切り取られた世界の中で、広がる世界 ~初心者カメラ女子高生のエンジョイフォト~

弐式

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【1章】晶乃と彩智

18.それは大きな勘違いだった

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 切符を買って、改札を通って、階段を駆け上がる。晶乃がホームにたどりついたとき、時間は6時になる直前だった。5分に発車する電車はすでにホームに入って、客を待っている。

「間に合った」

 ほっと一息ついて呼吸を整える。

「随分、ギリギリだったわね」

「ええ。つい時間を……」

 不意に右横から駆けられた声に返事しかけ、一体誰だろうと右を向く。

 たぶん上級生らしい長いダークブラウンの髪の整った顔は見覚えがあるような、無いような……。2秒ほど考えて、先日会った先輩の平木真紀だと思い至る。

「確か……平木先輩でしたね。写真研究部の部長の」

「ええ」

 晶乃は真紀を上から下に素早く視線を走らせる。少しおしゃれをしている。デートの帰りだろうか?

 全体的に細めだが、特に丈の短いスカートから伸びた足はすらっとしていて、筋肉質な太腿の太さがコンプレックスの晶乃にとっては羨ましい限りだ。

「桑島さんは元気にしている?」

「はい。もう、傷跡もほとんど見えなくなっていますよ」

 これは気を使ったわけではなく事実だった。事件が起きてからまだ3日ほどしか経っていないが、今はかなり薄くなって、化粧で隠している。

「そう。女の子の顔に傷が残らなくて良かったわ」

「岩井先輩は何か処分があったんですか」

「双方の親御さん同士が昨日話し合って、正式に文書を作って決着もついたみたい。どう決着をつけたのかは充希本人も詳しくは聞かされていないみたい。学校の処分は謹慎一日。それも一昨日済んだ」

「そうでしたか」

 充希がどうしてあんな行動を取ったのかは聞かなかった。他人である晶乃が首を突っ込んでいい話ではないようにも思っていたし、彩智と話していてもあえて話題にすることは無かった。

 晶乃から見て、彩智が岩井充希に対して処罰感情を抱いているようには見えなかったし、とりあえずこれで終わりならそれでいいのだろう。

「ところで今日は四季さんのところに行っていたの?」

「どうして分かったんです?」

 晶乃は素直に驚いた。

「この街で写真をやっていて、藤沢四季の名前を知らなかったらモグリね」

 写真をやっていればカメラ屋に足を運ぶ機会も増えるだろう。小さな街での話である。選択肢もそう多くはないだろう。それなりに品ぞろえが豊富そうだった藤沢写真機店は、この街で写真をしようと思えば選択肢の一番手に来ても不思議はない。

「そういう意味ではなくて……」

 と言いかけた晶乃を、真紀がくすくすとくぐもった笑いで遮る。

「そのデジタル一眼レフに、テプラで「藤沢写真機店」って貼ってある」

 そう言われてはっと気付く。

「しまった! カメラを返すのを忘れてた!」

 頭を押さえたのと、晶乃が乗る予定だった電車が「まもなく出発します」というアナウンスが流れた。

「これに乗るんでしょ? 明日行く予定があるから私が返しておこうか?」

 と真紀が言う。

「いえ……今から返しに行って、次の電車に乗ります」

 少しため息をついて、予定の変更を決めたところで、電車の扉が閉まり、ゆっくりと発進した。恨めしくそれを見送る晶乃に、真紀が尋ねてきた。

「良かったの?」

「別に終電ってわけじゃないですし……」

「そう。でもカメラを持っていたってことは貴女も、写真に少し興味が出たのかしら?」

「まぁ、少しは」

 晶乃がそう答えると真紀は少し嬉しそうな顔をした。

「今度のゴールデンウィーク中に写真研究部の部員で親睦会兼ねて写真の撮影会するんだけれど、来てみない?」

「私だけで、ですか?」

「もちろん、この前の桑島さんも誘って。何て言うか……ちゃんと誠意を見せる機会が欲しいのよ。私も、充希もね」

 パンッと真紀は顔の前で両手を合わせてみせる。こうして見ると、実年齢よりも幼く見える。髪型とかメイクとかを頑張って少し大人びて見せようとしているが、ぱっちりとしたやや大きな目のせいだろうか、あらためてまじまじと見ると少しアンバランスな印象を受ける。多分すっぴんになったら、かなりの童顔だと晶乃は思った。

 もっとも、それでも彩智ほどではないだろうと失礼なことを思いながら、

「彩智は……何て答えるか分からないですよ」

 と答える。

「断られたら仕方ないよ」

「私はなおのこと……写真研究部には入る気はないですし……」

 その時、思い出していたのは入学前に、写真の展示会で見かけた写真研究部の部員の態度だった。自分が見たことを、言葉を選びつつ真紀に伝える。しかし話していると彩智の写真を嘲笑い、大声で笑いものにしてていた姿を思い出してしまい、言う必要はないと思いつつ、つい余計なことを口にしてしまう。

「私は中学の時にバスケをやってきて、対戦相手には真摯に向き合うようにと教わりました。嘲笑したりヤジを飛ばしたりなんてもってのほか。常に相手に敬意持って相対すように……できたかどうかはとにかく、そういう姿勢だけは持ち続けていたつもりです。それは、運動部だろうと、文化部だろうと、同じだろうと思ってきました。だから……」

 晶乃は一瞬言葉に詰まる。相手は先輩なのだから、その続きは言うべきではないと思いながらも口にしてしまったのは、彩智を友人だと思っているからだった。言わずにはいられなかった。

「どんなにいい写真を撮れようと、他者の写真や被写体に敬意を払えない――払うことを教えないような所で、学ぶものはないと思います」

 晶乃の言葉を黙って聞いていた真紀は、大きく頷く。

「耳に痛いね。私もその通りだと思うよ。それが無かったら、どんなに腕のいい写真家だって、ただの独りよがりの技術自慢に過ぎないと思う。言ってくれてありがとう」

「すみません。失礼なことを……」

「ただ」

 晶乃の言葉を遮って、真紀は言葉を続ける。

「ウチの部員の名誉のために言わせてもらえれば、多分、それはウチの部員じゃないと思う。……今、写真研究部の部員は2年と3年で6人いて、先日、あなたと桑島さんが見学に来た時に5人には会ったけれど、その中に3月に見たっていう部員はいた?」

「いえ……」

 真紀の問いに、晶乃は小さく首を横に振る。

「残る1人は男子だし、他人と一緒に写真展とかを見に行くタイプでもないし……」

「でも確かに、雀ヶ丘高校の制服を着た女子生徒が「写真部の方がずっと上手い」って言っていたんですよ」

 少し狼狽えながら晶乃が反論する。

「それなんだよ……ウチの部員は自分たちのことを『写真部』とは言わないんだ。だって、ウチの高校には写真部が別にあるんだから」

 ……マジ? と部の活動場所を記した用紙を思い出そうとするものの、写真研究部での一件の後、別の部を見に行っていなかったし、『写真部』なるものが記載されていたのか全く思い出せなかった。

「もちろん、あなたが会ったのが写真部の部員だったのかは分からない。それに、それは写真研究部の部員じゃないですよ、と言ったところで、何の意味もない。部員の名誉のために訂正したけれど、あなたの言ったことは間違っていないし、よく覚えておくよ」

 勘違いで無礼な態度を取ったことに気付き、顔が紅潮していくのを感じながら、晶乃は「勝手なことを言ってすみません」と深く頭を下げる。

「周りから変な目で見られるからやめてよ。それと、さっき言った話、少し考えておいて」

「はい」

 と晶乃が答えたその時、ホームに電車が入ってくる。晶乃が乗る予定だったのとは逆方向に向かう電車だった。

「じゃ、私はこれに乗るから。あなたも、遅くならないように気を付けてね」

 最後に先輩らしい気遣いの言葉を残した真紀が手を振って車内に消えた。晶乃もそれを小さく手を振って見送る。

 その時、マナーモードにしていた晶乃のスマホがブーンと音を立てて小刻みに振動した。着信を告げているスマホには『桑島彩智』の文字が出ていた。

「もしもし、彩智」

 電話口から少し前に別れたばかりの彩智の声が聞こえてくる。電話の向こうから、「カメラ返すの忘れてない?」という声が来たので、

「うん。今気づいた」

 と頭をかきながら答える。

「これから返しに行くから」

「門限は大丈夫?」

「大丈夫。うちはそういうのは緩いから」

 通話を切って顔を上げると電車はすでに発進した後で、ホームの人影はまばらになっていた。晶乃は無造作にスマホをポケットに突っ込むと、上がってきたばかりの階段を下りて、改札へと向かっていった。
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