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卵の秘密

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 足元にたくさんの卵がゴロゴロ転がっている。

 ビビアナが顔を上げると、長身の男の金色の瞳と目が合った。
 金色の瞳、長い漆黒の髪。頭には金色の角。

 人間ではないことは、瞬時に理解した。図鑑でしか見たことのない人型の魔物だ。しかし、不思議と恐怖はない。

「あなたは……誰?」

 金色の瞳がじっとビビアナを見つめた。あまりに見つめられすぎて、背中がムズムズする。
 返答が返る気配は全くない。

(もしかして、聞こえなかったとか?)

 きっとそうだ。

「あなたは……」

「魔王だ」

 誰か……ともう一度聞く声に、男の低い声が重なった。

「………………え?」

 今、何を言ったのだろう。重なった声でよく聞こえなかった。
 もう一度は……聞けない。じっと見つめ続ける金色の瞳は、もう一度聞く勇気を根こそぎ奪うらしい。

「…………マオさん?」

 合っているか分からないが、何となく聞こえた名を口にしてみた。
 違うなら訂正されるだろう。

「…………それでいい」

 ビビアナはホッと息を吐いた。正解なのかは分からないが、本人がいいと言うなら大丈夫だろう。

「私はビビアナです。たまご屋になりたてホヤホヤです」

「たまご屋……」

「あれ? 知りません? 相性の良い人間と魔物が、仲良しになるお手伝いをしてるんです」

 マオは顎に指をかけて、少し首をかしげた。
 マオの仕草の一つ一つが綺麗で、ついジッと見つめてしまう。

「お前は……私が怖くないのか……」

「はい。怖くないけど……なんだか緊張します。背筋がピシッとなる感じかな」

「……そうか」

 足先に卵がぶつかって下を見ると、先ほどよりも転がる卵が増えた気がする。

「ねぇ、マオさん。卵がどんどん増えて行ってません?」

 最初は気のせいだと思っていたが、確実に増えている。倍々の勢いで増え、足首が卵で埋まってしまった。卵の勢いはとまらず、まだまだ増えている。

「ええっ? どうしよう。このままじゃ私達、卵に埋まっちゃう? 生き埋めになっちゃいます?」

「心配ない。時期に消滅する卵だ」

「消滅、する……?」

「卵は地中の魔素を吸って誕生し、消滅して空中に魔素を放出する……。人間はそんなことも知らなかったのか……」

 ビビアナが知る限り、卵が出来る仕組みは謎だと言われている。マオが言ったことが本当なら、世紀の大発見だ。

「放出された魔素はどうなるんですか?」

「生き物に吸収され魔物と化すだろう。魔物は……そうして生まれる」

「それなら、放っておいたら野生の魔物が増えて危険……えっ? 卵がもうこんなに……」

 増えた卵は、すでにビビアナの腰まで埋まってしまっていた。卵で埋まった下半身がひどく冷たくなっていく。体温が急激に下がって、身体がガタガタと震える。

「う……う……寒っ」

 ビビアナがこんなに震えているのに、マオは全く何も表情を変えない。
 ビビアナは身動き出来ないほど埋まっているのに、長身のマオはまだ足を覆う程度だ。このままではビビアナが先に生き埋めになってしまう。

「ううっ、身長の差が恨めしい……」

 ビビアナの胸の辺りまで埋まった時、卵から煙が出てきた。一つ一つから出る煙は少量でも、卵の数が大量にある為に辺り一面煙で真っ白になった。

「え? え? マオさん?」

 煙ですぐ側にいるはずのマオの姿も見えない。

「問題ない」

 マオの言葉通りだった。何かに吸いとられたかのように、煙は急激になくなっていく。

 気が付くと、大量にあった卵は消えていた。足元には一つの卵も残っていない。ビビアナとマオの二人きりだ。

「あれ? マオさん、それは?」

 卵が一つ、マオの手に乗っている。
 普通の卵ではない。通常の卵の三倍の大きさはある。ミント色にオレンジ色の線が入った卵だ。

「大量の魔素を凝縮すると、小物とは異なる卵になる。こんな風に」

「うわぁ~~こんな卵、初めて見ました! 色も綺麗だし、大きくて格好いいですね。こんなすごい卵、どんな子が生まれるんだろう……」

 きっと大きくて綺麗な魔物が生まれて来る……そんな予感がする。
 ビビアナの力では到底かなわない程の魔物かもしれない。
 たまご屋は自分の力量を超える卵には手をつけてはいけない。父から口酸っぱく言われていたことだ。
 そんな父も自分の力量を見誤って死んだ。

 ビビアナは無意識に大きな卵に手を伸ばした。
 父の気持ちが少し分かるかもしれない。ビビアナも今、この卵からどんな素敵な子が生まれるのか、気になって仕方がない。確実にビビアナの手にあまる卵だが、大丈夫。孵化させても、契約紋を刻まなければ問題ない。

 ミント色の卵に触れると、手のひらがジワリと温かくなった。卵の鼓動を感じる。生まれたいと言っている。

「おい、何をしている」

 マオの声がどこか遠くから聞こえた。マオの声より、卵の鼓動の方がずっとずっと大きく聞こえる。

 生まれる!

 卵に触れる手のひらがより一層熱を帯びた。
 卵の厚い殻に一筋のヒビが入った。ピキピキと高い音を出して、ヒビが広がっていく。
 ヒビの隙間から強い光が漏れ出して、ビビアナは腕で目を覆った。

 光がおさまり恐る恐る目をあける。

 そこには、灰色の大きな馬がいた。

「馬……?」

 いや、ただの馬ではない。
 体格も長身のマオよりさらに一回り大きく、見るからに筋肉質だ。特徴的なのは、足。

(足が八本……スレイプニル!)

 図鑑でしか見たことのない珍しい魔物、スレイプニル。一駆けで山を超え、空をも走ると言われる魔物だ。

 なんて美しい毛並み。
 なんて美しい赤い瞳。

 堂々とした態度は、全ての馬の頂点に君臨する、馬の王様のようだ。
 このスレイプニルに相応しい名前をつけるとしたら……。

「ヴィルシーナ」

 思わず呟いてしまい、ハッと気付いた時には遅かった。

「違う! 待って!」

 ビビアナの瞳から契約紋が発動する。慌てて自分の目を覆っても意味がない。ビビアナから発動された契約紋はスレイプニルの赤い瞳に吸い込まれた。

『イィィィイィィィィ!!!!』

 スレイプニルは大きく嘶いた。
 赤い瞳から契約紋が簡単に外れ、ビビアナに跳ね返る。
 跳ね返った契約紋がビビアナにぶつかれば、ビビアナは死ぬ。

(死んだな……お父さん、ごめんなさい)

 恐怖はなかった。

 唯一の家族の父を亡くし、人里から離れた森の中に一人で残されて、生きる意欲を失くしていたのかもしれない。
 今は最後の瞬間までしっかり目を見開いて、スレイプニルを見ていたい。最後に孵した卵がスレイプニルだなんて、たまご屋として最高の誉れだ。

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