ネイビーブルー・カタストロフィ――誰が○○○を×したか――

古間降丸

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5 月光と妄想たち(その4)

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 ギィアが普通教室棟から体育館へ踏み入った時、そこには二十個ほどの人魂が宙を泳いでいた。
 その様子をオペレーションルームのスクリーンで見ながら静刻が訝しげにつぶやく。
「ちょっと少なくないか、さっきとは逆に」
 ギィアの言葉が直接、静刻の頭に返る。
「あたしもそう思ったのです。改めてサーチしてみるのです。終わったのです」
「早いな」
 驚いたような呆れたような言葉を返す静刻に構わず、ギィアが結果を告げる。
「山葵坂中学校在籍の全女生徒数は二百四十四、その中でブルマ否定派は……二十三」
「たったの?」
 意外なまでの少なさに静刻は考える。
 確かにブルマそのものに対するエロ目線は存在しなかったし、“隠れブルフェチ”の妄想体は貧弱な存在でしかなった。
 つまり、ブルマそのものに対する男子生徒のエロ目線とネイビーブルー・カタストロフィの発端にはなんの関係もなかったのだ。
 そもそもエロ目線が存在しない以上、ブルマ否定派女子の数が少ないのは理にかなっている。
 だが――
 しかし――
 ネイビーブルー・カタストロフィは確実に発生する。
 それが歴史の既成事実である以上、一定数以上の否定派女子が存在しなければならない。
 静刻説で言うところの“誤認”とギィア説で言うところの“うっかり”によって生じた“ブルマに対して否定的意見を持つ女生徒たち”が一定数以上存在しなければならない。
 なのにその否定派女子は、二百四十四人中のたった二十三人だと?
 わずか一割にも満たない?
 そんな連中がネイビーブルー・カタストロフィを発生させた?
 静刻の脳内で思考と疑問が渦を巻く間もギィアの報告は続く。
「残り二百二十一人のうち、肯定派は――」
 耳を澄ます静刻へ一気に告げる。
「――ゼロ、“どっちでもいい”派は二百二十一。以上、なのです」
「確かに“否定派女子対肯定派女子”じゃ、二十三対ゼロで“否定派女子の圧倒的多数”だけど……」
 予想外の結果を受けて絞り出すようにつぶやいた静刻は、さらに思考を巡らせる。
 ほとんどの女生徒が“どっちでもいい”派女子なのは、ブルマが体操着としてベーシックなスタイルという地位を得ているからだ。
 中学生になったらセーラー服を着るのと同様に、中学生になったらブルマを穿く、ただそれだけのことと認識しているからだ。
 一方の否定派女子が持っている認識はそれだけではない。
 多くの男子がブルマそのものをエロ目線で見ていると考えている。
 しかし、否定派女子がその認識を“どっちでもいい”派女子に伝えたところでなにも変わらない。
 ハイヒールに欲情するヤツは実在するがハイヒールはなくならない。
 “どっちでもいい”派女子にとってブルマとは、あくまでも学校指定衣料に過ぎず、これをエロアイテムとして認識すること自体が理解不能な、イレギュラーな感覚だからだ。
 ブルマをエロアイテムと認識する者――すなわちブルフェチがいてもそれはイレギュラーな存在であり、それゆえに男子の中でも少数派のはずである。
 だから女生徒たちが嫌悪の対象とするのは“日常的存在のブルマ”ではなく男子生徒の一部に存在すると思われる“非日常的存在イレギュラー男子生徒ブルフェチ”となるべきなのだ。
 しかし、静刻はなんとなくではあるが知っている。
 今、自分たちのいる一九九二年の時点で、すでに都市部ではブルマがエロアイテムとしての地位を確立していることを。
 そして、エロアイテムとして売買されている現実をメディアがいつ大々的に伝えてもおかしくない時期が“今”であることを。
 そのニュースが伝わった時、この学校の生徒たちはどう変わるのか。
 第六エロ魔王は言っていた。
 都市部でブルマがエロアイテムとなっても、校内でブルフェチが増えることはないと。
 なぜならエロアイテムとして認識されるか否かはあくまでも本能に基づく判断であり、都会での流行とは無関係だからだ。
 しかし、それはあくまでも男子生徒についての考察に過ぎない。
 女生徒についてはどうだ。
 もし肯定派女子が存在するのなら、彼女らは男子生徒同様にニュースの内容など“遠く離れた都会での理解不能な出来事”と捉えて終わるのだろう。
 だが、否定派女子にとってそのニュースはまさしく“自説を証明するもの”に他ならない。
 男子生徒はブルマそのものをエロアイテムと考えている。
 そして、それはけして少数派ではない。
 この二点がテレビニュースによって証明されるのだ。
 そのインパクトの前にはブルマへの嫌悪が“誤認”であろうと“うっかり”であろうともはやそれにはなんの意味もない。
 さらに“どっちでもいい”派女子だ。
 このニュースにより、都会では多くの男が――少なくとも商売として成立するほどの客がブルマをエロアイテムとして買い求めているという現実を初めて知る。
 そうなるとこれまでのように“どっちでもいい”派女子で居続けることは難しい。
 日常的なアイテムであるがゆえの“どっちでもいい”派なのだから。
 エロアイテムとしての側面が存在しないゆえの“どっちでもいい”派なのだから。
 その時、この学校に肯定派女子と否定派女子が同時に存在するのなら、“どっちでもいい”派女子はそれぞれの意見を知ることで自身の立ち位置を決めるのだろう。
 しかし、この学校には肯定派女子は存在しない、否定派女子しか存在しない。
 “どっちでもいい”派女子に対し、明確な指針を指し示すことができる存在は否定派女子しかいないのだ。
 “誤認”と“うっかり”による“多くの男子生徒がブルマそのものをエロ目線で見ている、だから、ブルマはいやらしい”という主張をテレビニュースで裏付けられた否定派女子しかいないのだ。
 “どっちでもいい”派女子は否定派女子の持論だけに感化され、自分たちの認識に疑念を抱き、その感情を、認識を否定派女子と共有することになるのだろう。
 多くの男子生徒がテレビ画面の向こうでブルマを買い求めるおっさん連中のようにエロアイテムとしてブルマを認識しているのではないのかと。
 自分たちが嫌悪の対象とすべきものは“少数のブルフェチという特定嗜好者”ではなく“実はエロアイテムだったブルマそのもの”なのだと。
 そんな静刻の思考が直接伝わったギィアが返す。
「つまり、ここにいる少数の否定派女子がやがて多数の“どっちでもいい”派女子を否定派色に染めていくということなのです?」
 静刻が答える。
「――かもしれない」
 確信はない。
「でも、それはそれでおかしいのです」
 ギィアがつぶやく。
「都市部のニュースをキッカケにエロアイテムとしての側面を知った多数派の“どっちでもいい”派女子が否定派女子に同調して勢力図が変わるというのなら、そのニュースが報道されるもっと昔、たとえば一九八〇年代も“どっちでもいい”派が主流のはずなのです」
「たぶん、な」
「でも、ブルマ絶滅後の世界では一九八〇年代に中高生だった“女生徒のなれの果て”までもがブルマに対して否定的な意見なのです。ブルマをエロアイテムではなく学校指定衣料と認識していたはずの世代であるにもかかわらず、なのです」
 つまり、都市部のニュースを起点にエロアイテムとしての認識が急速に拡大し一般化した一九九〇年代の女生徒たちがブルマを嫌悪するのは当然の成り行きであり、彼女たちがブルマ着用時代を黒歴史とするのは当然である。
 しかし、エロアイテムとしての認識は微塵もなく学校指定衣料でしかなかった一九八〇年代における女生徒たちまでもが自身の青春を振り返りブルマ着用時代を黒歴史としているのはなぜだ――ギィアはそう言いたいらしい。
 それは簡単に説明が付く。
「落ち着けギィア。さっきの教室でオレが言った話を思い出せ」
「な、なんのことなのです」
「ブルマ絶滅後の世界でブルマについて語る元男子生徒は隠れブルフェチだけだ。だから隠れブルフェチの意見がブルマ絶滅前の全男子生徒の一般認識だと思われてる――ってことだよ」
「それがどう関係するのです?」
「ブルマ絶滅後の世界でブルマについて語るのは隠れブルフェチだけ。つまり、絶滅後の世界におけるブルマはエロアイテムとしてしか語られない。でも絶滅前の世界は違う。確かに隠れブルフェチにとってブルマはエロアイテムだった。しかし、生徒の多数派にとっては“ただの学校指定衣料”、つまり、“日常”だ」
「それはさんざん聞いたのです」
「だから、エロアイテムとして売買されているニュースが届く以前は、着用している女生徒にとっても“ただの学校指定衣料”でしかない。つまり“どっちでもいい”派が主流なのが当然だ。しかし、絶滅後の世界じゃ学校指定衣料ではなくエロアイテムだ。そんなものを“女生徒のなれの果て”が肯定するわけない」
 スクリーン越しにやっと納得したような表情を浮かべるギィアへ続ける。
「一九八〇年代の女生徒にとって、実際に着用していた時代はただの学校指定衣料であり“日常の存在”だから肯定も否定もしていなかった。その後、ネイビーブルー・カタストロフィが起きてブルマは絶滅する。絶滅後の世界では隠れブルフェチだけがブルマを語る。エロアイテムとしての側面でのみだ。その結果、ブルマ絶滅後の世界では学校指定衣料よりもエロアイテムとしての認知度が上回ってしまった。そんな世界でブルマを肯定とか擁護とかできるはずがない。たとえ当時の自分たちはなんの疑問も抱かず着用していたとしてもだ。というわけで――」
「はい?」
「――これはチャンスだ」
「そ、そうなのです?」
「ブルマそのものにエロ目線を向ける男子は“取るに足りない矮小な存在”に過ぎなかった。一方の否定派女子も現時点では想像をはるかに下回る数しかいない」
「と、いうことは、なのです」
「今ならネイビーブルー・カタストロフィの芽を摘み取ることができるっ」
「わかったのですっ」
 ギィアが体育館の奥へと足を進める。
 そして、声を上げる。
「聞いてほしい話があるのですっ」
 ふわふわと体育館を泳いでいた人魂が一旦動きを止め、少しの間を置いてギィアのもとへと集まる。
 その中のひとつ、ひときわ大きな人魂を見て、これが“船引和江”の思念体なのだろうと静刻は直感する。
 ギィアはこれまで静刻から聞いた話を人魂へと伝える。
 それに納得したのか、いくつかの人魂が話が進むにつれて小さくなってきているのがスクリーン越しの静刻にもはっきりとわかった。
 小さくなった人魂のいくつかはさらに小さくなり、そのまま消失した。
 ブルマへの嫌悪が消失したのだろう。
 しかし、それはわずか三体だけだった。
 残りの人魂は変わらず、ギィアの前で浮いている。
 話し終えたギィアは息をつく。
 そして、付け足す。
「なので、ブルマを嫌いにならないでほしいのです」
 ひときわ大きな人魂――船引和江が返す。
「関係ない」
 思わぬ言葉に、ギィアがぎくりと見返す。
「はい? なのです」
 他の人魂はそれに賛同するように、ギィアから離れて和江の周囲を取り囲む。
 和江が続ける。
「男子目線など最初から関係ない」
 その言葉に静刻は倉庫ですれ違った時のことを思い出す。
 “いやらしい目で見られたことがあるのか”と問う静刻に、和江は答えなかった。
 あれは答えなかったのではない、答えられなかったのだ、いやらしい目で見られたことがないゆえに。
 それでも和江はブルマをいやらしいものと認識していた。
 校内にはブルマ自体へのエロ目線が存在しないにもかかわらず、だ。
 では、エロ目線の代わりに和江にブルマをいやらしいものと認識させたものはなんだ?
 それが“似非ブルフェチ”による“ブルマそのもの”ではなく“ブルマを介した女体”へのエロ目線ではないのか。
 さらに本来ならそこから似非ブルフェチへ向かうべき“いやらしい”という感覚が“うっかり”ブルマへ向かってしまった結果ではないのか。
 すなわち“誤認”と“うっかり”がブルマそのものをいやらしいものと和江に認識させたのではないのか。
 ギィアはその“誤認”と“うっかり”を解こうとした。
 ブルマ自体へのエロ目線が存在しないこと、存在しても貧弱な取るに足りないものであり、女生徒サイドからすれば嫌悪以前の嘲笑で終わるレベルに過ぎないこと、これから先に“そういった認識を持つ男子生徒”が現れてもイレギュラーでしかないこと、だから“いやらしいもの”という目を向けられるのはその男子生徒であるべきでブルマ自体は無実であること――それらをギィアが伝えたのだ。
 しかし、それに対する和江の答えが“男子目線は関係ない”だと?
 ならば、なにを論拠として“いやらしいもの”と認識しているのだ?
 クエスチョンマークに翻弄されつつある静刻を嘲笑うように、スクリーンの中で和江の人魂が続ける。
「私がブルマを嫌いなのはあの形状がいやらしいから」
 その言葉に静刻は違和感を覚える。
 “ブルマが都会でエロアイテムとして売買されている”というテレビニュースが来ていないこの時代、田舎の中学生でしかない和江にとってブルマはあくまでもただの学校指定衣料でしかない。
 つまりブルマ自体は“日常”の存在であり“いやらしい”という感覚の生じる余地はない――はずなのだ。
 そんな静刻の思考を共有したギィアがブルマ自体を真っ正面から否定されたことから来る“あうあう状態”で反論する。
「あの形状はけしていやらしいものではないのです。スポーツウェアとして完成された美しい形状なのですっ。現時点から数十年を経ても多くのアスリートが全地球規模で採用しているのです。機能上の欠陥があればそんなことはないはずなのです。ましてや世に現れ学校現場で採用されてから今の時点で二十年以上が経過しているのです。あなたが生まれた時にはすでに“日常”の存在だったのです。それを男子目線とは無関係にいやらしいと認識するのはおか――」
 次の瞬間、スクリーンが閃光とともに砕け散った。
 静刻が眩んだ目を開いた時、そこには背を向けて呆然と立ち尽くすギィアがいた。
「大丈夫か」
 静刻の掛ける声にギィアがゆっくりと振り返り、赤い目で口角をひくつかせながら答える。
「……拒絶されてしまったのです」
 そして、くるりと身体を返し、ソファに正面から倒れ込んだ。
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