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プロローグ
1.ある秋の夕暮れの海岸線で
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秋の日の、ちょっとした光景。
水谷晶乃が、それを思い出したのは、年が変わって3月半ばのある日のことだった。晶乃が通っていた市立雀ヶ丘第一中学校の卒業式が終わって4日が経っていた。
卒業してから学校に通っていた時と比べて寝る時間と起きる時間が3時間ほど遅くなっていた。卒業前には録りためるだけ録りためて、まったく見ることが出来なかったアニメだのドラマだのを堪能して、朝は目覚まし時計なしで自然に目が覚めるまで寝ている1日。
ゴロゴロと何の目的もなく時を過ごせるというのは、卒業から入学までのほんのわずかな期間だけできる至福の生活。しかし、その生活が楽しめたのは昨日までだった。
今日、目を覚まして、まず感じたのは退屈だった。もともと部活動で朝練があって他の同級生よりも少し早く起きなければならなかったこともあって、長く寝ることも夜更かしすることにも慣れていなかった。
それでも、中学校に通っていた時よりもずっと遅い朝食の時間である。
今日は何をしようかと考えながら、リビングのテーブルにつく。白いご飯にお味噌汁。いくつかの菜ものにボイルしたウインナーと簡単な朝食が並んでいた。
晶乃はすぐには食事には手を付けず、お父さんのように新聞を開いて眺めた。テレビ欄を見る。夜の9時から、去年大ヒットした映画が地上波初登場と書かれている。それから、ぴらりと新聞を開く。
寝起きの頭の中に情報が入ってこないのを感じながら新聞をめくっていた晶乃は、ふと地元欄で手を止めた。目を引いたのは、左隅に掲載されている1枚の写真。
新聞の小さな不鮮明な写真には、夕日の海岸線を歩きながらに飛ばされそうな白い日除け帽子を押さえている黒髪の女性が写っている。
晶乃はこの写真の光景に見覚えがある。
それを見たのは確か……半年前の秋の夕暮れ。所属していたバスケットボール部の最後の大会が終わったのが8月の頭で、夏休み後は引退して受験勉強に本腰を入れ始めた頃だ。
晶乃は気分転換に家の近くの道路を歩いていた。そこは海岸線に沿って築かれた道路。堤防で道路と海岸の白い砂浜が分けられている。
砂浜には、あまり人のいる季節でも時間帯でもなかったが、そこで晶乃は2人の女性を見かけた。
……綺麗な人。
それは沖の方に日が落ちていき、海がオレンジ色に染まっていく時間。夕日に照らされるのを楽しむように、その女の人は歩いていた。丁度、曲がり角の所で見ていた関係で、正面からその女性を見ることになった。
その人は、白い日除け帽子に白いワンピースに白いサンダル姿だった。年の頃は20代後半くらい。自分の倍くらいの年齢だろうか……などと思う。
その女の人の前を歩いている赤いTシャツに黒いハーフパンツの女の子の姿があった。格好は男の子のように思えたが、多分、女の子だと思う。背を向けて後ろ向きに歩いているから顔が見えないのだ。女の子だと思ったのは、髪形が後ろで束ねたポニーテールだったからだ。
何をしているのかと少し興味が沸き、身を乗り出したとき、晶乃のいる方に向けて、びゅうっと風が吹いた。細かい砂粒が顔に当たり、遮ろうと右手を顔の前に構えた時、目の前の女の人も飛ばされそうになった白い日除け帽子を押さえた。
その瞬間、カシャッという微かな音が風に乗って聞こえた。
背中しか見えない女の子のポニーテールが、ひょこひょこと動いた。ここから見ると、はしゃいでいるようにも思える。
……写真を撮っていたんだ。
晶乃もスマホで写真を撮影することはあるが、ちゃんとしたカメラ――ちゃんとしたカメラというのは、一眼レフのことを指すのだと、この時の晶乃は思っていた――を使ったことは一度もない。
ここからでは、彼女たちがどんなカメラを使っているのか見ることはできないけれど、スマホではなさそうだと思った。
その時、女の人の方が白い日除け帽子をとってぱんぱんと砂を祓うような仕草をした。彼女が帽子を取ると、黒いストレートの髪が、はらりと広がった。それを眺めていた晶乃は少しだけ羨ましく思う。
ふと、自分の髪に手をやる。髪の毛を指でくるくるとやるのに憧れているが、短すぎて指に髪が巻き付くことはない。もともと癖毛が強かった晶乃は、運動部を理由に小学校の高学年のころから極端なショートにしてきたからだ。
触れていた髪から指を離したとき、目の前の白い服の女の人が晶乃に気付いた。女の人が小さく会釈をしたので、晶乃も小さく会釈を返した。
女性が白い日除け帽子を被るのと同時に、晶乃は「さて……受験勉強、受験勉強」と家に戻ることに決め、背中を向けて大きく伸びをしていた。だから、その時、ポニーテールの女の子が晶乃の方に顔を向けたことにも気付かなかった。
そして海岸線を後にした。
そう……そんなこともあった。
あの日の――忘却の彼方に置き去りにしていた光景が、新聞の小さなスペースに切り取られ、貼りつけられていた。
夕日の海岸線を歩きながらに飛ばされそうな白い日除け帽子を押さえている黒髪の女性。それはあの夕焼けの海岸で見かけた女性のように思えた。
『私の町の身近な写真コンテスト 中学生の部 グランプリ』と書かれている。晶乃たちが生活する雀ヶ丘市が主催する写真コンテストだった。グランプリの受賞者の名前として、『桑島彩智』と書かれていた。
「入場は無料。場所は……市民文化会館か。そんなに遠くないし、行ってみるかな」
ちょっと楽しみに思いながら新聞をたたんで横において、「いただきます」と両手を合わせると、茶碗によそわれた白いご飯を口に運んだ。
水谷晶乃が、それを思い出したのは、年が変わって3月半ばのある日のことだった。晶乃が通っていた市立雀ヶ丘第一中学校の卒業式が終わって4日が経っていた。
卒業してから学校に通っていた時と比べて寝る時間と起きる時間が3時間ほど遅くなっていた。卒業前には録りためるだけ録りためて、まったく見ることが出来なかったアニメだのドラマだのを堪能して、朝は目覚まし時計なしで自然に目が覚めるまで寝ている1日。
ゴロゴロと何の目的もなく時を過ごせるというのは、卒業から入学までのほんのわずかな期間だけできる至福の生活。しかし、その生活が楽しめたのは昨日までだった。
今日、目を覚まして、まず感じたのは退屈だった。もともと部活動で朝練があって他の同級生よりも少し早く起きなければならなかったこともあって、長く寝ることも夜更かしすることにも慣れていなかった。
それでも、中学校に通っていた時よりもずっと遅い朝食の時間である。
今日は何をしようかと考えながら、リビングのテーブルにつく。白いご飯にお味噌汁。いくつかの菜ものにボイルしたウインナーと簡単な朝食が並んでいた。
晶乃はすぐには食事には手を付けず、お父さんのように新聞を開いて眺めた。テレビ欄を見る。夜の9時から、去年大ヒットした映画が地上波初登場と書かれている。それから、ぴらりと新聞を開く。
寝起きの頭の中に情報が入ってこないのを感じながら新聞をめくっていた晶乃は、ふと地元欄で手を止めた。目を引いたのは、左隅に掲載されている1枚の写真。
新聞の小さな不鮮明な写真には、夕日の海岸線を歩きながらに飛ばされそうな白い日除け帽子を押さえている黒髪の女性が写っている。
晶乃はこの写真の光景に見覚えがある。
それを見たのは確か……半年前の秋の夕暮れ。所属していたバスケットボール部の最後の大会が終わったのが8月の頭で、夏休み後は引退して受験勉強に本腰を入れ始めた頃だ。
晶乃は気分転換に家の近くの道路を歩いていた。そこは海岸線に沿って築かれた道路。堤防で道路と海岸の白い砂浜が分けられている。
砂浜には、あまり人のいる季節でも時間帯でもなかったが、そこで晶乃は2人の女性を見かけた。
……綺麗な人。
それは沖の方に日が落ちていき、海がオレンジ色に染まっていく時間。夕日に照らされるのを楽しむように、その女の人は歩いていた。丁度、曲がり角の所で見ていた関係で、正面からその女性を見ることになった。
その人は、白い日除け帽子に白いワンピースに白いサンダル姿だった。年の頃は20代後半くらい。自分の倍くらいの年齢だろうか……などと思う。
その女の人の前を歩いている赤いTシャツに黒いハーフパンツの女の子の姿があった。格好は男の子のように思えたが、多分、女の子だと思う。背を向けて後ろ向きに歩いているから顔が見えないのだ。女の子だと思ったのは、髪形が後ろで束ねたポニーテールだったからだ。
何をしているのかと少し興味が沸き、身を乗り出したとき、晶乃のいる方に向けて、びゅうっと風が吹いた。細かい砂粒が顔に当たり、遮ろうと右手を顔の前に構えた時、目の前の女の人も飛ばされそうになった白い日除け帽子を押さえた。
その瞬間、カシャッという微かな音が風に乗って聞こえた。
背中しか見えない女の子のポニーテールが、ひょこひょこと動いた。ここから見ると、はしゃいでいるようにも思える。
……写真を撮っていたんだ。
晶乃もスマホで写真を撮影することはあるが、ちゃんとしたカメラ――ちゃんとしたカメラというのは、一眼レフのことを指すのだと、この時の晶乃は思っていた――を使ったことは一度もない。
ここからでは、彼女たちがどんなカメラを使っているのか見ることはできないけれど、スマホではなさそうだと思った。
その時、女の人の方が白い日除け帽子をとってぱんぱんと砂を祓うような仕草をした。彼女が帽子を取ると、黒いストレートの髪が、はらりと広がった。それを眺めていた晶乃は少しだけ羨ましく思う。
ふと、自分の髪に手をやる。髪の毛を指でくるくるとやるのに憧れているが、短すぎて指に髪が巻き付くことはない。もともと癖毛が強かった晶乃は、運動部を理由に小学校の高学年のころから極端なショートにしてきたからだ。
触れていた髪から指を離したとき、目の前の白い服の女の人が晶乃に気付いた。女の人が小さく会釈をしたので、晶乃も小さく会釈を返した。
女性が白い日除け帽子を被るのと同時に、晶乃は「さて……受験勉強、受験勉強」と家に戻ることに決め、背中を向けて大きく伸びをしていた。だから、その時、ポニーテールの女の子が晶乃の方に顔を向けたことにも気付かなかった。
そして海岸線を後にした。
そう……そんなこともあった。
あの日の――忘却の彼方に置き去りにしていた光景が、新聞の小さなスペースに切り取られ、貼りつけられていた。
夕日の海岸線を歩きながらに飛ばされそうな白い日除け帽子を押さえている黒髪の女性。それはあの夕焼けの海岸で見かけた女性のように思えた。
『私の町の身近な写真コンテスト 中学生の部 グランプリ』と書かれている。晶乃たちが生活する雀ヶ丘市が主催する写真コンテストだった。グランプリの受賞者の名前として、『桑島彩智』と書かれていた。
「入場は無料。場所は……市民文化会館か。そんなに遠くないし、行ってみるかな」
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