ネイビーブルー・カタストロフィ――誰が○○○を×したか――

古間降丸

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5 月光と妄想たち(その3)

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 三次元カッターで通用口を裂いて普通教室棟へと侵入する。
 見渡す廊下には数体の異形がうろうろと徘徊しているが、足音も鳴き声もない。
 そんな静まりかえった廊下で、矢印が指し示す通用口向かいの教室を前にギィアが声を潜める。
「この中に“隠れブルフェチ”がいるのです」
「そんなあっさり見つかるのかよ」
「フィルタリングの応用なのです。“ブルマ”で絞り込みをかけてこの教室に集めたのです。つまり、“隠れブルフェチ”だけがこの教室にいるのです」
 言いながらギィアがスカートのファスナーから取り出したのは――銃。
 出てきた“予想外の得物”に静刻は驚きを隠さない。
「物騒なもの持ってんだな」
「これは殺傷機器ではないのです。最初のより強力な根こそぎタイプの音源を銃弾型に固めたものを発射する機器なのです。撃ち込めばブルフェチの執着など雲散霧消なのです。では、行くのです」
 静かに扉を開く。
 そして、教室の中に存在する“もの”にふたりそろって息をのむ。
 中央にぽつんと浮かんでいるスズメほどの小さな異形の周囲を、カラスかネコほどのサイズを持つ数十体の異形が取り囲んでいる。
「これ……」
 話しかけた静刻を、ギィアは自身のくちびるに人差し指を当てて制する。
 そして、声を潜めてささやく。
「静かにするのです」
 静刻は頷き、改めて見たままの疑問を口にする。
「多すぎないか」
 ギィアも潜めた声で答える。
「これはあたしも意外だったのです」
 静刻は考える。
 これだけの数がいるのなら、なぜランキングに出てないのだ?
 “ランキングの数値”が、“そのエロネタを支持する生徒の数”である以上は、この部屋にいる異形の数がそのまま得票数としてランキングに現れるはずなのに。
 そんなことを考えた時――
「きゃっ」
 ――ギィアが悲鳴とともに飛び上がり、足元を見下ろす。
 その足には一体の異形がしがみついていた。
 しかし、問題はその一体ではない。
 悲鳴に反応した数体の異形がギィアを見る、そして、飛来する。
 異形――すなわち“男子生徒の抱くエロ妄想”にとって、オンナノコとは“大好物の主食”も同然なのだ。
「ギィア、下がれっ」
 静刻がギィアを庇って前に出る。
 ギィアの盾となった静刻の全身に飛来した異形が激突し、その衝撃でスライム化してへばりつく。
 瞬時に静刻の全身が異形の群れに覆われた。
 その中で静刻は意識の中に混ざり込んでくる異質な感情を覚える。
 そして、理解する。
 この異形たちの正体を。
「こ、これは……そういうことか」
 次の瞬間、静刻はがくがくと揺さぶられる感覚に目を覚ます。
「な、なんだ」
 すぐ目の前で涙目のギィアが静刻の胸ぐらを掴んでいた。
 いつのまにか気を失っていたようだった。
「よかったのです、死んでなかったのです」
 そう言って静刻にしがみつく。
 静刻は改めて室内を見渡す。
 数十体の異形の姿はなく、代わって床に発泡スチロールの破片が散乱している。
「なんだこりゃ」
 ギィアにしがみつかれたまま、破片を拾い上げる。
 見た目通りに軽いそれの表面にはなすりつけたように赤い液体が付着している。
「なんかやったのか」
 その言葉で我に帰ったらしいギィアが静刻から離れて、スカートのファスナーから伸ばしっぱなしだった“先端にノズルを備えたホース”を掲げてみせる。
「“発泡体化ガス”を使ったのです。最初からこうすればよかったのです」
 ファージに対する“凝結ガス”のようなものなのだろう。
 ガスの作用で異形たちはすべて“すかすかの発泡体”に組成を変えたらしい。
「こいつらって死んだのか?」
 改めて床に散乱する異形の断片を見下ろす。
「死ぬもなにもこいつらは妄想が顕在化しただけの存在に過ぎないのです。一時間もすれば発泡体化が解けて再生するのです」
 言いながらホースをファスナーの奥へと収納するギィアの手に静刻の目が留まる。
 その小さな指先を濡らす赤い液体に。
「ケガしたのか」
 静刻には、それは滲んだ血に見えた。
「ちょっと外装が剥がれただけなのです。ほっとけば治るのです」
 言われて初めて気が付いたように自身の指先を見つめながらギィアが答える。
 静刻はその言葉にギィアが改めてアンドロイドであることを、そして、液体が血ではないことを認識する。
 さらについさっき同じ赤い液体を見たことを思い出し、自身の手元に目を落とす。
「これ?」
 握ったままだった発泡体の赤い部分を見せる。
「い、いつまでも静刻が起きないのが悪いのです」
 否定しないギィアに静刻はやっと理解する。
 気を失ったまま埋もれていた自分を発泡体から掘り起こしてくれたことを。
「あ、ありがとう」
 その言葉に頬を染めたギィアがなにか言おうとするが、静刻はすぐに“それどころじゃない”ことを思い出す。
「わかったぞ。こいつらの正体」
 ギィアもまたすぐに思考を切り戻す。
「か、“隠れブルフェチ”じゃないのです?」
「違う。強いて言うなら“似非ブルフェチ”ってとこだ」
「なんだそりゃ、なのです。さっぱりわからないのです」
「えーと、つまりだな――」
 静刻が天井を仰ぎながら適当な言葉を探す。
「――ブルマに性的執着はないけれどブルマを穿いてるオンナノコに性的執着がある連中だ」
 ギィアが即座に返す。
「同じようなものなのです」
 さらに静刻も返す。
「違う」
 静刻はスライムとして張り付かれることで共有した性的執着を思い出す。
「こいつら“似非ブルフェチ”は確かに女生徒のブルマ尻を見てる。でも、性的関心があるのはあくまでも“尻そのもの”であって“ブルマ越しの尻”じゃない。“尻そのもの”を見ることができないから、似た形状の“ブルマ越しの尻”を見てるだけだ」
「つまり、あくまでも見たいのは、というか見ているのは“ブルマ越しの尻”ではなくブルマを通して“尻そのもの”をイメージしてる――ということなのです?」
 静刻が頷く。
 そして、床に散乱する発泡体を見下ろす。
「尻好きだけじゃないぞ、パンツ好きもこの中に混じってる」
 しかしギィアは――。
「そんなはずはないのです。ブルマはパンチラ防止策としても有用なのです。パンツ好き男子からはむしろ目の仇にされてるはずなのです」
「確かにめくれあがったスカートから覗くパンツに対してブルマは有用な防御策だ。でもな、スカートを脱いでしまえば、その形状から一転してハミパン誘発アイテムと化す」
「た、確かに」
「だからパンツ好きにとって、ブルマってのは“パンツを見ることができるアイテム”なんだよ。確かにパンチラのジャマをするけしからんアイテムだけど、その一方でハミパン現象を形成する必須アイテムでもあるんだ。それを評価してる“似非ブルフェチ”はけして少なくはない」
 さらに続ける。
「他にもブルマ姿の女子に対して“シャツ出し派”と“シャツ入れ派”がある。“シャツ出し派”にとって重要なのは“ブルマが隠れるまでシャツの裾を引っ張ることで膨らみかけの胸が強調されること”だ。さらに“ブルマを隠すまで裾を引っ張ったシャツ”はまさしく“マイクロミニのワンピース”と化しているってこと。つまり、ミニスカートに性的執着を持つ者をも満足させるってことだ。じゃあ“シャツ入れ派”の目的はなんだと思う」
「もちろん露出したブルマによってエロ目線を満足させることなのです」
「と思うだろ」
「違うのです?」とギィアはきょとん。
「シャツを入れることで、その裾がブルマのウェストで固定される。その時、シャツに覆われた女子の上半身はかなりタイトな状態になってるはずだ。それが“シャツ入れ派”の目的なんだ。つまり、シャツを入れてほしいのはブルマを露出させてほしいからじゃない。そうすることで露わになる胸の膨らみが目的なんだよ」
 足元の発泡体を蹴り飛ばす。
「この部屋にいたのはそんな“ブルマに興味がある連中”じゃなく“ブルマを介することで胸やパンツや尻やミニスカートを堪能したい連中”なんだよ」
「じゃ、じゃあ、“隠れブルフェチ”はどこにいるのです?」
 静刻が教室の中央を指差す。
「そこの小さいやつじゃないか。スズメサイズの」
 その小さな異形は最初に見た時のまま、まったくその位置を変えていない。
「これ、なのです?」
 一斉に飛来してきた異形の記憶が生々しいギィアは、その恐怖心からか、あるいは警戒心からか、近寄ろうともせず、距離を置いたまま目を細める。
 そこへ静刻が声を掛ける。
「今、ブルマあるか」
「全部オペレーションルームに置いてきたのです。穿いてるのしかないのです」
「じゃあ脱げ」
「オンナノコに向かってなんてことを言うのですっ」
 赤い顔で握った両拳をぶんぶんと上下に振る。
 しかし、すぐに気を取り直し、顔だけは赤いままで上目遣いに静刻を見る。
「でもしょうがないのです。庇ってもらった恩があるのです」
 スカートをたくし上げ、もぞもぞとブルマを脱ぎ捨てる。
「脱いだのです。見るのです?」
 スカートの裾に手を掛ける。
 しかし静刻はスカートの中にはまったく関心を寄せず――
「用があるのはそっちだよ」
 ――ブルマを拾い上げて異形に投げる。
 そのブルマに異形が反応する。
 異形はバッカルコーン状態で頭部を開き、ブルマを取り込む。
「やっぱりこいつだ」
 もそもそとブルマを咀嚼しているかのような動きの異形を見ながら続ける。
「こいつだけはギィアに反応せずにブルマに反応してる。こいつにとって性的執着の対象はオンナノコじゃなくブルマだってことだ」
「そんな、まさか、なのです。こんな貧弱なのが……」
 ギィアは左手を異形にかざす。
 少しの間を置いて流れた電子音に、手のひらを返して目を凝らす。
 そして、声を上げる。
「やっぱり有り得ないのですっ。こいつのパラメーターは見た目通り貧弱なのです。女子の顕在意識で認識されるほどのポテンシャルを持ってないのです。これでは意識間移動なんかできないのです。すなわちネイビーブルー・カタストロフィの原因にはなり得ないのですっ」
 しかし、静刻は淡々と返す。
「オレもそう思う。だから、ネイビーブルー・カタストロフィの原因は“誤認”じゃないかと思う」
「誤……認――て、なんなのです?」
「“似非ブルフェチ”の“ブルマそのものに対してではない”性的執着が潜在意識と集合無意識を通って女子の潜在意識へ届く、それを女子の顕在意識が“ブルマそのものへのエロ目線”と“誤認”したんじゃないか」
 “もっと詳しく”と目で促すギィアへ続ける。
「確かにここに来るまでは“隠れブルフェチ”の“チート級エロ妄想”で説明がつくと思ってた。でも、実際の“隠れブルフェチ”自体はこんな取るに足りない矮小なものに過ぎなかった。ならば圧倒的多数派である“似非ブルフェチ”のエロ妄想を“ブルマそのものへのエロ妄想”と女子の顕在意識が“誤認”したと考えた方が説得力があると思わないか。これならランキングに出てこないこともわかる。“似非ブルフェチ”が関心を持ってるのはブルマじゃなくて、“パンツ”や“尻”や“胸”なんだから」
 改めて小さい異形――“隠れブルフェチ”のエロ妄想が具現化した姿を見る。
「ということで結論としては、隠れブルフェチは存在したがネイビーブルー・カタストロフィの原因じゃなかったと。こいつ単体にそんな力はないんだろ? だからといって仮にその存在が表に出たところで第六エロ魔王が言うように、都市部ならまだしもこの田舎じゃ他のエロ趣味みたいに理解もされないし賛同も得られない。つまり、仲間を増やしたりして勢力を拡大することもできない。なんにもできない」
 ギィアは黙って聞いている。
「そんな具合に“万人に理解されにくいエロ趣味”は“対象”ではなく“当人”が抗議の対象にされるのが世の常だ。“ブルマにエロ妄想を持つヤツ”の存在が公になれば、女生徒の不快感は“ブルマそのもの”ではなく“ブルマにエロ妄想を持つヤツ”に向かうってこと。第六エロ魔王も言ってただろ。ハイヒールに欲情するやつがいるからといって、ハイヒールがなくなるわけじゃない」
 そして、結論を告げる。
「確かにネイビーブルー・カタストロフィは起きた。しかし、その原因は“ブルマそのものへのわずかなエロ目線”ではなく“多数派によるブルマを介した女体そのものへのエロ目線”を“ブルマに対するエロ目線”と誤認した結果だったということだ」
「でも、でもなのです」
 ギィアが口を開く。
「未来ではネイビーブルー・カタストロフィの原因は“男子生徒によるブルマへのエロ目線”で一致しているのです。なによりもこの時代を生きてリアルタイムで女子のブルマとともに学生時代を送った“男子生徒のなれの果て”がブルマへの性的執着を証言しているのです」
 その言葉を予想していたかのように静刻が即座に返す。
「それが、この時代にブルマと学生生活をともにしてる男子生徒の総意でもなければ最大公約数的意見でもないだろ」
「ぐ……」
 言葉に詰まるギィアに構わず続ける。
「ブルマ絶滅後にブルマに関して語るようなヤツは“男子生徒のなれの果て”というより“隠れブルフェチのなれの果て”だろう。たとえば現役時代に男子生徒百人のうち“隠れブルフェチ”がひとり存在したとして、ブルマ絶滅後にブルマに対して語るのは“隠れブルフェチだったひとりだけ”だ。残りの九十九人にとってブルマはあくまでも“日常”であり、あえて語るようなテーマでもないからな。問題は“そのひとり”の意見が“当時の代表的意見”や“当時の一般認識”と思われがちなことだ。なにしろ“他の――九十九人の――意見”は出てこないんだから」
「なるほど、なのです。よくわかったのです。これですべての謎が解けたのです」
 ようやく納得したらしいギィアがため息交じりにつぶやく。
 しかし、静刻は――。
「いや、まだだ。まだわかってないことがある」
「へ?」
「誤認によってブルマをエロアイテムと認識した、それはいいとして――」
「あとなにがあるのです」
「――“日常問題”がクリアされてない」
「日常問題?」
「なぜ矛先がブルフェチではなくブルマに向くのか。たとえば船引は倉庫でブルマを“いやらしいもの”と言った。第六エロ魔王の理論からすれば“日常”であるブルマを“いやらしいもの”と言うのはおかしい。ここはあくまでもイレギュラーな存在である“ブルフェチ”を“いやらしい者”と言わなければならない。しかし、船引が存在を否定したのはブルフェチじゃない。あくまでもブルマだ。だからこそのネイビーブルー・カタストロフィじゃないのか」
「そんなのは簡単なことなのです」
 難しい表情の静刻とは逆にギィアがそんなことかとばかりに答える。
「船引和江は静刻が考えているほど利口な女ではないというだけなのです」
 得々と続ける。
「誤認によってブルマをエロアイテムと認識するのなら、矛先をブルマにまちがってしまうこともあり得るのです。あの女は意外と“うっかりさん”なのです」
「えーと」
「はい?」
「倉庫でブルマを“いやらしいもの”と言われたことを根に持ってないか?」
「あああああああたしはそんな“ちいせえ女”じゃないのです。ましてや教室で中辺デブに静刻との仲を冷やかされて赤面してるのがナマイキとか身の程知らずとか“何様のつもりだおめーは”とか思ってないのです」
 まだゲッコー線が効いてるかのようにうろたえながら、くるりと背を向ける。
「とにかく行ってくるのです」
「どこへだよ」
 次の瞬間、静刻はオペレーションルームにいた。
「あれ? なんで?」
 きょろきょろと見渡すが、どこにもギィアの姿はない。
 定位置になっているソファにも、まさかのベッドにも。
「ギィア、どこだ」
 無人の室内だが、どこかに静刻の知らない“隠し扉”や“開かずの間”があるのかも――と、声を上げる。
 突然、空中にスクリーンが現れた。
 中央にギィアが映っている“そこ”は、さっきまで自分もいた“夜の教室”である。
 スクリーンの中でギィアが手を振る。
「フィルタリングを切り替えたのです。さっきまでは“男子生徒の残留妄想世界”だった学校は今は“女子生徒の残留思念世界”になってるのです。だから帰ってもらったのです。女子のココロは男子禁制なのですから。あ、でも――」
 補足する。
「――双方向に通話はできるのです。もちろん音声による通話ではなく、互いの思考を直接つなぐことで伝達する“独自の通信システム”により、なせるワザなのです」
 そして、やっとひとり残った目的を告げる。
「今からブルマ否定派のオンナノコを集めた体育館へ行くのです。そこで誤解を解くのです」
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