『オークヘイヴンの収穫祭』

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第5章 ― 闇夜の契約 ―

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病的な霧の中、エレノアは建物の隙間に気付いた――これまで見落としていた狭い路地だ。追手の足音がどんどん近づく中、彼女は全力でその路地へと駆け出した。あの詠唱は変わり、耳が痛むほどの不協和音となり、まるで人知を超えた次元の響きを帯びているかのようだった。

その路地は、教会裏の小さな中庭へと続いていた。そこでは、ねじれた木のシンボルが地面に直接刻まれ、同心円を描くように螺旋状に下へと広がり、まるで無限の深淵を錯覚させる光学的錯覚を生み出していた。中庭の中央には、一見井戸のようなものがあり、その蓋には、これまでに見たことのあるシンボルが刻まれていた。

「井戸……」
エレノアは、日記の最終ページを思い出した。
「すべての始まりの深淵。彼らが初めて見つけた場所、地中で眠るものが……」

複数の方向から足音が近づいてくる。エレノアは必死に逃げ道を探すが、霧はまるで実体を持ったかのように濃く、逃げ場を奪っていた。その向こう側には、歪んだ形状が人間離れした優雅さで動いているのが見えた――かつては村人だった者たち、あるいはかつての面影を留める者たちが、収穫祭のために彼女を迎えに来るかのようだった。

突然、誰かの手が彼女の腕を掴む。エレノアは振り向き、闘う覚悟で身構えたが、そこにはジェームズ・モートンがいた。彼は、教会の基礎部分に半ば隠された扉へと、彼女を引っ張り込むように促した。

「急いで」
彼は囁くように告げた。「納骨室へ行こう。ここは安全ではないが、外よりはましだ」

二人は狭い石段を降り、上方からこだまする声を聞きながら進んだ。納骨室は冷たく、土の匂いとともに、どこか甘く腐敗した香りが漂っていた。エレノアは、モートンに導かれるまま、古代の石棺が並ぶ通路を歩いた。表面には、これまで見たことのないバリエーションのねじれた木の彫刻が刻まれていた。

「祖父がここで証拠を見つけたのだ」
モートンは、ほとんど聞こえないほど低い声で語った。「何世紀にもわたる記録がある。最初の入植者たちは、この教会を建てたのではない。彼らは井戸と、地下で眠るものを発見した。シンボルは、もともとここにあった。待っていたのだ」

二人は、地下深くにある円形の部屋にたどり着いた。モートンがランタンに火を灯すと、壁一面に彫られた図像が浮かび上がった。それらは、光の当たり方によって、人物から樹木、そして全く異なるものへと、次々と姿を変えていくかのようだった。

「深淵の者たちが、最初に来たのだ」
モートンは指先で彫刻を撫でながら説明した。「彼らは千年もの間、ここで古代の夢を見ながら眠っていた。人間が現れると、彼らはその隙をついた。シンボルや儀式を通じ、我々は徐々に彼らの姿に変わっていく。世代を重ねるごとに、我々は彼らに近づいているのだ」

「でも、一体なぜ?」
エレノアは、その不気味な図像を見つめながら問いかけた。「彼らは何を望んでいるのですか?」

「帰還だ。かつて彼らのものだったものを取り戻すため。しかし、彼らは器を必要としている。自由に形を変えられる人間の身体と心――収穫祭は単なる餌食ではなく、再生の儀式なのだ」

上方から、さらに近づく多重音の詠唱が響き、モートンの顔には恐怖と同時に、どこか諦めた表情が浮かんだ。

「できるだけ抗ってきた」と、彼は袖をまくり上げ、ねじれた木の刻印を露にした。サラのものとは違い、彼の印は色あせ、ほとんど癒えているようだった。「だが、永遠に抗い続けることはできない。お茶、シンボル、儀式――それらは、少しずつ人を変えていく。真実を知っても、どうにもならない。時々、鏡を見るたびに、私が何に変わっているのかが分かり、なぜ祖父が……」

彼は突然言葉を止め、何かを聴くかのように首を傾げた。詠唱の音程が変わり、エレノアの視界がぼやけるほどの不安定な響きを帯びた。

「彼らが来る」
モートンは低く呟いた。「しかし、ひとつだけ彼らが知らないことがある。祖父は、ここにもうひとつ、隠しものを残していった。お前が理解する助けになり、もしかするとチャンスを与えるだろう」

彼は急ぎ、石棺のひとつに近づいて、特定の順序でシンボルを押すと、隠しコンパートメントが開き、小さな木箱が保護の符号に覆われた状態で現れた。

「祖父の研究だ」
モートンは、その箱をエレノアに押し付けながら語った。「彼が学んだ、彼らの真の姿と弱点、そして何より、今年の収穫祭のために育てられている『子』のことだ」

「『子』とは?」
エレノアは息をのんだ。

「今年の収穫祭に向け、彼らが育て、血と儀式で養っているものだ。……その『子』が――」

突然、地下室内で軋む音が鳴り響き、上階の扉が開いた。無数の足音が、完璧な調和を保ちながら降りてくる。

「隠れろ」
モートンはエレノアを、暗い隅へと押し込むように促した。「何が起ころうとも、見たものは一言も発するな。そして忘れるな――『子』こそが鍵だ。『子』を止めれば、収穫祭も止められるかもしれない」

エレノアは、初めの足音が部屋に入る直前、必死に隅に身を潜めた。古びた石の割れ目越しに、エルダー・トーマスが率いる村人の行列が見えた。彼らの顔は、もはや人間らしさを保とうともせず、完全に異形の姿へと変貌していた。

「ジェームズ・モートン」
エルダー・トーマスの声が、信じがたいほどの響きで部屋に満ちた。「お前の祖父の血は、いまだに我々と闘っている。しかし、今夜、お前は完全に我々に加わるのだ。深淵の者たちは、長い間待ち焦がれていた」

モートンは誇らしげに立っていたが、その瞳は震えていた。「俺の身体は奪われようとも、魂は決して奪えはしない」

「ああ、ジェームズ」
エルダー・トーマスは、歯の多い不気味な笑みを浮かべながら告げた。「お前の魂は、生まれた瞬間から我々のものだった。変容は既に完了している。お前が受け入れるだけだ」

村人たちは詠唱を始め、その声は現実をも歪めるかのように混ざり合った。モートンは膝を屈め、身体がねじれ、腕に刻まれたブランドが生きた墨のように皮膚に広がっていくのが見えた。

エレノアは木箱を胸に抱き、叫び出したい衝動を抑えながら、ジェームズ・モートンの人間らしさが消え去る様子を見守った。彼が跪いた場所から立ち上がったものは、もはや人間の姿をしていなかった。

「ようこそ、我が兄弟よ」
エルダー・トーマスの声が、信じ難い調子で告げた。「さあ、今度は人類学者を探し出すのだ。『子』は空腹で、収穫祭が近づいている」

変貌したモートンは、エレノアが隠れている隅に振り向いた。その新たな顔は、グロテスクな笑みを浮かべながらも、どこか奥には未だ人間の残り香を宿していた。

「彼女はここにはいない」
モートンは、暗い水面が泡立つかのような声で呟いた。「彼女は霧の中へ逃げたに違いない」

行列は方向を変え、階段を上りながら、その恐るべき詠唱を伴って去っていった。エレノアは、すべての音が消え去るまでじっと待ち、やっと身を起こすことができた。木箱は、彼女の手の中で重く、救いとなるか、狂気に陥れるかもしれぬ秘密で満たされていた。

外では、夕日が沈むにつれて、霧は血のような赤みに変わり、ドラムの音が再び鳴り始めた。畑のどこかで、何かが育ち、餌を与え、誕生の準備をしているのが感じられた。

エレノアは、その恐ろしい箱を固く抱きしめ、計画を練り始めた。彼女には、明日の収穫祭までに『子』の謎、深淵の者たちの真実、そしてオークヘイヴンのねじれた畑の下に眠るものの全貌を明らかにする必要があった。

太陽が地平線の向こうに沈むと、闇の中でねじれた樹々が動き出した。
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