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第二部
第25話 終わらせるために
しおりを挟む『なんだと、ハシュールにバステト皇女が現れただと!』
ミニヤにある最高司令部でその知らせを受けた将軍ジャマールは、思わず神に感謝した。
天はやはり自分に味方している。
バステト皇女は、皇族の姫であり、神殿の舞姫。
あの気に食わないハサンの皇家と神殿とをつなぐという役割をそのまま引き継ぐことができる存在なのだ。
それどころか、皇族としても、神殿での地位も、全てハサンの上をいく。
しかも年若い姫だ。ケイリッヒ王太子の婚約者といえども、まだ結婚はしていない。
妃として、手に入れれば、その威光は、全て夫のものだ。マレの女は夫には従順に従うものだ。
ジャマールは、マレの高貴な身分の者がそうであるようにすでに3人の妻がいたが、一番上の妃に据えれば文句も出ないだろう。
『バステト皇女を手に入れろ。傷一つつけるなよ』
そして、ハサンを追い落としてやるのだ。
◇◇◇◇◇◇
その日、ルルは、夕方から開かれるバステトの舞をその地区の人々に知らせるため、家々の扉をノックして回っていた。
『今日は、夕方、六の刻からガザ神殿で舞姫様の舞が行われるまーす。見にきてくださーい』
ゲリラ的に行われている舞姫の舞は既に有名になっていて、ついにこの地区に来たかー、などという声もちらほら聞こえる。自分のことではないけれど、待ってくれている人がいるなんて、ちょっと嬉しい。
ルルは、次に声かける家に向かって走っていく途中で、路地に引っ張り込まれた。
口を押えられて身動きできない。
もがきながら、やばい、こんな時のために何か護身術を習っておくんだった!と思ったが、頭上から降ってくる声は思いのほか優しくて動きを止めた。
『ごめん、話を聞いてほしいだけなんだ。手を放すから、大騒ぎしないでくれる?』
その人は、砂除けのフードの下から、テトラと同じ翠緑の目をのぞかせた。
『ハサン……様?』
彼は小さく頷いた。
『お願いがある。バステトと話がしたいんだ。この場所、この時間に来るように、伝えてほしい。それから、今日、バステトの身柄を狙った襲撃が起こる可能性が高い。止められなかった。気を付けるよう、伝えて。今の話は全部、ヨナスに言えばうまく計らってくれるから』
ヨナスの名前を知り合いのように呼ぶところに驚くが、それよりも伝えたいことがあって、ルルは慌てて話しかけた。
『あの、テトラが、バステト様が、ハサン様に会いたがってました。喜ぶと思います』
ハサンは、とても嬉しそうに笑った。
『ありがとう』
そんなに嬉しそうなのに、なんでクーデターなんで起こしたんだろう?
『どうして、クーデターなんて起こしたんですか?』
本当は、ルルみたいな立場のものがそんな大それた質問をしてはいけなかったと、後になって気づいた。でも、思った瞬間にそれは口から出てしまっていた。
『守りたかったんだよ』
誰を、とは言わなかったけど、それが、テトラのことだとは分かった。その顔があまりにも寂しそうで、泣きそうな顔に見えて、ルルはそれ以上、質問を続けられなかった。
気づいた時には、ハサンの姿はどこにもなく、手には、ハサンに託された紙切れだけが残っていた。
◇◇◇◇◇◇
バステトがマレで舞を舞い始めてから月が半巡りしたその日、それは起こった。
舞が終わった時、神殿の明かりが消えた。
悲鳴と剣戟とが神殿の中に鳴り響いた。
『みな、動かないで。伏せて!』
バステトが舞を見に来た人々に声をかけると、何かが飛んでくる気配がした。
何かが叩き落される金属音がして、体が引っ張られた。
「姫様ちょっと静かにしててね。ヴァルター、姫様頼む」
ヴァルターは、バステトをふわりと抱える。
「つかまれ。皇女。目をつぶれ」
バステトが、ヴァルターの首に手を回すと、ヴァルターは、窓に向かって駆け出す。
ステンドグラスがはじけ飛ぶ音がすぐ側で響く。窓を破って外に出たのだ。しかし、破片はバステトには一片たりとも注がない。
路地を駆け抜ける間に後ろから追いつき、剣を振り被る相手に、ヴァルターは、後ろを振り向かず、ダガーを投げた。
前方から新たに3人が現れる。
ヴァルターは、抜身の剣を操り、バステトを抱えたまま流れる一太刀で敵を切り伏せてしまった。
バステトは、初めて影の騎士たちの強さを目の当たりにした。
商業施設の中を抜け、倉庫街に入る。
「皇女、ここで待て。奴が来る。俺かヨナスが戻るまで動くな」
奴の意味を聞く前に、倉庫の片隅にバステトを置き、ヴァルターは外に出て行ってしまった。
バステトは、息をひそめた。遠くで剣戟の音がする。
倉庫の明かり取りの窓から月光が落ち、倉庫の中へ光を届けていた。
その時、壁の向こうから、声がした。
『月夜に咲く花はまだ見たいですか?』
心なしか低くなった声、でも、間違えない。抑揚も話し方も、覚えているままだ。
そして、問われた内容は、二人のまだ幼い時分の、冒険の思い出だった。
『…っ、もう、花を見に行くのはこりごりだ……ハサン』
会いに来てくれた!
それだけで胸がいっぱいになる。
『会いたかった……』
『僕もだよ、姉さま』
しばらく、言葉はなかった。
いつからか剣戟の音はなく、静寂をかみしめて、ただそこにある。
『ハサン、この戦は止められないの?』
『うん。もう、どうにもならない』
壁の向こうでの応えは短い。
どうして軍に味方するのとか、軍に味方するのはやめてとか、戦うのはやめてとか、戻ってきてとか、そんなことは言えなかった。
それから、本当に自分を思ってハサンは軍に味方したのかとも。
理由ではなく、その結果の行動を、ハサンはもう、止められないと言った。
それが全てなのだろう。
だから、今は、バステトの、この思いだけは伝えたい。
『あのね、ハサン。伝えたいことがあるんだ。』
『うん』
ケイリッヒからここに来るまで、ずっと考えていた。ハサンに伝えたいこと。
『あのね、ハサン。私は、ハサンが大事だ。二人で過ごした思い出が、とても大切だ。今の私がいるのは、ハサンのおかげ。だから、ハサンのこと、ずっと、ずっと大切なのは、変わらない。そう伝えたかった』
『うん。僕もだよ、姉さま。ずっと、変わらない』
『うん』
涙でくぐもって声がうまく出なかった。
私たちは、お互いに為すべきことを為している。
止めることはできないのだと、お互いに、悟っていたのかもしれない。
そして、お互いの道は分たれてしまったのだと、感じ取ったからかもしれない。
『ハサン、これから避難民が皇都から多く出るから、その人たちに危害が及ばないようにしてほしい』
だから、それだけは伝えた。
『わかった』
静寂がおり、いつの間にか壁の向こうの気配はなくなっていた。
涙が、とめどなく溢れ続けた。
◇◇◇◇◇◇
ハサンはハシュールを後にして、月明かりの中、騎馬を伴い、ミニヤへの道程をたどる。
『姉さまったら、馬鹿だなあ。こんなとこまできちゃうなんて。』
そして、自分も馬鹿だ。こうして会えるのが最後かもしれないと思い、のこのことこんなところに来てしまった。
叶わぬと知りながら、手に入れられるかもと、夢見てしまうではないか。
先ほどの束の間の逢瀬に揺れる気持ちがあふれて、ハサンの目には、景色がにじんで見えた。
でも、知っている。彼女がここに来た理由は、自分のためだけではないのだろう。
手に入らないとわかっていながら夢見てしまうことは狂気なんだろうか。
ハサンは、先ほどのバステトの舞を思い出す。
心が洗われる癒しの舞に自分もすっかりあてられてしまったのだろう。
でも、感傷はここまでだ。
『はっ』
騎馬に鞭を当て、走り出す。
全てを振り切るように走り、己の責務を思い出す。
その瞳に、幼い少年の面影はもうなかった。
始めてしまったのだ。
終わらせなければならない。
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