ネイビーブルー・カタストロフィ――誰が○○○を×したか――

古間降丸

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5 月光と妄想たち(その2)

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 桜の幹から外へ出た。
 幹のかたわらでは、相変わらず結晶化したファージが彫像かオブジェのように上体を起こしたままの姿勢で固まっている。
 昨日一日でさまざまな作戦を展開し情報を収集し、そして、自分たちなりの結論を出すにいたった。
 にもかかわらずファージに成長が見られないのはギィアが前に言ってたとおり“凝結ガスのグレードが高すぎるくらい高いから”なのか?
 ならばいい、なんの問題もない。
 しかし――。
 静刻の心中に不安がよぎる。
 ファージが成長していないのは単純に“自分たちの結論に誤りがあるから”という可能性もあるのだ。
 静刻はその不安を吹っ切るように早足でギィアの後を追う。
 すでに体育館の鉄扉前にいたギィアは静刻が追いつくのを待ち、第二放送室の時と同様に三次元カッターで鉄扉を裂く。
 が、体育館の中へ入ろうとはせずに、広げた裂け目から中を覗き込む。
 そして、満足げな笑みを浮かべて静刻を促す。
「覗いてみるのです」
 ギィアのすぐ上で同じように裂け目を開いて覗き込んだ静刻は息をのむ。
 体育館の中には無数の異形が徘徊していた。
 ほとんどは犬か猫ほどの大きさの“それら”は、獣のような姿をしたものや半透明のもの、骨格だけのもの、機械の塊、臓物の塊、昆虫を思わせるもの、ナメクジやタコのような軟体生物のようなもの、不定型なもの、触手や触角を踊らせているものと様々な形状を持ち、床を這ったり、歩き回ったり、ふわふわと浮いていたり、じっとしていたりする。
 その様子は百鬼夜行図か、あるいはモンスター大百科である。
「なんだこれ」
 目を見張る静刻に、ギィアが潜めた声で答える。
「“思念フィールド”を未来から取り寄せて学校全体を覆ったのです。夜明けまでの時間限定ながらフィールド内では思念を可視化できるのです」
「いや、でも、誰も残ってないだろ、この時間じゃ」
「夜の学校には昼の間に蓄積された生徒の様々な感情が残留しているのです。その中からエロ妄想だけをフィルタリングして個人単位で可視化したのです。さらに――」
 静刻のすぐ下で体育館を覗き込んだままのギィアが続ける。
「――人間はひとりで複数のエロ趣味を持つのが当然なのです。だから当人にとって最も執着の強いエロ趣味だけを抜粋して顕在化させてるのです。ただ、あの一体だけはエロ趣味を絞り込むことができなかったのです」
 一緒に覗いている静刻にもどれが“あの一体”なのかはすぐにわかった。
 徘徊する異形どもの中にあって、“それ”はひときわ目立っている。
 体高二メートルほどで際だって大きいが、目を惹くのはそのサイズだけではない。
 形状はとりとめがなく、いくつもの異形を取り込んだ“複合体”に見える。
「“あの一体”って……」
 静刻がつぶやくのを予測していたかのようにギィアが即答する。
「ひとりでいくつもの対象に並外れたエロ妄想を見いだす者――すなわち、あれが“第六エロ魔王”の妄想を顕在化させたものなのです」
 言いながら裂け目から離れる。
「だろうな」
 静刻もまた予想通りの答えに苦笑する。
 その背後でギィアはスカートから見覚えのある矢印を取り出しなにかを書き込んでいる。
 書き終えると同時にギィアの手を離れた矢印はくるりと先端を回し、体育館の外壁に沿って宙を滑る。
「どこ行くんだ」
「“隠れブルフェチ”の所なのです」
 ギィアが矢印を追って歩き出す。
 静刻が続く。
「できるだけ安全なルートを指定したのです。あんな男子のエロ妄想が徘徊している中に突撃したくないのです。なぜならギィアはオンナノコなのだから。あ」
 なにかを思い出したらしく不意に口をつぐんだギィアを静刻は訝しげに見下ろす。
「どうした」
「“アンドロイドのくせに”とか言わないでほしいのです。言われたら泣くのです。あたしの中身はオンナノコなのですから。ううう」
 “そんなことかよ”と、静刻は脱力する。
「言わないよ」
「あ、ありがとうなのです」
 体育館をぐるりと回り込み、続いて姿を現した普通教室棟の脇を歩く。
 学校のすぐ近くまで田畑が広がっていることから、さまざまな虫の声や、日ごとに弱くなる残暑を惜しむカエルの鳴き声がふたりと夜の学校を包んでいる。
 静刻がふと口を開く。
「オンナノコっていえばさ」
「なんなのです?」
「なんかデートみたいだな、オレたち」
 瞬時にギィアの頬が赤く染まる。
「なななななななにを言ってるのです」
 静刻はそんなギィアの反応には構わず、頭上の天の川を見上げながら思いつくまま続ける。
「いや、なんかさー、夜道だし、ふたりだけだし、歩いてるし。考えてみたらこういうシチュエーションってオレたち、初めてじゃね?」
「た、確かにそうなのです。でも」
「でも?」
 またしても黙り込んだギィアに、静刻が目を下ろす。
 逆にギィアは静刻の目線から逃げるようにうつむく。
「し、静刻的にはそれでいいのです? 納得してるのです?」
「なにが」
 静刻にはわからない。
 ギィアがなにを考えているのか、なにを言おうとしているのかわからない。
「つつつつつまり、その、で、デートの相手が、その、あ、あたしみたいな、あの――」
 たどたどしい口調に“落ち着けよ”と笑いかけた時、ギィアの声が明らかに震えて泣く。
「――ポ、ポンコツアンドロイドで」
 誰が“ポンコツアンドロイド”だよ。オンナノコじゃないのかよ――静刻はそんなことを思いながら、ようやくギィアの状態が普通でないことに気付く。
「どうしたんだよ」
 しかし、ギィアは不意に覗き込まれた顔を逸らせる。
「ななななななにがなのです」
「ギィアらしくないぞ、大丈夫か」
「つ、月の影響なのです」
「月?」
「月光にはゲッコー線という特異な波長の光があるのです。月光を長時間浴び続けた人間を狂わせるというアレなのです。あたしくらい超精密だと人間同様に影響を受けるのです」
「ゲッコー線か。恐竜とか絶滅させそうな名前だな」
「だから今のあたしは少しばかり不安定な状態におちいってたりしちゃうので、す」
 要するに高性能のアンドロイドは月光を浴びると乙女化するということらしい。
「じゃあ、安心していいんだな」
「ま、まるであたしのことを心配してるような言い草なのでございましょうなのです。あはは」
 “当たり前だ”と言いかけた静刻だが、話しかけるほどギィアの返答が支離滅裂になっていることを理解して、黙って手を握る。
 “しっかりしろよ”と口で伝える代わりに。
 不意にギィアの足が止まる。
「ししししししし静刻」
 顔を上げて静刻を見る。
「ん?」
 静刻もまたギィアを見下ろす。
 発火しそうなほど赤い頬で泳ぐギィアの目が、静刻の背後で留まる。
「つ、着いたのですっ。手を離すのですっ。デートごっこは終わりなのですっ」
 つられて振り向いた静刻の目線の先では、矢印が普通教室棟の通用口を指していた。
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