光の射す方へ

弐式

文字の大きさ
8 / 27

8.闇を生み出す女との邂逅

しおりを挟む
 扉はやたらと重かった。

 体重をかけるようにして押していくとじりじりと開いていった。

 開いたむこうは想像していた通り闇に包まれていた。手に持った蝋燭の燭台をグイっと突き出してみる。小さな火に照らされた外には何かある気配はない。

 足を一歩踏み出してみる。

 その先にはアカリが足を置くべきものが何もなかった。何もない中空を踏み抜きそうになって、アカリは小さく悲鳴を上げて扉にしがみついて体を玄関に戻した。

 先人の戒めというのは聞いておくものだと、改めて思う。

 しかし、手に持っていた燭台を手放してしまっていた。下を向くと、蝋燭の小さな火が音もなく落ちて行くのが見えた。一瞬だけ真っ直ぐに切り立った岩肌が浮かび上がって見えた。

 ここは断崖絶壁だったのだ。

 どれほどの高さがあるのかは分からない。火が見えなくなったのは消えてしまったからなのか。地上で何かに燃え移ってしまっていないことを祈りながら、玄関扉の取っ手に指をかけて、力を入れて引っ張った。

 閉める時は妙に軽かった。

「……ここから出るのは無理そうだね……」

 アカリはバルドルに声をかけるが、バルドルはアカリの方を見ていなかった。それに気付いたアカリもバルドルの視線の先を追う。

 ぎくりと身を震わせた。

 階段の踊り場のあたりから人影が下りてきているのが見えた。紺色のローブとフードで全身を覆っていて男か女かもわからない、女だとしたら結構な長身だと思った。ファントムの親玉だろうか。

 この状況で、味方ということはないだろう。逃げるとしても背中の方にある玄関扉の外には逃げられない。走るとすれば右か左か――の判断をする前に、

「新しい服は気に入ってもらえたかね?」

 と呼びかけられた。

 アカリが聞いたその声は間違いなく女性のもの。感情がこもらない冷たい声だった。

 同時に、その女の言った言葉の内容が気になって自分の来ている服に目をやった。そこでようやく、いつも着ていた襤褸が自分の身体を包んでいないことに気がついた。

 ファントムに連れ去られ、檻の中で目を覚ますまでに着替えさせられたのだろう。アカリには真っ白いワンピースの上に茶系のカーディガンを羽織らされ、裸足でボロボロになった足には赤い靴が履かされていた。

 問題は、誰に着替えさせられたか、なのだけれど、それについては考えないことにした。

 そんなことを考えている間に階段をゆっくり降りてきていたフードの女はアカリの眼前に迫っていた。

「エリューズニルへようこそ。歓迎するよ」

 そう言った女は少し顎を上げるとフードがめくれて一瞬その顔があらわになった。それを見た瞬間、アカリは小さな悲鳴を上げて二、三歩下がった。

 右側は色白で美しい青い瞳が印象的なものだったが、左側は青黒く変色し醜く崩れている。左側の瞳は閉ざされているどころか、ただれて瞼がくっついているようにさえ見えた。

 女は左手をアカリの方に向ける。

 それを見てアカリはもう一度悲鳴を上げてまた二、三歩退く。玄関の扉に背中が当たった。アカリに向けられた掌にも、ローブの裾からから見える前腕部にも肉はついていなかった。全くの真っ白い骨だった。

 ローブの女はひゅっと口笛を吹くような音を発した。骨しかない掌から闇が拡がっていった。空間全体が闇に侵されていく。それと同時に闇から浮かび上がってくるファントムたちの気配。

 現れたファントムたちにバルドルが口から閃光を放ち、ファントムたちを消滅させていく。同時にその閃光には闇そのものをも消滅させる力があるようで、再び先ほどまでと同じ殺風景な玄関ホールの景色が戻るまでさしたる時間はかからなかった。

「馬鹿だね……バルドル。お前に、私の闇の全てを払い切れるはずもなかろうに……」

 左手をローブの中にしまいながら女は嘲りの笑いを見せる。

「いや……私の闇、という言葉は正確ではなかったかね?」

 ぐるる、と唸り声を上げながら、バルドルが女を睨み続けるが、女は気にした風もなく、今度はアカリに声をかけた。

「アカリ……お前が知りたいこと、無くしてしまったことの全ては、このエリューズニルにある。その全てを集め終わった時に、きっと今度はお前の方から私に身を委ねる気になるだろうよ」

 女はそう言うとアカリに背を向けて、階段を上がっていった。アカリはその背中に反射的に「待って!」と声をかけていた。

 女は階段を上がっていく足も止めず振り向きもしなかった。

 今度はアカリが女を追いかけて階段を駆け上がった。

 しかし、踊り場まで駆け上がった時、フードの女の姿は見当たらなかった。踊り場には、先ほどしたからではよく見えなかった大きな絵画が飾られていた。

 その中に描かれているのは、右半身は透き通るように白く美しい肌に、左半身は醜く青黒い死体を思わせる女の肖像。先程の女だった。全身を包んでいる紺色のローブとフードもさっき見たのと同じ装束だった。

 同様に、アカリの眼前で開かれた骨だけの左の前腕と掌も描かれている。さっきは見えなかった右手は、絵画の中では顔同様に美しく描かれている。おそらくこれも、同じなのだろう。

 被ったフードの下から見える黒く長い前髪を、骨だけの左手でかきあげる仕草をしている、憂鬱な表情を浮かべる女の絵――。

「私の名はヘル。闇の女王ヘル。ニヴルヘルの支配者であり、ガングラティとガングレト……お前たちが呼ぶところのファントムの支配者さ」

 目の前の絵の中の女が話した――?

 それともまだ近くにいるの――?

 確かにアカリの耳に、ここにはいなくなったはずの、さっきの女の声が聞こえた。アカリは周囲を見回して女の姿を探したが、その姿を見つけることはできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...