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26.帰還……そして、真相
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* * *
まだ……瞼を閉じていたい。
そんなことを思いながら、灯は瞼を震わせながらゆっくりと開いた。
「……痛い」
開いたとたんに蛍光灯の光が目の中に飛び込んできた。それはとても眩しく、刺すような痛みを感じたような気がして灯は声を上げたが、喉はカラカラで擦れたような声しか出せなかった。
眩しさから逃れたくて、光を遮ろうと右手を上げようとしたが、右腕は鉛のように重く感じてすぐに下ろしてしまった。
「……気が付いた?」
その光を遮ったのは、長い黒髪の女性の顔だった。目や頭の中に霞がかかったように、その顔がよく見えない。
「マ……マ……?」
呟くようにその名を呼ぶ。
「灯……? 意識が戻った……んだね!」
向こうも灯の名を呼ぶ。
その優しい声に、灯の頭の霞がとれたような気がした。
「おねえ……ちゃん」
灯を覗き込んでいたのは、灯と同じ学校に通う従姉だった。
ちょっとだけ首を起こして周りを見る。
真っ白い壁にカーテンに仕切られた部屋。何度か来たことがある地元の総合病院の病室だった。もちろん、このベットに寝るのは初めての経験だった。
視界の中に灯の母親の姿は見当たらなかった。
「私……どのくらい眠っていたの?」
「……七日くらいかな。すぐに看護師さんを呼ぶからね」
と従姉が出て行く。
――ママのことを聞けなかった。
聞くのが怖かった。
「目が覚めたか?」
灯が小さくため息をついたところに、男の声がかかった。
「伯父さん……」
灯の母親の兄にあたる人で、先ほど出て行った従姉の父親。母親の5歳年上だから、もうじき50歳になるが、そうとは思えないシュッとした体格の、格好いい人である。
それになにより、これまで灯にとって唯一に近い味方だった人である。
「……ママは……? 来ていますか?」
灯の問いに、伯父は顔を伏せ、「今、君に会わせられる状態じゃない」と声を震わせた。何だか怒っているようにも聞こえる。
「……」
その回答に落胆した灯は伯父から顔を背け、ぽつりと呟く。
「バルドルの嘘つき……」
灯は"アカリ"として先ほどまで生きていた闇に閉ざされた世界やエリューズニルのことを思い出そうとしたが、うまくは思い出せなくなってしまっていた。
それなのに、バルドルの顔だけは妙にはっきりと思い出せた。
灯の中で"アカリ"が彼とかわした言葉はずの言葉も、どこか遠い世界のものになりつつあったが、最後に得たはずの「生きよう」という想いや意志は、はっきりと覚えていた。
しかし、その想いは現実の中で、すでに揺らぎ始めていた。
伯父に何と言葉を返せばいいのか分からず、灯は沈黙した。
「一ノ瀬さん。眩暈とか、気持ちの悪さとかはありませんか?」
沈黙に割り込んできたのは女性の声だった。従姉が呼んできた看護師だった。
「……大丈夫だと思います」
灯は寝転がったまま、看護師の方に顔を向けた。
「そうですか。もうすぐに先生も来ますから――」
看護師の声を遮るように、
「やぁ。気が付かれたそうですね」
中年らしい男のダミ声が聞こえてきた。
「……誰……ですか?」
次に割り込んできたのはスーツ姿の白髪交じりの中年男。初老に差し掛かろうとしているようにも見えるその男は、灯には全く見覚えがなかった。その後ろに、端正な顔立ちのこれといった特徴のない若いスーツ型の男が立っている。そちらの若い男の顔にも、灯は覚えがなかった。
二人の男が入ってきた途端、その場の空気がただならないものに変わったような気がした。
「非常識じゃないか! まだ医師の許可も得ていないのに」
「それについては申し訳ないと思っていますよ。しかし、我々も、お嬢さんが意識を回復されるのをずっと待っておりましてね」
伯父の抗議に対して白髪交じりの男はそう言ってから、「あ……申し遅れました。我々はこういう者です」と胸から手帳のようなものを取り出して灯に見せた。それは警察手帳だった。後ろの若い男も同じように警察手帳を提示してきた。
「私は……」
「あなたを轢いたトラックの運転手が、あなたが飛び出してくる直前に、あなたを突き飛ばすような人影があったと言っていましてね」
「そんな! 私は自分で……」
思わず声を上げた灯だったが、かなり長いこと使っていなかった喉はかなり弱っていたようで、言葉は最後のほうは消え入りそうになっていた。
「トラックのドライブレコーダーにも、夜間ということもあって不鮮明ではありましたが、あなたの後ろに不自然に立つ人影らしきものが映っていました」
若いほうの警察官が言った。
「でも……だからと言って……」
「ほかにも、同じ時間帯を走った車を探して、目撃証言やドライブレコーダーを見せてもらいました。その結果、はっきりと女性があなたを突き飛ばす瞬間を捉えたドライブレコーダーの映像を得られました。あなたは―ー」
若い警官は一旦言葉を区切ってから、言葉を続けた。
「あなたは、間違いなく誰かに殺されかけたんです」
病室の中を重苦しい沈黙が漂った。
「まさか……それが母だと?」
寝起きだからか頭がしっかり働かない。いや……さすがにそれはあるはずがないという思いが、その結論を言葉にするのを躊躇わせた。
さっき叔父が言っていた「会わせられる状態じゃない」という言葉の意味がようやく分かった。
「……現在、捜査中です」
「もう、いいだろう。この子は、やっと意識を取り戻したところなんだ!」
伯父がそう言ったところで、病室に白衣を着た医者が入ってきた。金縁の眼鏡をかけた、ちょっと気の弱そうな男の医者だった。
「ちょっと刑事さん。勝手は困りますよ」
「これは失礼」
年配の刑事はそう言って灯に小さく頭を下げて、
「また、話を聞きに来ます」
そう言い残し、二人の警官は病室を出て行った。
「もう、くるな!」
べーっと舌を出して悪態をついた従姉を見ながら灯は小さく苦笑した。
今になってようやく実感がわいてきた。
……帰ってきた。
闇の中の世界から、光あふれる世界に。
けれどそこは、底知れない深い闇の中だった。
まだ……瞼を閉じていたい。
そんなことを思いながら、灯は瞼を震わせながらゆっくりと開いた。
「……痛い」
開いたとたんに蛍光灯の光が目の中に飛び込んできた。それはとても眩しく、刺すような痛みを感じたような気がして灯は声を上げたが、喉はカラカラで擦れたような声しか出せなかった。
眩しさから逃れたくて、光を遮ろうと右手を上げようとしたが、右腕は鉛のように重く感じてすぐに下ろしてしまった。
「……気が付いた?」
その光を遮ったのは、長い黒髪の女性の顔だった。目や頭の中に霞がかかったように、その顔がよく見えない。
「マ……マ……?」
呟くようにその名を呼ぶ。
「灯……? 意識が戻った……んだね!」
向こうも灯の名を呼ぶ。
その優しい声に、灯の頭の霞がとれたような気がした。
「おねえ……ちゃん」
灯を覗き込んでいたのは、灯と同じ学校に通う従姉だった。
ちょっとだけ首を起こして周りを見る。
真っ白い壁にカーテンに仕切られた部屋。何度か来たことがある地元の総合病院の病室だった。もちろん、このベットに寝るのは初めての経験だった。
視界の中に灯の母親の姿は見当たらなかった。
「私……どのくらい眠っていたの?」
「……七日くらいかな。すぐに看護師さんを呼ぶからね」
と従姉が出て行く。
――ママのことを聞けなかった。
聞くのが怖かった。
「目が覚めたか?」
灯が小さくため息をついたところに、男の声がかかった。
「伯父さん……」
灯の母親の兄にあたる人で、先ほど出て行った従姉の父親。母親の5歳年上だから、もうじき50歳になるが、そうとは思えないシュッとした体格の、格好いい人である。
それになにより、これまで灯にとって唯一に近い味方だった人である。
「……ママは……? 来ていますか?」
灯の問いに、伯父は顔を伏せ、「今、君に会わせられる状態じゃない」と声を震わせた。何だか怒っているようにも聞こえる。
「……」
その回答に落胆した灯は伯父から顔を背け、ぽつりと呟く。
「バルドルの嘘つき……」
灯は"アカリ"として先ほどまで生きていた闇に閉ざされた世界やエリューズニルのことを思い出そうとしたが、うまくは思い出せなくなってしまっていた。
それなのに、バルドルの顔だけは妙にはっきりと思い出せた。
灯の中で"アカリ"が彼とかわした言葉はずの言葉も、どこか遠い世界のものになりつつあったが、最後に得たはずの「生きよう」という想いや意志は、はっきりと覚えていた。
しかし、その想いは現実の中で、すでに揺らぎ始めていた。
伯父に何と言葉を返せばいいのか分からず、灯は沈黙した。
「一ノ瀬さん。眩暈とか、気持ちの悪さとかはありませんか?」
沈黙に割り込んできたのは女性の声だった。従姉が呼んできた看護師だった。
「……大丈夫だと思います」
灯は寝転がったまま、看護師の方に顔を向けた。
「そうですか。もうすぐに先生も来ますから――」
看護師の声を遮るように、
「やぁ。気が付かれたそうですね」
中年らしい男のダミ声が聞こえてきた。
「……誰……ですか?」
次に割り込んできたのはスーツ姿の白髪交じりの中年男。初老に差し掛かろうとしているようにも見えるその男は、灯には全く見覚えがなかった。その後ろに、端正な顔立ちのこれといった特徴のない若いスーツ型の男が立っている。そちらの若い男の顔にも、灯は覚えがなかった。
二人の男が入ってきた途端、その場の空気がただならないものに変わったような気がした。
「非常識じゃないか! まだ医師の許可も得ていないのに」
「それについては申し訳ないと思っていますよ。しかし、我々も、お嬢さんが意識を回復されるのをずっと待っておりましてね」
伯父の抗議に対して白髪交じりの男はそう言ってから、「あ……申し遅れました。我々はこういう者です」と胸から手帳のようなものを取り出して灯に見せた。それは警察手帳だった。後ろの若い男も同じように警察手帳を提示してきた。
「私は……」
「あなたを轢いたトラックの運転手が、あなたが飛び出してくる直前に、あなたを突き飛ばすような人影があったと言っていましてね」
「そんな! 私は自分で……」
思わず声を上げた灯だったが、かなり長いこと使っていなかった喉はかなり弱っていたようで、言葉は最後のほうは消え入りそうになっていた。
「トラックのドライブレコーダーにも、夜間ということもあって不鮮明ではありましたが、あなたの後ろに不自然に立つ人影らしきものが映っていました」
若いほうの警察官が言った。
「でも……だからと言って……」
「ほかにも、同じ時間帯を走った車を探して、目撃証言やドライブレコーダーを見せてもらいました。その結果、はっきりと女性があなたを突き飛ばす瞬間を捉えたドライブレコーダーの映像を得られました。あなたは―ー」
若い警官は一旦言葉を区切ってから、言葉を続けた。
「あなたは、間違いなく誰かに殺されかけたんです」
病室の中を重苦しい沈黙が漂った。
「まさか……それが母だと?」
寝起きだからか頭がしっかり働かない。いや……さすがにそれはあるはずがないという思いが、その結論を言葉にするのを躊躇わせた。
さっき叔父が言っていた「会わせられる状態じゃない」という言葉の意味がようやく分かった。
「……現在、捜査中です」
「もう、いいだろう。この子は、やっと意識を取り戻したところなんだ!」
伯父がそう言ったところで、病室に白衣を着た医者が入ってきた。金縁の眼鏡をかけた、ちょっと気の弱そうな男の医者だった。
「ちょっと刑事さん。勝手は困りますよ」
「これは失礼」
年配の刑事はそう言って灯に小さく頭を下げて、
「また、話を聞きに来ます」
そう言い残し、二人の警官は病室を出て行った。
「もう、くるな!」
べーっと舌を出して悪態をついた従姉を見ながら灯は小さく苦笑した。
今になってようやく実感がわいてきた。
……帰ってきた。
闇の中の世界から、光あふれる世界に。
けれどそこは、底知れない深い闇の中だった。
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