光の射す方へ

弐式

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12.微かな疑問

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 アカリは、ほんの小一時間ほど前に上がってきた階段を下っていった。踊り場に飾られていた絵画の中には、やはり闇の女王ヘルの姿はない。

 彼女と2階で遭遇することはなかったが、1階にいるのだろうか。

 アカリは怖くなって階段の途中で足を止めて、階段に腰掛けた。

「……疲れたなぁ」

 アカリはため息混じりに口にした。

 ずっと歩きっぱなしだったけれどこの館に入ってからは緊張で気を張り詰めていて疲れを意識する余裕がなくなっていた。

 わずかな休息とともに疲れを口にしてしまうと、忘れていた空腹や喉の渇きも意識するようになった。すると、さっき通り過ぎたのダイニングが思い出されてきた。

 アカリが腰かけている階段を下りて右側の扉を開けばダイニングだ。食べ物の載っていないテーブルに用はない。階段を下りたら左側の扉を開けることにしよう、と考えた。

 目を閉じて、深呼吸を2回してからアカリは立ち上がる。

「喉が渇いた! お腹空いた! 甘いもの食べたい!」
 
 大声で叫んでから、「ちょっとすっとしたかな」とバルドルに向かって微笑む。

 その時、心の中にチクリととげが刺さったような気分になった。

 ひどく……引っかかる。

「ねぇ、バルドル。私って、普段何を飲んで、何を食べていたんだっけ?」

 人は簡単にいろんなものを忘れてしまうものだと言われればそれまでかもしれない。確かに人間は昨日の夕食だって、なかなか思い出せないものだろう。けれど、アカリが口にした疑問は夕食の中身を思い出せないというのとは違う。

 ……一体、何を口にしているのか、どうにも思い出せないのだ。

 大して深い意味なく口にした疑問によって、自分の足元の世界が崩れて行く……そんな錯覚を覚えた。

「そんなことを気にする必要はないよね。あるものを食べて、あるものを飲んでいただけのはずだよ」

 アカリは、自分の胸に湧き上がってきた得体のしれない不安感を振り払うために、バルドルに向かって明るく笑いかける。

 そして、自分の胸に湧き上がってきた得体のしれない不安を振り払うために、足早に階段を降りると、左に見える両開きの扉に手をかけた。


     *     *     *
 
 扉を開けた瞬間、アカリは戸惑い、思わず扉を閉めそうになった。その部屋の中にも赤い絨毯が敷き詰められていた。困惑してしまったのは、まるで巨人に一斉に見下ろされているかのように感じたからだ。

 その部屋は、この館を探索する中でアカリが入ったどの部屋よりも広かった。ピアノが置かれていた部屋よりも、ダイニングよりも、最初にアカリが閉じ込められていた石造りの広間よりも。

 天井までとても高く、その下に巨大な本棚が沢山置かれ、その中にはぎっしりと無数にも思える多種多様な本が押し込めれられていた。アカリが見下ろされているように感じたのは、この本棚のせいだ。

「……」

 アカリは、ファントムに囲まれたときとは違う意味で冷や汗が止まらなくなった。暗闇の世界で生きるようになって本など読まなくなって久しい。いきなり、これほどの量の本を付きつけられると拒否反応で蕁麻疹じんましんが出てきそうだ。

「この中に、ある本の内容を全部確かめるのに何年――いや、何十年かかるのかしら?」

 アカリは、天井近い本棚を見上げながら茫然となった。上の本を取るために脚立が用意されているが、アカリの背丈の3倍……いや4倍はありそうな高さで、一番上の棚の本を取ろうと思ったらめまいがしてくる。

「でも、一応、調べてみないとね……」

 アカリは呟きながら、まずは自分の背よりも低い位置の本を、一冊一冊、背表紙を確かめて回ることにした。

 「人類の叡智えいちの集大成というのは……こういうのを言うのかしら」

 本棚の中には、数学、天文学、語学、歴史学、法学、軍事学、科学、物理学、経済学といった知識の本や、ロマンス、ミステリー、SF、ファンタジーといった小説までよりどりみどりに取り揃えられている。

 しかし、これだけあると、目的のものがあったとして無闇に探していたとしても見つけられないし、ましてや何かこの館の手掛かりになりそうなもの――と漠然と探している状態では、到底、叶うまい。

 何よりも背表紙を見ているだけでげんなりする。

 アカリも書庫を一周したら早々に「もうダメ」と心が折れてしまっていた。
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