呼ぶことにする。ここは皇都なので、素性を隠すにもちょうどよい。
でも、イーサーは、テトラと距離が離れたのを感じる。
テトラは、皇女様で、舞姫だった。
あの日、殴られて何もできなかった自分との差が、とてつもなく大きい。
あの日、あの舞を見る瞬間までは、テトラがバステト皇女だと聞いた後もどこか信じられなかった。
信じたくなかったし、すぐにさっきまでの可愛らしいテトラにもどって、あの凛としたテトラは見間違いで、色々聞き間違えたのだと思いたかった。
でも、あの舞を見てしまったら無理だった。
彼女は、舞姫なのだ。
イーサー自身が舞をたしなむものだからこそわかる。
彼女は、違う。
練習とか訓練とかでたどり着ける領域とは明らかに違う。
イーサーは、舞姫の舞を初めて見て、それが神降ろしだと言われる意味が、やっとわかった。
初めて感じた本気の恋心の決着をどこに持っていけばよいのか、イーサー自身も自分の心を持て余していた。
◇◇◇◇◇◇
「これから、食料が足りなくなってくるかもしれない。一番怖いのは、皇都の中で争いが起こることだ。そうなる前に、都外への退避を呼びかけるべきだと思う」
軍はスムーズな政権交代のためには一般市民へ危害を加えることはまずないと聞いて、バステトはそう告げた。
現在、5人は今後の方針を話し合っているところだ。ルルとイーサーも、今後手伝いを行う上ではある程度事情を知っている方がよいため、同席してもらっている。
「うん、いい手だね。食料難になる前に早めに安全な場所へ出てもらう方がいいね」
今、すべきことは、皇都の人々に争いを起こさせない事。
バステトは、愛する民達に血を流してほしくなかった。
ルーク達がしようとしていることが成功すれば、軍は後ろ盾を失い、撤退せざるを得ない。
それまで、いかに、この状態を維持させるかだ。
待つこと。耐えること。
そのためには、皇都の食料問題を解決しなければならない。
それに、もしも、籠城しきれず軍が攻め込んでくる最悪の事態になったとしても、市民が被害を被らないように、なるべく皇都から離れてほしい。
人々にそれを伝えよう、舞姫と皇女バステトの声として届けようと決めた。
それからもう一つ。
「ヨナス、ハサンと話がしたい」
「うーん、ハサン様は、今、ミニヤの最高司令部にいるらしいことは分かってるんだけど、俺やヴァルターだけで行くならともかく、姫様を連れてそこまでいくのは難しいな」
ヨナスが、入り口に立つヴァルターをちらりと見ると、ヴァルターも無理だ、というように首を振った。
「そうか……」
「ただ、一つだけ可能性があるとすれば、こちらに、姫様がいることを知らせて、向こうに来てもらうことかな」
バステトは、顔を上げた。
「ハサン様は、姫様がここにいるとは思っていない。姫様がここにいたら、どうすると思う?」
「私に、会いに来る」
「可能性は高いよ。ただ、別の危険もある」
ヨナスは思案しながら続けた。
「ハサン様を軍が重用している理由は、諸侯の皇族派と神殿派の勢力をまとめやすいからだ。でも、その役割は、姫様でも可能だ。むしろ、姫様の方が向いている。だから、姫様を軍に引き入れるため、捕らえに来るか、邪魔に思って殺しに来るか」
「あるいは、ハサン様が軍についた大義名分は、姫様を奪われ皇帝に裏切られたことだ。ハサン様を支持するものは、姫様をとらえてハサン様に献上しようと考えるかもしれない」
バステトは息をのんだ。
「俺たちが守るけど、危険はないとは言い切れない」
それでもやる?と問いかけるヨナスに、バステトは、言い切った。
「ヨナスとヴァルターを信じる。私は、危険があろうと、なすべきことをなす」
「では、舞姫バステトが、皇都に現れたと大々的にアピールしよう」
◇◇◇◇◇◇
皇都には複数の神殿がある。
中央神殿以外に、街中に小さな神殿がいくつかあり、その正確な数はバステトも知らない。
街中にある神殿は、たいてい中央に大きなスペースがあり、舞の会場に適している。
舞を始める場所と時間の周知は、1時間前。
戸口をたたき、舞姫が来る、と近隣の住民にのみ声をかける。
そして、人々の前で、癒しと祝福、希望の舞を舞うのだ。
涙を流す人々に、バステトは告げる。
「マレの皇女にして舞姫バステト」のお願いとして。
すぐに皇都を離れて避難してほしいこと。
避難後も、自分や皇族に何があっても、軍の者たちに決して歯向かったりしないでほしいということ。
クーデターは、国内の派閥争いだ。
国内の争いは終わった後も禍根を残す。国外の敵に対しての戦争と違い、敵は近すぎる場所にいる。
――絶対に血を流してはいけない。
バステトは、今日も一人で舞の舞台に立つ。
1日に何回も踊って体は疲れ切っていた。今まで、こんなにも連続で舞を舞ったことはなかった。しかし、バステトの代わりになる者はいないのだ。
舞台を終え、少し息をつくために神殿裏の空き地に座っていたが、もうそろそろ戻らないと皆が心配する。
バステトは立ち上がろうとしたが、足元がふらついてバランスを崩してしまった。転ぶと思ったが衝撃はなく、体を支えられていることに気づいた。
イーサーだった。
『ありがとう』
肩と腰を支える動作がとても力強くて安心する。イーサーも舞踏の舞い手だ。きっとルルといっぱい練習してるのだろうと微笑ましく思った。
見上げて、お礼を言うと、何だか辛そうな顔をしている。綺麗な黒い瞳だ。そういえば、最近ルルとばかりでイーサーと話していなかった。
『テトラは、つらくないの?』
思い詰めたような声に、心配をかけてしまっていたことに気づいた。体調管理をちゃんとしなければならない。こんなことでふらついているようじゃ皆んなに心配をかけてしまう。
『前言ってたろ、王子に認めてもらいたくてここに来たって。それって、王子は、今のテトラの事、認めてないってことだろう?』
『そんな奴のためにそんなに頑張るなよ。俺だったら、今のまんまでいい。そのまんまのテトラで。テトラに辛いことなんかさせない!』
以前言ったことを、覚えてくれていたらしい。確かに、ルークには、まだ信頼されていないかもしれない。
でも、今ここで頑張っている理由はそれだけではない。これは、既にルークの問題ではなく、バステトの問題なのだ。私自身が変わりたいと望んでいるのだ。
イーサーにそれを伝えようとしたが、言葉にする前に、肩と腰に回った手に力が込められる。
『俺なら、ここにいる。俺なら、テトラの側で助けられる。慰めてあげられる。俺は、テトラの事好きだよ』
だから、俺を選んでよ。小さな声で続けられ、心臓がギュッとしめつけられる。自分にこんなにも心を傾けてくれていたイーサーの気持ちに胸が熱くなる。同時に、応えられないつらさにも。
『ありがとう、イーサー。とても、嬉しい』
バステトは、イーサーの手をそっと外した。
『でも、バステトはルークに血の誓約を捧げてしまった。バステトの全ては、ルークのものだから。他の誰にもあげられない』
イーサーの揺れる黒い瞳を見上げた。
『それに、今ここで頑張っているのはバステトの意思だ。ルークのためとか、そんなんじゃない』
イーサーは、目を伏せる。
『わかった。でも、テトラのことを助けたいんだ。俺にも何かさせて』
『うん、ありがとう』
そして、イーサーは、そっと回した手を緩めると、去っていった。
いつの間にか背後には、ヴァルターが立っていた。
「俺は、皇女が嫌がっていないのであれば、止めることはできない」
「うん、止めないでくれてありがとう」
「今は迷うな。成すべきことを為せ。――お前はそれでいい。俺達が支える」
「うん、ありがとう」
多くの人の支えを感じて、バステトはそれを噛み締めていた。
◇◇◇◇◇◇
『振られちゃった?』
『うるさい』
双子は、こんな時、勘が鋭くていやになる。
拠点に戻る前、皇都のカナート沿いの手すりで頬杖をついていると、イーサーの脇にルルが並ぶ。
『初めてでしょ?』
『……こんなに辛いなんて知らなかった』
『成長したね』
お前ほんとにうるさい、と呟きながらイーサーは続ける。
『振られたけどさ、テトラに何かしてやりたいんだ。俺は何もできていない』
『うん、私達、何かできるかもって思ったけど、思ったよりできてないよね。一番大変なのは舞だけど、テトラの舞の代わりには誰もなれないもん』
『ああ……。舞の演目は、基本舞い手が一人だもんな。ルルや俺が一緒に舞台に立っても邪魔にしかならない。――あれ、でも、このやり方なら! ルル、聞いてくれ!』
イーサーは思いついたアイデアをルルに話す。
『うん、いいかも! これならテトラもきっと楽になるよ!』
◇◇◇◇◇◇
次の日、バステトの講演時間の間際になってから、ルルとイーサーは、慌てて舞台となる神殿に現れた。イーサーは舞い手の衣装を身に纏っている。
『俺も躍らせて欲しい。ルルと練習したんだ。俺がサポートで入ると、テトラは踊りやすくなると思う。疲れもだいぶ減るはずだ』
『テトラ、体力的にだいぶキツくなっているでしょ。舞の高さと伸びが、前より明らかに落ちてると思うの』
『俺たちはプロだ。俺たちにしかできないことで、テトラをサポートする。テトラを体力的にサポートしながら、舞姫を輝かせる舞にする。俺ならできる』
その日の舞の舞台には、バステトと、初めてイーサーが一緒に立った。
「なるほど。遠心力を利用して、高く飛ばしたり、力のある男が、投げ上げたり、受け止めればいい。確かに皇女の負担は減る」
「ヴァルター、珍しく口数多くて嬉しいんだけど! まあ、姫様にとってもよかったんだけど!! でもさあ! これ、絶対王子に見せらんないヤツだよね!? ちょっと触りすぎだよね。報告担当に、絶対に記録させないようにしないと!」
この二人の舞を王子に報告するのは絶対に阻止しようとヨナスは心に決めるのだった。
◇◇◇◇◇◇
その日の舞は、大盛況だった。
イーサーは体の火照りを抑えるべく、拠点の裏で水をかぶる。バステトの方は、いつも通りルルがマッサージなどサポートを行っているはずだ。
背後に人の気配を感じて振り向くと、飲み物を手に持ったヨナスがいた。
『お疲れ』
『はい、ありがとう……ございます』
ヨナスから飲み物を手渡され、イーサーは礼を言う。
『姫様のために色々考えてくれてありがとう。でも、忠告しにきた。深入りすんなよ、少年』
イーサーはムッとして言い返す。
『俺には絶対に手が届かない人だって事ぐらいわかってるよ。ただ、テトラがあんまり辛そうだから! あの子のことを助けたいんだ。大体、王子様ってほんとにテトラの事、大事に思ってんのかよ!! こんなとこに皇女様一人で行かせるって明らかにおかしいだろ!』
『いやあ、それに関しては内部の不手際だとしか言いようがない。あー、ちなみに、王子は姫様にべたぼれだから。姫様が気が付いてないだけで。王子がちょっと可哀想になるぐらい』
『え?』
『王子は、血の誓約を姫様に返したんだよ? 全部知ってて、返したんだ。マレの者ならわかるだろう?』
『そっか。なら、安心だな』
マレの者なら皆知っている。血の誓約。魂をつなぐ誓約。死が二人を別つまでの重い、誓い。
『でも、俺は誓約なんかなくても、テトラを助けるから』
間に入る隙なんかないことは分かっている。でも、見返りがなくても、何かを捧げたいと思ったのは、初めてだった。
◇◇◇◇◇◇
バステトの舞の公演は効果を見せ始め、皇都から避難する者が続出した。
そして、その者達の口から、近隣の都市へと噂は広がる。
舞姫、バステト皇女が皇都に戻っていると。
そして、大陸の大国ケイリッヒの王子も皇女を助けるべく動いていると。
人々は、希望の明かりを、マレの皇女と、ケイリッヒの王子に見出すのだった。
0
あなたにおすすめの小説
記憶と魔力を婚約者に奪われた「ないない尽くしの聖女」は、ワケあり王子様のお気に入り~王族とは知らずにそばにいた彼から なぜか溺愛されています
瑞貴◆後悔してる/手違いの妻2巻発売!
恋愛
【第一部完結】
婚約者を邪険に思う王太子が、婚約者の功績も知らずに婚約破棄を告げ、記憶も魔力も全て奪って捨て去って――。
ハイスぺのワケあり王子が、何も知らずに片想いの相手を拾ってきたのに、彼女の正体に気づかずに――。
▲以上、短いあらすじです。以下、長いあらすじ▼
膨大な魔力と光魔法の加護を持つルダイラ王国の公爵家令嬢ジュディット。彼女には、婚約者であるフィリベールと妹のリナがいる。
妹のリナが王太子と父親を唆し、ジュディットは王太子から婚約破棄を告げられた。
しかし、王太子の婚約は、陛下がまとめた縁談である。
ジュディットをそのまま捨てるだけでは都合が悪い。そこで、王族だけに受け継がれる闇魔法でジュディットの記憶と魔力を封印し、捨てることを思いつく――。
山道に捨てられ、自分に関する記憶も、魔力も、お金も、荷物も持たない、【ないない尽くしのジュディット】が出会ったのは、【ワケありな事情を抱えるアンドレ】だ。
ジュディットは持っていたハンカチの刺繍を元に『ジュディ』と名乗りアンドレと新たな生活を始める。
一方のアンドレは、ジュディのことを自分を害する暗殺者だと信じ込み、彼女に冷たい態度を取ってしまう。
だが、何故か最後まで冷たく仕切れない。
ジュディは送り込まれた刺客だと理解したうえでも彼女に惹かれ、不器用なアプローチをかける。
そんなジュディとアンドレの関係に少しづつ変化が見えてきた矢先。
全てを奪ってから捨てた元婚約者の功績に気づき、焦る王太子がジュディットを連れ戻そうと押しかけてきて――。
ワケあり王子が、叶わない恋と諦めていた【幻の聖女】その正体は、まさかのジュディだったのだ!
ジュディは自分を害する刺客ではないと気づいたアンフレッド殿下の溺愛が止まらない――。
「王太子殿下との婚約が白紙になって目の前に現れたんですから……縛り付けてでも僕のものにして逃がしませんよ」
嫉妬心剥き出しの、逆シンデレラストーリー開幕!
本作は、小説家になろう様とカクヨム様にて先行投稿を行っています。
【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜
凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】
公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。
だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。
ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。
嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。
──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。
王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。
カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。
(記憶を取り戻したい)
(どうかこのままで……)
だが、それも長くは続かず──。
【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】
※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。
※中編版、短編版はpixivに移動させています。
※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。
※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)
「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!
放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】
侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。
しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。
「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」
利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。
一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
ジェリー・ベケットは愛を信じられない
砂臥 環
恋愛
ベケット子爵家の娘ジェリーは、父が再婚してから離れに追いやられた。
母をとても愛し大切にしていた父の裏切りを知り、ジェリーは愛を信じられなくなっていた。
それを察し、まだ子供ながらに『君を守る』と誓い、『信じてほしい』と様々な努力してくれた婚約者モーガンも、学園に入ると段々とジェリーを避けらるようになっていく。
しかも、義妹マドリンが入学すると彼女と仲良くするようになってしまった。
だが、一番辛い時に支え、努力してくれる彼を信じようと決めたジェリーは、なにも言えず、なにも聞けずにいた。
学園でジェリーは優秀だったが『氷の姫君』というふたつ名を付けられる程、他人と一線を引いており、誰にも悩みは吐露できなかった。
そんな時、仕事上のパートナーを探す男子生徒、ウォーレンと親しくなる。
※世界観はゆるゆる
※ざまぁはちょっぴり
※他サイトにも掲載
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
第一王子は私(醜女姫)と婚姻解消したいらしい
麻竹
恋愛
第一王子は病に倒れた父王の命令で、隣国の第一王女と結婚させられることになっていた。
しかし第一王子には、幼馴染で将来を誓い合った恋人である侯爵令嬢がいた。
しかし父親である国王は、王子に「侯爵令嬢と、どうしても結婚したければ側妃にしろ」と突っぱねられてしまう。
第一王子は渋々この婚姻を承諾するのだが……しかし隣国から来た王女は、そんな王子の決断を後悔させるほどの人物だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる