たまご屋の卵は何が生まれるか分からない

りんご飴

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忘却の歌

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 契約紋がぶつかる瞬間、ビビアナの前に黒い物体が現れた。

「マオ……さん」

 ビビアナの前でスレイプニルに向かって手を伸ばす。
 跳ね返されたビビアナの契約紋は、マオの手のひらにぶつかる。マオはそのままスレイプニルに近付き、手のひらの契約紋を赤い瞳に押し込んだ。
 スレイプニルの赤い瞳がカッと光り、契約紋が刻まれた。

 マオは深いため息をつく。

「人間のたまご屋というのは皆、無謀なのか……それとも、そなたが馬鹿なのか……」

 マオの隣にスレイプニルが寄り添った。

「お前の名前は、今からヴィルシーナになった」

『イィィィ!』

 スレイプニルのヴィルシーナが嘶く。

「あ、あの……ありがとうございました」

 マオが手を貸してくれなければ、ビビアナは確実に死んでいた。
 金色の瞳がビビアナを写して、すっと細くなる。

「人間が高位の魔物と契約しようなど、思い上がりも甚だしいな」

「うううっ……返す言葉もございませんっ」

「だが……ヴィルシーナか。良い名だ」

 マオの口角が少しだけ上がった。本当に少しだけ。だが、金色の角が光を放ち、美しさにビビアナは思わず見とれてしまう。
 図鑑で見た魔族は、吸血鬼も夢魔も人狼も、とても美しい姿をしていた。だが、マオの美しさは軍を抜いている。表情のない顔立ちも美しいとは思っていたが、笑うと光を纏って漆黒の髪がキラキラ光った。

「たまご屋か……可笑しな物が出来たものだ。
 人と魔物が共に生きるなど、昔は考えられなかった」

「今でも野生の魔物とは仲良く出来ませんけど……。
 それに消滅する卵がたくさんあれば、野生の魔物が増えて、人間と魔物の間に溝が出来てしまいそう……」

 たまご屋の歴史はほんの二百年程だ。それ以前は人間と魔物は決して共存出来る存在ではなかったのだ。人間にとって、すべての魔物は敵。そんな時代に戻ってしまうかもしれない。
 過去には魔物に滅ぼされた国もあるくらいだ。

「我の力が衰えぬ限り、卵が増えることはない。
 人間は弱いが……我ら魔族にとっても、人間は絶やしてはならぬ存在だからな……」

「どうして……」

 魔族がどうして人間を必要とするのだろう。

「人間は…………魔族の餌だからな……」

「え……」

 一瞬、マオの金色の瞳が、別の人物を思ださせた。
 この瞳はーーーー。
 リュ………ーーーー。



 ビビアナの足元がグラリと揺らいだ。
 回りの景色もマオの姿も揺らいで、上下の感覚がない。倒れそうになって、その場にしゃがみ込む。

「な、何? どうなってるの?」

 
 クスクスクスクス


 何処からか女性の笑い声が聞こえる。
 うずくまるビビアナの後ろから白い腕が伸びて来て、背中に誰かがくっついてきた。抱きしめられるというより、おんぶのような体勢で、ずしりと重みを感じる。

「みぃ~~つけた」

 耳元に聞こえた声に、ビビアナの身体はゾクリと震える。

「セイレーン」

「ふふふっ、当たりぃ。戻って来たわねぇ、ビビアナちゃぁん」

(……戻って来た? ああそうか、あれは五年前の……)

 なぜ忘れていたのだろう。
 あんなに印象的なマオの事を。誰も知らなかった卵の謎を。

 マオの力が衰えない限り、卵は増えないと言っていた。
 それが本当なら、最近卵の数が増えていたのは、マオの力が弱っているということだろうか。

「マオさんに、何かあったんですか?」

「あらやだぁ。何かもなにも……。私がぁビビアナちゃんに教えてあげる義理はないじゃぁない?」

 セイレーンの長い爪がビビアナの喉を撫でる。相変わらずクスクスと笑っているのに、冷たい空気を纏っていた。何処かでセイレーンを怒らせたようだ。

「あの子は昔から人間に興味を持ってたわぁ。特にビビアナちゃん出会ってから、よけいにねぇ。
 スレイプニルに乗ってビビアナちゃんの様子を見に行ったりして……」

 何度も。
 まるで恋でもしているように。

「マオさんとヴィルシーナが……」

 セイレーンはビビアナから離れると、ビビアナ
の紺色の瞳をじっと見た。
 この紺色の瞳から発動した契約紋が、リュカと言う名が、人間の世に縛り付けているのだ。
 目玉ごと抉り取ってやれば、この少女への可笑しな執着も消えるだろうか。

「こんな平凡な子のどこがいいんだか……」

 『探さないで下さい』という書き置きを残して姿を消した、セイレーンの弟分。
 次に会った時には、見た目も小さくなり、力もずいぶんと弱くなっていた。圧倒的な力を持っていた以前の弟とは違い、今の姿では普通の魔族と同じくらいの力しかないだろう。

「どういう事ですか? 分かるように説明してください!」

 顔を真っ青にしながらも、セイレーンに向かう気概は認めよう。大抵の人間は喉も震えて、言葉が出て来ないものだから。

「マオさんは……リュカなんですか?」

 だが、やはり平凡な人間だ。頭も鈍い。

「記憶は消したはずなのにねぇ。いつの間にか綻びが出ちゃって……。
 どうしてスレイプニルのこと、覚えていたのかしらぁ……。でも大丈夫よぉ。私が、また綺麗に消してあげるからぁ」

 あの日封じたビビアナの記憶に綻びがなければ、二人が再び出会うこともなかったはずなのに。

「消す? 消すって記憶を?」

「いやだぁ、ビビアナちゃんたら震えちゃって、可愛いわぁ。
 怖くないわよぉ。あの日の出来事、それから弟の記憶がなくなぁ~~るだけぇ~~ル~~ルル~~」

 話しながら歌うように言葉がメロディーに乗った。
 透き通る声に思わず聞き入ってしまいそうになる。

「……ま、待って! 勝手に人の記憶を消すとか、おかしいでしょう! 忘れたくないの。私の記憶を消さないで!」

 セイレーンはニヤリと笑う。まるでクモの巣に絡めとられ、動けない蝶のように、ビビアナは無力だった。

「ルル~~ラララル~~、ララルラ~~」

 ビビアナが拒んでも、耳は勝手に歌を受け入れ、鼓膜から脳が痺れていく。

「……やめて。忘れ、たくない……の……」



『深く深く 落ちて行く

 もっと深く 落ちて行く』



「やめ…………て……………」

 身体が重い。身体も意識も、下に下に引っ張られる。まだまだ底は見えない。



『沈め 記憶の底に

 沈め 深海の底に

 すべてはまやかし

 すべては夢

 すべては忘却の彼方へ

 眠れ穏やかに すべて忘れて 眠れ 眠れ 眠れ』



 セイレーンはビビアナの頬に触れ、意識のないことを確かめると光を帯びた水色の瞳を閉じた。

「すべて忘れてしまいなさい。あなたとあの子は住む世界が違うのだから」

 瞳を閉じたままコテンと首をかしげる。うぅーんと、歌うように唸った。

「……また綻びたらどうしましょうねぇ。今度は記憶じゃあなくて、命を消しましょうか。うふふふ」




『ラララル~~ 眠れ良い夢を』

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