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再び、王都へ
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「どう思う?ノルド」
「…演技には見えませんでした。
記憶をなくされているというのは本当でしょう」
ヒース侯爵邸から王宮に戻り、王太子の執務室で、フィリップとノルドは向かい合っていた。
2人とも、つい先程見たコンスタンスの姿に衝撃を受けている。
あの、いつだって凛として、貴婦人の鑑のようだった公爵令嬢が、幼子のように泣き、怯えていたのだから。
しかも廊下を走り、ノックもせずにドアを開け、部屋に駆け込んで来た。
そして、夫に抱きついたー。
「…コニー…」
フィリップは額に手をやり、目を閉じた。
コンスタンスはオレリアンにしがみついていた。
彼に話しかける様子はいかにも親しげで、あきらかに懐いていた。
そう、懐いていたのだ。
夫を見上げる彼女の目は、信頼しきっているようだった。
抱き寄せられる様は、幸せそうでもあった。
「殿下。ヒース侯爵はコンスタンス様の記憶が無いのをいいことに、自分に都合がいいように記憶を書き換えているのではありませんか?」
ノルドの言葉に、フィリップは
「そうだな」
と頷いた。
「ヒース侯爵夫妻が結婚以来ずっと冷たい関係だったのは明らかです。
そもそも、コンスタンス様があのようになられたのは全てヒース侯爵のせいだと思われます。
このままだなどと…、許せません」
そう言ってノルドは唇を噛んだ。
ノルドは密かにルーデル公爵令嬢コンスタンスに憧れていた。
いや、彼だけではない。
美しく賢いコンスタンスに憧れる貴族の子弟は多かったはず。
皆、フィリップ王太子の婚約者であるがゆえに心に秘めるのみだったのだ。
本当はノルドだって、フィリップとの婚約が解消されたコンスタンスを自分の妻に望みたかった。
心の底から欲しいと思った。
だが、出来なかった。
自分にはすでに婚約者がいたからである。
貴族の子女は小さい頃から婚約者がいることが多い。
だから自分だけではなく、多くの男がノルドと同じように涙を飲んだと思われる。
だからー。
ノルドは余計に許せなかった。
皆が憧れる公爵令嬢を簡単に手に入れながら、粗略に扱うヒース侯爵のことが。
「殿下、諦めてはなりません。
今のコンスタンス様の幸せは記憶喪失の上に成り立っている架空のもの。
コンスタンス様のこの先のことを思えば、離縁は必定でございます」
「…そうだな」
側妃になどと言ったが、子供のようなコンスタンスを本当に妾のように扱うつもりだったわけではない。
手元に置いてゆっくり記憶が戻るのを待てばいいとも思う。
とにかく今は、あの男から引き離して保護しなくては、と思ったのだ。
だが、今の状態のコンスタンスを、王妃の侍女として働かせるわけにはいかないし、何より彼女はあの男に懐いているらしい。
「作戦を、練り直さねばなるまいな」
フィリップはそう呟くと、深くため息をついた。
一方オレリアンは、コンスタンスを寝かしつけた後執務室に戻り、妻の侍女であるリアを呼びつけていた。
「フィルは…、フィリップ殿下の愛称だったのだな」
そう言って寂しげに笑うオレリアンに、リアは困ったように目を伏せた。
ルーデル公爵邸で妻が飼っている愛犬の名前は、『フィル』だった。
あの名前は、婚約者であった王太子からとったのだ。
今の今までそのことに思い至らなかった自分が鈍すぎて、なんだか笑えてくる。
「あの犬は…、奥様が12歳の誕生日に、フィリップ殿下から贈られたのです。
その頃からお互いの勉強がさらに忙しくなり、会えない時間が多いけど寂しくないように、と」
「自分の代わりに側に置いて可愛がれ…ということか?」
「今の奥様は覚えておりません。
それより今は、旦那様がフィルのために玩具を買って来てくださったり、一緒に遊んでくださったりしたことの方が良い思い出となっておりましょう」
「ありがとう、リア」
礼を言われ、リアはハッとした。
いつの間にか、オレリアンを慰めるような言葉を口にしていた。
この男は主人を悲しませるだけの存在と、とことん嫌っていたはずだったのに。
「忘れていたわけではないのだが…、殿下とコニーには、10年以上にも及ぶ歴史があるのだな。
俺がこんなことを言える立場じゃないのはわかっているが…、今俺は、どうしようもなく、殿下に嫉妬している。
俺の知らないコニーの時間を知っている殿下が、心の底から嫉しいんだ」
自嘲気味に笑うオレリアンに、リアは苦笑した。
「立場とは何ですか、旦那様。
貴方は今コニー様の御夫君で、奥様が慕っている唯一の立場にある方です。
王太子とはいえ、あんな理不尽なことを言わせておいていいのですか?
奥様をしっかり守ってくださいませ、旦那様」
キリリと見上げたリアに、オレリアンは眉尻を下げた。
「ああ、そうだな」
王太子の言い分は、理不尽この上ないものだった。
オレリアンからコンスタンスを取り上げ側妃にするなどと、あまりにも酷い話だった。
「コニーは俺の唯一の妻だ。
何と言われようと手離すことはない」
宣言するようにリアに告げると、リアもそんなオレリアンを見上げて微笑んだ。
「ええ。では早く奥様の元に戻って差し上げませ。
目を覚まされたら大変ですよ」
「ああ。コニーは俺がいないと眠りが浅いからな」
オレリアンはリアに笑って頷くと、執務室を出て寝室に向かった。
愛おしい妻を抱きしめて眠るために。
「…演技には見えませんでした。
記憶をなくされているというのは本当でしょう」
ヒース侯爵邸から王宮に戻り、王太子の執務室で、フィリップとノルドは向かい合っていた。
2人とも、つい先程見たコンスタンスの姿に衝撃を受けている。
あの、いつだって凛として、貴婦人の鑑のようだった公爵令嬢が、幼子のように泣き、怯えていたのだから。
しかも廊下を走り、ノックもせずにドアを開け、部屋に駆け込んで来た。
そして、夫に抱きついたー。
「…コニー…」
フィリップは額に手をやり、目を閉じた。
コンスタンスはオレリアンにしがみついていた。
彼に話しかける様子はいかにも親しげで、あきらかに懐いていた。
そう、懐いていたのだ。
夫を見上げる彼女の目は、信頼しきっているようだった。
抱き寄せられる様は、幸せそうでもあった。
「殿下。ヒース侯爵はコンスタンス様の記憶が無いのをいいことに、自分に都合がいいように記憶を書き換えているのではありませんか?」
ノルドの言葉に、フィリップは
「そうだな」
と頷いた。
「ヒース侯爵夫妻が結婚以来ずっと冷たい関係だったのは明らかです。
そもそも、コンスタンス様があのようになられたのは全てヒース侯爵のせいだと思われます。
このままだなどと…、許せません」
そう言ってノルドは唇を噛んだ。
ノルドは密かにルーデル公爵令嬢コンスタンスに憧れていた。
いや、彼だけではない。
美しく賢いコンスタンスに憧れる貴族の子弟は多かったはず。
皆、フィリップ王太子の婚約者であるがゆえに心に秘めるのみだったのだ。
本当はノルドだって、フィリップとの婚約が解消されたコンスタンスを自分の妻に望みたかった。
心の底から欲しいと思った。
だが、出来なかった。
自分にはすでに婚約者がいたからである。
貴族の子女は小さい頃から婚約者がいることが多い。
だから自分だけではなく、多くの男がノルドと同じように涙を飲んだと思われる。
だからー。
ノルドは余計に許せなかった。
皆が憧れる公爵令嬢を簡単に手に入れながら、粗略に扱うヒース侯爵のことが。
「殿下、諦めてはなりません。
今のコンスタンス様の幸せは記憶喪失の上に成り立っている架空のもの。
コンスタンス様のこの先のことを思えば、離縁は必定でございます」
「…そうだな」
側妃になどと言ったが、子供のようなコンスタンスを本当に妾のように扱うつもりだったわけではない。
手元に置いてゆっくり記憶が戻るのを待てばいいとも思う。
とにかく今は、あの男から引き離して保護しなくては、と思ったのだ。
だが、今の状態のコンスタンスを、王妃の侍女として働かせるわけにはいかないし、何より彼女はあの男に懐いているらしい。
「作戦を、練り直さねばなるまいな」
フィリップはそう呟くと、深くため息をついた。
一方オレリアンは、コンスタンスを寝かしつけた後執務室に戻り、妻の侍女であるリアを呼びつけていた。
「フィルは…、フィリップ殿下の愛称だったのだな」
そう言って寂しげに笑うオレリアンに、リアは困ったように目を伏せた。
ルーデル公爵邸で妻が飼っている愛犬の名前は、『フィル』だった。
あの名前は、婚約者であった王太子からとったのだ。
今の今までそのことに思い至らなかった自分が鈍すぎて、なんだか笑えてくる。
「あの犬は…、奥様が12歳の誕生日に、フィリップ殿下から贈られたのです。
その頃からお互いの勉強がさらに忙しくなり、会えない時間が多いけど寂しくないように、と」
「自分の代わりに側に置いて可愛がれ…ということか?」
「今の奥様は覚えておりません。
それより今は、旦那様がフィルのために玩具を買って来てくださったり、一緒に遊んでくださったりしたことの方が良い思い出となっておりましょう」
「ありがとう、リア」
礼を言われ、リアはハッとした。
いつの間にか、オレリアンを慰めるような言葉を口にしていた。
この男は主人を悲しませるだけの存在と、とことん嫌っていたはずだったのに。
「忘れていたわけではないのだが…、殿下とコニーには、10年以上にも及ぶ歴史があるのだな。
俺がこんなことを言える立場じゃないのはわかっているが…、今俺は、どうしようもなく、殿下に嫉妬している。
俺の知らないコニーの時間を知っている殿下が、心の底から嫉しいんだ」
自嘲気味に笑うオレリアンに、リアは苦笑した。
「立場とは何ですか、旦那様。
貴方は今コニー様の御夫君で、奥様が慕っている唯一の立場にある方です。
王太子とはいえ、あんな理不尽なことを言わせておいていいのですか?
奥様をしっかり守ってくださいませ、旦那様」
キリリと見上げたリアに、オレリアンは眉尻を下げた。
「ああ、そうだな」
王太子の言い分は、理不尽この上ないものだった。
オレリアンからコンスタンスを取り上げ側妃にするなどと、あまりにも酷い話だった。
「コニーは俺の唯一の妻だ。
何と言われようと手離すことはない」
宣言するようにリアに告げると、リアもそんなオレリアンを見上げて微笑んだ。
「ええ。では早く奥様の元に戻って差し上げませ。
目を覚まされたら大変ですよ」
「ああ。コニーは俺がいないと眠りが浅いからな」
オレリアンはリアに笑って頷くと、執務室を出て寝室に向かった。
愛おしい妻を抱きしめて眠るために。
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